14.犯人は道化にすぎない
ユーグはどうだろう。
彼は、オランピアに出した手紙を取り返そうと焦っていた。
それだけでなく、オランピアとの情事を客に覗かれていたことに実は気づいていて、内心報復を誓っていたかもしれない。
のほほんとしたお調子者といった人柄に見えるが、ほぼ初対面だから当てにならない。
実際は相当な腹黒で、巧くジュリエットを焚き付け、証言者として自分を引き込んだのかもしれない。
もちろん、ユーグはずっとカタリナやジュリエットといたのだから、直接オランピアを刺したはずはない。
大気中の魔素が揺れたのは、父が扉を吹き飛ばした時だけなのだから、魔法を使ったわけでもないだろう。
ユーグが犯人だとすれば、たとえば「箱を開けたら短刀が飛び出してくる仕掛け」といった機械式の凶器を考えなければならない。
そんな妙なものは見当たらないが、それともぱっと見ではわからないような暗殺用の仕掛けがこの部屋にあるのだろうか。
大きな血痕があった書物机は窓のそば。
外から丸見えで窓が開いていれば、機械仕掛けのボウガンでナイフを打ち込むといった仕掛けも考えられるが、窓は開いているものの鎧戸は閉ざされ、がっちりロックされている。
そもそも、謎の仕掛けで大怪我をしたら、オランピアはまず助けを求めるはずだ。
わざわざ自分で鍵をかけて、救出を拒むはずがない。
そして、ジュリエット。
ジュリエットがオランピアに殺意を持つとしたら、実は夫がオランピアに心を移したとか、そのあたりか。
光魔法は、使える者がきわめて稀なこともあり、火水風土の四大元素を利用した魔法と違って仕組がよくわかっていない。
ジュリエットが「女神の祝福」でオランピアの致命傷を塞いだ時でも、魔素の揺動は感じられなかった。
なにか、人に知られていない光魔法を利用して、どうにかしたのだろうか。
だが、ジュリエットがオランピアを殺すとしたら、正々堂々と社交場に乗り込んで満員の客の前で殺し、そのまま出頭する絵しか浮かばない。
ジュリエットは、やることなすこと、とにかく直情径行すぎるのだ。
そもそも「女神の祝福」でオランピアの命を救ったのはジュリエット。
逆に考えれば、実は「オランピアを殺す」のではなく「彼女の命を救う」ことが目的だったのだろうか?
もしそうだとしたら──
完全に自分の思考が迷走していることに気づいたカタリナは、ぱん、と自分の頬を両手で叩いた。
すっくと立ち上がって公爵を見下ろす。
「不確定要素が多すぎるわ。
お父様、お互いボディチェックをしましょう。
それに、一階も調べないと」
「カタリナ、お前は『モンド』に戻らねばならんのだろう?
なぜそんなことを言う」
公爵は戸惑いながら、追求を続ける様子の娘を見上げた。
「この人、わたくしが刺したって言ったそうじゃないですか。
降りかかる火の粉は払わなければ」
仏頂面でカタリナは答え──その瞬間、閃いた可能性に、あ、と声を漏らしそうになった。
そうだ。そういうことなのかもしれない。
妙にぶっきらぼうなカード。
たいして価値のないシグネットリングが消えた理由。
防御創なしに突き立てられたナイフ。
瀕死のオランピアが鍵を自分でかけたこと。
誰に刺されたかと問われて、「カタリナ」と答えたこと。
そうだ、それで辻褄が合う。
カタリナは驚嘆しながら、改めてオランピアを眺めた。
男を惑わすことにかけてはこの国で最強の悪女は、まだ夢見るように眼を閉じている。
まるで、魔女に呪いをかけられて眠る姫君のよう。
犯人が消えたように見えることは、実はたいした問題ではない。
鍵は、オランピアがなぜこういう行動をとったか。
この事件の主役は、あくまでオランピアなのだ。
犯人は、道化にすぎない。
「カタリナ様?」
ぼうっとしているように見えたのか、ジュリエットがカタリナに声をかけた。
はっと見ると、皆、自分を注視している。
つかつかと、カタリナは侍女に近づいた。
侍女は顔を引きつらせて反射的に逃げようとしたが、カタリナはその左腕を捉えてぐいっとねじり上げる。
「い、痛いッ は、放して!」
秒で関節をキメられた侍女が身をよじりながら暴れるが、カタリナは離さない。
「あなた、さっき『本館から来たから、ここのことはよくわからない』って言ったわよね。
本館って、例の社交場にしている旧伯爵邸のこと?」
「そ、そうですッ」
え、と一斉に公爵、ユーグ、ルネが声を漏らした。
「あちらのことは『別館』と、ナターリアやヴィクトワールは呼んでいたが」
公爵が訝しげに片眉を上げ、ユーグとルネが頷く。
「やっぱり! それに来客があるってわかっているのにその格好。
侍女は一人しかいないのに、寝支度をするわけがないじゃない。
お父様、ボディチェックは不要のようですわ」
カタリナは不敵に笑うと、侍女の左手を皆の方へ突き出した。
侍女は歯を食いしばりながら、拳を握りしめている。
「手のひらを開いて、皆に見せなさい。
あなたの手首を魔法で切り落として確認したってよいのよ」
カタリナが宣言すると、侍女はヒッと息を飲んで手のひらを開いた。
結婚指輪のように見えていた、左手の薬指に嵌めたくすんだ指輪の裏側は太い。
そして、中心の平らな部分に竜の文様が刻まれていた。
シグネットリングだ。
「え!? なぜそれをお前が!?」
公爵を筆頭に、皆、驚いて声を上げる。
侍女は、シグネットリングを自分の指に嵌め、飾りがついた側を手のひらに回して結婚指輪に見せかけていたのだ。
侍女には魔力がないのか、シグネットリングは完全にくすんでいる。
「貴様がナターリアを刺したのか!?」
侍女につかみかからんばかりに詰め寄る公爵を、カタリナは制止した。
「本物の侍女が1階のどこかにいるはず。
縛られているか、殺されているか……とにかく早く探さないと」
「こ、殺してなんかいないッ
台所の奥に、押し込めただけでッ」
「俺、見てきます!」
ルネがぱっと飛び出して、階段を駆け下りていく。
一瞬迷ったが、公爵も慌てて後を追った。