619 知られぬことこそ術なりけり
水野は作戦通りにカラスとなって全力でその場から逃げ去った。
それを追おうとする鷹だったが突如現れたハヤブサに行く手を遮られた。
更にはハヤブサの執拗な攻撃に、遂には鷹もその矛先をハヤブサへと向け始めた。
火柱はハヤブサの速さをいかして、うまいこと鷹を挑発しながらゴギャクたちのいる方へと誘導した。
「やつら、鉄砲持ってるかも分からんからな。あっちに連れてったらさっさと逃げるが吉、なんだろうけど……。」
鷹がゴギャクたちから見える距離まで行き着くと鷹匠が再び口笛を鳴らし始めた。
すると、鷹は一直線に鷹匠の元へと戻って行った。
火柱はそれを確認すると取り敢えずその上空を旋回した。
すぐに逃避するのは不自然であり、これが何らかの術であると悟られる恐れがあったからだ。
現れたカラスとハヤブサが一羽のみならず二羽とも奇異な行動をとるようであれば自ずとそこに人の意図のようなものを感じさせてしまう。
この時代、確率論は一般的ではなかったにせよ感覚の鋭い者の中には統計的思考と経験則からそのような推察を可能にしてしまう者もいた。
普段からそのような考え方をする者との接触が多かった火柱は直感的にそれを感じていたのだ。
「あのトアクって野郎、あいつぁ侮れねぇ。気ぃつけんとえらい目に遭うで……ほんま。」
鷹匠は帰還した鷹に餌をやりながらぼやいた。
「ちっ、どうやらカラスを奪い合ったと見える。」
火柱が下の様子を窺っていると、何やらゴギャクが馬の乗掛(荷物を馬の両脇に振り分けその上に布団を敷いて人が乗れるような装具)の皮包から何かを取り出そうとしていた。
「どうも嫌な予感がする。」
そして、ゴギャクがそこから取り出した物を凝視した。
「おおっと……くう、やっぱり鉄砲かい! こん畜生め!」
火柱はそれに気付いたことに気取られないよう旋回を続けた。
その時、水野から連絡が入った。
「おかげで上手く逃げ逢うせた。そっちはどう?」
火柱はやや緊張した声でそれに答えた。
「ああ、今バレねえように奴らの頭の上をぐるぐる回っとる。じゃがの、ゴギャクの奴がなぁ、何と鉄砲なんか持ち出してきよったんや!」
「やはり持って来ていたか……。で、その大きさは?」
「うーん、短いやつ。一尺(30センチくらい)程もねえかもしれねえ。」
「短筒か。飛びは一町(109メートル)ってとこやから間合いには気を付けてな。」
「分かった!」
ゴギャクは鉄砲を構えハヤブサに狙いを定めている。
火柱はゴギャクが一発でも撃てばこの場を退散するつもりでいたがなかなか撃ってこなかった。
「距離が遠すぎるか?」
かと言って変な動きを見せればこちらの術が悟られてしまうかもしれない。
せめて鷹でも放ってくれりゃあ負けたふりしてとんずらできるんだが……。
その時、ゴギャクがイライラ声でトアクに話しかけるのが聞こえた。
「おい、まだか? あんのやろうめ……もっと近づいて来いや! くそが!」
どうやらトアクがこことの間数を取って(距離を測って)いるらしい。
やはりこのハヤブサを疑っているのだろうか。
火柱はトアクの不気味な眼差しを視界に収めながら水野に現状を報告した。
「さて、どうしたもんかのう。」
水野は現場を想像しながら火柱に助言した。
「逆に一度離れてみたらどう? その後、今の位置より少しだけ近づく。」
火柱は一か八かそれを試してみた。
その場から離れた時ゴギャクの悔しそうな怒声が聞こえて来た。
「おい! 逃げちまうぞコラァ! あんのやろうがぁ!」
だが、ハヤブサが再び舞い戻って来るとゴギャクは「戻って来やがった!」と少し興奮気味な声を上げた。
もうトアクの言うことなどに耳を傾けていない様子だった。
そして次の瞬間、ドーン! と鉄砲の音が鳴り響いたがその弾がハヤブサまで届くことはなかった。
火柱はここぞとばかりに全力で逃げた。
「よし、うまく行ったぞ! これなら鉄砲に驚いて慌てて逃げた感じになったろう!」
その時、後方からトアクの大きな声が響いて来た。
「貴様の正体、見破ったりぃぃ‼」




