影清め
「皆さん、落ち着いて下さい! 県警の八幡と申します。以後、私がこの事件の全指揮を取らせていただきますので。」
菖蒲郷に到着した岡山県警刑事・八幡雄英は真顔でそう話す。
若く見えるが、この現場指揮を任されるほどだからそれなりに優秀なのだろう。
「遺体の第一発見者は、あなたですか?」
「あ、はい。僕です。」
大門もまた、淡白に八幡に答える。
この菖蒲郷に来て2日目の夜。
祭りである影清めに参加したのだが、そのさなか三名家の一つ・小野屋家の主人である小野屋慎の遺体が発見される。
大門はその第1発見者として、今取り調べを受けていた。
そして、その遺体は――
「ふうむ、鑑識の報告によれば……胸の激しく搔きむしったような傷と両腕の爪の間に入り込んでいる皮膚組織や多量の血……被害者は自殺か?」
八幡は淡々と言う。
確かにこの遺体は、一見するとそう見えるが――
「いや、でも……例えば別の方法で殺害した後でこの胸の掻き傷を付けたとか、あるいは麻酔薬か何かで眠らせた後で被害者の腕を取り、掻きむしらせたとかではないですか?」
「はははっ! うん、やはり素人の浅知恵ですな!」
大門の推理を聞き、八幡は大笑いする。
「遺体からは麻酔薬のようなものも検出されず、他に外傷もないと来ている。これはやはり、自殺としか思えないねえ!」
「なるほど……」
八幡の言葉使いはさておき、その内容に大門は納得する。
たしかに状況からして、自殺と考えられるだろう。
しかし。
「じゃあ、動機は何ですかね? この村を盛り立ててきた三名家の主人が自殺なんて。」
「ん! ま、まあそれは……これから調べる。以上! ご苦労様!」
大門の言葉に八幡は、席を立つ。
大門は、先ほどの八幡の見解は仕方なしと思いつつも、やはり違和感は感じていた。
何より、引っかかるのは。
「激辛草……何のことなんだ?」
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
「激辛草ですか……それは、この村に伝わる植物です。何でも、暗闇様の怒りによって生じるのだとか。」
取り調べを終えた大門が質問した相手は、また例によって陣だ。
質問は、小野屋の遺体が発見された時霧谷が口走った"激辛草"というワードである。
「なるほど……でもそれがこの小野屋さんの死と何の関係が?」
「……その激辛草の、効能だと思います。」
大門が更に質問すると、陣は声を潜める。
「効能?」
「その草の実から抽出された汁を摂取した者は、立ち所に激しい痒みを催し……そのまま胸を搔きむしって死に至ると言います。」
「なっ!?」
大門はその言葉に、息を呑む。
激しく辛い草――なるほど、それで激辛草か。
いや、息を呑んだのは大門ばかりではない。
「つ、塚井い!」
「ご、ご安心くださいお嬢様! そんな草は聞いたこともありませんし。」
「うう……怖い。」
「わ、私は別に平気なんだからね!」
ちゃっかりと言うべきか、女性陣もこの話に同席していた。
「皆さん、本当に今更なんですが……会社や学校は?」
「忌引き♡」
「自主休講!」
「自主休講!」
「……いやいや。」
大門は実香・妹子・日出美に突っ込む。
「まず、実香さん。……今葬式に行ってらっしゃらない時点で、何の忌引きでもありませんよね?」
「うん、そうだね♡ まあ遠い親戚のおじさん、勝手に殺しちゃったけど!」
「もう……実香!」
塚井は呆れる。
実香はたまにこの方法で有給を取る。
要するに、親戚の何人かを勝手に殺しているということ。
ある意味あんたが連続殺人犯でしょ、と突っ込みたいのを塚井はこらえた。
「いやいや、安心して! 別に塚井を勝手に殺しはしないし♡」
「……はーあーあ!」
輪をかけて塚井は呆れる。
さておき。
「ええと、遣隋使さんは授業をサボって……日出美! 君は自主休講はないだろ!」
「……冗談。まだ学校混乱してて、休校してるの。」
「ほ、本当です九衛さん!」
大門のツッコミというより、叱責に近い声に日出美はびくりとしながら言う。
塚井はそんな彼女を哀れんでか釈明する。
「……まあ、いいよそれなら。」
「ありがとうございます! しかし、お嬢様はやはり感心しませんね。」
「まあ……ほっといてよ塚井!」
矛を収めた大門に塚井はほっとし、主人を咎める。
まあ、今回は実香も褒められたものではないのだが。
「えっと……九衛さん?」
「あっ、すみません! ……なるほど、そんな花がありましたか……」
うっかり陣をおざなりにしてしまったことに気づいた大門ははっとし、詫びる。
しかし、これであの霧谷の言葉に合点がいった。
なるほど、これは暗闇様の祟りだと思ったわけだ。
「さて、大門君? そろそろ白状しないかなあ〜!」
「うわっ、実香さん! わ、脇腹はこそばゆいのでやめてください!」
突然の攻撃に、大門は面食らい身体を横に曲げる。
「そうね、九衛門君! さあ白状なさい!」
「まあた女を引き込んだそうじゃない? 国際弁護士の若い女を!」
「う、うわあ! や、やめてえ!」
実香の攻撃している左脇腹のみならず、右脇腹を妹子が、正面を日出美が攻撃する。
「い、言いますからやめてください! そ、その人は」
「それはもしや、娘のことですか?」
「? 娘?」
言いかけた大門を遮り、陣が口を挟む。
「はい、娘の麻保は国際弁護士です。私はその父です。」
「へ、へえ……じゃ、じゃあ弁護士先生! そのお嬢さんはどちら?」
陣に向かい、日出美が尋ねつつ周りを見る。
それらしい女性は見当たらないが。
「いやいや、娘は今も海外を飛び回っていますよ?」
「えっ、そんな!? だって」
「いや、日出美さん。……もしや」
驚く日出美――及び女性陣を塚井が制する。
そういえば思い出した。
このことを教えてくれたあの老人。
その言葉を。
「"その依頼主はしかも……確か、陣とかいう、若くして国際弁護士の資格を取ったという才女"……ってあのお爺さんはおっしゃっていましたけど……それってまだ話の途中だったのでは?」
「あっ……!」
女性陣ははっとする。
陣――目の前の、この初老の男性。
もしや。
「若くして国際弁護士の資格を取ったという才女、の父親と言いたかったのでは?」
「……ああー!!!」
謎は解けた。
そう、目の前の初老の男性の名は、陣真司。
若くして国際弁護士の資格を取ったという才女・陣麻保の父である。
彼自身も弁護士には違いないが、あくまで日本限定の弁護士である。
「かあー! おのれ、あのお爺さんめえ!」
「今度出会ったら、パフェ奢らせてやるう!」
「いや、それは……」
塚井は、阿鼻叫喚の日出美・妹子を冷めた目で見る。
それはどちらかといえば、早とちりしたあなたたちの問題では?
「えっと……すみません、話が見えないんですけど?」
「あ、すみません……九衛さんはご存知なくて結構です!」
「はあ……」
大門は訳が分からず、ただ女性陣を傍観するより他なし。
「ええと……九衛さん。」
「あ、またすみません! ははは、なるほど……どうやら霧谷さんは、あの小野屋さんの"自殺"は暗闇様の祟りではないかと考えているみたいです。」
「な、なるほど!」
陣も納得の表情である。
やはり彼も、霧谷の言葉が気にはなっていたらしい。
「……しかし、もしそんな草があるとしたら、検死でその効能がありそうな成分が出てきそうですが。」
大門はそこで、また疑問符をつける。
成分が残らないとしたら、それこそ神秘の草かもしれないが。
「九衛さんは……どう思っていらっしゃるんですか?」
陣は尋ねる。
「はい、今のところ……自殺ですかね。」
「そうですか……」
大門はそう返事するしかなかった。
無論、まだ違和感は抱えていたが、その正体が突き止められないのだ。
「ひとまず、九衛さん! ……陣さんも、もう鉈倉のお屋敷に戻られてはいかがでしょうか? 私はお嬢様たちを、宿泊している民宿に送りますから。」
「あ、そうですね……それじゃあ陣さん、戻りましょうか。」
「そうですね。」
塚井の提案に、大門も陣も頷く。
「あたし、いちごがいいなー!」
「いやいや、チョコでしょ!」
「モンブラン!」
「はいはい、さあ行きましょう?」
女性陣は件の老人に奢ってもらうパフェを選んでいるようだ。
まさに、捕らぬ狸の皮算用。
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
「ああ、聞いたぜ? 小野屋のジジイ死んだって! まったく、自殺なんてなあ。」
「ぼっ、坊っちゃま!」
鉈倉の屋敷の隣にある、離れにて。
屋敷に帰るなり、陣が早信に警察が来なかったかと質問しこの返答が返ってきた。
やはり、来ていたか。
「しっかし、もしかしたら本当に暗闇様の祟りかもしれないぜ? ……もしかしたら、あの女が災いを運んで来たのかもな!」
「坊っちゃま! ご自分の姉上を!」
さすがにこの早信の言葉は、使用人頭ミイ子も咎める。
「へん、何が姉貴だ! あの魎子とかいう女が来て次の日にこれだぜ? 火のないところに煙は立たぬだろ?」
「おやめください!」
「早信さん。」
「あ?」
早信に対し大門が、声を上げる。
「小野屋さんは自殺です。大した根拠もなしに、仮にもお姉さんをそんな風に言うのはやめた方がいいです。品位を疑われますよ?」
「……ふん! 司法修習生ごときが!」
「坊っちゃま!」
大門にも反論しようとする早信を、ミイ子がついに叱る。
「……へん! 皆してあんな胡散臭い女の肩持ちやがって、今に見とけ! きっと今度は、殺しが起こるぜ?」
拗ねた早信は、勢いよくドアを閉める。
「……申し訳ございません! 私の方からきつく言っておきますので!」
「いやいや、そんな。僕も少し言い過ぎましたし。」
謝るミイ子を、大門が宥める。
◆◇
「あっ、お帰りなさいませ陣様、九衛様!」
屋敷に入り廊下を歩く陣と大門を見つけるなり、美弥は挨拶する。
「あの、鹿波さん」
「あ、大丈夫です! お嬢様なら」
「……離れの声、魎子さんに聞こえてたんですね?」
大門の言葉を先取りしてしまったことで、逆に美弥はボロを出してしまった。
「……すみません、嘘なんて。」
「いえいえ! そんな、ただ……魎子さんは?」
「今は眠っておられます。……口では、大丈夫とおっしゃっていたんですけど。」
言いつつ美弥は、涙声になっている。
「……これ、どうぞ。」
「! ご、ごめんなさい……お優しいんですね。」
「あ、いやいや……そんな。」
ハンカチを渡した大門に、美弥は顔を赤らめて感謝する。
「鹿波さん、どうしたの?」
「あ、すみません……先ほどお嬢様の寝床のお世話を。ちょっと、色々ありまして……」
菫がやって来て、美弥を心配する。
美弥はまだ、涙声になる。
「鹿波さん。私も坊っちゃまの声は聞いた。……気持ちは分かるけど、お客様の御前。」
「はい、すみません……」
「もういいから、あなたは部屋に戻って休みなさい。」
「……はい。九衛さん、ありがとうございます。」
「あ、いやいや……」
ハンカチを返し、美弥はその場を後にする。
「すみません、身内の恥を晒してしまって。」
「いやいや! 陣先生も、気にしてないですよね?」
「あ、ああ勿論。」
今度は菫から謝られてしまった。
宥めながら大門は、つくづく早信という男は所謂黒い羊なのだと思っていた。
しかし、その翌朝のことである。
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
「た、大変です! き、霧谷様が!」
「……えっ!? な、何ですって!」
朝早くミイ子が騒いで、客である大門たちを起こしてしまう。
しかし、そんなことを気にする人は誰もいなかった。
「……霧谷さん。」
現場となった河原に来た大門は、歯ぎしりする。
――きっと今度は、殺しが起こるぜ?
前日のその早信の言葉を実現したかのように、そこには仰向けで杭を刺され塩を撒かれた霧谷の遺体が横たわっていたのである。




