遺体の正体
「な、納屋がああ!」
国明は叫ぶ。
目の前には、燃え盛る納屋が。
塚井は実家近くの滝日村、通称・魔女狩り村の大地主・塚光家御曹司の国明と見合いするため帰省していた。
しかし、塚井には結婚の意思はなく断ろうとしつつもタイミングを逸してできず。
結局彼女を追いかけて実家にやって来た大門や他の女性陣の協力もあり、何とか両親に辞退の意向を伝えて理解を得ることに成功した。
そうして今日、直接見合いを断るため塚光邸を訪れれば。
突如、納屋の火災に遭遇したということである。
「あ、あそこには大旦那様と……若旦那様が。」
「え! 父さ……お爺さんと、父さんが!」
郁美の言葉に国明は、耳を疑う。
家を継がせるため国明を養子にした血縁上の祖父・劉禅と、実父・陽太。
この二人が、あの燃え盛る納屋の中なのだという。
「は、早く消防に!」
「れ、連絡はしたんですが……ここから一番近い消防署でも小一時間は」
「そ、そんな!」
同じく母屋から飛び出して来た塚井と、父・嘉人も。
燃え盛る納屋を前にしても何もできない状態だった。
「と、父さーん! お祖父ちゃん!」
「国明さん……」
泣き叫ぶ国明に、同情の念が芽生える塚井だが。
「ぼ、坊っちゃまも塚井さんたちも! ここにいては煙に巻かれてしまいます、逃げましょう!」
「⁉︎ ……そ、そうですね、早く! お父さんも国明さんも!」
郁美の言葉に、塚井ははっとする。
そうだ、これがもし道尾家で起きたことならば塚井がいち早く誘導したりしなくてはならない立場。
普段そういった立場――執事の職にあるものが、何という体たらくなのか。
塚井は自らを戒め、郁美と共に国明・嘉人を誘導し始める。
「とにかく、一旦敷地外に!」
塚井・郁美はどうにか、彼らを誘導し終える。
「鳥間君!」
「あ、皆さん……」
郁美は声をかけられはっとする。
そこにいたのは、先ほどから敷地外に出て見張っていた塚光家使用人たちだ。
「ど、どうしたんだ!」
「わ、分かりません……き、急に納屋が燃え上がって!」
他の使用人に聞かれるも、郁美もやや取り乱している。
「と、とにかく消防に!」
「そ、それは既に母屋の方で」
と、郁美が母屋を指差したその時。
「⁉︎ は、離れて!」
「うわっ!」
皆が更に、驚いたことに。
何と母屋の一階から火が噴き出したかと思うと、瞬く間に三階建のその建物を焼き尽くさんばかりに広がる。
「そ、そんな……」
「お、母屋まで……」
「う、うわあああ!」
国明はショックのあまりか、その場にへたり込み絶叫する。
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「塚井!」
「塚井!」
「お姉ちゃん、お父さん!」
「塚井さん!」
「塚井さん!」
「……皆さん。」
滝日村の旅館にて。
車にてやって来た大門・実香・妹子・日出美、そして塚井の妹・美梨愛は塚井に出迎えられる形となる。
とりあえず避難する形で、塚井父娘と国明、そして塚光家の使用人たちは現場より遠く燃え移る可能性もないこの旅館に来ていたのである。
先ほども言った通り、消防の到着までは小一時間はかかる。
今は消す術がないのである。
「大丈夫塚井? 火傷してない!」
「お嬢様……私や父、国明さんも……塚光家の使用人の方々も大丈夫です。」
「……よかったあ。よかったよお、塚井……滝日村から大きな煙が見えたもんだから、九衛門君に無理言ってここまで」
妹子が塚井に抱き付き、泣く。
「ご心配ありがとうございます、お嬢様。」
「ああ、皆さん……美梨愛も。すまない、私たちは無事だよ。」
塚井の後ろからは父・嘉人も出て来た。
「ああ、よかった……ん? あれ?」
大門は安堵しつつ、首を傾げる。
塚井の今の話で、無事だという人たち。
その中には大門たちも知っている人が入っていない。
それが誰か、思い出して。
「つ、塚井さん……その、国明さんのお父さん……劉禅さんは」
「ああ、九衛さん……その、劉禅さんと、国明さんの実のお父様・陽太さんが、最初に焼けた納屋の中にいらっしゃったようで……」
「う、嘘!」
「そんな……」
大門の言葉に対する塚井の返答は、他の女性陣たちも動揺させる。
思わず皆、少し離れた所に見える煙を見つめる。
そして返答する間、塚井は旅館の方をチラチラと見る。
その視線の先には、窓から見えるロビーの席で項垂れる国明の姿が。
彼女なりに、一応はお見合い相手である彼を慮っているのだろう。
しかし、何はともあれ。
これで見合いを断わるどころでは、いやそもそもお見合いどころではなくなってしまった。
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「皆さん、落ち着いてください。これより警察の捜査が始まりますので。」
火災発生の翌日。
前日のうちに塚光邸は、どうにか到着した消防により鎮火されたが、母屋と納屋が全焼するという重い結果となった。
そして。
長野県警より刑事たちが到着した。
「西原刑事、関係者は皆この旅館に。」
「はい、ご苦労。」
女性警察官から西原と呼ばれた女性刑事が、自己紹介をする。
「県警の西原と申します。以後、この事件の全指揮は私が執りますのでよろしくお願いします。」
「あ、はい……」
西原は一瞬だが、バッジ型警察手帳を見せる。
その一瞬で見えた名前は、西原李緒と書かれていた。
灰色のパンツスーツに身を包んだ、セミロングの美人だ。
しかし、見事に事務的な口調と表情だった。
「塚光国明さん、ですね?」
「あ、はい。」
西原は国明に近寄り、尋ねる。
国明は力無く答える。
「母屋からは誰も犠牲者が出ませんでしたが……納屋から、男性の焼死体が。」
「ま、まさか父が……!」
国明は西原の言葉に、慄く。
尤も、父というのが養子縁組した祖父・劉禅なのか。
それとも実父のことなのかは分からなかった。
「あなたに、DNAサンプルの提供を求めます。」
「な……ぼ、僕を疑っているんですか⁉︎」
西原の言葉に、国明は尚も慄く。
「待って下さい! 国明さんは納屋からの出火当時、私や父と一緒にいました。そこの塚光家のメイドさん、鳥間さんもそれは証言してくれるはずです。」
「あ、はい! 坊っちゃまは確かにアリバイが。」
「真尋さん、鳥間さん……」
塚井父娘と郁美は、国明を庇う。
しかし、西原は。
「いいえ、犯人と思われるDNA片は見つかっていません。提供を求めるのは……被害者のDNA鑑定のためです。」
「……え?」
その言葉に、国明は首を傾げる。
「非常に申し上げにくいのですが……納屋から見つかった遺体は、ひどく損傷しています。焼け落ちた梁によって、歯型なども潰されてしまうほどに。」
「そ、そんな……」
国明はその場にしゃがみ込む。
いや、慄いているのは国明だけではない。
大門たち、その場にいる全員もだ。
西原の話から想像した、遺体の状態は。
察するに余りあるものだった。
「……ただ、あの納屋に使われていました石綿が、偶然にも天井裏から降り注いで遺体の一部を覆ったようで。そこからDNA鑑定ができそうでしたので、今こうして親族の方よりサンプル提供をお願いしている次第です。」
「……はい。」
西原の続けての説明に、国明は力無く立ち上がる。
国明はそのまま、口裏の粘膜の細胞片をサンプルとして提供した。
石綿、所謂アスベスト。
便利な鉱物としてかつて珍重されていたそれは、発ガン性が知られたことにより一転して回収対象になったが。
今回はその耐火性により、偶然にも遺体鑑定の手かがりを残してくれたのである。
「……ありがとうございました。」
「……呪いだ、26年前の!」
しかし、その瞬間。
旅館に集まっていた村人の一人・比賀祐司は叫びを上げる。
「ちょっと、祐司!」
「警察の前なんだよ?」
祐司を嗜めるのは、村に住む主婦たち。
芳賀麻里・大和紀子・久住奈々。
彼らと祐司、そして国明の母で故人の潮音は幼なじみ同士なのだという。
彼女たちが今言ったように、祐司の台詞を咎めたのは。
警察の前で余計なことを言うべきではないということ、そして何より、国明の前だからだろう。
「26年前の事件ですか……それについて、それから今アリバイが確認された方々以外はまだアリバイ確認等ありますので、この旅館の一室で行わせていただきます。」
「あ、はい……」
未だ項垂れている祐司に代わり、麻里らが西原に答える。
◆◇
「ふう、長い取り調べだったね……」
滝日村からの帰り。
塚井父娘の車と大門が他の女性陣を乗せた車が並走している。
大門の運転する車の中で実香は、ため息を吐く。
「まあ実香ちゃん、結局私たちのアリバイは立証された訳だし。」
「まあそうなんだけどね……」
美梨愛が実香に付け加える。
「でも大門、一体あの納屋の遺体って誰なんだろ?」
「……」
「? ちょっと、ひーろー」
「こおら、日出美ちゃん!」
反応がない大門に、日出美は叫ぼうとするが。
実香に止められる。
「ドライバーさん驚かしたら、場合によっちゃあ皆死んじゃうよ?」
「あ、ごめんなさい……」
実香はにこりとしながら、日出美を窘める。
日出美の言う通り、まだ遺体の身元は鑑定中だ。
明日には結果が出るらしい。
「九衛門君、どうしたんだろ?」
「ま、いつものことだよ!」
首を傾げた妹子に対し、実香はフォローの言葉をかける。
大門は運転に集中しつつも、何かを考えているようだった。
◆◇
「じゃあ、まだ国明さんにはお断りできていないのね?」
「はい、お嬢様。」
その日の夜。
塚井家の風呂にて。
浴槽に身体をつけて向き合いつつ、塚井・妹子は話し合う。
風呂場ならば、いろいろと積もる話もできるだろうと妹子自身が提案してのことである。
「お嬢様、でも……今の国明さんを見ていると、お断りするどころではなくて……」
「うん、そうね……」
項垂れつつの塚井の言葉に、妹子も感じ入る。
しかし、次の瞬間には。
「はっ!」
「ん! ……お、お嬢様?」
妹子が不意に、浴槽の水面の直上で合掌し。
それにより発射した水鉄砲を、塚井にお見舞いする。
「まあ、大丈夫よ塚井! こんな事件は、きっと九衛門君がパパッと解決してくれるし! だから、元気出しなさいって、ね?」
「お嬢様……」
妹子の言葉に、塚井ははっとする。
「それに……早く愛しの、実香さんの元に戻らないとでしょ!」
「はは……まったく、お嬢様は。」
相変わらずの勘違いに、塚井は呆れる。
しかし、気持ちは大分和らいだ。
そうだ、きっと大門が――
「ところで……塚井い?」
「はい?」
「……中々のお餅じゃない? 服の上からはこんな風に見えなかったのにい!」
「ちょ、お嬢様止めてくださ……いやあああ!」
妹子は突然、塚井のそれをワシワシし出す。
自分にはそこら辺に、まったくボリュームがないための嫉妬だろうか。
さておき。
塚井は思わず、嬌声を上げる。
上げつつ塚井は、今の状況を憂いていた。
風呂場でこんな風に騒げば両親に、実香たちに。
そして何より。
大門に聞かれてしまう――
◆◇
「あっちゃー、これは……」
「塚井、またやられてるねえ♡」
やはりと言うべきかこの声は、家中に響いていた。
「またって……いつもなんですか?」
「いやあ、塚井は着痩せするタイプだからさあ……風呂場でショックのあまりワシワシする娘が多くて。」
「な、なるほど……」
聞きつつ日出美は、実香のそれをちらりと見る。
ううむ、やはり自分の完敗だ。
まあ、まだ13歳なので仕方ないが。
しかし友達がお餅だと、自分もそうなるものなのだろうか。
「み、実香さん……私たち、友達になりません?」
「え! やだ、なんか嬉しい♡」
日出美は、さほど効果もなさそうな手を試そうとしていた。
「こおら、真尋お。はしたないでしょう、お客様がいるのに。」
塚井母は風呂に、そっと呼びかける。
「お姉ちゃん、次は私もだからね!」
「こら、美梨愛!」
塚井母は下の娘も、嗜める。
塚井父はすっかり慣れているのか、涼しい顔で晩酌をしていた。
◆◇
一方、塚井の最大の懸念材料であった大門はというと。
「納屋で見つかった遺体……それが養父であり祖父の劉禅さんか、実父の陽太さんか、か……」
大門個人用に用意された客間で、事件の思索に浸っており風呂場の喧騒などまるで聞こえていなかった。
さておき。
「塚井さんの話によると、敷地外から屋敷を見張っていた使用人の人たちは、命令でそうしていたらしいな……」
大門は考えを進める。
使用人全員を、まるで巻き込むまいと言わんばかりに予め外に出した。
つまり命令した人物が、犯人ということだ。
「それなら……」
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「鑑定の結果……あの遺体は国明さんの実のお父様・陽太さんと判明しました。尚死因も、焼死ではなく心臓を一突きにされた刺殺と判明しています。」
「そ、そんな……」
国明はその場に、へたり込む。
火災の翌々日。
改めて滝日村を訪れた長野県警捜査班は、再び旅館に事件関係者を集めて話をしていた。
その話をするのは勿論、指揮権のある西原刑事だ。
「じ、じゃあ劉禅さんは……」
「……塚光劉禅は、陽太さん殺害容疑と放火容疑で指名手配します。」
「⁉︎」
これにはその場にいた皆が驚く。
大門を除いて。
結局、大門が昨日のうちに考えた通りだったのだが。
どうも、何かが引っかかる。
「……村に元よりお住まいの方も、外から来られた人も含めて、関係者は全員この村もしくは、その近辺にいて下さい。我々の捜査が終了するまでは。」
西原は最後に、そう言った。
ひとまず、旅館からは全員撤収だ。
◆◇
「何だろう、鳥間さんが御用って。」
塚井は首を傾げながら、滝日村の山中を歩く。
指定された場所は、ここだったか。
旅館から撤収する際、受付で言伝があるからと呼び止められたのだ。
それが、郁美からの呼び出しだった。
「何でこんな所に……ん!」
しかし次の瞬間、塚井は何か薬品を後ろから嗅がされ。
気が遠くなる。
◆◇
「塚井さん、塚井さん!」
「ん……?」
どれほど時間が経ったか、塚井は目を覚ます。
手は、縛られているようだ。
周りを見渡せば、そこはどこかの蔵の中のような。
「私は……?」
「よかった……目を覚ましましたか。」
「え……こ、九衛さん!」
塚井は自分を起こしてくれた声の主を見て、思わず赤面する。
そこには、同じく縛られている大門の姿が。




