512 彼女の現状
だが、その声は非天の考えをまたも否定した。
「うーん、そうでもないかな。私がいろいろ教えてあげてたし。」
非天はそれを聞いてはたと気が付いた。
「成程、つまりスーニャはあなたからこの世界の様々なことを教わっていたというわけですね。他人という存在についても。」
するとその声は「そうよ!」と自慢気に言った。
「スーニャは私のことを、そうね、彼女の感覚で明者とか現者って表現してた。勿論、そんな文字も発音もなかったけどね。あの子も身体はこんなだけどかなり賢い子だったからね。」
非天にはスーニャの思考パターンを想像することはできなかったが、その話から察するにその根本はやはり『無』と『有』であるような気がした。
そして時間軸に於いて無が無のままである場合と無に有が現れる場合、有が有のままである場合と有が無になる場合から『明者』若しくは『現者』という呼び方に至ったのではないかと。
勿論、時間という概念は無かったのかもしれないが変化は感じることができたはずだし『無』と『有』の組み合わせから数学的発想に至ることもできたかもしれない。
だが、スーニャのそのような思考はまったく思い起こすことはできなかった。
非天はそのことについて率直に聞いてみた。
「けど、どうやらスーニャがあなたと話した内容は思い出せません。記憶と言えばただ暗闇が続いているだけで……。これはどうゆうことでしょうか。まだ思い出せていないだけなのかな?」
「そうねぇ、多分だけど人間の言葉で話してたわけじゃなかったから……かしらね。」
そう、五感の効かないスーニャは誰から学ぶこともできなかった。
言葉も計算も彼女の中にはその概念すらなかった筈なのだ。
ただ、この明者と話すことで独自の思考や文化が発展していたのだろう。
だから通常の人間ではその感覚を捉えることはできないのかもしれない。
非天がそんなことを考えているとその明者とやらが話し掛けて来た。
「だいたいあんたが今考えた通り、そんなところだと思う。で、実のところ私はあんたらの感覚で言うところの妖精みたいなもん。ただ、この世界の妖精は個体数ではなく量的な感じで表すから『精量』なんて呼ばれたりもしてた。遥か昔の話だけどね……。ま、そうゆう事なんで特に名まえもないってわけよ。」
非天はその『遥か昔』という言葉を聞いて今まで内在していた疑問がドッと溢れ出して来た。
だが、それらを解決する前に決めておかなければならないことが一つあった。
「名まえがないと呼ぶ時に困ってしまいますね。私もあなたのことを明者と呼んでもいいですか?」
すると、その声は不服そうに否定した。
「う~ん、言葉にすると……ちょっとそれはねぇ。そんな御大層なもんでもないしな、私。」
非天はそれを聞いて何だかその声が新しい名前を付けて欲しがっているように感じた。
「ならばリベルナというのはいかがでしょう。」
その声は満更でもなさそうに一つ小さな注文をして来た。
「そうね……リベ・ルナならいいわよ。あと、敬語は使わなくていいから。」
「それではリベ・ルナ、私の今の状況を教えてほしいんだけど……。」
リベ・ルナの話によれば彼女の住む場所はこの世界で最も卑しいとされる人非人の寒村だった。
彼女の身体は生まれつき動かず十一歳になる今日までずっと寝たきりだったそうだ。
家族は父親と母親、それと妹が一人。
両親は幾度もスーニャを殺害しようとしたが、ある時は失敗し、ある時は情にほだされて上手く行かなかったようだ。
父親は彼女のことを木偶とか肉塊などと呼び、母親も彼女の顔を見る度に諦めたような顔で溜息を吐いているとのこと。
村の中にも「さっさと殺しちまえ!」などと吐き捨てるように言って来る者もいた。
つまり、彼女は厄介者以外の何者でもなかったのだ。
当初母親はペースト状の食事を口から流し込み、排便の処理だけはしていたが妹が四歳になった頃から率先して代わりに面倒をみているとのことだった。
妹のヒナミはまだ八歳だが利発な子どもで、何故か時折スーニャに話し掛けてもいるようであった。
ヒナミは昨年、この村の巫女的な立場に選ばれており、両親はこの娘が自慢であった。
スーニャがここまで命を長らえてこられたのもヒナミが両親に上手いこと口添えしていたことが大きかった。
非天はリベ・ルナにお礼を言った。
「成程、ありがとう。だいたいの状況は把握できたよ。リベ・ルナは物知りだね。」
リベ・ルナは得意気に返事をした。
「そんなことは……ありますよ!」




