505 アイドルモード封印中
歌寺が父に手渡したスケッチの内、二枚は先程暗殺者に見せた父ゲリーとその男の肖像画であった。
そして、もう一枚はゲリーの部屋に飾られている絵画を描きかえたものだ。
その絵画は川に橋が架かっている風景画でゲリーが最も気に入っているものだった。
トゥリーはその絵を何度か見かけたことがあり、いつもきれいに手入れがされていることから大切なものなのだろうと推察できた。
ゲリーは三枚目のその絵を見ると思わず足をよろめかせた。
そのスケッチは絵の具を使用していないにも拘らず、自分の部屋に飾ってあるものよりも数段、いや、正に次元の違う程の出来栄えだったのだ。
ゲリーは暫くの間その絵を瞬きもせず凝視していた。
そして、その絵を見ていた驚きの目付きのまま我が娘を見つめた。
「これは本当にお前が描いたのか?」
「はい、仰る通りですわ。お父様。」
そう言うと歌寺は机の上に用意しておいた画用紙を一枚摘まんで父親に見せた。
「お見せするのが一番早いと思いますので……。」
歌寺は父親を見つめながらその机の椅子に座った。
ゲリーは眉を顰めた。
「この場で描いて見せるというのか……!」
「ええ、ご覧になっていて下さい。お父様。」
歌寺は自分の右手を目の前に持ってきて念でも送っているようなポーズをとった。
そして、とんでもない速さで一枚の風景画を描いて見せた。
その絵は先程の風景画を45度上方から見た状態で、しかも橋の上の人や馬車がより鮮明に描かれていた。
ものの十分、ゲリーは時を忘れてその場に立ち尽くし彼女の巧みな描画に見入った。
やがて一枚の絵が完成し、それを手渡されたゲリーはさも大事そうに両手で受け取りうっとりと見つめた。
「これは……これは本物だ!」
だが、歌寺は知っていた。
こういった場合の多くは熱が冷めると今度はそれを冷静に受け止め疑い始める可能性が大きくなることに。
歌寺は自分が魔力を扱えるようになったのだとこの父親に信じ切らせる必要があった。
その為には今できることを出し切るしかなかった。
「お父様、折角絵画を描いたのですからそれに相応しい歌と音楽をご披露したいと思います。」
恐らく父親はすぐにでもその絵画を部屋に持ち帰り、じっくりと眺めたいと考えているだろう。
だが、ここで帰してしまっては後で冷静になった時が怖い。
まあ、これだけの絵を描いたのだから絵師として死なずに済むかもしれないが……。
いやいや、油断は禁物だ!
歌寺は音楽などに興味を示そうとしないゲリーの返事を待つことなくオカリナを演奏し出した。
その演奏を聞くなりゲリーはまたもや動きを止めた。
何という美しい音色!
オカリナの音は今まで何度も聞いてきたはずなのに……何なのだ、これは!
まったく違う楽器ではないか!
ゲリーと暗殺者は同じようなことを思いながら歌寺の演奏の前に硬直していた。
歌寺はその様子を見ると、ここぞとばかりに早引きに入った。
目にもとまらぬ指裁き、それに伴って奏でられる絶妙な音階!
だがそれは決して出鱈目なものではなく、高度に秩序だった、正に完成された……神の音楽であった。
そう、歌寺は楽器の中でもオカリナは得意中の得意だったのだ。
まるで神々しいものでも見るかのように我が娘の演奏に見入る父ゲリー。
自分の仕事も忘れて歌寺の絶技に見惚れる暗殺者。
だがそれは歌唱の為の前奏に過ぎなかった。
オカリナの演奏を一段落させて収めると、歌寺は演奏の調子を崩さないよう歌い始めた。
ここから歌寺の本領が発揮された。
歌い方は先程同様、アイドルモードではなくオペラモードとなっていた。
正直、歌寺としてはアイドルモードの方が好きだったし歌い慣れていた。
だが、みだらとも下品とも受け取られかねないアイドルモードの歌い方や振付けはこの父親の手前、到底披露できるものではなかった。
そしてその判断は概ね正しかった。
後で分かったことだが、アイドルモードでの歌唱はこの世界ではあまりにも刺激が強すぎるのだった。




