激辛草
「暗闇様の、お通りなーりー。暗闇様の、お通りなーりー……」
「おお、またお見かけしましたね。」
「ええ、今日が祭の初日ですからね。」
菖蒲郷の畦道を歩く大門と陣は、前日に見かけた暗闇神社神主の行列に遭遇する。
菖蒲郷に来て2日目。
陣と大門はこの村に来た目的である、名家・鉈倉家の遺書発表は昨日果たしている。
しかし、それによる鉈倉家――専ら、その前当主の孫・早信の様子を見るに、やはりこれからもただ事では済まないのではないか。
大門はそう感じ、もう少しこの村に留まることにした。
「あ、九衛さん着きましたよ。」
「ここですか。……暗闇神社っていうのは。」
大門は目の前の、大きな鳥居を見上げる。
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「大丈夫ですか? 陣さん。」
「あ、すみません九衛さん……はあ、はあ。」
石段を登りきると、暗闇神社の社が姿を現した。
社の両脇は、典型的な神社と同じく阿吽の狛犬に固められている。
「ここが暗闇神社の社――表裏堂と呼ばれているそうです。」
「表裏堂……ですか?」
大門は首を傾げる。
表裏。表と裏か。
何のことだろう?
しかし、大門がその疑問を口にする前に。
「さあ行きましょうか。」
「あ、じ、陣さん! 勝手に入っていいんですか?」
陣のすたすたと歩く様が今にも堂に入ろうとするように見えたので、大門は慌てて止める。
「いやいや、何も堂に入ろうというのでは。ただ、一つお見せしたいものがありまして。」
「僕に見せたいもの、ですか?」
それは何かと、またも尋ねる前に。
陣は堂の賽銭箱に、向かわず。
回れ右をするや、堂の裏側に回り込もうとする。
「え? じ、陣さん!」
説明もなく陣は、不可解に行動している。
まったく、こんな行動をされたら周りの人は振り回されてしまうんだろうなと、大門は普段の自分を棚上げして呆れる。
さておき。
「お見せしたいものというのは、これですよ。」
「え? ……う、うわあ!」
堂の裏側に来た大門は、思わず腰を抜かす。
そこにあるのは先ほどの正面と同じく、賽銭箱だ。
だが、そんなことで驚いたわけではない。
「こ、これは……?」
大門を驚かせたのは、堂の格子状になっている扉から見える絵だ。
そこには。
「こ、これは……夜叉、ですか?」
そこには、牙を剥き恐ろしい形相でこちらを睨む鬼の姿が。
さながらそれは、仏教の鬼神・ヤクシャ――もとい、夜叉の如くである。
「ははは、やはり面白いお方ですね。でも……これは影宿命。もとい、暗闇様ですよ。」
「く、暗闇様……? あれが、ですか……」
大門は驚く。
まさか、一度は村人の影を浄化し救ったといういかにも慈悲深い神様が、こんな鬼神のごとき形相とは。
まあ、神を神で例えるというのもいかがなものかという気もするがさておき。
「ここは堂の裏側。すなわち……暗闇様の裏を表しているそうです。暗闇様は、悪しき者たちにはこうして、鬼のごとき形相を浮かべるといわれていまして。」
「な、なるほど……」
と、いうことは。
今度は大門がそのまま、回れ右をして歩き出す。
「あ、九衛さんどちらへ?」
「いや、こちらが裏ということはもしかしてと思いまして。」
大門は自分の背に問う陣にそう告げると、今度は正面に回る。
あれは暗闇様の裏の顔。ならば――
「……やっぱり裏が鬼神のごとくなら、表はこれ、ということか。」
次に大門は、正面の格子状扉から見える絵を見る。
そこには予想通り、裏の鬼神の顔とは対となる仏のごとき穏やかな顔が。
まあこれまた、神を仏に例えるのはいかがなものかと思われるがさておき。
「はあ、はあ、九衛さん!」
「あ、すみません陣さん! すっかり振り回してしまって。」
先ほど心の中で陣が何も言わずに行動するところを非難していた大門だったが、今度は彼が陣を振り回してしまった。
「はあ、はあ……いえ、そんなことは……」
「おや?」
「はい?」
大門はふと、柱の一つに違和感を覚える。
それは一見すると、ただの柱なのだが。
何か、変だ。
「……? これは……」
「? どうされました?」
違和感の正体に気づいた大門は、柱に手をかける。
「こ、九衛さん!」
「あ、あははは……すみません……」
陣の咎める声に大門は、先ほどまで陣に背を向けていた身体を、陣に対して正面に向けて答える。
「あ、すみません私は」
「あ、いやいやあははは……」
「そこで何をしている?」
「!? あ、神主さん……」
そこに現れたのは。
暗闇神社神主・穂村郁人。
先ほど、大門たちが畦道で遭遇した行列を率いていた初老の男性だ。
陣は知り合いということか。
「す、すみません神主さん! いや、暗闇様のお顔を拝見しに、この司法修習生と。」
「……ほう?」
「あ、九衛大門と言います! 初めまして。」
陣の紹介に預かり、大門は満面の(営業)スマイルを見せ挨拶する。
「うむ。……精々お祈りして帰れ。」
「あ、ありがとうございます……」
神妙な顔でそう言うと、穂村はそのまま堂の脇にあるおみくじ売り場に行く。
「……九衛さん。気をつけてくださいね。」
「ははは、すみません……」
大門は言いつつ、考え事をしていた。
それは、先ほどの表裏堂の柱の件。
違和感の正体は、まるでそこに溶け込むかのように貼られていた木目調のテープだった。
よく見なければ分からないぐらいに精巧な木目だ。
おそらくガムテープの上から絵の具で描いたのだろう。
それを陣にも内緒で一瞬だけ剥がした大門は、素早く貼り直していた。
「(……弘化2年 建立)」
大門は先ほどの光景を、反芻する。
なるほど、その年に建てられたのか。
しかし何故か分からないが、一抹の違和感をまだ感じていた。
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「暗闇様の、お通りなーりー……暗闇様の、お通りなーりー……」
そんなただならぬ気配の漂う中ではあるが。
菖蒲郷の祭り・影清めは開始された。
会場は暗闇神社の周辺である。
典型的な祭りよろしく、そこには露店が立ち並んでいた。
「おお、人が多いですね。」
「ええ。この祭りはこの村の名物ですから、県外からも観光客が訪れるんですよ。」
「ほう、なるほど……」
人混みの中で大門は、陣の案内の元歩いていた。
「おや、陣先生に修習生君!」
「おやおや、小野屋さんに霧谷さん。それに村長もお揃いで。」
陣と大門が会ったのは、あの三名家のうち二つの家の主人。
そして、その二人を引き連れる――というより、腰巾着のようについて来ている現村長・大田正志だ。
「おや、陣先生その方は?」
「あ、ああ。こちら村長の大田さん。」
「初めまして、司法修習生の九衛といいます。」
大門は大田に、挨拶をする。
「あ、これはどうも……大田です。」
大田も恐れ入ったという姿勢で返す。
先ほどの腰巾着のような振る舞いといい、どうも腰の低い人だなあと思う大門であるが。
「おっと、もうこんな時間か。……では村長。私は一度外させてもらいます。」
「え? 小野屋さん、何か御用ですか?」
大田は小野屋の言葉に、首をかしげる。
「いや、ちょっと野暮用で。……ま、村長のスピーチまでには戻りますよ。」
小野屋はそう言うと、その場を離れる。
「何の御用かな、あの人。」
「あの、大田さん。」
「あ、ああすみません……ま、まあごゆっくりと! ははは……」
大田は笑ってごまかすと、霧谷と共に再び人混みに消える。
「おやおや……村長ってお忙しいんですね。」
「ええ、まあ。……村のことに加えて、あの三名家のご機嫌取りもしないといけませんし。」
「……なるほど。」
大門は陣の今の言葉に、一つ合点した。
先ほどの大田の低姿勢は、そういうことか。
いわゆる、傀儡という奴らしい。
さておき。
「ん?」
ふと大門は、視線を感じ振り返る。
が、そこには誰もいない。
「さあ九衛さん、そろそろ影清めの儀式になります! 行きましょう。」
「え? あ、はい。」
先ほどの視線の主が気になったが、大門は構わず陣に付いていく。
さて、この祭りの目玉といえる儀式。
その、内容は。
「さあ、九衛さん。来ましたよ。」
「あ、はい……」
昼間も見た神主・穂村率いる巫女の行列が祭りの客の前で止まる。
そして。
「……その影に宿りし邪悪、今こそ!」
「はっ!」
「え、ええっ?」
突然穂村は叫び、それに応じて巫女たちが列から散開する。
戸惑う大門だが。
「九衛さん! そこから動かないで下さい?」
「あ、はい……」
大門を始めその横一線に並ぶ人たちは、後ろに同じくずらりと並んだ提灯により正面に自らの影がある。
その影に向かって。
「はっ!」
「お、おや?」
巫女たちは一人の影にそれぞれ一本ずつ杭を打ち込む。
そのまま手に提げる袋から塩を一掴みすると、パラパラと影にかけた。
そして巫女はそれぞれ影の前で手を合わせて唱える。
「……清めーたまえー! 清めーたまえー! 清めーたまえー!……」
どのくらい、巫女たちがそう唱えたか。
大門がそんな彼女たちに呆けていてふと我に返って見れば。
祈りを終えた巫女たちは先ほど影に刺した杭を引き抜き、その杭を持ってぞろぞろと、これまた先ほどの通り列を形作る。
「……これにて汝らの影の穢れ、この杭に移されたり! いざ、参らん!」
穂村はそう唱えると、列をなす巫女たちを引き連れて行く。
「え? い、いざ参らんてどこにですか?」
「さあ九衛さん、川です! 最後に穢れを移した杭を流して、穢れを流すんですよ。」
「あ、ああ……はい。」
「さあ早く! 後ろ詰まっちゃっています!」
「う、うわあ!」
陣に促され、大門はよろけながらも先を目指す。
そうして大門が、後ろに先ほど自分の横に一列で並んでいた人たちを引き連れ、穂村率いる巫女の行列を追いかけた先は。
灯篭の流れる、川である。
「……さあさあ、我らが暗闇様よ! ここにあるは影より移されし、邪なる穢れ! 今こそその穢れ……清めーたまえー!」
「清めーたまえー!!!!」
穂村の祈りと共に、再び巫女たちも祈りを唱え始める。
そうして、持つ杭を一斉に川に浮かべて流す。
「清めーたまえー!」
「清めーたまえー!!!!」
穂村と巫女たちは、流れる杭が見えなくなるまで下流の方角を見つめ、ひたすら祈りを捧げ続ける。
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「どうでしたか、九衛さん。影清めの儀式は?」
「あははは、何か凄かったですね。」
陣に感想を求められ、大門は曖昧に答える。
それよりも、先ほどの視線の主が気になったが――
しかしその主、いや正確には主たちはすぐに判明する。
「ひーろーと!」
「痛っ! ……ひ、日出美に、遣隋使さんに実香さん! それに塚井さんも!」
「九衛門君、ご無沙汰ね。」
「たのもう、大門君♡」
「すみません、また大勢で押しかけて……」
女性陣がそこにいた。
「さあて、大門! あることないこと白状してもらうから!」
「いや、あることだけにしてくれよ……」
「そうね九衛門君! 国際弁護士の才女ってのは誰?」
「え、ああ……それなら」
言おうとした刹那だった。
「お、おいあれは……あれは何だ!?」
「あ、あれは……?」
「き、きゃああ!」
突然祭りの客たちが、上流の河原を見て悲鳴を上げる。
灯篭に照らされた、河原に倒れていたものは――
「!? あ、あれは遺体!」
大門も声を上げ、河原の方へ走る。
それは、まだ暗く顔こそはっきりしないが。
胸から大量の血を流した遺体。
そして河原に着いた大門が、遺体の顔を見ると。
「!? お、小野屋さん!」
驚く。
三名家の主人が一人・小野屋だったのだ。
「げ、激辛草だ! 激辛草にやられたんだ! た、祟りだ!」
「!? き、霧谷さん。」
急に後ろから上がった叫び声に驚いて見れば。
そこには、霧谷の姿が。
激辛草――
大門は遺体を前に考え込む。
それは一体、何なのか。




