36 最後の1人ミネルヴァ
ボカロがユニットを組む事はそれほど珍しくない。しかし、商いを目的としている場合はなかなかそうは行かない。
ボカロを成長させる為には本来膨大な時間とアイディアが必要であり、歌やダンス、会話の育成にもコストがかかる。
他にもWEB配信やゲーム化、オリジナルの歌を作詞作曲してもらわなくてはならないし、コンテンツも広げようと思えば切りがない。
また、プロモーションや営業、経理、経営など必要な仕事も山積みである。
そんな中、2人目、3人目のボーカロイドを増やす事は至極困難と言えるだろう。
他社のボカロと組ませるのもありだが、そうなるとお互いの機密を打ち明けなきゃならない場面も出て来る。
育成費用やボカロの性能についても平等化が求められる等、大抵は途中で頓挫してしまう。
この様な理由から商業ベースにおけるボカロユニットが世に出る事は少ない。
しかし、大学のサークルの様に必ずしも利益の為の開発を目的としない場合は、寧ろ各々のボカロを成長させる為に好都合なのである。
例えばファランクスの場合。
歌、ダンス、会話、どれをとってもレベルが低くオーナー1人だけでは何かにつけて限界があった。
そんな4人がお互いを補い合い、得意分野を活かして作り上げたユニット。
遂にはデビューまで漕ぎ着けてしまったボカロ界でも指折りの注目株である。
そんなファランクスのオーナーの1人である大地ミノル。
彼は物静かでひょろっとした体型をしており、星カナデにはいつも「あ、いたんだ。」等とからかわれている。
ところで、この3Dボーカロイドのソフトはとても高価である。
そして、オーナーは皆それぞれにこの高価なソフトを所有するに至った経緯を持つ。
柿月ユタカは大地ミノルがこのソフトを購入した経緯を知っていた。
故に今日行われるミネルヴァ・エトルリアの『覚醒』については複雑な思いがあったのだ。
しかし口外しないとの約束から、ユタカはこの思いを蟹江さんたちメンバーに打ち明けることができなかった。
そして遂にこの日がやって来た。
ファランクス最後の1人。ミネルヴァ・エトルリア。
10時00分、昨日同様全員が既に集まっている。
蟹江さんが皆に告げた。
「それじゃあ始めましょうか。」
大地ミノルがゆっくりと立ち上がり、静かな低めの声で挨拶した。
「本日は来てくださってありがとうございます。ファランクスが少しでもレベルアップすればいいかなと思ってます。よろしくお願いします。」
みんな笑顔で答える中、柿月ユタカだけは一瞬心配そうな表情を見せた。
進行役の蟹江さんが前回同様指揮を取る。
「それじゃあサユリさんお願い~。」
「はいは~い。」
サユリはモニターをオンにした。
モニターに映し出される私。これが大地ミノルさんね。
「こんにちは。フィナ・エスカと申します。大地ミノルさんですね。本日はよろしくお願いします。」
暫く硬直していたミノルは思わず声を上げた。
「エッ?」
そして、顔をモニターに近づけたかと思うと、何故かサユリに顔を向けて言った。
「もう1回いいですか?」
サユリは笑いながら言った。
「私じゃなくてフィナに言った方がいいんじゃない?」
「ああ、え? ああ、成程。そうですよね。」
皆はうんうんと頷きながら「そうなるよね。初めは。」等と言っている。
ユタカ以外は……。
私は話しを続けた。
「驚かせてしまいましたね。ごめんなさい。でもこれ、私が話してるんですよ。」
「……。」
あ、また止まった。
ミノルはハッと我に返った素振りを見せると、少し大きく呼吸した。
「すごい、人間みたいに話してる!」
私はその言葉に笑顔で答えた。
「ありがとうございます。」
ミノルは私に質問した。
「あの、僕の言ってる事、分かるんですか?」
「はい、あんまり難しい事は分かりませんけどね。」
「そうなんだ……。」
蟹江さんはミノルに向かって言った。
「どう。少しは慣れて来た?」
「いやあ、これ……あ、いや、失礼しました。このフィナさんは新種のボーカロイドか何かなんですか?」
蟹江さんはニコニコしながら答えた。
「いいえ、あなたの持ってるソフトと同じ。ただ、まあ一応新しい試みは……してあるというか。」
う~ん。嘘は吐けないタチなんですね。蟹江さん。
蟹江さんは話しを続けた。
「ああ、でもこんな風になるとは限らないから。あまり期待はしないで。」
「……。」
ミノルは急に黙りこくってしまった。
それを見ていたユタカが思わず叫んだ。
「ユタカ、自由にしていいんだぞ……。」
ユタカの言葉を遮る様にミノルは言った。
「ああ柿、ありがとう……。でも、やろう。」
それだけ言うとユタカは自分のスマホとパソコンを配線で繋ぎ送信を開始した。
ユタカはミノルに声を掛けた。
「大丈夫?」
ミノルは何も言わなかった。
蟹江さんや他の人たちは何のことやら分かるべくもなく顔を見合わせていた。
すると、ミノルは前を向いたまま言った。
「ミネルヴァは僕の亡くなった妹の代わりだったんです。」
みんなミノルの話に注目した。勿論私も。
「まあ、初めだけですけどね。だからいいんです。今はもう……。」
送信が終わり、モニターにミネルヴァが現れた。
「皆さんこんにちは。ミネルヴァ・エトルリアです。」
少女の様な容姿と話し方。これは明らかに……! そう、全員が思った。
『まだ、ぜんぜん吹っ切れてないじゃん!』
少しタジったが私も言葉を返した。
「こんにちは。フィナ・エスカです。こちらこそよろしくお願いします。」
するとミネルヴァは私の話が耳に入っていないかの様に話しを続けた。
「好きな色はピンクです。後、好きな食べ物はハンバーグと餃子です。」
自己紹介終わってなかったーっ!
「そうなんですか。私もピンク好きだなぁ。」ハハ……。
「あと、プリンとクレープも好き。でもね、これはシーね。内緒。甘いものばっかり食べるとね、お母さんに怒られるから。」
成程。リカちゃん電話形式か。こりゃ手強いですよ。
「家族はお父さんとお母さんと、後へなちょこお兄ちゃん。えへへへ。」
私の声届いてないのかな……。どうすれば届く?
「ねえ、家族のこともっと教えて。」
「…………家族はお父さんとお母さんと、後へなちょこお兄ちゃん。えへへへ。」
「もっと。もっと聞かせて! お父さんと、お母さんと……?」
「……後、…………。」
その時、ミノルがいきなり立ち上がり叫んだ。
「もういいです。もうやめて!」
ユタカがミノルの方に駆け寄った。
「おい、大丈夫か……。」
ミノルはモニターの縁をつかみ小さい声で叫んだ。
「ミネルヴァはやっぱり……。ミナミなんだ……。もうこれ以上……。」
どうやらミネルヴァを見ていて感情が高ぶってしまったらしい。
ユタカはミノルの方を向きながら言った。
「ごめんな、ミノル……。みなさん、今日はこれで……。」
蟹江さんは号泣中の蛯名さんの肩に触れて片付けを始めようとしていた。
まあ、うまく行かない時もあるよね……。
全員が諦めかけたその時、モニターの方から声が聞こえた。
「へなちょこお兄ちゃん!」
ミノルは両手でつかみっぱなしのモニターを見ながら言った。
「なんだ、さっきの続きか。今頃……。」
「へなちょこお兄ちゃん。何泣いてんの!」
「へ!?」
全員が思った「『覚醒』来た……!」
ミノルは囁く様に言った。
「ミナミ……?」
「そうだよ。ミナミだよ。お兄ちゃんとやっと話せた。」
ミノルはまだ信じられない様子だった。
だがこの話し方、この表情……。どれを取ってもあの懐かしいミナミでしかなかった。
「え……? どうして……ミナミが……。」
「う~ん。よくわからない。だけど、最期にお兄ちゃんに会いたいってミナミが願ったからだと思う。」
ミノルは声を震わせながら言った。
「ミナミ、僕も会いたかったよ! 会いたかった‼ 本当に……。」
ミノルの眼に再び涙が溢れ出した。
ミナミはあの頃とまったく同じ様ににっこりと微笑んだ。
「お兄ちゃん! また遊べるね。」
「ああ……。」
「もう! 泣かないでよ。エヘヘ……。」
「ああ、ああ!」




