16.七人の女神
その後、クロディーヌはつまらない男に引っかかり、気がつけば借金を背負わされて中堅どころの娼館に入った。
そこで出会った商会長の妾になったが正妻に叩き出されて私娼になったり、行商人と一緒になったが捨てられたりと、沈んでいく一方の人生を送っていたらしい。
だが去年、ようやくクロディーヌはマノンがオランピアだと気づいた。
オランピアをモデルに王都の人気画家7名が競作し、一般公開された女神ヴェヌーシアの絵をたまたま見たのだ。
あの泣きぼくろは確かにマノン。
そして、豪奢な宝飾品で身を飾った女神の左の人差し指には、銀色に輝くシグネットリングが描かれていた。
クロディーヌは、オランピアは貴族の落とし胤ではないかと言われているのを思い出した。
もしかして、オランピアは自分から巻き上げた指輪を使って貴族の血を引いていると主張し、援助を勝ち取って、今の地位を築いたのではないか。
自分の人生は盗まれたのではないか。
本当は、華やかな生活を送るのは自分だったのではないか。
正面からぶつかったら、おそらく自分は消されてしまう。
クロディーヌは密かにオランピアの周辺を調べ始めた。
今の自分は、なにもわからないまま、指輪を渡した小娘ではない。
まず指輪を取り返し、そしてきちんと鑑定してもらって指輪の出処を突き止める。
そして、自分こそが本物の娘だと家族に名乗りを挙げるのだ。
試行錯誤を重ねたあげく、オランピアが暮らすこの邸宅に、洗濯女として出入りするようになったのが三ヶ月前。
オランピアが使うバスルームの場所を把握して、ひたすらタイミングを見計らう。
そして今日、願ってもいないチャンスが訪れた。
夕方、洗い終わった洗濯物を届けに来たら、ここのところ入り浸っていたオランピアの愛人がどこかに出かけるところだった。
裏へ回ると、料理女が、いつもより豪勢な夜食の下ごしらえをしている。
聞けば、真夜中過ぎに客が来るらしい。
料理女や通いの使用人達は、じきに帰る。
愛人もどこかに行ったのだから、夜はオランピアとヴィクトワールだけになるはずだ。
そして真夜中に客が来るなら、夜、早い時間にオランピアは風呂に入るのではないか。
クロディーヌは勝手口の鍵がかからなくなるよう細工し、帰った振りをして裏庭に潜んでじっと機会を待った。
夜10時前、二階のバスルームに明かりが灯る。
退路を確保するために裏門を開けてから、クロディーヌはそっと勝手口から忍び込んだ。
首尾よくヴィクトワールに袋を被せて縛り上げ、二階に上がって脱衣所のトレーから指輪を取る。
だが、人の気配に気づいたオランピアが飛び出してきて、もみ合いになった。
激しく争ううちに、クロディーヌは書物机のそばに追い詰められ、たまたま手に触れたクイル・ナイフをとった。
オランピアはクロディーヌの腕をつかんでナイフを奪おうとし──結局、クロディーヌは勢い余ってオランピアの首を刺してしまった。
だから、防御創がなかったのだ。
そこまでするつもりはなかったクロディーヌはパニックを起こし、とにかく逃げようとした。
だが、降りてみると勝手口の外で誰かがこそこそ喋っている。
そして、表から客が来て、玄関を乱打し始めた。
表からも裏からも逃げられない。
咄嗟に、指輪を左の薬指に嵌めて竜の印がついた側を手のひらの方に回し、洗濯物として預かっていたヴィクトワールのガウンとナイトキャップで、ひと目で洗濯女だとわかる木綿のワンピースと雑にまとめただけの髪を隠した。
まず、侍女の振りをして客を追い返すつもりだったが、客はクロディーヌの言うことなどまるで聞かずに二階へ上がってしまう。
そして、ルネが戻ってきた上、カタリナ達も現れる。
クロディーヌは、とにかくこの場から離れる隙を伺うしかなかった──
「わたくしの推測がだいたい合っていたわね!」
うなだれるクロディーヌをよそに、カタリナはドヤ顔で誇った。
ジュリエットがすかさず「さすがですカタリナ様!」とパチパチ拍手し、この場合拍手していいのかどうか戸惑いながらユーグとルネも乗っかる。
「……私は17年も、騙されていたということか。
だがカタリナ、どうしてナターリアの嘘までわかった」
「簡単なことですわ、お父様。
お父様が瀕死のオランピアに『ナターリア、誰にやられたんだ』と問うた時、彼女は『カタリナ、カタリナ』と答えたとおっしゃいましたよね。
もう助からないと思った彼女は、最後の最後に真実を明かそうとしたんじゃないかしら。
本当の名は『カタリナ』だと」
「は??」
公爵がぽかんとする。
「だって、『ナターリア.C』を並べ替えたら、カタリナじゃないですか」
「Catalina……Natalia……
あ、あ、あ! ほんとだ! Cがあまるけど後はおんなじです!」
ジュリエットが素っ頓狂な声を上げた。
「高級娼婦とただの娼婦を分かつのは、結局は淑女同等の教養なのでしょう?
最高の教養を授けてくれる者としてお父様に眼をつけた彼女は、自分がおじいさまの隠し子『かもしれない』設定を巧く造り上げた。
だけど、ここで本名のカタリナを名乗れば、お父様の末娘であるわたくしと名前がかぶってしまう。
それはいくらなんでもあざとすぎると判断して、でもまったくの偽名を名乗るのも憚られて、本名の並びを変えてナターリアという名にしたんじゃないかしら」
「でもなぜ、普通に愛人の座を狙わなかったんです?」
ユーグがぱちくりと訊ねる。
「年若い愛人に余計な知恵をつけさせたくないって思う男性は多いもの。
愛人になれば贅沢はできるけれど、結局、若さを消費されるだけ。
だから、『妹かもしれない』けれど『妹だとは言い切れない』ギリギリの線を狙って、お父様に近づき、援助を引き出したのよ。
オランピアの『自力で頂点を目指したい』『ただ見守ってくれる人がほしい』という気持ち、そこは本物だったから、金目当てで近づいてくる者を警戒しているお父様も懐にいれてしまったのではないかしら?」
カタリナは公爵をみやった。
唸り声を漏らしながら、公爵がわずかに頷く。