507 危惧の対象
結局、トゥリー(歌寺)の指示により絵画の前には一人ずつが順番通りに立つこととなった。
彼女の描いた絵を見ると皆一様にその卓越した技巧に目を丸くしていた。
「これはもはや絵なんてものじゃないぞ!」
「これこそは奇跡だ! 奇跡としか言いようがない!」
歌寺は観客たちの発する驚きの声に慎み深く受け答えながらその場にいる全員を一人ひとり確認した。
だが、彼女を疑っているような人間はどうやら一人としていないようだった。
ただ、歌寺はその場に充満する嫌な雰囲気に勘付かざるを得なかった。
ここにいるすべての人間からは善意や称賛などではなく悪意や嫉妬のようなものしか感じられなかったからだ。
勿論、皆表面上はいい顔をして取り繕っている。
だが、歌寺は彼らの驕慢さを完全に見抜いていた。
とは言え、熱烈なファンというのも事実であり、つまりはそうゆう方向性のファンなのだ。
うげ~、嫌なタイプばかりかよ……。
歌寺はそんなことを思いながら以前自分が思考したことを思い出していた。
彼女を応援する大勢の人たちの中にもほんの数人ではあったがこういった輩はいたような気がした。
とは言え、前の世界はGmUによる管理社会となっていた為、それはとても薄い思念に過ぎなかった。
当然、歌寺を少しでも傷付けようものなら、否、それを思考した時点で厳格な制裁が待っていたわけだ。
つまり、歌寺はそいつらによって嫌な思いをしたことはなかったと言える。
それよりも、どちらかと言えば文献や昔の映像作品であったり、バグランドのナビゲーターとなった世界での情報から予想し得ることであった。
それによれば、彼らは始めの内こそ歌寺の才を世間に広め、お金も大量につぎ込んでくれるかもしれない。
だが、こういった輩の行き着く先はある日突然踵を返すように誹謗中傷を繰り返し始めたり誤解するような言い回しで人を貶めようとしたり、またはストーカーなんてことも!
それでも普通の世界であればそういった人間は千人に一人いるかどうかといったところだ。
しかも、歌寺が危惧しているような事態になる可能性は更に低い。
ところがここは……ここにいる奴らはどうだ!
どいつもこいつもいつ何時敵側に回るか分かりゃあしない!
ところ変わってここ、3Dボカロ社での主任会議は難航していた。
議題は主にイベントと予算に関する問題だった。
参加者が予想を遥かに超えた人数だったことや警備員成りすまし事件に関して文句を言うものは誰一人いなかった。
議論を呼んだのはフィナとファランクスのライブについて。
それと、余りに余ってしまった予算の使い道についてだった。
フィナとファランクスをあんな形で見せてしまったことにより、あらゆる方面から様々な声が上がっていた。
その多くはファンや観客による賛辞や驚愕の声だった。
だが、それとは別に警戒すべき疑問や助言も散見された。
ボカロ協会会員である須田ユウキは、高度な表現力を持つファランクスについてあらゆる方面から警戒される恐れがあると忠告して来た。
須田は放送事業協会の理事であり、その情報網は巨大マスメディアの上層部から果ては末端の芸能事務所に至るまで縦横無尽に伸びていた。
彼も3Dボカロをこよなく愛する一人で、現在の芸能界からネットコンテンツまでを含む放送業界に於いてボカロの立場を確立させることに一役かってくれた言わばボカロ業界の恩人であった。
また、同じくボカロ協会に所属する北野コウゾウも同様の懸念を示していた。
人間の持ち得るあらゆる技能を取り入れ、それらを超越し、これ以上ないほどのパフォーマンスに仕上げてしまったファランクス。
彼女たちの登場により、己が実力に疑問を投げ掛ける表現者は今後少なからず出て来ることだろう。
また、多くの芸能事務所やスポンサーがそのコストパフォーマンスやレベルアップの度合とその可能性に注目し、人間よりもボカロの方を選択することになって行くかもしれない。
そうなればそれに携わる多くの人々が職を追われることになるだろう。
更にはボカロを含めたあらゆるAI、疑似人格が多くの人々にとって脅威の対象になり兼ねない。
今はそんな人々の不安を払拭する策を講じて行かなければならないのだと。
現段階では一部メディアと昨日のイベントを見に来た人たちの間で話題になっているくらいだ。
だが、今後ファランクスに目を付けた多くの情報媒体によってその実力が知らしめられてしまう可能性は大いにある。
そうなる前に手を打っておかなければ手遅れになってしまうのだ。




