それは夢ではない?
「へえ、駅前のカフェも経営を。」
「ええ、探偵稼業の方は一回の報酬を高く頂いている分、月に入る件数は少ないですから。」
茶を飲みながら大門と妹子は談笑する。
そうして、これはもう妹子は完全に落ち着いたなと見えた所で。
「……では、お聞きします。今日はどういった御用向きで?」
大門は折にふれ、妹子に尋ねる。
「ああ……そうよね。」
妹子は居住まいを正し、大門の方を向く。
妹子は、資産家である道尾家の娘で、将来はジャーナリストを目指す女子大生だという。
そんな彼女が、不可解な事件に遭遇したのは。
「うちが持っている、別荘でなんだけど……」
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時は、少しばかり前。
別荘は軽井沢にあり、無論長期休暇時にもよく利用するのだが、アルバイトで書いている雑誌のコラムや大学の課題レポートなどを書く際、集中するためにもよくカン詰め目的で利用している。
「その時はちょうど、美術誌に関するコラムの執筆で滞在していて」
不可思議な目に遭ったのは、その夜のことだった。
「気がついたら寝てしまっていて、夢を見たの。私は廊下に立っていて、その右手にドアがあって……」
何やら開きかけていたので中をそっと覗いた。
すると一一
「……中には恐ろしい仮面をつけた人が立っていて、髪を振り乱しながら誰かに馬乗りになってナイフを刺していて……私は怖さのあまり思わず声を上げてしまったの。そしたら……」
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「お嬢様!」
妹子がパニックを起こしかける。
が、塚井が行くまでもなく。
一番近くにいる大門が、妹子の身体を自分に預けさせる。
「まあ、ご無理をなさらず。……少し過呼吸を起こしかけていますね。両手で口元を覆って、ゆっくり息を吐いてください。」
「は、はー、はー……ごめんなさい、私ったら」
「いえ、お客様。……よほど、お辛い思いだったのですね。」
妹子はゆっくりと、頭を縦に振る。
大門は背中をさすりながら、尚も妹子を落ち着かせる。
「す、すごい……」
塚井はすっかり感心していた。
先ほどに続き、今回は医師のような手際で妹子を落ち着かせている。
やがて妹子は、落ち着きを取り戻した。
「ありがとう。」
「いえ、何よりです。」
「九衛さん。すみません、主人に代わり、続きは私が。」
塚井が、ゆっくりと前に出る。
「ありがとう、塚井。」
「いえ、お嬢様。」
「では、執事さん。……お聞かせ願えますか?」
「……はい。」
塚井は妹子に配慮し、大門に耳打ちで伝える。
その、仮面をつけた人を見たという事実は極めて恐ろしいものだったが、朝になると自室で寝ていたため夢だと思ったという。
しかし、その朝に騒ぎは起こった。
「別荘の一室で、穴だらけの机と仮面が見つかったのです。ただ、お嬢様が見た光景とは違い、誰も別荘に勤める使用人の中で死んだ人はいなかったようなんですが……」
それでも、恐らく夢ではなかった。
あるいは、予知夢を見ていた。
妹子はそれ以来、パニックを度々起こすなど、日常生活に少なからず支障をきたすようになったという。
「お願いします! あれからまだ何も起きていませんが、これから先きっと大変なことになります……!」
「なるほど……それでここに?」
「……頼れるのは、あなたしかいません。私が友人づてに、こういった事件の専門家だと聞いたあなたしか……」
いつの間にか塚井は、大門に対し頭を下げていた。
「僕を専門家として頼りにしてくださったと。」
大門の言葉に、塚井は頷く。
「聞いています。……『悪魔の証明者』と。」
「ええ、ですからこの探偵事務所を訪れる人の依頼は、そんな不可思議な現象をどうにかしてくれというものばかりです。」
大門は塚井に笑いかける。
「まあ、でもそんな依頼を本当に解いてほしい人なんて、そうそういませんからね。ですから、一見さんお断りという体にさせてもらってます。あと……誠に勝手ながら、そのお客様がいかに本気で依頼されに来ているかも、少々試させてもらっています!」
「な、なるほど……」
塚井はその言葉によって、一つ合点することがあった。
あの、分かりづらい道案内の文章である。
あれは、要するにこちらを試していたということか一一
しかし、そんな道案内の文章にもめげずにここまで来たのは、ひとえにこの事件解決のため。
「お願いします、どうかこの依頼、頼まれていただきたい……!」
塚井は頭を、深く下げる。
無論、大門の答えは。
「いいでしょう……それが悪魔の証明ではないという悪魔の証明、確かに承りました!」
「ありがとうございます……!」
「あの……一つお願いしていい?」
「はい、どうぞ?」
妹子はどぎまぎしながら、大門に尋ねる。
「その……お客様ていう呼び方は距離を感じるから、もっと……フ、フランクに呼んでもらえる?」
「!? お嬢様!」
塚井はその言葉に驚く。
なるほど、中々に迂遠すぎるアプローチである。
「フランクに、ですか……お客様を馴れ馴れしくお呼びするのは……」
「いいの。私がいいって言ってるんだから。」
妹子は戸惑う大門を促す。
「ううむ、九衛さん……!」
塚井は野暮と思いつつ、小声で促す。
如何に妹子の言葉が遠回しにすぎるからとはいえ、大門も大門で空気を読まない。
「分かりました。では」
「はっ、はい!」
妹子は思わず、居住まいを正す。
さあ、言ってみて?
妹子さ一一
「……遣隋使さん、でよろしいでしょうか?」
「……ふえ!?」
大門のこの言葉には、妹子も、思わず塚井も変な声を上げてしまう。
まったく、この男は。
「う、うん! い、いいわそれで! ……よろしく、九衛門君!」
「お嬢様……」
妹子はどうにか取り繕い、大門をあだ名で呼び返す。
皮肉のつもりか。
「え、ええ……あの、僕の名前」
「ああ知ってる! よおく知ってるわ九衛門君! でもそっちが素敵なニックネーム着けてくれたんだから、私も素敵なニックネーム着けてあげるのが筋じゃないかしら? ね?」
妹子は言葉の端々に、皮肉を込める。
口角は上がっているが目は笑っていない。
と、その時である。
「ひーろと!」
「!? うわあ日出美? 何で入ってくるのさ、来客中の札をノブに掛けただろ。」
急な訪問者にまず、大門が面食らう。
妹子も塚井も、その視線の先を見ると。
扉の前には、制服を着た少女が立っている。
「えっと……」
「あ、初めまして! 円山日出美と申します。 いつも主人がお世話になってます!」
「し、しゅじんんん!?」
「お、お嬢様!」
日出美の言葉に、妹子は気が遠くなりかける。
つ、妻がいたとは。
しかし。
「お嬢様、お落ち着きください。あの子は見るからに中学生、結婚などできるはずはありません!」
「ひ、ひどい……あたしが一生結婚できないっていうの!」
塚井の言葉に、今度は日出美がヒステリーを起こしかける。
「い、いえ、私はそこまでは」
「すみません執事さん、遣隋使さん。……日出美、ここにいらっしゃるのは僕の大切なお客様だ! そんな方々にその態度は何なんだ?」
「……ごめんなさい。」
大門が一喝し、日出美は少し落ち込み気味に謝る。
「改めまして。この子はよくこの事務所に出入りしている近所の中学生です。まあよく、情報収集に協力してもらったりしているのですが……今後はこんなことがないよう、言い聞かせておきますので。」
「い、いえ! そこまで失礼には」
言いつつ塚井は、妹子の耳元で囁く。
「あの二人を見ていると、年の差もあってか兄妹や親子に見えます。カップルや夫婦には見えませんからお嬢様、ご安心を」
「うふふ……大事なお客様だなんてえ。」
「お、お嬢様?」
先ほどの大門の言葉に妹子は大喜びな様子で浸る。
塚井は確信する。
人の何気ない一挙手一投足で一喜一憂。
すなわち、これは"恋"であると。
「では九衛さん。ごちそう様でした。後ほどまたお電話させていただきます、今日はこれで。」
「ええ、大したお構いもできずにすみません。」
「いえいえ! さあお嬢様、行きましょう。」
「ふはは〜、大事なお客様!」
まだ酔い痴れている主人を引きずり、塚井は挨拶もそこそこに立ち去る。
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「大門、本当にあの依頼受けるの?」
「ああ、当然さ。……あと、さっきは少し言い過ぎた。すまない日出美。」
「……ううん。私こそごめん。……これ、洗ってくるね。」
「ああ、ありがとう。」
大門と謝罪を交わした日出美は、妹子が飲んでいたティーカップを持ち洗い場に行く。
「……ふう、久しぶりの依頼だな。」
「武者震いしちゃう?」
「!? 日出美、洗い場に行ったんじゃ……」
一人で浸りかけた大門は、後ろからの声にビクつく。
そこには、まだ日出美の姿が。
「楽しそうだよ、大門。」
「ああ……事件を前にして不謹慎とは思いながらも、ね。」
大門は日出美に言うと、窓の外を見る。
「大門、ごめんスポンジどこだっけ?」
「ん? 何だ、もう洗い場に行ったのか?」
「何言ってんの? ほら、早く。」
大門は振り返る。
既に背後に日出美の姿はない。
声は洗い場から聞こえる。
「え〜っと、この戸棚かな?」
「あ、ちょっと待った! 今行くよ。」
大門は洗い場へと、急ぐ。