506 観衆を欺く算段
歌寺は思いのままに熱唱した。
そしてフィナーレ、彼女はまるで大観衆が見守る大舞台ででもあるかのように大きな身振りで両手を開きながらラストのサビを決めた。
歌唱が終わり歌寺が父親の方を確認すると彼は目を輝かせてこちらを見つめていた。
そして我に返るといきなり大声で彼女を称賛し出した。
「なんて……なんて素晴らしい歌なんだ! 凄い! 凄いぞこれは!」
喜び勇んだ父親ゲリーはその日のうちに娘、トゥリー・シングラント(歌寺)のお披露目の会を計画した。
歌寺の才を知る由もないゲリーは彼女の芸を魔力操作によるものと確信し疑わなかったのだ。
お披露目の会は何と次の日の夜に催されることが決定した。
この父親は余程この事実を周囲の人々に知らしめたいと見えた。
歌寺はその晩、今日あったことを振り返り改めて戦慄した。
一つ間違っていれば確実に殺されていたのだからそれも無理からぬ話だ。
そして少しだけ泣いた。
それは北守同様、もう元の世界に戻れないのだろうかという不安から来るものだった。
母とももう会えないのか?
芸能活動はもう続けられないのか?
だが、分からないことをいつまで考えていても仕方がない。
歌寺はこれが実は訓練であったという一縷の望みに賭けることにした。
次の日、シングラント家は急遽催されることになったお披露目の会の準備で大童だった。
歌寺も衣装やら段取りの打ち合わせやらで多忙を極めた。
だが、そのような中でも彼女は頭の中で今晩の晩餐会について幾度もシミュレーションしてみた。
どうすれば集まった人々をうまいこと欺くことができるか。
怪しまれずに自分が魔力もちだと信じ込ませることができるのか。
父親と暗殺者は何とか騙せはしたが、こうゆう大勢の集まる場では必ずと言ってよいほど怪しいと勘ずく人間が一人か二人はいるものだ。
歌寺はそのような人物さえも何とかして騙くらかさねばならなかった。
だが、結論から言えばそのような心配は無用だった。
歌寺はお披露目の席で自分が思っていた十倍以上の人入りに一瞬たじろいだが父親の時と同様、難無く全員を魅了することができたのだった。
先ずはアカペラで一曲披露し、その場にあったピアノで演奏を奏でて見せた。
その後、現在のお披露目会場の情景を皆の見ている前で写真の如く精密に描いて見せたのだった。
音楽の良さが今一つ理解できなかった御仁がいたとしても絵であれば理解できるだろう。
勿論、この会場で歌寺の音楽に感銘しなかった者は一人としていなかったが、その絵を見せることで更に彼女の魔力が本物であると確信させることができた。
歌寺が描き終えた絵画を皆にお披露目すると、全員が我先に拝見しようと押し寄せて来た。
歌寺はそれを見るなりサッと絵画を取り上げ裏返しにしてしまった。
「皆さん、危険ですので一列に並んでから順番に見てください!」
皆、歌寺の声に従順に従った。
そう、この数十分の間にこの場にいる全員が歌寺の熱狂的なファンになってしまったのだ。
「皆さん、ご協力に感謝します。それでは先日私が描いたお父様の絵もここに並べさせていただきます。よろしいですか? お父様。」
父のゲリーは満面の笑顔で今しがた歌寺が描いた絵の隣に自分の肖像画を自らの手で並べた。
実は、これは初めから歌寺が計画していたことだった。
自分一人の独壇場になってしまうことは分かっていたのでこの場を借りて観衆の目を父親に向けさせる目論見だ。
ゲリーは隣にある準備室に用意しておいた自分の肖像画を持って来ることで案の定、観衆の注目を浴びることとなった。
「素晴らしい! 流石市長の娘さんですね!」
「ああ、大天才のお父上! 素晴らしい音楽をありがとう!」
思っていた通り、父親は満更でもないという顔をして皆の声援に応えていた。
自分の娘を殺そうとする輩は下手をすればすぐに嫉妬や妄想に取り憑かれ、わけの分からない凶行に及ぶ可能性が高い。
これはその為の予防線であった。
つまり、あなたの娘トゥリー・シングラントはあなたを認めさせる為の所有物に過ぎませんよ、というアピールも兼ねていたのだ。




