後悔とリベンジ
「紹介状がないとダメなんだっけ? ……ごめんなさい。今生憎持ち合わせが……でも、私を助けなさい。報酬は弾むから。」
大門の目の前にいるのは、いきなり紹介状もなしに尋ねて来て依頼を受けろと言って来た女性。
「あなた、つまらない。……でも、面白い。」
「私も笑うよ、人間だもの。」
「私は、罪を着せられるの?」
「ねえ、大門君。」
黙っていると少し冷たく感じられるが、笑うと愛嬌のある女性。
守ってあげたかった女性。
そして一番大切な、女性。
「美咲さん! ……はっ……。」
眠っていたのか、起きていたのか分からない。
それぐらい、打ちひしがれていた状況から。
大門は、目覚める。
「ようやくお目覚めかい? まったく、兵庫県警の連中相当に困らしたそうじゃないか!」
「え? い、井野さん……?」
大門は驚く。
ついでにここはどこか、見渡すと。
大門と、美咲が泊まっていたホテルの一室だ。
「えっと、僕は」
「兵庫県警の連中がここまで連れて来てくれたんだとよ。お前さん現場の、それも仏さんの近くで呆けて動かなかったらしいぞ。何聞いても答えねえからたまたま様子見に来たホテルの人に話聞いて、四苦八苦しながらこの部屋に移したって。」
井野は肩をすくめる。
「俺が後で来た時、知り合いだって言ったら俺が怒られちまったよ。」
「す、すみません……」
「まあいい。後で連中にお礼言っておけ。……何で、所轄が来てるかって? 県警の奴らに手柄持っていかれちゃ、敵わんからさ!」
井野は、得意げに胸を張る。
「……えっと、その……」
「……まあ、あれだ。……黒島美咲だが」
「美咲さん! 美咲さんは」
「お、落ち着け! ……ショックなのは分かるが、どうか受け止めてほしい。」
自分に掴みかからんばかりに迫る大門を制止し、井野は彼を諭すように言う。
井野も、知り合いを亡くした後の大門を慮ってか言いづらそうにしながらも口を開く。
「彼女は、黒島美咲は……亡くなった。」
「!? ……ええ、そう、ですよね……」
「探偵……」
大門はたちまち、その場にヘタリ込む。
ずっと、夢心地だった。
ずっと、美咲の夢ばかり。
だから、目を背けていられた。
一番大切な人を守れなかったという、現実から。
「美咲、さん……」
「……九衛君、と言ったかな? ……大丈夫になったら、また声かけてくれ。」
「……すみません。」
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「そんな……」
「……。」
「……。」
「……九衛さん。」
大門の話に、探偵事務所は静まり返る。
妹子や塚井はやっとの思いで声を発し、実香や日出美に至っては声も出ない様子だ。
「……やっぱり、こうなりますよね! ははは、すいません。」
「そんなこと……」
明るく振る舞う大門に、妹子は声をまたかけようとするが言葉が見つからない。
「まあ、もう3年前のことですし……今となっては、ほろ苦い初恋の思い出、ってところかな……」
「……そこまで、すぐ行けた訳じゃないんでしょ?」
「それは、そうですね。」
実香はやっと、口を開く。
少し瞳は、潤んでいた。
「まったく……きついなら相談してくれれば良かったのに。いつも大門君はそう。大学もサークルも、相談もなしにいきなりやめちゃって、皆すごく心配したんだよ?」
「はは……その節はすみません。」
「そんな風に……笑ってごまかすんじゃなくてさ。」
またも明るく振る舞う大門に、実香はため息をつく。
大学こそ違うが、実香は大門と同じインターカレッジサークルの所属で、先輩後輩の関係だった。
大門は2年生になって少しすると、大学もサークルも急に辞めてしまい、あの探偵事務所を設立したのだ。
それも、ちょうど3年前。
「あの時は私も引退してて音信不通だったとはいえ……連絡先はお互い知ってたんだからさ、その……」
実香は言いかけて、口を噤む。
今になってしても、仕方ない話と気づいたからだ。
「すみません実香さん……まあその後お客さんとして僕を見つけてくれたんで、それで大助かりしましたよ。」
「そんなの……」
大門は実香に笑いかける。
実香は少し照れ、拗ねたように目を背ける。
「そうだよ、大門! 私も……その時は知り合ってなかったけど! もっと早く知り合ってればよかったんだよ!」
「日出美……ぷっ! いや、それは無茶言うなよ。」
「……ごめん。」
日出美も口を開く。
大門はその言葉に、思わず吹き出す。
先ほどの明るく振る舞おうとしている雰囲気とは違い、こちらは心底笑っている。
「まあ、今笑わせてもらったからそれで大助かりだよ。」
「……ふん、べ、別に旦那を笑わせるのは妻の役目なんだから、当然なんだからね!」
顔を真っ赤にし、日出美は大門の礼に返す。
大門は、ますます笑う。
「……そ、そうよ! 私だってその時は知り合ってなかったけど……もっと早く知り合ってなさいよ! というか塚井、あんたがもっと早く、実香さんに九衛門君紹介されてなさいよ!」
「い、いやお嬢様……」
塚井は肩をすくめる。
それこそ、先ほどの大門と同じ台詞を言ってやりたい。
無茶言うなよ、と。
「いや、遣隋使さん……いいんですよ、遣隋使さんも。予知夢の一件で僕を頼ってくれたんですから、それだけで大助かりです。」
「う、うん。そう……」
大門の言葉に、妹子も顔を赤らめる。
「こ、九衛さん! ……私は、あなたを目的地までお連れすることができます! 九衛さんは、美咲さんのお墓参りをされるんでしょう?」
塚井も、大門に声をかける。
自分でも何故だかわからないが、実香や日出美や妹子のように彼に、『大助かり』と言ってもらいたかったから。
「塚井さん……はい、ではお言葉に甘えて。そうですね、墓参りと……あと、すみません。もう一箇所。」
「はい! ……え? もう一箇所?」
塚井は首をかしげる。
他に大門の、今行くべき所とは。
「ええ……ムショに行くって言いましたよね?」
「ええ……えっ! まっ、まさか……」
塚井、だけではなく。
実香、妹子、日出美も驚く。
ムショとは、まさかーー
「そうでしたね。一番大事な話はまだでした。……もう少し、付き合っていただけますか?」
「……は、はい! 勿論!」
塚井は大門の問いに、皆を代表し答える。
「……では。この事件は当然ここでは終わりません。ある秘密が、隠されていました。」
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「黒島美咲が、麻上の愛人だったと。……なるほど、確かにそう考えると辻褄が合う所もあるな。」
「……はい。」
神戸のホテルにて。
大門は立ち直ったわけではないものの、重要な情報を握る身としてこのままではいけないと、義務感から井野を呼び戻していた。
「まあ、後は警察に任せろ。犯人は、麻上だろう。……奴のスマホはずっと電源が切られていたようだが、数日前と昨日、電源が入ったことがこの神戸近辺で確認された!」
「! 本当、ですか?」
「ああ、だからあとひと押しだ。そしてすまない。……彼女、警察が守ってやれなくて。」
「いえ、そんなこと一度も……」
井野の謝罪に、大門は困惑する。
そのことで責めを負うべきはーー
「では、捜査に行って来る! すまんがあんたはまだここにいてくれ。まだ聞くことはあるかもしれんから。」
「は、はい……」
「それじゃあ!」
井野は慌ただしく、部屋を出て行く。
大門は一人になった部屋で、そっとベッドに触れる。
昨日まで、ここに美咲はーー
「くっ!」
大門は、握りこぶしをベッドに打ち付ける。
当然、痛みはないが。
それでも心は、ヒリヒリと痛む。
何故、守ってやれなかったのかーー
いや、それだけではない。
「美咲さんが麻上の愛人だったということも、麻上が犯人ということも……やはり違う気がする。」
大門の勘が、告げている。
自分は今まで、大きな勘違いをしてしまっていたと。
そもそも、何も解けていない。
美咲のドッペルゲンガーの謎も、不自然に不用心だった被害者たちの謎も、その他諸々も。
しかし。
「僕に、できるのか? ……犯人を、捕まえるなんて……」
大門はそのままベッドの上にて膝を抱え、うずくまる。
と、その時。
「はーあ、まったく……情け無いなあ。」
「!? お、お前は!」
大門が驚いたことに。
目の前には、もう一人の自分の姿ーーダンタリオンが。
この時はまだ日出美に出会っていないため、大門の姿を模しているが。
「全て、憎いかい? この世界も、彼女を守れなかった自分も。」
「うるさい! ……出てくるな!」
大門は枕を投げつける。
勿論ダンタリオンには、当たらないが。
「まあ、私の手にかかれば……もう、この事件の真相は解けているがね。」
「……ふん、そうかい。」
大門はそっぽを向く。
「じゃあさあ、その身体……もう、私のものでいいんじゃないか?」
「!? な、何!」
大門は驚く。
ダンタリオンは、獲物を狙う目をしている。
「ね? そうだろ。全て忘れて、何もかも投げ出してさ。……私にこの身体の主導権を握らせて、後は永遠に眠りにつきなよ?」
「……そうだな、それもいいかもしれない。」
「え?」
ダンタリオンは少し、拍子抜けした様子である。
「ほう? あっさりしているね。」
「もういい。……嫌なことだが、確かに僕の罰にはふさわしいかもな。」
「分かった。じゃあ……」
大門は目を閉じる。
たちまち、張り詰めていた気は一気に緩んでいく。
このまま、眠りに落ちていくのか。
深い、永遠の眠りに……
「大門君。」
美咲の姿が、浮かぶ。
そうか、これは死と同じだから。
今見ているのは、三途の川の対岸かーー
「美咲、さん……今逝きます……」
「……嫌。」
「え?」
そこで大門の気は、再び張り始める。
待てよ、まさか。
「……ダンタリオン。お前か。」
「……はい、その通り!」
大門は目を開ける。
目の前には、ゴスロリ服を纏った美咲の姿ーーの、ダンタリオンが。
「お前……」
「ははは、死んでも振られるという嫌がらせさ! さあ、眠れ」
「いや、興を削がれた。」
「え?」
大門は、立ち上がる。
「そうだな、ダンタリオン……今行っても、美咲さんには顔向けできない! だから、お預けだ。」
「なるほど……せっかくの好機を自ら無為にしちゃったか。」
ダンタリオンは拗ねたように言う。
大門は、もしやこれもダンタリオンの策かと思ったが。
いや、そんなわけはないかと、思い直す。
「……さて。一つ一つ検証していかないと。……まず、お前! その美咲さんの姿はもう止めろ!」
「はいはい。……まったく、好きなくせに。」
ダンタリオンは、大門の姿に変わる。
「うるさい。まあ、ゴスロリは好きだが……ん!?」
「ん? どうした。」
「……まさか。」
たちまち大門は、様々なことを思い出して行く。
そしてそれらは、やがてひとつのことに繋がって行く。
「……なるほど。」
「……ほう、分かったかい?」
「ああ……完了した。」
大門は、右手を握り込む。
◆◇
「井野さん!」
「? 何だ、九衛君。今」
「これが悪魔の証明ではないという悪魔の証明、終了しました!」
「……は?」
突如自分の部屋に入って来た大門に、井野は目を白黒させる。
◆◇
「これで、やっと終わる。」
「や、止めろ……!」
夜。
神戸の、とある一室。
麻上は縛られ、身動きが取れない中。
そこへ、長いロープの先に作られた輪を持ち、ゆっくりと近づく者がいた。
「や、止めろ!」
麻上は叫ぶが、声にならない。
と、その刹那である。
「そこまでだ!」
「!?」
井野の声と共に、部屋には多数の警察官が。
「こ、これは……?」
「お久しぶりですね、麻上さん。」
「!? えっ、えっと……記者の、近藤さん?」
麻上は首をかしげる。
彼に声をかけた、大門を見て。
「ええ、僕は近藤大志ーーというのは、冗談でした。僕は九衛大門。私立探偵です。」
「な……?」
麻上は驚く。
探偵が、何故ここに?
「まあ、今日は……その人に、特に用があるんですがね!」
「!? 眩しい!」
「!? なっ……」
大門のライトが、麻上を絞殺しようとした者の顔を照らし出す。
それには井野を始め、警察官も息を呑む。
「こ、九衛君……これは一体……」
「……見ての、通りです。」
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「では、ありがとうございます。」
「いえ、じゃあごゆっくり。」
大門は塚井の車から降りると、ここからほど近い目的地まで歩く。
墓参りは、既に済ませた。
ここが、大門の行こうとしていた、もう一箇所だ。
「本当に、行かせていいの?」
後部座席の日出美は膨れっ面のまま、助手席の実香や隣の妹子に尋ねる。
「いいの! ……あんな事情じゃ。」
妹子は言うと、悲しそうに窓の外を見る。
「まったく……大門君もずるいよね〜。あんなこと言われたら、あたしたちだって鬼じゃないんだから行かせないわけにはいかないじゃん?」
「ちょっと、実香……」
塚井は、少し場違いに声のトーンが明るい実香を諌めようとするが。
実香もまた、妹子と同じく物悲しそうに窓の外を見ていることに気づき、口を噤む。
「大門君も、水臭いなあ……初めての女にぐらい、話してくれてもよかったじゃない……」
この台詞も、塚井は責めなかった。
この台詞のトーンは、悲しそうだったからだ。
勿論、妹子も日出美も何も反応しなかった。
◆◇
「……ふう、三年ぶり……ですか。」
大門は、これから会う人物に思いを馳せる。
ここは、面会のための部屋だ。
そう、ここはムショ一一もとい、刑務所だ。
やがて、足音と共にその人は入って来る。
「……久しぶり。」
「ええ、ご無沙汰しましたね。」
相手は、目を逸らしている。
しかし、大門はじっと相手を見つめる。
「……どのツラ下げて僕に会えるんだって、思ってますか? ……とんでもありません。僕は、ずっと会いたかったんですよ。」
大門は相手を見つめたまま、言葉を投げかける。
相手は、こちらを見る。
「……美咲さん!」
相手は、その言葉に思わず、顔を向ける。
その、顔は。
三年前の、大門の初恋の人一一黒島美咲、その人だったのだ。




