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10.秘密の伝言

 ああ、サン・ラザールの血だ、と公爵は思った。


 この国の他の公爵家は、王族から分かれた家や併合された国の元君主の末裔だが、サン・ラザール公爵家はそうではない。

 もともと伯爵だったのが自領に眠っていた魔導鉱山を開発して侯爵になり、さらに王国への貢献を重ねて、曽祖父の代に貴族の頂点である公爵となった家柄である。

 進取の気性に富み、豪胆不敵。

 程度の差はあれ、サン・ラザール家の者にはそういう面がある。


 つい、公爵はナターリアがどこまでやれるか見てみたくなってしまった。


 本来なら、カタリナの言うように、修道院に放り込まなければならないところだ。

 だが、結局、ナターリアは妹だと断定することはできなかった。

 亡父についていた執事に問うと、旅先でメイドに手をつけたことは幾度かあったと言う。

 しかし、人をやって調べさせても、ナターリアの親族の行方はわからず、確定的な証拠も出てこなかった。


 仮に、ナターリアが自分はサン・ラザール公爵家の血を引く者だと公に主張しても、先代公爵のものとは限らないシグネットリング一つでは話にならない。


 であるならば、ナターリアは自由に生きてもよいのではないか。


 次に会った時、ナターリアは公爵と似た色味の淡い金髪を、漆黒に染めていた。

 公爵家とのつながりを、誰にも気取られまいという覚悟を示すためだろう。


 結局、公爵はナターリアをヴィクトワールという昔なじみの女に、詳しい事情を伏せて預けることにした。

 今もナターリアを世話している侍女である。

 ヴィクトワールは高級娼館にいた女で、容貌は中の中といったところだが、客あしらいが巧みなことで知られていた。

 引退して中堅の商会長の後妻に入ったが、色々あって結局別れ、慰謝料を元手に下町で下宿屋を営んでいた。


 ヴィクトワールはナターリアを見て、この娘なら一流の高級娼婦になれると請け合った。

 だが、そうなるには淑女並みの教養も必要だ。

 公爵は、礼法やピアノ、大陸史や語学などの教師を雇わせ、芸術鑑賞の仕方や、大陸各国の情勢、王族や主要貴族に関する知識、魔法の使い方はみずから教えた。

 ナターリアはそれらの知識を凄まじい速さで吸収し、ついでに自力である劇場の端役を手に入れた。

 そして、最初の役名だった「オランピア」を名乗り、裏社交界に出入りするようになると、めきめきと頭角を現した──


 以来、公爵とナターリアは年に数回、密かに会い、近況を報告しあったり、諸々の情報交換をしたりという間柄となった。

 ナターリアの助言で危機を回避したことも、何度もあったそうだ。


 冷徹無比で知られるサン・ラザール公爵だが、語り口は温かい。

 ナターリアと兄妹として信頼しあい、他の者には言えないような打ち明け話もしている雰囲気だ。


「じゃあ彼女が社交場にしている館は、お父様が買ってやったの?」


 どこか照れつつ「妹」との交流を語る父にイライラしながら、カタリナは努めて平静に訊ねた。


「まさか。ナターリアは儂がつけた教師の報酬まで、すべて借用書にして、稼げるようになると返済してきたくらいだ。

 別館は、ナターリアが自分で買った。

 他の高級娼婦が馬鹿げた浪費に走っている間に、投資で膨らませた金でな。

 ま、以前から、社交場をやってみたいと聞いていたから、事業計画を詰めるのを手伝ったり、よさそうな物件が出れば知らせていたが」


「はえー……なんか、ユーグ君に聞いてた感じと全然違う人なんですね。

 野心はあるけど、すっごくちゃんとした感じで」


 ジュリエットが小首を傾げる。

 確かに、とカタリナも頷いた。


 ユーグの話では、男を惑わせる魔性の女、恐喝も辞さない悪女という印象だった。

 公爵にとっては、「けなげで見どころのある秘密の妹」というところか。


 かつてカタリナが見かけた、夜明けの社交場で歌うオランピアは、不思議な包容力に満ちた、底知れない女性のように見えた。

 彼女のことを「この世でもっとも清らかな女性だ」と叫んだルネには、また違う風に見えているのだろう。


 同じ人物でも、見る人によって印象が異なるのはよくあることだ。

 だが、オランピアの場合、振れ幅があまりに大きい。

 相手によって見せ方を変えているのだろうか。


「で? 彼女から連絡が来たんでしたっけ?」


「ああ。一昨日、倶楽部宛にメッセージが来た。

 それで、今夜、ノアルスイユ侯爵の晩餐会の後なら立ち寄れると伝えた」


 公爵は、胸ポケットから小さなカードを出してカタリナ達に見せた。


 <お知らせしたき儀あり

            ナターリア.C >


 字は女性らしい流麗な筆記体だが、メッセージは端的だ。

 他人の目に触れた時を考えて、余計なことを書かないことにしていたのかもしれない。


「んん? 晩餐会だとお開きになるのはだいたい11時過ぎくらいですよね?

 早くないですか?」


 ジュリエットが訊ねた。


「そうね。ああ、お父様が真夜中に着くと思っていたから、のんびりお風呂に入っていたのかしら」


 王都の反対側にあるノアルスイユ侯爵家からだと、ここまで馬車で4、50分はかかるから、本来は12時前に着くはずだ。

 カタリナ達が「モンド」を出たのが10時10分くらい、ここに着いたのは10時半過ぎのはず。

 そのすぐ後に、公爵も着いたのだから、確かに早すぎる。


「ノアルスイユが一家で古書自慢合戦を始めたので、早めに撤収した」


 公爵は仏頂面で答えた。


「「あー……」」


 何が起きたのか察して、語尾を飲み込みながらカタリナとジュリエットは頷いた。


 あの一家は、侯爵も夫人も息子達も酷い書痴なのだ。

 一旦火がつくと、ものすごい早口で蘊蓄を語りまくり、うっかり質問すると(時にはただの相槌でも)、そこからまた怒涛の蘊蓄が始まる。

 侯爵家の次男がカタリナ達と同学年なのだが、ぶっちゃけ一人でも手に余る。

 それが家族同士で張り合いはじめたら、客は完全に置いてけぼりだ。

 なる早で離脱するほかない。


「で、ここに10時42分に着いた。

 普段なら馬車の音でヴィクトワールが迎えに出て、この下にある応接間でナターリアと話すのだが。

 玄関に誰もいないのでノックしていたら、そこの女が出てきて、要領をえないことしか言わない」


 公爵は立ち尽くしている侍女の方へ顎をしゃくってみせた。


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