遠出
「!? なっ……」
何気なく、でもなく。
大門がもしやと思ってテレビをつけると、やはりというべきニュースが。
麻上精神クリニックの看護師・設楽が今度は殺されたという内容だ。
と、その刹那。
「! 美咲さん!」
ガシャンというティーカップの割れる音がして振り向けば、青い顔の美咲が。
「あ、ああ……」
「美咲さん! ……すみません、また軽率でした……」
大門は美咲に駆け寄りつつ、また自分を責める。
先述の通り、こうなると分かっていたのだから、安易にニュースなど見るべきではなかった。
「だ、大丈夫……ごめんなさい、カップ割れちゃった」
「ああ、いいんです! ……美咲さんは、怪我は?」
「大丈夫……優しいね。」
美咲はそのまま、ヘタリ込むようにして地に腰を下ろす。
全身の疲れが、抜けてしまったようだ。
「……すいません、ニュースなんか」
「見なかったら、状況分からなかったし。いいの。」
美咲ははっとすると、気丈に振る舞う。
と、そこへ。
「突然すまない! 九衛君。」
「!? い、井野さん?」
居住する部屋のドアの向こうより、聞き覚えのある声が響く。
井野の声だ。
「また、美咲さんを?」
「その口ぶりだと……どうやらご一緒のようだな。ここを開けてくれないか?」
井野がほくそ笑んだ気配がドアの向こうからする。
大門はそれに、苛立ちを覚えた。
と、その時。
「刑事さん。……私をまた、逮捕するんですか?」
美咲が問う。
「おやおや。やっぱりいたか。……いや、あくまで任意同行という形になるが。」
井野は言う。
言葉には些か、棘がある。
「任意だったら、拒否権はありますよね?」
「いい、大門君。……ここで逃げて欠席裁判にかけられるよりは、矢面に立った方がいいと思う。」
「美咲さん! ……そうですね、美咲さんがそうおっしゃるなら。」
「ほう?」
美咲の言葉に一旦躊躇いつつも、大門は美咲を行かせることにする。
このやりとりをドア越しに聞き、驚いたのは井野の方だった。
たちまちドアが開き、美咲と大門が出てくる。
「一度誤認逮捕しているんですから、長期留置はできない。そうですよね?」
「くっ、誤認逮捕など」
「世間では、そう思われて然るべきだと思いますが?」
「くっ……」
井野は小憎らしげに大門を見る。
なるほど、大門が美咲の任意同行の意思を尊重したのはそういう意図あってのことか。
「……何にせよ、任意同行は受けてくれるんだな? 黒島さん。」
「はい。」
淡々と答えると、美咲は連行されていった。
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「では、殺された設楽の部屋には行っていないと?」
「はい。それについては大門く……あの探偵さんが証言してくれると思います。」
「あの探偵なあ……すまんが黒島さん。あの探偵にも既に言ったが、利害関係にある者の証言はアリバイにならないんだよ。」
「……そうですか。」
場所は所轄の、取調室だ。
美咲は井野の言葉に、縮こまる。
とはいえ、井野もここでは及び腰にならざるをえない。
まずその要因の一つが、先ほど大門に指摘された通り誤認逮捕ーーもとい、葛城殺しの時点で逮捕・拘留中だった美咲のアリバイが成立していることだ。
次に、今回のその葛城殺しにおいても設楽殺しにおいても、その前二件の殺人と違い美咲を目撃した者がいないこと。
そして何よりーー
「今回の連続殺人の仏さんたちが勤めていた麻上精神クリニックーーあそこの院長・麻上だが……行方不明になっている。」
「えっ……」
美咲は静かに驚く。
井野は更に、続ける。
「麻上のことを調べてみれば……これまでの殺人のうち、稲田・名張殺しはともかくも、葛城・設楽殺しのアリバイがないことも判明している。まあ、稲田と名張殺しも確実なアリバイではないのだが……」
「は、はあ……」
美咲は曖昧に頷く。
井野は頭を抱えている。
これで捜査本部の方針は、一気に麻上犯人説に傾きつつある。しかし、井野はーー
「おっとすまない、あんたにはあまり関係ないか。……それとも、関係あるか?」
「……いえ。」
「……そうか。」
井野は未だ、美咲と診療所の誰かとの共犯説を信じている。
しかし美咲の反応からは、特に何も見て取れない。
「い、井野刑事。」
「……時間か。」
遠慮がちに入って来た部下を見て、井野はタイムアップを告げられたことを悟りため息を吐く。
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「えっ、麻上さんが!?」
「そう、行方不明で……前の殺人に関しても、アリバイが不確かだから追われてるみたい。」
「……そうですか。」
美咲が取り調べから解放された翌日。
大門は考え込む。
麻上が、あの4人を?
確かに、そう考えれば辻褄が合うことも多いが。
動機は何か。
「麻上さんが、診療所の看護師たちを殺して美咲さんに罪を……何のために?」
「大門君?」
「あっ、すいません!」
うっかり心の声が漏れていたことに気づき、大門は口を塞ぐ。
「ま、新幹線の中だし。あんまり騒がない方がいいよ。」
「はい、面目ないです……」
美咲からあやすような叱責を受け、大門は萎れる。
「別にそんなに落ち込まなくても……それとも、デートがご不満?」
「い、いやそんなことは!」
先ほどの美咲の台詞通り、ここは新幹線の中だ。
関西方面を経て、九州地方に向かう。
尤も、終点まで行くつもりは大門たちにはない。
犯罪の疑いに怯えていなければならない都内を離れ、時間と金銭が許す限り、遠くに。
それが、今回のデート……もとい、旅のテーマである。
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「ちょっと待った! ……なあに? デートってえ!」
「くっ、苦しい……遣隋使さん!」
「お嬢様! お離しください!」
「分かってる、今お話ししてるじゃない? 塚井い〜!」
「そっちのおはなしではありません!」
言葉が通じないとみるや、塚井は、妹子が大門の首根っこを押さえている腕を力づくで剥がしにかかる。
離された大門は、ぜえぜえと肩で息をする。
「大丈夫? 大門君。」
「ああ、実香さん。ありがとうございます。」
「こらあ、妹子さあん? 人の旦那に何してくれるのかなあ?」
たちまち大門に水を飲ませて救護をする実香と日出美が、妹子を悪者にしようとする。
「だって、だってえ! ……あんたたちだって心配なくせに……九衛門君が!」
「お嬢様、三年も前のお話ですよ?」
「あっ、そうか……いや関係ない〜!」
猛反論する妹子は、一度静まったかと思えばまた暴れ出す。
塚井はそんな主人を抑えつつ、ため息を吐く。
「まあでも……大門君? さっき初めてはあたしとって言ってたけど、他の女とお泊りしててそれを信じろって言うのかな〜?」
「えっ!? な、何ですか実香さん。」
「そうね〜、私という妻がいながら浮気旅行とは〜!」
「お、おい日出美まで」
「そうよそうよ! もう、九衛門君のことなんか知らない!」
「え、け、遣隋使さん!」
「はあ……」
今度は、大門が針のむしろだった。
塚井はそれを見て、さらにため息を吐く。
ここだけ切り取れば、大門は三股をかけて修羅場になっている浮気男だが。
恐ろしいことに、彼は誰とも付き合っていない。
朴念仁だ。
さておき。
「お、おほん! ……皆さん、そんな態度じゃ九衛さんも話しづらいと思いますが?」
「そ、そうね……さあ〜、九衛門君?」
「さあ、この妻に何でも白状してごらんなさい?」
「さあ、大門君? あることないこと全部吐いちまいな?」
「いや、あることだけ話します……」
大門は姿勢を正し、話を再開する。
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「誰か、私を知らない所に行こうと思うんだけど……」
警察から解放された美咲のこの言葉を受けて、この旅は始まった。
結局2人が、行き着いた先は。
「うん、海はいいね……」
「そうですね……」
神戸港だった。
新神戸まで新幹線で行き、そこから最寄りの三ノ宮駅で降りた。
最寄りと言っても、神戸港までは徒歩でまあまあかかる。
だからタクシーで行こうと大門は提案したのだが、美咲は歩くのが好きだからとわざわざ歩いて来た。
「ほら、こういう時は男の子がエスコートしないとダメでしょ?」
「わ! み、美咲さん!」
神戸港へ続く、ポートタワーが見える道に差し掛かり。
美咲は大門の右腕に左腕を絡め、そのまま引っ張って行く。
「ち、ちょっと美咲さん……」
「ほら、見なよこの景色。」
「え? ……うわあ……!」
美咲に促された大門が、前を向くと。
そこには、開けた海と日が照りつける青空の調和した、美しい景色があった。
「綺麗……ですね。」
「私とどっちが?」
「……美咲さんです。」
美咲は頭を、大門の肩に乗せて来る。
彼女がつけている変装用のメガネと帽子も、その肩に当たった。
世辞ではない。
彼女の今の服は久しぶりのゴスロリで、やはり似合っていたのだから。
「み、美咲さん!」
「空気読んで言わなくていい。……ここの景色は花も恥じらう乙女すら敵わない。私はそう思うけどね。」
「い、いやそんなこと……」
大門は美咲に腕を絡められている右腕をそっと動かし、美咲の手に触れる。
手袋越しだが、その体温と感触が伝わった。
「!……こういうこと、他の女の子にもやっているんだ? さすが、モテる人は違うね。」
「これは……美咲さんにしかやったことはないかもしれないですね。」
「!?」
「あ、いや……べ、別に他意はないですからね!」
大門は照れつつ、言う。
美咲の顔を覗くと、少し照れていた。
先述の美咲の変装は、彼女自身誤認とはいえ逮捕されたことにより人目が気になっており、それ対策だ。
「……ありがとうございます。」
「? 何で大門君が礼を言うの?」
「ゴスロリ、また着てくれて。」
「!? ……見たかった?」
「ええ、とっても。」
大門は美咲を引っ張るように、階段のところに行く。
そして一旦美咲から離れ、階段にハンカチを敷く。
「どうぞ。疲れたでしょう?」
「……うん。ありがとう。」
美咲がハンカチの上に座る。
そうして彼女もハンカチを取り出し、階段に敷くと。
着席するよう、そこを手でポンポンと叩いて促す。
「ありがとうございます。」
大門は座る。
すると美咲は、ぴったりと身体を寄せて来た。
「!? み、美咲さん!」
「おやまあ、アプローチしてみると意外にも初心なんだね。」
「……面目ないです。」
大門は笑い、しかしすぐ真顔になる。
「美咲さん。」
「……何?」
「……新幹線に乗る前に、誰かから連絡来たみたいですけど……誰ですか?」
「……気になる?」
大門の質問に、美咲は身体を寄せたまま顔を上げる。
相変わらず、しっかりと力の宿った澄んだ瞳だ。
「……はい。」
「彼氏、って嘘言ったら、大門君は嫉妬してくれる?」
「……嫉妬します。だから、分かり切った嘘は言わないでください。」
「……言わない。」
「……そうですか。」
美咲はそのまま、立ち上がる。
大門が見上げると、美咲の横顔が見えた。
心無しか、瞳が揺れている。
「……そろそろチェックインしようか、ホテルに。」
「……はい。」
◆◇
「うん、狭いね。」
「すいません、一部屋しか取れなくて。」
大門は謝る。
何せ、出発当日に旅の話が出たため、急遽予約したのだ。
「嫌だったら、僕はドアに寄りかかって寝ますから。」
「ちゃんとベッドで寝よう。……一緒に。」
「……はい。」
大門は顔を赤らめる。
それを見た美咲はクスリと笑う。
「ふふふ……」
「べ、別に何も想像してませんからね!」
大門は自分でも違和感を覚えながら、反論する。
しかし、大門は寝るつもりはなかった。
何故なら、美咲を寝ずの番で守る心構えだったからだ。
「美咲さん、寝ました?」
「起きてる。見れば分かるでしょ。」
同じベッドの中で、大門はそっと声をかける。
美咲から返事を聞き、まだかと歯ぎしりする。
美咲が寝れば、後は見守るだけ。
見守るだけ、なのだが。
「大門君こそ、起きてる?」
「ええ、僕……は……」
大門は自分の様子に、驚く。
妙に、うつらうつらする。
まさか。
「ちゃんと、効いたみたいだね。」
「み、美咲……さん」
「!? ひ、大門君どこ触って……」
大門は美咲の腰を掴む。
こちらの意図は、美咲に読まれていたか。
いつの間にか、一服盛られていたようだ。
しかし、それならば離さない。
意識が朦朧する中、破れかぶれの行為だ。
下心のあるなしで言い訳をする気はないが、ここはもう自棄だ。
「だめですよ……麻上に、会う気ですね? ここに、わざわざ来たのも……落ち合うために」
「……そう、さすが探偵さん。お見通しだったか。」
美咲は観念したように、話し始める。
「そう。私とあの院長は愛人関係で。そのことに気づいた院長の奥さんが、自殺したの。そのことを知った看護師たちに、院長はずっと強請られててね。……院長は、だから看護師たちを始末して、その罪を私に被せたの。」
「そんな……の!」
美咲の言葉を、大門は朦朧とする頭で必死に捉えた。
そんな、馬鹿な。
「大門君の推理通り、ここに来たのは麻上からここにいる旨を連絡されたから。……来ないと、殺すって。」
「できる、わけがない……むしろ」
そんなの、行く方が殺されるに決まっている。
だからこそ、大門は必死に掴んでいる。
しかし、鍛えた探偵も薬には勝てない。
たちまち、腕の力が抜けていく。
「僕は、まだ何も……」
「大門君は十分頑張ってくれた……だから、もう大丈夫。」
「だい……じょうぶじゃ……美咲、さん。」
「はい?」
「……好きです。」
「!? あ、ああ……うん。ハーブティーね。大門君の淹れてくれたのは、私も」
美咲は、動揺しつつはぐらかす。
大門の言わんとすることが、分かっていない訳ではない。
しかし、それ以上言わせたくなかった。
言わせたく、なかったのだが。
「ちがう……美咲さんのことが」
「!?」
大門は恥ずかしさなど、微塵もなかった。
適当なことを言っているのではない。
ここで美咲を止められるならば、ここで本心をぶつけるしかないと思ったのだ。
「美咲さん……のことが……好き……」
「……大門君……」
大門は最後の足掻きを終えると、眠りに落ちる。
そしてここからは、大門の知らないことである。
「……こんな女だよ? 本当にいいの?」
いいつつ美咲の目からは、涙が一筋。
「……あれ? こんな、はずじゃ……」
美咲は目を拭う。
大門を、抱きしめながら。
「……ありがとう、大門君。」
美咲は腕を緩めると、大門の顔を覗き込む。
綺麗な寝顔だ。
そのまま美咲は、顔を近づけ。
彼の唇を、塞ぐ。
「……さよなら。」
涙がより溢れてきた目を拭い、美咲は消え入るように呟く。
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「美咲、さん……」
大門は、自分の手がベッドの中で空を切ったことを受け、目を覚ます。
夜は、明けていた。
「!? くっ、くそ!」
美咲はいない。
どこだ?
その自問は、近くで聞こえたサイレンの音により掻き消される。
救急車かパトカーか、どちらか分からないが。
どちらにせよ。
「くっ、頼む! ……間に合ってくれ!」
僅かな望みをかけて、大門は部屋を飛び出す。
部屋は4階だが、エレベーターを待てる余裕などない。
たちまち、非常階段へと向かう。
急ぐあまり転げ落ちそうになるが、構っていられない。
あっという間にロビーへ出ると、そのまま自動ドアを突き破らん勢いで外に出る。
探偵の性で、この辺りの地理は一度で把握していた。
そしてサイレンの音の具合から、その位置を考える。
「近く、だ……!」
頼む。
藁にも縋る思いで、現場へ急ぐ。
「!? ここか、くっ!」
現場には、既に人だかりができていた。
大門は勢いあまり、その人だかりへ突っ込んでしまう。
「何や! 危ないやろ!」
関西弁の怒声を浴びながら、大門は人混みの最前列まで、その勢いのまま突っ切っていた。
「痛っ! ……!? あ、ああ……」
大門はそのまま転んだが、痛みは麻痺していた。
目の前の光景には、そんなことは些事だったから。
「美咲……さん……」
目の前には、物言わぬ姿の美咲が、血を流し倒れていた。




