504 父を騙くらかす
歌寺はそれを信じて渾身の歌声を彼に披露して見せた。
その間、暗殺者は身動き一つせず歌寺の声に引き付けられているようだった。
この世界では歌寺の知っているような優れた楽曲は勿論のこと、歌と呼べるものさえ殆ど見当たらなかった。
それはトゥリーだけが触れる機会がなかったという可能性も否めない。
だが、歌寺の勘はそれを否定した。
つまり、人を感動せしめるような楽曲は少なくともこの界隈には存在しないのだと彼女の勘は告げていたのだ。
そうであれば、この歌は彼らにとって正にカルチャーショック! の筈……。
きっとそうに違いないと心の底で願いながら歌寺はその悲し気な歌を熱唱した。
始めは「何事か?」という怪訝な表情でこちらを見ていた暗殺者も歌が進むにつれ見覚えのある表情へと変化していった。
それは歌寺が子どもながらにその絶対的な歌唱力を披露した際、目の前の大人たちが彼女に向けた表情と同じものだった。
うっとりした、それでいて強い感動を秘めた表情。
しかも、目の前にいる男はまともな歌さえもろくに聞いたことがない筈なのだ。
さあ、もっと感動しなさい!
相手の様子を見て自信を付けた歌寺はその歌唱技術を存分に発揮した。
その時、コトリと何かが転がるような音がした。
歌寺は一瞬ドキリとしたがプロ根性でそれを一切顔に出さなかった。
下に落ちたものが何なのか気にはなったが不自然な視線の動きで相手の集中を切らすわけにいかなかったのだ。
歌寺は顔を下げる振付けを入れながら相手に気取られないよう暗殺者の足元を見た。
すると、そこには刃渡り15センチほどのナイフが不気味に光を放っていた。
暗殺者はどうやらその得物を落としたことに気付いていない様子であった。
ナイフは恐ろしかったが、暗殺者が自分の得物を落としたことにも気付かないほどこの歌に魅了されていることが分かった。
歌寺は自分の作戦が順調に進行していることを確信した。
そして歌はクライマックスに入った。
フィニッシュは伸びのあるヴィブラート、歌寺の美しい歌声が部屋中に響き渡った。
暗殺者はその場にヘナヘナとへたり込み両膝を床に突いた。
その顔は目を見開き口をぽかんと開けながらただ目の前の奇妙な能力者を見つめていた。
歌寺はやや反応に困ったが追撃の手を緩めなかった。
「いかがでしたか、私の魔術は。少しはお気に召していただけたでしょうか?」
暗殺者はその一言で我に返った様だった。
「これがお前の魔術か……一体何が起きたと言うんだ……。」
暗殺者はゆっくりと立ち上がると得物も持たずに入って来たドアの方に近付いた。
「ちょ、ちょっと待ってろ。今お前の父親を……。」
歌寺は営業スマイルで彼に告げた。
「ええ、お父様にも是非私の魔術を見ていただきたいと思います。どうぞ呼びにいらしてください。」
だが、その営業スマイルはまたもや彼の心情を抉ってしまったようだ。
そう、それは正に現役アイドルならではの見るものすべてを魅了する仕草交じりのスマイルだった。
暗殺者は顔を赤らめながら慌てて部屋を出て行った。
歌寺はそこに残された得物を渋い顔で眺めた。
「あらまあ、ちょっと……そんなもん置いてくなっつうの!」
それから一分もせず、ドアの向こうから会話が聞こえて来た。
どうやら彼は父親をここに連れて来たようだ。
「本当に魔術が発動したのか? 信じられん!」
「私もまだ信じられないのですが……是非、ご自分の目で確かめてみてください。」
トゥリーの父親であるゲリー・シングラントは部屋に入ってくるなりつかつかと彼女に近寄った。
「トゥリー、どうゆうことだ?」
「ああ、お父様。お喜びください! 私にもやっと魔力が扱えるようになりましたのよ!」
父親は仏頂面で暗殺者の男を一瞥するとフンと鼻を鳴らした。
そして、「見せてみろ」と一言呟くとその場から数歩下がった。
歌寺はあの冷酷な父親が渋い顔をしながらも機会を与えてくれたことにホッとした。
「それでは先ずこれを見てください。これは私が自らの右手に魔力を込めて描き上げたものです。」
父親は歌寺が描いた三枚のスケッチを見るなり目を見開いた。
「こ、これは……!」




