13.早業殺人?
「彼女の周辺に、ほかに『カタリナ』という名の者はいないのかしら?
ここに出入りしている者でも、彼女を恨んでいそうな者でも」
カタリナという名前は、貴族にも平民にも、よくあるものだ。
だが、公爵もユーグもルネも侍女も首を横に振った。
「あ」
不意に、ルネが声をもらした。
なんぞ?と皆の視線が集まる。
「いやその、クイル・ナイフがなくなっています」
クイル・ナイフとは、羽根ペンのペン先を削るための専用ナイフだ。
湾曲した短い刃が特徴である。
「え、引き出しにしまったとかじゃなくて?」
「や。彼女は書き物机の上の文具用のトレーに並べていました。
でも、たまたま、引き出しに入れたのかな……」
ユーグも一緒に書物机の引き出しや周辺を見てみるが、見当たらないようだ。
「あー……クイル・ナイフだったら、この人の傷口と合ってるかもです。
そんな深くはなくて、ちょっと独特な感じで曲がってたし」
ジュリエットが言い出す。
「は? あなた、なんでそんなことわかるの?」
「『女神の祝福』で治す時って、傷ついてるところが眼の前にぐわーって見えるんですよ。
それで、元にもどって!って念じたら、ぴゃーっと塞がる感じになるんで」
ええええ……と一同ドン引きした。
擬音満載で説明されても、なにがどうしてそうなるのかさっぱりわからない。
「ちなみに、傷は一箇所だけでした!」
きぱあっとジュリエットが胸を張って報告する。
「防御創はなかった、ということか。
しかし、不思議だ。
肝の据わったナターリアが、あんな小さな刃に怖気づいて、無抵抗で刺されたとは考えにくいが」
公爵は腑に落ちない様子で考え込み、ふとルネの方を見た。
カタリナは、父が考えていることがわかった。
無抵抗で刺された、ということは、ごく親しい者がオランピアを抱き寄せ、隠し持っていた刃をいきなり突き立てたのではないか。
その場合、犯人として考えられるのは、まずルネだ。
密かにこの館へ戻り、抱擁すると見せかけてオランピアを刺す。
それから足音を忍んで一階へ降り、侍女やカタリナ達がいた勝手口付近から離れたところからそっと外に出る。
前庭の物陰にひそみ、公爵家の馬車が着いた後で、あたかも後から来たように振る舞う。
ありえなくはない、とカタリナは内心ひとりごちた。
しかし、ルネは、クイル・ナイフが見当たらないことを指摘した。
言われなければ、誰も気が付かなかったことだ。
それに、ここで殺したら、真っ先に疑われるのはルネ。
不特定多数が出入りする社交場で、どうにかした方がまだマシだ。
突発的な諍いで手にかけてしまったとしても、その直後に即立ち直り、知らん顔で偽装できるような人物にも見えない。
なんといっても、まだ17歳の少年なのだ。
そういえば、父も警戒されずにオランピアに近づける立場だと、カタリナは気がついた。
勝手口から伺っていた様子では、機会はなさそうだったが、父にはかなり腹黒なところがある。
世間には知られていないが、政敵をなかなかエグいやり方で叩き潰したことだってある。
世を忍ぶ秘密の兄?としてオランピアに愛着を持っていた風に語っていたが、実際の所どうだったのか知れたものではない。
彼女が喋れない今、良いように言っているだけかもしれない。
今までの言動はすべて演技で、実は彼女の秘密の客で、金を絞られまくっていたことだってありえる。
推理小説では、「早業殺人」と言われるパターンがある。
人が既に殺されているように見せかけ、登場人物達が現場になだれ込んだところで、実は死んでいなかった標的を瞬時に屠るというものだ。
この状況で、父が「早業殺人」を狙ったとしたら──
まずは魔法で扉を破り、クイル・ナイフを取って、驚いて風呂から出てきたオランピアを刺す。
鍵に血をつけ、ナイフをどこかに隠し、刺された後にオランピア自身が鍵をかけたように見せかける。
もしかしたら今もナイフを身に着けていて、処分する機会を伺っているのかもしれない。
父ならばやってやれないことはない、とカタリナは思った。
だが、なぜわざわざそんなことをするのかがわからない。
オランピアを消したいのならば、父みずから手を下さなくてもいくらでもやりようはあるし、どうしても自身で殺したかったとしても、こんな忙しない綱渡りをするくらいなら、オランピアにとどめを刺し、ナイフを握らせて自殺に偽装する方がよほど自然だ。
そもそも、父と一緒に二階へ上がってきた侍女が、ずっと廊下でおろおろしていたのだ。
気の利かない、ぼんやりした侍女とはいえ、すぐ側に人がいるのにごちゃごちゃと偽装をするのはさすがに無理がある。
侍女を買収して黙らせることもできるが、買収するのなら妙な偽装をする必要もない。
扉を吹き飛ばした瞬間、父はルネやカタリナ達がすぐ近くにいるとは知らなかったのだから、侍女に協力させて、悠々とオランピアが自殺した風に見せかけるだけでよかったはずだ。