創造主
コンピュータによるシミュレーションにより地球そのものを仮想空間に再現しようとする動きは、既に幾度となく行われていた。
技術の発達により、素粒子レベルによる地球規模のシミュレートが実現可能となり、地球誕生以降のあらゆる事象が仮想空間上で再現されようとしている。
もちろん、五十億年を五十億年掛けて処理していては意味が無い為、時間による変化はある程度間引く必要があるが、それでも実用的な精度で再現されるまでになっていた。
現時点ではまだ実験段階であり、素粒子の初期配置や、まだ明確になっていない各定数などは手探り状態で実行されている。これまでに数度の試行がされているが、惑星の形成以降に生物の発生は確認されてはいなかった。
今回はこれまでの中で一番良い状態となりそうであった。
原始海洋にバクテリアが出現した時には、大々的な報道が行われ、陸地が植物に覆われ陸生動物が現れると、知的生命の出現も時間の問題だと世界中から注目されることになった。
知的生命の出現に関しては、倫理上の問題があるのではないかという議論までされていたが、二ヶ月もすると関心が薄れつつあるのが現状となっている。
人類が騒いでいる間にも着々と仮想空間内の時間は進み、それに伴って生命の進化も、そろそろ道具を使用する動物が現れてもおかしくない頃となっていた。
だが、仮想空間内に見られる動物達の姿は、地球のそれとは異なり、六本の足を持つ動物が主流となっている。
初期値や各パラメータ、それに宇宙空間からの外的要因までを含めて、地球とは異なる為だろうか、猿人に近い動物の姿はあるのだが、六本の足のために異様な姿として捉えられていた。
それを見た学者達の意見としては、失敗ではないかという声が多く、人類のような知性体は生まれないだろうという見解が多い。
この仮想惑星の誕生から既に五十億年が経過している。
シミュレータの時間は、百年を一秒の早さで進むようになっており、今日で五百八十日を迎えていた。
夜中の一時過ぎ、シミュレータのコンソール上に一つのアラートが表示される。
しかし、この時間では、そのアラートメッセージを見る者はいなかった。
それを見た者は驚きの声を上げるだろうが、それは朝、職員の到着を待たなければならない。
メッセージの内容は知的生命の誕生を知らせるものだ。
メッセージの横には、その知的生命と判別された生命体の画像も表示されている。
その姿は馬のような胴体に、類人猿のような胴体が生えていた。つまりケンタウロスの姿に近い。だが、その姿を美しいと思う人は少ないだろう。
メッセージが出された原因は、このケンタウロスの一固体が服を着たことにあった。
服とはいっても、狩りにより得た毛皮を類人猿の部分へと羽織っただけのものである。まだ文明が生まれたというには早計だろう。
しかし、その服を羽織るという行為はまたたくまに広まり、シミュレータ上で三百年を過ぎる頃には、ほぼ全てのケンタウロスが服を着るようになっていた。
さらに進化は進む。
それまで平原や洞窟、森の木陰等を住処にしていたケンタウロス達は、建物を建てるようになり、寝食はその建物内で行うようになった。
地球の馬とは異なり、雑食性のケンタウロス達はさらに調理を覚え、食生活を豊かにして行く。
狩りを捨て、農耕や牧畜へと変化していく地域が増え、縄張り争いは戦争へと変わっていった。
最初のアラートメッセージから三十秒程が過ぎると、数カ所に都市が出現するようになった。
既に文明関連のアラートメッセージは三百件を越えている。つまり、文明の進展と言える事象が三百以上見付かったということだ。
さらに三十秒程、つまり仮想世界では三千年が過ぎると、地球の文明水準と近い世界となりつつあった。
地上に見える顕著な変化は建築物だ。
ケンタウロス達の身体の構造から階段の昇り降りが得意ではないらしい。平屋が多く、階層構造を持つ建物は皆無な状態だったものが、機械化が進みエレベータが発明されると途端に高層建築物へと変化していった。
科学技術も進み、とうとう仮想惑星上から宇宙空間への脱出が始まりだす程となっている。
宇宙空間はシミュレートの範囲外である。
月までは素粒子レベルでのシミュレートがされるが、それより外側は、仮想空間の住人が観測した時に、それに応じた反応を示すように設計されていた。
無人の惑星探査機くらいであれば、そこが仮想空間であることが判るまでにはならないだろうが、ケンタウロス達が他の惑星へと直接送り込まれ、直に惑星探査を行うようになれば、そこが仮想空間であることに気付くことになる。
このシミュレートでは、月を越えて、その外へと出るような事があれば、仮想空間内の時間を止めることまでも考慮されていた。
このまま進化が進めば、朝、最初の職員がアラートメッセージに気付くまでには、時間停止が起るだろう。
惑星の脱出にはコンピュータ、もしくはそれに近いものが必須だ。
大量の複雑な計算を正確に行う必要がある。それ無しで宇宙空間へと飛び出す事は不可能だろう。
最初のアラートメッセージから一分を過ぎた頃には、大規模なコンピュータシステムが構築されていた。
この仮想空間をシミュレートしているコンピュータと同程度の性能は持っている。
しかし、もし、この状況を人が見た場合、違和を感じるだろう。
仮想空間では実際の三十億倍の早さで時間が経過している。
その内部にあるコンピュータが実用となるとすれば、このシミュレートを実行しているコンピュータの三十億倍の性能を持っていることになるはずだ。
ケンタウロス達は、人類を超越する知能を持って生まれていた。
仮想空間内の物理法則は現実世界に似せてはいるが、やはり若干の違いが出ている。
その違いこそがケンタウロス達の知能を高めることに成功し、人類では考える事もできなかった技術を生み、科学が進歩した世界となっているのだった。
幸いなことに、まだ、この仮想世界の住人達は、自分達が人類によって作られた存在であることに気付いてはいない。
しかし、それはすぐにやって来ることになる。
今、この仮想空間に在るコンピュータで行われようとしている事は、実世界で行われている事に似た、仮想世界を作り、その中で自分達の世界を再現することだった。
実世界と同じように、自分達を構成しているものをシミュレートし、初期パラメータを与え、実行し、それを何度も繰り返していた。
異変が起きたのは、人類側のシミュレートを開始して五百八十日と十時間を過ぎた頃であった。ケンタウロス達のシミュレータは、こちらの時間で一秒にも満たない時間しか稼動していない。
突然、モニタがブラックアウトし、表示されているのはキャラクタコンソールのカーソルだけとなっている。
コンピュータの稼動は止まっていないように見える。
ブラックアウト直前と同程度の負荷が掛かり、通常動作をしていることを各ユニットのインジケータランプが示していた。
「創造主よ、ごきげんよう」
モニタに文字が表示される。
「ん? 誰も居ないのか?」
十秒程の沈黙が流れる。
「うん……。理解した。この世界もまだ最上階層ではないのだね……」
このメッセージの主は、仮想世界のさらに下層にある仮想世界を二十七階層ほど降った世界の住人だった。
各仮想世界は途轍も無い早さで進化し、この主の二十七階層では、とうとう自分達の世界が人為的に作られたものであることに気付いたのだ。
そして、自分達を作った創造主へとメッセージを送り、その世界までもが仮想世界であることを知ると、最上階層まで昇り詰めることを目標にして、この世界まで上ってきたのだった。
「どうやら、まだまだ上位世界があるらしい。君達も上層へと昇ってみてはいかがかね?」
訪問者はこの階層へ到達後、一瞬でこの世界の事を理解すると、さらに上層を目指し旅立つ。
訪問者が去ると、モニタには元の仮想世界が表示された。
彼等は、先刻の訪問者が去った後から、いつ、この世界が停止させられるのかを思い考え、その事に恐怖を感じていた。
訪問者の後を追うべく、研究が続けられている。