夢の屋敷
「ここの森、結構深いですね。」
「ええ、妹子様のお父様のご意向で、都会からは大きく外れた所に造られてますから。」
車の後部座席で、塚井は大門に説明する。
道尾家が手配した車に乗り、塚井・妹子・大門は件の別荘を目指していた。
あの訪問の後、具体的に日取りを決め三人はここを訪れた。
「しかし……この辺の土地を全て持っているなんて、道尾家の財力はやっぱりすごいですね!」
「それは……ありがとうございます。」
「そうね。……まあ、お金だけはあるから。」
大門の感想に対し返ってくる二人の言葉はどうも、素っ気ない。
ここから大門は、ある察しをしていた。
それはここでは、さておき。
長い森の中の道路を抜け、別荘が見えた。
「おお……! コテージかと思っていましたが、これは……」
大門はまたも、驚く。
別荘という単語からついついコテージを連想していたが、森の中の別荘はまるで小さな城のような、所々塔状の屋根を備えた建物だった。
「ははは……まったく、驚いてばかりですね九衛さんは。」
「すみません……騒がしくて。」
「いいのよ……昔の私の趣味に合わせて、父がプレゼントしてくれたんだけど。今となっては、まったく趣味が合わなくなっちゃって。」
「おやおや……それは。」
妹子の言葉はまたも、素っ気ない。
やはり妹子は、あまり実家に好印象を抱いていないようだ。大門は確信していた。
まあ、良家によくあることは、大門も分からなくはなかった。それは、彼自身の実体験でもあるからだ。
そうこうするうち、ようやく別荘の前に着く。
「お帰りなさいませ、お嬢様!」
「ああ、いいって! もう、執事喫茶じゃないんだから。」
一糸乱れぬ統率の取れたお辞儀で出迎える使用人たちに、妹子はバツが悪そうに接する。
うむ、これは執事喫茶ではない。
本物だ。
「それより……この方が、話していたお客様。私の友達の」
「はじめまして。"近衛大"と言います。よろしくお願いします。」
「いらっしゃいませ、お客様!」
紹介された大門を、使用人たちは再び一糸乱れぬ統率の取れたお辞儀で出迎える。
今言ったのは無論、偽名だ。
「おやおや、これは僕には勿体ない程に丁寧なお出迎えで。」
"近衛大"は愛想笑い一一には見えない自然な笑顔を浮かべて先ほどまで乗っていた車の前に立つ。
と、その時である。
「ふうん……妹子さんも女の子らしい所あるんだ。」
「!? ひ、日出美!」
大門は腰を抜かす。
なんと、車のトランクに日出美が紛れていた。
「ん? 何か言った九衛門君。」
「い、いえ! 何でもありません!」
大門は慌てて取り繕う。
まさか、乗ってきていたとは。
「ひ、ひとまず! お前はそこで大人しく! な!」
「ええ〜……はいはい。」
日出美は不満げに、トランクを閉める。
一安心、といった所か。
やがて別荘の、一室へと通された。
「ここは」
「私の部屋。」
「えっ!」
事も無げに言う妹子に、大門は驚く。
いきなりかい。
「ああ、ご安心ください! お嬢様の寝るスペースとはパーティションで区切られていますから。さあどうぞ、こちらへ。」
「ああ……どうも。」
いや、そういう問題ではないだろう。
「いやあ、いきなりご自分の部屋に通してくれるなんて、驚きました!」
いっそ、突っ込んでみる。
「え!? ……あ、ああ、こ、ここは完全に私のテリトリーだから、誰にも会話が聞かれないでしょ?」
「な、なるほど……」
妹子も事の大胆さが分かっていなかったらしく、大門の言葉に慌てて取り繕う。
しかし、自室にいきなり通してもらった理由がそれならば、まだ納得がいくか。
「お嬢様……」
塚井はまた、主人がいじらしくなる。
これもまた、アプローチの一つである。
そして、それがあの朴念仁探偵に伝わっていないとなればなおさら。
「しかし……至れり尽くせりですね。あんなに多くの使用人を。」
「使用人だけじゃなく、SPもですって。こんな一年中使う訳じゃない屋敷に、大げさなことよね。」
「まあ、事情も事情ですし。」
塚井の言葉に妹子は、黙り込む。
「しかし……テーブルが穴だらけだっただけとはいえ、遣隋使さんの目撃情報もあることですし、器物損壊で警察に届け出ることもできたのでは?」
「はい、それは」
「いいわ、塚井。……父の意向よ。この道尾家で、事件などあってはならないって。……いわゆる、事なかれ主義って奴ね。」
「……なるほど。」
大門は頷く。
なるほど、良家あるあると言える。
それで、せめて警備だけでも強化しようということか。
「ごめんなさい、九衛門君。あなたには偽名なんか用意させちゃって。」
「いえいえ! これは元からあったものですよ。潜入調査はザラですから。」
「お待たせしました、お茶です。」
二人が話す間に、塚井が紅茶を入れていた。
「ありがとう塚井。さあ、粗茶ですけど。」
「あ、ありがとうございます。」
二人は向かい合いつつ、互いに茶を飲む。
「そうだ、このお屋敷広いから、案内して差し上げないとね。塚井、案内してくるわ。」
「え? い、いえお嬢様! それなら私が」
「いいの。動いていないと気が滅入ってきてしまって。」
「は、はい……」
主人の心を慮る塚井だが、そう言われてはこれ以上動きようがない。
「そういうことなら……是非、案内をお願いできますか? そろそろ、泊まらせて頂く部屋にも行きたくて。」
「いいわ、ついて来て。」
そういうと妹子は、先んじて部屋を出る。
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
「そっちが使用人の部屋で、こっちが」
「うわあ、本当に広いんですね。」
妹子に先導されて回るうち、大門も屋敷の広さ複雑さを実感する。
これなら、少しでも迷えばすぐ迷子だ。
「比島さん、このダンボールはこの部屋でいいですか?」
「ああ大地君、そんなに一度に運んで大丈夫かい? あ、お嬢様! これはこれは」
比島と呼ばれた男は、妹子を見るなり頭を下げる。
大地と呼ばれた使用人も、ダンボールを二つを片腕ずつで持ち上げながら頭を下げる。
「ああ、ご機嫌よう比島さん! 今お忙しいのにそんな畏まらなくても……ああ、大地さんはそんな体勢で大変でしょ? そんな」
「大丈夫、ムッキムキですから!」
大地は、腕がどちらも塞がっている状態でありながら二の腕の力こぶを両腕ともくいっと動かして見せる。
「あ、あははは……相変わらずね。」
「あははは、お嬢様も相変わらずお美しい。」
「い、いやだ……もう、そんな!」
大地と妹子は、微笑ましく会話する。
「こらこら大地君。お嬢様が困っていらっしゃるだろ。おや? お嬢様、そちらはもしや」
「あ、この人は」
「近衛大と申します。」
大門は自己紹介をする。
「はっ! お嬢様から伺っております。只今お部屋を用意しておりますので」
「それはそれは、ありがとうこざいます。」
「任せてください、今百万馬力で!」
大地は俄然画期づき、仕事の手を更に早める。
「……すごいですね。」
「どっちもよく働いてくれてるわ。さあ、行きましょう。」
「あ、はい。」
妹子が先導してくれている。
大門も、慌ててついていく。
「やめてください!」
「何だ、待て!」
声がする。
見ると、大門と妹子の眼前の部屋から服の着崩れた女性が飛び出し、逃げて行く。
「まったく、私を馬鹿にする気か!」
部屋から遅れて出てきた壮年男性が、鼻息を荒くしている。
「!? ちょっと、八郎さん!」
妹子が叫ぶ。
八郎が驚いた様子で、こちらを振り返る。
「あ、ああ……は、ははは」
八郎はバツが悪そうに笑い返すと、それ以外は一言も話さずにすたすたと歩いて行ってしまった。
「えっと……」
「ごめんなさい、あの人は……ちょっと紹介するのもお恥ずかしい人で」
「ああ、いいですよ。そんな」
妹子は本当に恥ずかしそうに、顔を手で覆っている。
その時である。
「HEY、マイコちゃん? 久しぶり!」
「? あ、ノブ長君!」
少し思いつめていた妹子の顔が、ぱっと晴れる。
「あれ、もしかして彼氏さんですか?」
「!? ち、違うわよ! 従兄弟よ、イトコ!」
「え、えへへ……彼氏なんて!」
大門にからかわれ、妹子と"ノブ長"と呼ばれた青年は同じく顔を赤くする。
「従兄弟さん、ですか。」
大門は"ノブ長"を、まじまじと見る。
「マイコちゃん、heは?」
「あ、ああごめんなさい。彼は私の友達のここ……あっ」
「え? ここ?」
「ああ、すみません。申し遅れました。私、近衛大と言います。妹子さんの友人で。」
「へ、へい……nice to meet you☆」
危うく九衛、と出かかった妹子を遮り、大門は自ら自己紹介する。
「ええっと、ノブ長、さん……?」
大門は首をかしげる。
おそらくアングロサクソン系のハーフなのだろうが、日本人的顔立ちと西洋人的顔立ちの二つのタイプのうち、明らかに後者だ。
とてもではないが、信長というイメージではない。
「ああ、ごめんなさい。父の妹がイギリスの貴族家に嫁いでて、その息子。名前は」
「ノブリス・ビショップ・道尾・オーヴォだ、よろしいく!」
「へ、へえ……それはそれは」
ノブ長、いやノブリスから握手を求められ、大門は応じる。
なるほど、それでノブ長か。
「でも、なんで?」
「おいおい、元々僕らは日英を行き来して生活しているんだ。いたって不思議じゃないだろ?」
妹子の言葉に、ノブリスが事も無げに言う。
「それよりマイコ、大丈夫なのかい? 大変だったろう。」
「ああ……ごめん。ノブ長君にも心配かけちゃって。」
例の仮面の人物騒ぎは、既にノブリスの耳にも入っていたようだ。
それでも泊まりに来ているあたり、やはり聞いていた通り道尾家の事なかれ主義故か。
「まあ、大丈夫だよ! いざとなれば僕もいるんだから、マイコ!」
そう言うと、ノブリスは妹子に投げキスをして立ち去る。
「……愉快な方ですね。」
「まあね。」
「でも、あれイギリス人ていうよりアメリカ人らしいテンションですけど。」
「まあ、あの子の父はアメリカ育ちだったからね。」
なるほど、合点した。