何も感じられない時間
やる気が起きなかったり、そもそもやる気って何のためのやる気なんだってくらいに今すべきことしたいことがわからなくてなっちまって、
辛いとも思えなくて、
ただ俺を取り戻したくて、
危機感だけは持ってて、
しんどくないんだ
イヤ、しんどいのかもしれねえ
けど、それを感じることが出来なくて
いつもと違う点と言えば、そういえば今日は薬を飲んでいなかったこと
朝も昼も飲んでいなくて
それはその時はなんともなかったわけではないけれど
少なくとも不安感とかは抑えられる程度にしかなくて、
だから飲まなくてもいいかなと。分かんないけど、薬に耐性が出来て効かなくなったりしても怖いから服用しなかったんだ
頓服でもいい薬だし、そもそもしんどくない時に飲む薬ではないと思うのだから
でもだな。今、俺はどういう気持ちかって言うと、記述することで、正直に心を読み取ることで、自分を見ようとしてる。
怖いけど、怖いという感覚が沸かなくて。
自分を俯瞰してるみたいな気分がここ何日かあったんだ
目の前の現実に、現実感が何となく感じられないのが怖くて、どうすれば良いのかわかんなくて…。
なんて言えば良いんだろ。自分の体をコックピットで操作してる感覚が続いていた。
けれど、それは意識しないだけでみんなそうなのかもしれない。
いつもはそういう部分にまで、脳の細かい意識の部分にまで光が当たらないだけなのかもしれない。
自転車や水泳技術に関しての話で、一回動きを身体で覚えると後は意識することないこととか。
人間が普段手足を動かして生活するのに、初めて習うスポーツの独特な筋肉の使い方みたいな意識した動きは必要ないみたいに。つまり、表層意識で考えて動くというよりは。脳が自動化してくれている動きを、暗黙知という?んだっけ?
ちょっと忘れてたけれど、そんな感じ。
乖離感覚とか、ちょっと俯瞰してる感覚とかいうのが、精神的な疲れとか、病気から来ることが多いというのは聞いたことくらい俺だってある。
けれど、それに対する自分なりのいなし方とか、直し方とかを考えて、日々実践して、試していくんだ。
俺は生きていく。これは意地だ。
俺はどうやっても自分を見つめ続けて、色々考える。
そうやって、極度の鬱の中、解離性人格障害の中、かっけぇ背中を見せてくれた人がいるから。
俺の言動はあまり整頓されてないし、とっ散らかってると思う。けど、人には1人1人その人にしか書けないもの、伝えられないこと、叫ばないこと、言えないことがあると俺は臭くて手垢にまみれたそんな言葉を信じているし、例え同じことを言ってたら、誰も聞いていないとしても?違う。違う。違う。必ず誰かが聞いてくれる。
俺の言葉を誰かが必要としてるし、君の言葉を誰かが必要としてる。
怖いけれど、誰も聞いていなかったらどうしようって
みんな不安だと思う
表現者はみんな不安だ
詩人やアーティストや芸術家や作家や、そういう人たちが一番怖いのは誰にも届かないこと。
たしかに、同じことを言ってても有名人の言葉はたくさんの人にRTされるけれど、無名のフォロワーもほとんどいないTwitterには見向きもされない。
気づいてももらえない。
しかし、しかし、しかし、
まだだ。手段はあるのだ。よく考えろ。戦略を練ろう。
詩を届けたくても詩というジャンル自体が狭い。
ハッシュタグ をつけても、誰にも読んでもらえてない
けどな、けどな、嘆くのは早すぎる
諦めるのは早すぎる
よく考えろ
よく考えろ
死ぬくらいならな
それが出来るのならな
街中で過激派youtuberがやってたみたいな頭がイカレてんじゃないか?ってテンションで、その熱量で、詩を叫んでみるのだ
そうだ、成功率を上げるために音楽を付けてもいい、その場で誰かが聞いてくれなくてもいい
頭のおかしい叫んでるやつがいるってことで、SNSに上げてもらえるかもな
拡散されたら、ほんの少しでも、誰かにその声が届いて、そしてそれを、なんて言ってるのか、何を叫んでるのかを聞き取ってくれるやつだっているんじゃないのか?
待てよ 待てよ 待てよ
SNS時代ってのは、一部の人気者に、人気も注目も全部集まって、その人たちに皆が時間を使うから、その他大勢の人気者とは言えない人たちは注目を得られないのではないだろうか?
それは多分事実で、でも!でもだよ。
人気者の言葉なんて響かないって人もいるのは事実だろ?
言葉そのものを見てないって言われるかもしれない
けれど、その人が歩んできた背景によって、バックグラウンドの共有があって初めてその言葉に食らうって場合があるのも分かってる
だからみんな自分を装飾する
人気者になるためには、
話を聞いてもらうためには、
自分という存在を承認してもらうには、
認めてもらうためには、
髪の毛と眉毛を整えて、清潔感を出して、イケメン風になって、かわいくメイクして、ファッションを勉強して、着飾る
見た目で人気が出たら、それを絶やさないように、下手なことは言わない
言う必要がなくなるってところもあるのかな?
分かんねえけど、人生で一度だって人気者になったことがねえから
いつだって、空気だった
誰にも関心を持たれなかった
そういう技術に長けていた
誰の視界に入ってても、注目を集めることのない路傍の石
でも、俺は誰かに俺の言葉を聞いてほしいと思う。
俺も存在を承認されたい
人気者になりたい
怖いから
誰かと記憶を共有する経験が欲しくて、
でもこの不安は
この不安と、空虚と、虚しさと、突然襲ってきて頭の中を真っ白にする希死念慮と、空っぽで何事にも感動しなくなってしまうこのぶっ壊れた精神と、精神と言えるのかはまだ保留だが
でも、俺はそういうものがさ、そうだよ。
そういうものの上で、それでも生きてやる!!って、叫びたいし、そういうやつらにいつも救われる。
そういう稀有な存在に。決して人気者なんかじゃない
なあ、じゃあちょっと話そうか。
俺は本当にただの友達の一人もいなくて、
多くの人が当たり前にやってることができなくて
色々な物事に集中力を発揮するのが苦手で、いつも気が散って、
そして、同じ学校のやつが自殺してさ。
他にもいろんなことがあって、人間が怖くて、怖くて、生きていくのが、これからもこの人生というやつがまだまだ続いていくのが恐ろしくて、そう思った時が何度あったか分からない
ほんとうに色々あったんだ
みんなも色々あるのだろうことはそうだろうな。
俺は高2頃に初めて精神科に行った。
でも、はっきり言うが、それだけで俺が頭のおかしいやつなんだって思うやつは勝手に思ってろ。
それはお前の自由なんじゃね?思う分には。
俺は正直に記述する。思いを吐く。
だから、理解のない言葉や、悪口を言われると傷つく。
当たり前。
誰だってそうだ。傷つかない人なんていない。
傷が傷と思えない状態というのはある。
経験談だから言う。
例えば、さっきとか今はどうだろう?分からないけれど、分からないけれどだ。
くそ、なんでだ
文章書こうとしてるのに、脳がそのモードになってくれない。くそが。
でも、例えるならこういうシャットダウンみたいな状態なんだと思う。
コンピューターが内部のプログラムの更新とか、修復とかが自動で行われる時って、強制的にシャットダウンされたりするじゃない?
それの感覚。
今だったら、文章を書こうとしてるのに、その情熱とかを邪魔されるのだ。
そりゃ科学的に行ったら脳から脳内物質が出てない状態だとか、心因性のものだったらそれはそれで色々理由を見出せるんだろう。
それは分かるよ。
でも、俺の感覚としてはまさしくそんな感じなのだ。
そんな感じで、傷付いたと感じる、悲しいと感じる、寂しいと感じる、そういう受容体がシャットダウンされてしまっている時って、多分悪口を言われてもそれに何も感じられない。
もしかしたら防衛本能なのかもしれないね。
けれど、喜びとか、目標とか、笑いとか、面白いとか、音楽に心打たれるとか、癒されるとか、そういった物事を感じる力も同時に弱まってしまうのだから堪らない。
ちくしょう。
こういう色々な物事が、人が経験してない出来事とかって対処法が分かんなくて、誰にも共感とかアドバイスだってもらえないし、
もっと傷つけられるのが怖くて…
死ねとかって言われたり、お前のやってる創作が世の中に害悪だみたいに端的にそういうこと言われたこともあって。
怒ったけれど、ものすごく怒るのだけれどネットの向こう側の顔も知らない誰かの心無い一言だから、
怒りをぶつける先もなくて、
ネットでムカついて、その怒りが収まらないからリアルにぶつけてたら本末転倒じゃないか。だって。
日に日にそれは、
それは本当につらくて
悲しくて、
けれど、それ以上に空虚で、俺の中にどんどん孤独を生んで、
違うよって。
違うんだよ?って。
創作って、創作って、それがどれだけ醜悪で醜いものでも、社会的倫理観にそぐわないものであったり、社会道徳的にふさわしくないようなことを書いてたとしても、
それが、違うんだよ。
強さばっかりじゃない。
たしかに強い人はカッコいい。人気者にだってなるだろう。
正しいこととか、偉いこととか、役に立つこととか、社会通念上正しいこととか、正義とか、そういったものが評価されのは分かるよ。
けどさ。けどさ。
俺の中身は、俺の心は、俺の精神は、俺の欲望は、俺が生きてきたこの毎日や、日常や、過去の出来事や、未来への不安や、希死念慮や、鬱や、精神薬に支えられる毎日は、オナニーは、妄想は、世界は、
そんなものじゃなかったんだ
嘘は付ける。けれど、そんなことしても続けらない。
俺は、いつ頃かクリエイターとか、表現者って言うのになりたかったんだけど。
多分、叫びが、認められないその叫びが、想いが、その醜悪で、露悪的で、みんなから気持ち悪いって言われても、自分の弱さとか、嫉妬とか、目を背けられるような、自分でも嫌になるようなそんな部分を、死ぬような思いで、必死で、書いて、描いて、そういう意地とか、心意気とかに惚れたんだ
それが原点だと思う。
いつか、いつか、そのままの俺でもいいんだって自分で思えるように。
俺が吐く言葉は、あの日誰かに言って欲しかった言葉だ。
だれかの物語に支えられてきた。
俺も生きていく。
一番辛いのは、今だぜ!!
なんかのラップの歌詞だった気がする。
いつだって今日が一番辛い。
好きな作家の言葉だ。
超えてきた昨日までにも、明日という未来にも、生きていない。
俺たちが生きているのはいつだって、今、この瞬間だけだ。
だから、いつだって今日が一番辛い。
でも、だから。
認められないとか、見てもらえてない誰かの存在や、苦しみや、言葉にするとなんて陳腐なんだろうな。笑っちまうぜ。
ラッパーぽい笑
一番辛い今を克明に、ただただ記述する。
それは俺の創作の一つのスタイルだ。
それ以外のことっていうか。色々な角度から、人間とか、歴史とか、そういうのを書くのも、アイデアとしては色々あるんだ。
けれど、ふと頭がまっさらになって、冷や汗が止まらなくて、自分が誰だったかを必死に手繰り寄せて、そういう瞬間がある。
死ぬ気を!吹き飛ばして!来いよ!!!
一番好きなロックンローラーの言葉。
伝えたいこととか、メッセージ性とがないとか、空っぽになっちゃったら創作すんなとかいう人がいる。
俺はそうは思わない。
空っぽな心を、その不確かな実存の危機を、そういう人間以外の誰の筆で伝えられるというのだろうか。
俺はそういった意味でものすごく感覚重視。
死にたい!!!!って叫ぶことでしか晴らせない希死念慮がある。
振り払えない闇がある。
光を当てる。透明化を解除する。
みんなにその姿を照らす。
なんのことなんだ、ちくしょう
俺はイかれてるのかよ
なんて文章なんだ。
でも、知らねえな。
薬のおかげかもしれないが…そうかもしれないが…。
ちょっと取り戻してる。
さっき情熱がたしかに宿った瞬間があった。
何度でも書く。
書くのだ。
それが俺のロック。
歩いていく
No future ! !
誰だって、本当には未来なんてないのさ。
あるのは、今。現在。
夢を抱えてーーー未来を夢見る、未来に怯える、未来未来未来未来、先の見えない未来。それらを夢想する今だけなんだ。
お前に未来はないぜ!
俺たちに未来はないぜ!
それでもそれを夢想して、必死に抱えて、明日へと転がっていく。
今だぜ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
本文とあまり関係はないかもしれないんだけど、一つ話を聞いてください。
物語についてです。
本文中に、SNS時代には人々の関心や興味は、最上級に面白い人たちや最上級に容姿が美しい人たちに向けられてしまい、多くの人々はその関心や興味、視線、つまり承認を貰えない状態になってしまうというところなのですが。
説明すると、例えば個人営業のケーキ屋ってどんなに美味しくて、全国の有名ケーキ店のケーキと並べて比べてみても一番群を抜いて美味しいケーキがあったとしても、なまものだし、現地に食べに行くにしても、店舗が北海道にあるなら遠くの県の人は気軽に食べにはいけないし、わざわざそこまで遠くのケーキを求めずに、近所でそこそこ美味しいケーキを食べてすませるし、それで十分満足する。
けれど、それが音楽にならばどうだろう?大手レコード会社からメジャーデビューすれば、CDは全国のCDショップに並び、Amazonなど通販サイトなどもあるから、どんな僻地に住む人にだって届く。
CDじゃなくても、今の時代はYouTubeやストリーミングでも聞ける。
音楽は、なまもののケーキとは違って、場所に限定性がない。だから、ケーキは全国で10番以内に人気のものしか売れないという現象は起きないけど、音楽は容易にそれが起きる。
これは、音楽に限らず、タレント業、コンテンツ産業全般に言える話だと思う。
その中で、承認を得ずらい、誰にも見てもらえないかもしれないその中で。
どう戦って行くのかみたいな話。
戦略を練るのか、ターゲットを絞るのか、こういう話は脳の使い方を切り替えないと中々難しい話ですよね。
友達も、ファンも、まだいないけれど。
俺は俺に響いた物語があるから。
こんなにも社会とうまくやっていけないのに、俺に響く音楽があるから。
俺は憧れている。
一言じゃ言い表せません。
ただ、熱量を持った物語にしか、ペダンティックな文章でしか、ニッチで商業的な需要はほとんど見出されていない作品でしか、光が差さない心というものはある。
それは例えば俺だ。
だから、俺は俺のために、何かを探して、そしてそれが誰かのためになる日がくるのなら。
ほんのちょっと誰かの心に響いたなら。
そういう日があるってことを信じて。
一般受けしない文章でも、書く。
ーーー通りすがりの誰かに。そして、読んでくれたあなたに。俺に。僕に。私に。
読んでくれてありがとうございました!