エピローグ
「……大丈夫、大門君?」
「あ、はい……何とか。」
病室にて。
大門は顔を、実香に拭いてもらっていた。
社会的復讐鬼の事件から数日後、大門は突然倒れた後病院に運びこまれ。
特に異常はなかったが、大事を取り一週間ほど入院することになったのだった。
塚井や妹子、日出美に。
更に美梨愛までも加えた女性陣による、制裁としてなされた落書きを拭き取ってもらっているのである。
実香は塚井の計らいもあり、今はこうして病室で大門と二人きりにしてもらっているのである。
「……いっ!」
「ああごめん……つい、手が滑って……」
「み、実香さ!」
実香は、落書きをされた大門の顔を引っ張り。
大門は驚く。
「……まあ正直を言えば、あたしも大門君には何か制裁を加えたい気分ではあったかなー! だからせめて、これで勘弁してあげる。」
「は……はひ……」
「(どうしようかな……大門君には話すべきかな、あのこと……)」
大門の頬を尚も引っ張りながら、実香は考えていることがあった。
◆◇
「……実香さん。」
「……久しぶり! 来ちゃった。」
実香が病院を訪れるより少し前。
彼女は拘置所を尋ねており。
ガラス越しに赤沢と、向き合っていた。
「まさか、来てくれるなんてよ……」
「うん、迷ったけど……」
「……」
「……」
実香と赤沢は、そのまま話を続けようとするが。
互いに気を使いあってか、すぐにどちらも口を噤んでしまう。
「あ、あのさ実香さん……」
「赤沢君、生きてて本当によかった……」
「! 実香さん……」
しかし赤沢が口を開きかけた所で。
実香は笑顔でそう言った。
「だけど正直……私、あなたには怒ってるよ? 勝手に死んだふりをして悲しませてくれたこと!」
「! そ、そりゃすまねえ……」
が、次には実香は。
少しだが眉間に皺を寄せる。
「……でもありがとうよ。俺が死んで悲しんでくれたなんて……」
「そりゃ悲しむよ……後輩が死んだんだもの。」
「はは……後輩、ね……」
赤沢は実香の回答に、少しガッカリする。
が、その時赤沢の頭によぎるものが。
「(俺はやっぱり……少しは実香さんに靡いてほしかったのかもな。)あのさ、実香さん……俺」
「菜月さんのご遺族は……孝雄さんのご遺族やネット上で誹謗中傷した人たちを告訴する方針にしたって。」
「! そうか……」
赤沢は言葉を発しかけるが。
実香の言葉に、ため息を吐く。
「赤沢君や石和研究室の皆さんにも、伝言があるよ。……あなたたちのしたことは決して許されないけれど、そこまで娘のことを考えてくれたことだけでも私たちにはもう十分です……って。」
「……そうか、そうか……」
赤沢は肩を震わせる。
彼は涙を流していた。
「……だから、赤沢君たちの気持ちは無駄にはなってないよ。まあやり方は絶対に許されないものだけど……とにかくこれからも生きて罪を償って。あたしも大門君も、あなたの帰りを待ってるから。」
「ああ……ありがとう……」
赤沢は尚も涙を流しながら。
実香の話に耳を傾ける。
「……じゃあ、今日はもうこれで。また来るね……」
話が終わると、実香は立ち上がる。
「……実香さん!」
「ん? どうしたの、赤沢君?」
が、そんな彼女を赤沢は呼び止めた。
「俺があんなことしたのは、その……」
「……赤沢君……」
赤沢はそうして、言葉を紡ごうとするが。
出て来なかった。
「……ごめん、何でもねえや……」
「そう……じゃ、またね。」
実香はそう言うと、面会室を後にする。
「あーあ、本当にバカだな俺は……自分の罪を償いたいってことにかこつけて、大門と張り合ってたなんてな……」
彼女が去った後で赤沢は、自嘲の笑みならぬ涙を浮かべる。
そう、彼がこんな方法で社会への復讐と自分の罪の償いをしようとしたのは。
大門と張り合いたかったから。
自分はまだ実香のことが好きで、その実香の想い人である大門と張り合いたかったからだった。
それを彼は、今ようやく自分でも確信したのだった。
◆◇
「(赤沢君は、あたしのせいであんな手を使って……やっぱりこんなこと、大門君に言える訳ない。)」
「実香さん……そ、そろそろほっぺた離して下さい……」
「! あ、ごめんごめん!」
そうして、再び現在。
実香はその実、朴念仁でもないので赤沢の気持ちはちゃんと分かっており。
大門にそれは話すまいと、心に決めた所だった。
「ふう、痛かった……っ!? み、実香さん……?」
が、実香が大門の頬から手を離した直後だった。
実香が彼を抱きしめたのである。
「実香さん……」
「大門君……あたしは赤沢君もあなたも生きていてよかった……だからお願い、これからも死なないで。」
「はい……すいません……」
実香に抱きしめられながら、大門はそう返事した。
「つーかーい! いいの、二人きりにしたままで?」
「ま、まあお嬢様や日出美さんや(あと私には)嫉妬ものですけど。今日は実香の番です。」
「くうー! 今日はっていうか、なんかいつもいつもな気がするんだけど!」
「いやーお姉ちゃん、そんなこと言って。内心穏やかじゃないんじゃない?」
「む……み、美梨愛? 姉をからかいすぎちゃダメだよ?」
その時。
塚井姉妹や妹子や日出美は、やや不機嫌ながらも廊下で待っていたのだった。
しかし、彼女たちが病院を去ったその日の夜のことだった。
◆◇
激しく雨が打ちつけ、自分で発する声すらよく聞き取れないある夜。
一人の男は、とある森の中。
ある男一一否、女かもしれない一一を執拗に追い回していた。
追っている方の男も、追われている方の人も。
同じくフードを目深に被り森を這いずりまわっている。
やがて、追う方は追いつき。
執拗に、追われていた方に拳を食らわせる。
追われていた方が地に伏し、降参の意思表示として手を上げても。
この攻撃は続いた。
追われていた方は、ひたすらに頭を手で守り地に伏せて堪える。
それを面白がってか、追っていた方はさらに攻めの手を強める。
やがて拳だけでは飽き足らず。
追っていた方は立ち上がり、今度は足で追われていた方の頭を、背中を、腰を、また執拗に蹴る。
追われていた方はついに、体勢が崩れ。
そのまま左脇腹を下に倒れ臥す。
口からは血も出ている。
激しく息を吐きながら、血を噴きながらも追われていた方は必死に唇を動かす。
"もうやめて"
そう見えた。
だが、追っていた方はそれを嘲笑うかのように口角を上げる。
いや、実際に嘲笑っているのだ。
手には、折り畳み式ナイフが刃を広げた状態で既に握られている。
そのまま、追っていた方は。
馬乗りになり、刺しては抜き、刺しては抜きを繰り返す。
鮮血が、ほとばしった。
「や、止めろ! は、離せ!」
大門はそこで自分に馬乗りになっている人物が倒れ込んで来たことに驚き、突き放す。
が。
「ん? ……う、うわあああ!」
大門は今しがた自分が突き放した人物の顔を見て驚く。
それは――
◆◇
「うわあああ! ……はあ、はあ……」
寝ていた大門は、そこで。
自分の悲鳴で目が覚めた。
「そうか……全部じゃないが思い出した。僕は、まさか……」
◆◇
その数日後、警視庁でのことだった。
「ん? どうしたんだ?」
「そ、それが……九衛大門という人が今、署に来ているんですが。」
「! な、何九衛君が? 入院したとは聞いたが、もう退院したのか……」
井野は首を傾げる。
大門が自分から来るとは、どういう風の吹き回しだろうか?
「で、どんな用でだ?」
「じ、自分の父親を……こ、殺したかもしれないと」
「ほう、自分の父親を……ブッ!」
井野はその部下からの言葉に、思わず飲んでいた茶を吹きかけてしまう。
「何いー!?」




