552 勘違いは怖いもの
ヒルデリカはその内心とは裏腹に微笑を湛えながら観衆に向かって優しく言葉を返した。
「仕方がありませんね。ここまで来ると私だけってわけにはいかなくなってしまったみたい。観衆の皆さん、どうかご勘弁ください。子どもの言うことでございますので。まあ、大目に見てあげてください。皆さんにもあったはずです。怖いもの知らずの、無知で傲慢だった頃が。」
観衆はヒルデリカの言葉によって少し落ち着きを取り戻した。
「いいぞいいぞ! 生徒会長!」
「クソガキに大人社会の厳しさってやつを教えてやれ!」
「地元からも見捨てられたインチキに本物の力を見せてやれ!」
「殺しちゃっていいけどさ、ちゃんと甚振ってからな!」
観衆たちの嘲りは暫く続き、その間にミガも感情の高ぶりを幾分解消できてきた。
「ああ、あいつ何なの? ホントむかつくわ。さっさと終わらせましょう!」
ヒルデリカはそんなミガに声を掛けた。
「それじゃあミガ、先鋒はお願い。」
ミガは怒りによってドーヴェの底知れぬ力のことをすっかり忘れ去っていた。
彼女はヒルデリカの方を振り返ると不敵な笑みを浮かべた。
「ヒルデリカ、感謝するわ。借り一つね。」
モリンガはミガの初手がドーヴェに通じないことを知っていたが一応応援する振りをした。
「おいおい、俺の分も残しとけよ。全部やっちまうとかなしだからな。」
その状況を見て香々美はふと思った。
もしかして伏兵は……あのモリンガなのか? いや、それはないか……。
香々美はドーヴェとしての最初の人生で魔王の正体を知った時のことを思い出していた。
魔王がこの学校の教師ヴァーレフォールであることに気づいた時も確かこんな感じだったのだ。
ただ、雰囲気的には同じよう感じだったのだが魔王の時にはもっとアピール的な表現がそこかしこに見受けられた。
香々美は単に今の自分では見抜けないだけなのかとも思ったがやはりモリンガは違うような気がした。
ミガがゆっくりと闘技場の中央に歩みを進めた。
するとその道中、周囲に一人、また一人と屈強そうな男たちが姿を現しミガと共にドーヴェの方へと歩み寄った。
その状況は何となく格好よく観衆をどよめかせた。
反対側の入り口付近にいたドーヴェもその速さに合わせて中央に向かい歩き出した。
歩幅が小さかったので少し小走りになってしまい、それがまた観衆の嘲笑を買った。
さて、この後決闘が開始されるとドーヴェは時を待たずしてミガたちによってボコボコにされてしまった。
会場が興奮の坩堝と化した。
ボロ雑巾のようになったドーヴェはフラフラになりながらも健気に立ち上がった。
そしてその無様な姿で無謀にもまだミガに近づこうとしていた。
その様子は観衆を大いに喜ばせた。
「そうだそうだ! そう簡単にへばるんじゃねえぞ!」
「もっと甚振れ! もっと、もっとだぁ!」
ミガは部下たちに命じてより残酷な手段を以ってドーヴェを攻撃させた。
観客席は狂気に満たされ皆が総立ちとなって歓声を上げた。
しかし、それでもドーヴェは息絶えず苦痛に顔を歪ませながらも立ち上がり続けた。
そろそろか。
ミガとドーヴェは同時に同じ言葉を口にした。
余裕の勝利を確信したミガは先のモリンガの言葉を思い出した。
ああ、モリンガの分も残しとかなくちゃ……でも、もうここまで来たら最後までやらせてもらおう。
「死刑執行! あ、死なないようにね。この後拷問するんだから。」
それを聞いて観衆も黙っちゃいない。
競技場には殺せコールが鳴り響いた。
「どうしよっかなー。殺しちゃう? うーん、それはダメ。殺人なんてしたら例え罪に問われないにしても夢見が悪いでしょう。」
その言葉を発したのはミガ……のいる筈のその場所に無傷で現場を眺めているドーヴェだった。
観衆はまだ熱烈たる殺せコールを合唱していたがほんの数人がその口を噤ぎ目を凝らした。
「ん? 何か……。」
異変に気付いた観衆のうち、ある者は暗殺集団の動きが止まったことを、ある者はドーヴェとミガのポジションが入れ変わっていることを目撃した。
「おい、どうした? せっかく盛り上がってるのに。」
「いや、あれ……。例の編入生じゃなくて……ミガ、だよな……。」
ドーヴェがいた筈の場所には身体中を砕かれ切り刻まれたミガが息も絶え絶えに横たわっていた。
それを見たモリンガは呆気にとられながらも思わずぷっと吹いてしまった。
こいつは……思った以上だわ。もはや俺風情が師匠なんて呼べるレベルじゃねえな……。




