余命5日
余命宣告されたら、どのようにその期間を過ごすのかを考えることがあります。1年、半年ぐらいまでなら、「死」を覚悟する時間はあるのでしょうか。
もしそれが5日だったら......。
男の職業は殺し屋だった。
悪徳弁護士、大企業の社長、大物政治家......。あらゆるターゲットを相手にしてきた。彼には、一つの「殺し屋」としての信念があった。
それは、ターゲットにするのは、彼自身が納得する相手であると言う事だ。
例えば、普通の主婦やサラリーマンを殺してくれという依頼を、彼は受けないだろう。ただの殺人者になることを彼は拒んだのだ。殺されて然るべき行為を犯している者を殺す。はたから見たら、彼もまた殺されるべき者かもしれないが。
これが、「殺し屋」という職業としてどうなのか、と問われれば難しいところである。人によっては、依頼者を選んでいるとして、プロの殺し屋とは認められないかもしれない。しかし、彼は自分の中にある「殺し屋」像の方を大切にした。
つまり、彼に依頼しようとするものは、彼と共鳴しなければ契約が結べないのだ。
しかし、どんなに殺してやりたい相手ができても、自分から殺すことはしない。これは「殺し屋」としては正解なのではないだろうか。
決して自分の好き勝手には行動しないのだ。いくら消したい相手がいたとしても、その気になれば殺すことはできるだろうが、我慢した。他の誰かを嗾けて、自分に依頼させることもしなかった。勿論それも、自分から「殺し」をすることになるからだった。
彼は、陰のヒーローとして、様々な人に崇められていた。誰かが、この街の膿を取り除いてくれている。そんな市民の思いは、物騒ながらも、待ち望んでいた結末を報道するニュースにも現れていた。
そんな陰のヒーローとして町に住む男は、最近、不思議な出来事に出会っていた。いつからか、彼のターゲットに共通する、ある特徴に気付いたのだ。
それは、彼のターゲットの右腕の甲には、必ずアルファベットの「O」という文字が書かれているのだ。
それは入れ墨か、はたまたちょっとした痣のようでもあった。薄い黒色で書かれたその文字に、気付いた時は驚いた。まさか、なにかの秘密結社にでも属しているのだろうか。
自分の依頼主もまた、皆が何かで結ばれているのだろうか。そんな空想上の団体に、少しだけ恐怖感を覚えて、身震いするかのように笑う。
ある日、男に殺しの依頼が来た。相手は、最近話題になっている汚職議員だった。碌に働いてもいないのに、市民からの税金で豪遊している。
「次に殺すとすれば、こいつだろうな」と思っていた彼は、特に金額には興味を示さず、二つ返事でそれを引き受けた。5日後までの依頼だった。
連日連夜、マスコミが張り付いているせいか、その議員にはボディガードがついていた。ただでさえ、人の多いところでの仕事は厄介だというのに、常に守られている状態にあるターゲットを想像し、彼の口からは、ため息が出てしまう。
「人込みはやりにくいが、仕方がない。逆にこれだけ見張られているところで、殺されるのだ。他の議員の悪事に対しての、抑止力にもなるかもしれない」
そんなことを思いながら、男は着々と計画を練るのだった。
その時、ふと彼は何か気になり、自分の右の手を見る。すると、彼のターゲットに共通してある、あの痣があった。
彼はとても驚いた。どこかでぶつけたとかじゃない、完全に謎の痣だった。
しかし、彼の手に刻まれた文字はアルファベットの「O」ではなかった。ぼんやりとした痣だったから、最初は分からなかったが、ついに彼はそれが、数字の「5」であることに気付く。
そして、彼の今までのターゲットにあった痣も、「O」ではなく数字の「0」だったのではないかと思った。
彼は嫌な予感がした。
数字であると認識した直後から、これがなんの数字かは大体想像がついたからだ。彼が仕事をする直前には、皆、痣が「0」になっていたことから、容易に想像はついた。
「これはおそらく、余命を表しているに違いない。単位はまだわからないが、痣がゼロの形になったら死期が近いのだろう」
彼の予想は的確だった。
そして、彼は「いつか来る日」を考えてたことを思い出した。それは、彼が殺し屋になってすぐの頃、ターゲットの仲間から、命を狙われていた時のことだった。
「俺は人を殺すことを生業にしてきた。誰もみな、殺されて当然であるような人間ばかりを相手にしてきたが、俺もいつかあんな風に、誰かから殺されるのかもしれないな......」
と考えていたのだ。殺し屋である以上、そういった恨みを買うことには慣れていたし、仕方がないとも思っていた。それで死ぬなら、それはそれで良いとも思っていたのだ。
だからこの男にとっては、「とうとうやってきたか」くらいの認識だった。そして、「死」に対する恐怖をあまり感じなくなっていた彼は、この「5」が意味することを考えていた。
「余命を表す数字であることは、確かなはずだ。しかし、これは時間なのか、日なのか......」
確かに、5時間か5日かで、かなり予定が変化する。とりあえず、次に数字が変わるときに考えることにした。
翌日、男は朝起きると右手を確認する。昨日までの「5」は果たして変化しているのだろうか。少し期待しながら目を移す。
すると、痣は「4」という形をしていた。
驚きと、興味と、「やっぱりか」という複雑な気分になった。そして、この数字の単位が「日」であることを確信した。それから、4日後のことを考える。
「依頼完了日......」
そう、この日は、議員暗殺の依頼の締め切りだった。この依頼完了日に、自分の余命が来るのだと思った男は、あらゆることを考えていた。
「おそらく議員についているボディガード......。あいつらの中には銃を所持している者がいるのだろう。相打ちか......。」
あらゆる想像が彼の脳内を駆け巡る
「いや、銃殺......、無いな。俺は、常に他人に見られることのない位置から狙撃する。もし銃撃でもされたら、「殺し屋」としての名に傷がつく。では一体......、病気か?」
彼には、自分の命日と依頼完了日の関係が、薄いように思えてきた。
「そうだ、依頼完了日に死ぬからと言って、議員暗殺が直接、俺の命に関わるとは限らない。不運な事故によるものかもしれない......」
彼は自分のあらゆる死に方を想像した。4日後に彼を襲うものは何なのだろうか。死ぬことへの恐怖は無かったが、死に方は重要だった。「殺し屋」たる者、静かに息を引き取るべきだと思っていたからだ。幸い、家族もいない彼にとって、「死」に対する後悔はなかったのだ。
その時、男の家のチャイムが鳴り、思わず身構えてしまう。
「落ち着け......、死ぬのは4日後だ。逆に言えば、その間は死なないはずだ......。」
ドア越しに覗くと、宅配の恰好をした者が立っていた。
(こいつは本当に配達員なんだろうな?)
男は少し不安になりながらも、ドアを開ける。
やはり、ただの配達員だった。軽い会釈を交わし、荷物を受け取り、中身を確認する。4日後の依頼に対する情報だった。ターゲットである議員の特徴、当日の議員の行動、建物の構造など様々なことが記されていた。
男はそれを熟読し、ライターで燃やす。少しの情報も漏洩させるわけにはいかない。そして、4日後の計画を練る。
「Aビルの4階から狙うか......。あそこなら、人が入ってくることもない。」
彼は、自分の計画が完璧なものだと確信した。誰からも認識されることなく仕事ができる。男は、街の建物の構造を熟知していた。ここからなら、逃げ道も確保されている。そして、すぐに自分のもとへ、ボディガードや警察がたどり着くこともない。
計画を頭の中で再現してみる。やはり、少しのほころびもない。
男は、自身の仕事が順調に進んでいる事に満足しながら、冷めたコーヒー啜り、先ほどチャイムで身構えてしまったことを思い出していた。そして、ふと考える。
「「死」への恐怖はとっくに無くなっていたと思ったが、まだ恐怖しているのか......?」
男は納得いかないような顔をしていたが、「死」に対する恐怖を感じていることを認めざるを得なかった。
「さっき身構えたのは、不安からくるものだった。「死に方」に対するものではなく、認めたくはないが「死」そのものに対してだった。」
別に彼は、恐怖を克服したわけではなく、いつの間にか消えてなくなっていたように思っていたのだ。その「生きること」への執着心が、余命を宣告されたことにより、再燃したのかもしれない。
それからの男は、いつも以上に周りに敏感になっていた。そもそも「殺し屋」という職業柄、常に周囲に気を張っていたのだが、死期が近いともなると、違う意味で気が立っていた。
そうすると、普段は気にも留めないようなことのすべてが、彼の命を奪う行為に思えてならない。買い物で後ろに並ばれる瞬間、街で人とすれ違う瞬間、隣人の笑い声、全ては自意識過剰によるものであったが、その度に背中にゾクッとするものを感じた。
彼は、冷静さを保つことに努めていたが、3日もたてば、気がおかしくなってきた。何もないのに、常に冷や汗をかいている。「死」への覚悟ができていないのだ。
以前の彼なら、「いつか死ぬ時のことなんて考えるだけ無駄だ。その瞬間にでも、自分の人生を顧みればよい」と思っていたことだろう。
しかし、右手の痣はそれを許さなかった。余命を宣告されたことによって、徐々に迫るタイムリミットに、「生きたい」という思いが強くなっていたのだ。
いよいよ明日が依頼完了日だ。そして男の命日でもある。今まで仕事を失敗したことなかった彼には、キャンセルするという選択肢はなかった。明日、「0」になっているであろうその痣を卑しそうに眺め、布団に潜る。
彼は、この痣を余命宣告であると信じたくなかった。実際、まだわからない、断定することは当然できない。しかし、信じるだけの材料はあった。それにどうやら、この痣は彼にしか見えていないようだった。彼の「死」に対する恐怖心が、この痣を視認してしまうのかもしれない。
考えてもよく分からなかったから、とにかく依頼に集中することにした。
翌日、男の目覚めは最悪な気分だった。誰だって、今日が人生最後の日だと思って起きれば、良い気分ではないはずだ。
恐る恐る左手の甲を確認する。すると、痣は「0」という形に変わっていた。少しの期待も空しく、彼の運命は「死」待つのみとなってしまった。
だが、今日は依頼完了日だった。簡単に死ぬわけにもいかない。なるべくなら、家に閉じこもっていたかったが、せめて「殺し屋」としての仕事を全うすべきだと思った。
朝の支度を終え、「仕事」のためのショットガンを用意し、憂鬱な気持ちでドアを開ける。
「とっとと依頼を片付けて家に帰ろう」
男はそう呟くと、玄関を後にした。
街の雰囲気はいつもと同じだったが、彼にとっては、すれ違う人すべてが敵のように見えた。
男は暗殺を実行するAビルの4階へと着き、とりあえず安心する。道中、特に危険が迫ってくることは無かった。そして、暗殺するまでは生きられることにも安堵した。
もし、この世を去ったとしても、最後が失敗して終わるなどあってはならないのだ。
彼は鞄からショットガンを取り出し、調整する。あと、5分もすればターゲットがやってくるはずだ。スコープを覗き、位置を確認する。
既にスタンバイしているマスコミのせいで、なかなか狙いが定めにくかった。流れ弾でも、他人に当ててはいけない。関係のない人を犠牲者にする気は彼には無い。
直後、男の背後でカチャリと音が鳴る。
彼は、今までにないくらい背中に悪寒が走った。
(まさか、この場所は俺しか知らないはず......)
恐る恐る振り向く。男には、時が止まっているようにも思えた。
しかし、そこには誰もいなかった。拍子抜けした男はあたりを見まわした。「油断してはならない、まだどこかに隠れている可能性もある」と思いながら。
すると、床に何かが落ちていた。男はそれを拾う。先ほどまで、彼が手にしていた鞄ついていた金属だった。
彼は安心するようにため息を吐きながら、額にびっしょりと掻いた汗を拭う。相当、精神的にキテいるようだった。彼は何度も深呼吸をし、再び、ショットガンの照準を合わせる。
1分もたたないうちに、ターゲットが姿を現した。
2人のボディガードに守られた、サングラスをしている女が建物に入ってきたのだ。彼は、そのターゲットの右手の甲に、「0」という文字を見た。
「間違いない。こいつは今から死ぬ運命なのだ」
その女の頭部に狙いを定める。しかし、マスコミが押し寄せているせいで、なかなか打てずにいた。女にとっては最も邪魔な存在であるマスコミが、男にとっては最大のボディガードになっていた。しかも、手が汗ばんでいるせいでうまく打てそうにない。イライラしながらも、そのチャンスをうかがっていた。
すると、2人のボディガードが、マスコミを押しのけ、直後、女が走りだした。
「今だっ!」
男は引き金を引く。しかし次の一瞬、男の思考は止まりかける。
女が走り出したせいで、彼女のサングラスが取れ、素顔が見えたのだ。
「別人......」
その女は議員ではなかった。マスコミが押し寄せてくるであろうとの予想から、ダミーを用意していたのだ。
男は女が議員ではなかったことに驚いていた。だから、男の指は止まることなく、引き金を引いてしまった。
女の頭部を銃弾が貫通する。
現場には悲鳴が上がり、マスコミは逃げ惑う。金で雇われたであろうボディガードも、自分の命を守るために伏せていた。
考えてみれば、当然のことではあったが、彼の予想が正しければ、もともと彼のターゲットではなくても、その日が命日になるのであれば、「0」という痣が見えるのだ。しかし一刻も早く依頼を終え、帰宅したいと考えていた彼には、そのことが頭から抜けていた。痣が入っていることで、その女が議員であることを確信し、銃を向けたのだ。
彼の手は震えていた。初めて罪のない人を殺害してしまった。しばらく放心状態となり、空を見つめる。
「俺は、ただの人殺しに成り下がってしまった......」
彼は唖然として、まだ騒いでいる現場を見つめて、次第に狂ったように笑い始めた。
「常に誰かに殺されることに怯えもしていたが、こう言う事だったのか......」
自分の中にある、「殺し屋」としての信念を全うできなかった彼は、静かにそのライフルの銃口を自分に向けた。
直後、再びその信念とやらに逆らうことになる。
投稿後、2日ほどは内容を変更することがあります。本来は、投稿前にチェックすべきなのですが、変更したい点は投稿後に出てくることが多いです。大きく変えることはありませんが、少し文をいじったりすることがあるのでご了承ください。