謂れのない罪
「では、あの診療所には行っていないと?」
「はい……」
取調室で、美咲はやや萎縮しながら言う。
刑事は、憮然とした顔を崩さない。
『麻上精神クリニック』で看護師・稲田が殺された事件により。
目撃証言などから、美咲が最有力な容疑者とされ取調べが行われていた。
「嘘をつくな! あんたが現場から、死亡推定時刻に逃げる所を死んだ稲田の同僚看護師が目撃してるんだよ!」
刑事は尚も、圧をかける。
「そ、そんな……」
美咲は頭を抱える。
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「この女で、間違いないんだな?」
「はい、間違いありません。」
刑事の出してきた写真を見て、名張陽子は即答する。
名張は殺された稲田の、同僚看護師であった。
彼女は、事件後診療所に立ち寄った際に偶然にも美咲を目撃し、さらに稲田の遺体を発見したということにより事件の第1発見者になっていた。
「ああ、恐ろしい……。犯人は何か、このクリニックに恨みでもあるんでしょうか?」
「いや……それはまだわからないが」
「早く……捕まえてください。」
名張は青ざめた顔で、がくがく震える。
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「黒島さん!」
「!? 探偵さん……」
取り調べが終わり、警察署のロビーへとやって来た美咲は、大門の姿に驚く。
「よかった……無事でしたか。」
「別に拷問された訳じゃないし。……ちょっと、きつく問い詰められはしたけど。」
「え?」
美咲の言葉に、大門は彼女の後ろの刑事に目を移す。
「誰だね、君は?」
「……九衛大門といいます。私立探偵で、彼女から例の診療所荒らしの件について調べてほしいと頼まれていまして。」
大門は自己紹介する。
「おほん! 所轄の井野千斗という刑事だ。この事件の指揮を執っている。……黒島さん、今日は証拠不十分として帰っていただくが、またお話を聞くことにはなるかと思うのでよろしく。」
「は、はい……」
言いながら井野の目は、ぎょろりと美咲を捉えている。
圧をかけるような視線に、美咲は少し萎縮している。
「何しろ、あんたを目撃したという看護師も早急な事件解決を望んでいてな……怯えながら懇願されたよ。だから我々としても、早くこの事件は解決しなければいけない!」
「ちょっと待ってください! ……推定無罪の原則をお忘れですか?」
「……何?」
明らかに美咲を犯人だと決めつけた態度の井野に、大門は苦言を呈する。
「容疑者や被告は、無罪であると推定されるのが原則のはず。今のあなたの言葉は、明らかにその原則を無視しています。」
「ほう……警察に意見をするのか?」
大門と井野は、睨み合う。
一触即発である。
「やめて、探偵さん。いい。身に覚えがないけど、別にアリバイがあるわけじゃないし。」
「黒島さん……」
美咲の言葉に、大門と井野は睨み合いをやめる。
「まあ、私も言い過ぎたかもしれん……ひとまず! この事件は警察に、任せてほしい。」
一方的にそう言うと、井野は踵を返す。
「さあて、まさか探偵さんがお迎えをしてくれるとはね。」
「あんな電話もらって、じっとしていられる訳ないじゃないですか。」
警察署から出つつ、美咲と大門は語り合う。
「心配してくれるの?」
「それは……顧客として。」
「……一言余計。」
「え?」
美咲は少しむくれる。
大門は彼女の後ろを歩くため、気づかないが。
「黒島さん。その……もしよければ、事務所に来ませんか?」
「何で?」
「僕と一緒にいれば、アリバイにはなるかと。」
「……いい。」
大門の誘いを、美咲はすげなく蹴る。
「でも、またあんなことになったら……」
「あなたぐらいの男の子が、私みたいな若い女と過ごす理由が、本当にそれだけ?」
美咲は前を向いたまま、尋ねる。
しかし、大門は。
「ええ、それだけですが。」
「! ……」
「えっ? 黒島さん?」
美咲は、大門に向かって振り返る。
先ほどのむくれた顔は崩さず、大門を品定めの目で見ている。
自分のカマをかけるようなセリフに対し、あまりにも彼の言葉は素っ気なさすぎたからだ。
大門に無論、そのような下心があるはずもなく。
大門は訳が分からないといった顔で、美咲を見ている。
「……ふふっ。」
「え? え?」
不意に美咲が笑い出す。
大門は更に、困惑する。
「く、黒島さん?」
「あなた、つまらない。……でも、面白い。」
「え?」
矛盾した言い方だ。
しかし。
「ふふふ。」
「? 何、探偵さん。」
大門も、不意に笑う。
今度は、美咲が困惑する。
「いえ、すいません。……そういえば、黒島さんが笑う所見たことないなあと。」
「私も笑うよ、人間だもの。」
「ぷっ!」
「何? 吹き出してはしたない。」
大門は美咲の、某詩人のような口調に思わず吹き出してしまった。
美咲は呆れ顔ながらも、口元は少し緩んでいる。
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「……本当に、来ちゃったけど。」
「すいません、少し散らかっていて。」
探偵事務所にて。
大門の好意に甘えてやって来た美咲は、茶を飲んでいる。
「うん、探偵さんお茶淹れるのうまい。カフェでも開いたら?」
「あははは、ありがとうございます。」
美咲の真顔での褒め言葉に、大門は苦笑混じりに礼を言う。
先ほどは、綺麗な笑顔をいつもの彼女と違うと思ったものだが。
こういう所は、いつも通りだ。
「そういえば、今日は……ゴスロリ服じゃないんですね?」
「当たり前でしょ。急にしょっ引かれたんだから。」
美咲は前に来た時とは違い、地味目なパーカーにゆったりとしたスラックスという出で立ちだ。
なるほど、部屋着だろうか。
「今日はダサくてごめんなさい。」
「いや、そんなことでは」
「あれ? あれは」
「あ、す、すいません! こ、これは」
美咲はふと、部屋の隅に展示されているものに目を向ける。
そして、大門は。
「これは、去年まで放送されていました『筺機伝スピードロン』という特撮番組の敵組織・悪魔機のおもちゃセットです! プレミアムマンダイっていうサイトでの、受注生産商品なんですけど」
「へ……へええ。」
いつになく、能弁に熱く語る。
セット名は、『悪魔機72柱セット』だとか。
あと同じくプレミアムマンダイで発売された同一作品の商品・『デストロックセット』も持っているとか。
「それで、この悪魔機っていうのが魔人機ていう敵種族の幹部なんですけど、なんと72体もいるんですよ!」
「そう!」
「!? あ、す、すみません!」
美咲の相槌に、大門はふと気づく。
空気を読まず、自分の好きな話ばかりしていたことに。
大門は恐る恐る、美咲を見る。
すると。
「ふふふ……」
美咲は先ほどにも増して、笑っていた。
「す、すいません本当に……」
「ああ、大丈夫。……意外。あなたも、男の子らしいところあるんだ。」
「あ、あははは……」
大門はまた苦笑する。
男の子は男の子でも、なんと幼稚に思われたことだろう。
心の中で、恥じ入っていた。
「あなたって、意外と面白いね。まあ、話はつまらなかったけど。」
「……面目もございません。」
「ふふふ……」
「ははは……」
大門と美咲は、笑い合う。
「えっと、黒島さんも」
「ああ、その……黒島さんて苗字長いでしょ? それに、あなた何歳?」
「えっ……20歳です。」
「そう。……同い年じゃない。なら、美咲でいいから。言ってみなさい、おい、美咲って。」
「えっと……」
大門は困惑している。
まさかの展開だ。
「呼び捨てはお客様には……じゃあ、美咲さんで。」
「そう、よろしく大門君。」
美咲も、大門を下の名前で呼ぶ。
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「ちょっと待って! ……へえ、九衛門君。その女は、名前で呼ぶんだ〜!」
「ちょっと、どうしたんですか遣隋使さん!」
「キー! 私はそんなあだ名でえ!」
「お嬢様!」
妹子は大門に、食ってかかる。
塚井が何とか、止めようとする。
先ほど美咲を事務所に呼んだという話あたりから、落ち着かない様子ながらも何とか耐えていた妹子だったが。
さすがに、これは腹に据えかねたようだ。
「ま、まあ……あだ名っていうのも一つの親愛の証だよねえ、日出美ちゃん?」
「そ、そうね……」
同じく穏やかな心中ではないはずの実香と日出美だが、少しばかり今回は、妹子にイニシアチブを取っている気分のようだ。
塚井はその原因に、心当たりがある。
二人とも、大門からは下の名前で呼ばれているからだ。
妹子と日出美が初心シスターズならば、実香と日出美はパーソナルネームシスターズといったところか。
さておき。
「しかし、つくづく九衛さんは……その時から自覚なしですか〜!」
「え? つ、塚井さんまで何を!」
塚井は大門の顔を見て、ため息をつく。
こういうタイプが、一番タチが悪いのかもしれない。
しかし、それはひとまず置いておいて。
「で、九衛さん。……その後美咲さんは?」
「ああ、はい。」
妹子も落ち着いてきた所で、塚井は大門に続きを促す。
大門は、続きを語り始める。
「その後、買いたいものがあると言って美咲さんは、コンビニに行きました。僕もついて行くと言ったんですけど……男には、あまり見せたくないものだと断られて。でも今思えば……ついて行けばよかった。」
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「ふん♪ ふん、ふふんっ♪」
ビジネスホテルの一室にて、名張は紅茶を飲みながら鼻歌を歌う。
やっと、この苦行から解放される。
思えば、一日千秋の思いをずっと抱えてきた。
まさか、あいつにあんな犯罪の片棒を担がされ共犯にされてしまうとは。
しかし、それもようやく終わる。
この時を、どれほど待ったか。
「はーい!」
その時、部屋の呼び鈴が鳴った。
名張はドアの覗き穴から、外の人物を確かめる。
「ああ、いらっしゃい。さ、中へ。」
名張はホテルのドアを開け、にこやかにその人物を迎え入れる。
「どうしたの? 急に……!?」
茶を淹れようとポットのある机の近くに行き、振り返った刹那だった。
突如、彼女の背中に激痛が走る。
「な、なん、で……?」
名張は薄れゆく意識の中尋ねる。
が、目の前の人物は笑うのみでまったく答えない。
「ま、まさか……」
名張は声を絞り出そうとするが、それが結果的に最期の行動になった。
◆◇
「もしもし? ……美咲さん! コンビニに行かれたにしては少し遅いので、心配していたんですが」
「ひ、大門君……ひ、人が死んでる!」
「え!」
事務所でスマホにかかって来た電話口からは、狼狽した美咲の声が。
「美咲さん、落ち着いて! ……一体何があったんですか?」
「そ、それが……」
美咲は語り始める。
先ほど男の子には見られたくない買い物だと言ったのは、実は呼び出されての外出だったこと。
そして、一人で来いとの呼び出しだったが故に、そう嘘をついたことを。
「誰に、呼び出されたんですか?」
「電話番号は、ビジネスホテルの。……相手は、あの診療所の看護師の名張って人。私を、あの殺人現場で目撃した人だって。……それで、そのことについて話があるって。」
「……そうですか。」
大門は歯ぎしりする。
おそらく、犯人は美咲に容疑を被せる為にーー
何の為に、一緒に探偵事務所にいようと言ったのか。
自分に対する怒りが湧いてくるが、八つ当たりでは何も解決しない。
「美咲さん、その名張さんの部屋に入りましたか?」
「は、入ってない……ちょっと、ドアを開けて一歩踏み込みはしたけど。」
「……はい。」
大門は続ける。
「その場から動かないでください! 僕も警察に連絡してから向かいます!」
「わ、わかった……」
大門は電話を切ってから、急いでテンキーの1と1と0を押しつつ探偵事務所を飛び出す。
もはや、居ても立っても居られなかった。
◆◇
「ふうむ。状況からして……疑いは濃厚だなあ探偵さん?」
「はい……」
現場を取り仕切る井野は、美咲をにらみつつ大門に問う。
大門が警察よりも、早く現場に駆けつけた。
大門の姿を見つけた美咲は、彼に駆け寄る。
その後、井野率いる警察官がやって来た。
今や現場は、規制のテープが貼られ検分が行われている。
大門としても、今回ばかりは美咲が犯行をした可能性を認めざるを得ない。
しかし。
「まだ、美咲さ……黒島さんを犯人と呼ぶのは早いと思いますよ?」
「ほう?」
大門の言葉に、井野は今度は彼を睨みつける。
口の減らないガキが、とでも言いたげだ。
「遺体に防御創がない……恐らくこの人は犯人と顔見知りかつ、かなり気の許せる仲ではないかと。」
「何?」
井野は大門の言葉を、聞き返す。
「つまり、被害者は抵抗しなかったと?」
「はい。更に、この部屋に犯人を招き入れて殺されている……これなら、黒島さんが疑われるのはおかしいと思います。稲田さんの事件で名張さんは目撃者だったんですから、黒島さんを易々と部屋に入れますか?」
「う、うむ……」
大門の言葉に、井野は一時黙る。
しかし。
「へん! 何が探偵だ。そもそも、彼女を呼び出したのは他ならぬ、仏さん自身なんだろ?」
井野は鼻を鳴らし、食ってかかるように言う。
「それが、おかしいんですよ。きっと犯人が」
「警察の捜査方針に逆らうな! ……さあ、彼女を連れて行け!」
「ちょっと、刑事さん!」
「いい、大丈夫だから。」
「! 美咲さん!」
井野は、強引に美咲を連れて行く。
大門は苦言を呈すが、美咲の声により立ち止まる。
たちまち彼女は、連れて行かれてしまう。
「くっ、美咲さん……待っていてください! きっと。」
大門は誓う。
何がなんでも、美咲の容疑を晴らさなければ。
「でも……何でなんだ?」
大門は考え込む。
先ほどの防御創の話は警察が来るまでの間に、大門が現場を目視して得た情報だが。
その他にも気になる点として。
現場の机の上には値札付きの服が、複数置かれていたのだ。
これらが、物語るもの。
それはつまり、被害者がこれだけのものを買ったのが、つい先ほどということだ。
服はどれも洒落たもので、生活のためにどうしても必要といった雰囲気ではない。
言ってみれば、自分へのご褒美。
と見てとれる。
しかし大門が違和感を感じていたのは、そこだった。
「殺人事件の後……自分が殺されるんじゃないかと怯えても仕方ない状況で、自分にご褒美?」
さらに言えば、いくら顔見知りとはいえ殺人事件の後で人を易々と部屋へ招き入れている。これも、不自然に不用心だ。
これは、どういうことなのか?




