私が二人
「ドッペルゲンガー?」
大門は首を傾げる。
時は、大門がまだ探偵事務所を開業したばかりの三年前に遡る。
いきなり訪ねて来た客・黒島美咲。
ゴスロリ服が似合う可愛い人だが、その目には有無を言わさぬ力が宿っていた。
その力に押され、本来ならば引き受けられない"紹介状を持たない客"からの依頼を受けることになった。
その美咲から出てきた、最初の言葉が。
「聞いたことあるでしょう? もう一人の自分を見ると死ぬってやつ。」
美咲は顔色一つ変えず、一定の口調のまま事も無げに言う。
「はっ、はあ……」
大門はうまく、調子が合わなかった。
先述の目もさることながら、この平板さもまた大門の調子を狂わせる要因だった。
まるで、人形のようだ。
「じゃあ、ここからが本題。私は、ある精神科診療所を荒らした容疑をかけられた。」
「それが、さっきおっしゃった罪を着せられるってことですか?」
「そう。その時看護師の一人が、診療所から出てくる私の顔を見たって証言しててね。」
美咲は、バッグから封筒を取り出して大門に寄越す。
大門は開けて中身を確認する。
そこには数枚の写真と、書類が。
写真の一枚には、恐らく先ほど話に出た診療所であろう建物の前の看板が写っている。
『麻上精神クリニック』と読めた。
美咲の話では、探偵事務所を訪れる一週間前くらいにこのクリニックが留守中に荒らされる事件があり、先ほどの目撃情報により美咲が任意同行を求められたという。
「ここに行かれたことは?」
「前に少しだけね。」
大門の質問に、美咲は答える。
相変わらず、心が読めない平板な口調で。
「少しだけ行かれた診療所を荒らした罪を着せられる……それは中々ないことですね。」
大門は訝しむ。
確かに罪を着せられる役となる動機は、あまり見受けられない。
「でしょ? まあ警察での任意の事情聴取も、疑わしい理由が一件の目撃情報だけだったから早く終わったんだけど……今のところ、私が犯人第一候補。」
「なるほど。」
大門は頷く。
それで、この事務所に来てくれたのか。
しかし。
「黒島さん。……その、ドッペルゲンガーというのは?」
「ああ、そういえば説明まだだったね。」
大門が尋ねると、美咲は説明を始める。
「その事件の後、私の友人が私を見つけたんだけど声をかける前にいなくなっちゃったらしくて。」
「らしくて……?」
美咲の言葉尻に、大門は違和感を覚える。
自分のことであるはずなのに、随分と他人事のような言い方だ。
「その後すぐに、友達から電話があったの。私を見かけたって。でも……友達が見かけた私は東京にいて、そして電話をしている私は埼玉にいました。さて、どうしてこんなことに?」
最後はややおどけたような言葉使いながらも、相変わらず平板な口調なのであまりそう感じられない。
しかし、大門は慣れたのか、普通に返事する。
「まあ、東京の東村山と埼玉の所沢だったらすぐに行き来できますね。」
「そういう言葉遊びをしているんじゃないの。……私がいたのは埼玉の鴻巣。友達がいたのは東京の渋谷。」
「ううん、なるほど。」
大門は首をひねる。
すぐに電話をした、というのがどの程度『すぐ』なのかは分からない。
もしかしたら、その二つを行き来できるぐらい時間が経っているにもかかわらず『すぐ』と言っていることもあり得なくはないが、その疑問を口にすればまた『言葉遊びじゃないんだから』と言われるのがオチだろう。
何はともあれ、ひとまず。
「ひとまず。……黒島さんにはもう一人の黒島さんがいて、その精神科診療所荒らしの一件も『もう一人の黒島さん』が?」
「少なくとも、私はそう考えている。」
大門はその美咲の言葉に頷く。
ドッペルゲンガーとは、そういうことか。
「だから、そのドッペルゲンガーの謎が解ければ、私の無実も証明されるんじゃないかって。」
「……なるほど。」
大門はようやく、合点する。
「引き受けてくれる? この依頼。」
「……そうですね。」
大門は敢えて、曖昧に返す。
依頼は正真正銘、悪魔の証明で間違いないだろう。
あとは、紹介状があれば万事解決なのだが。
それは、この探偵事務所に彼女が来て最初に、考慮に入れるなと言われた点だ。
大門は、ため息混じりに言う。
「いいでしょう。……それが悪魔の証明ではないという悪魔の証明、確かに承りました。」
「ありがとう。」
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「なるほど、それで依頼を受けてしまわれたと……まったく、その時からお人好しですね九衛さんは。」
「うう……面目もございません。」
茶を飲みながら大門に嫌味を言う塚井の言葉に、大門はバツが悪そうに頭を掻いた。
「まあでも、美人に弱いのは男として健全じゃない?」
「いや、今までの話にそういう所なかっただろ?」
日出美の『妻による浮気擁護』を気取った発言に、大門は猛反論する。
「いやあ、そっかそっか……あたし以前に初めての女がいましたか〜」
「ちょっと、実香!」
「いや、あんなことされたのは後にも先にも実香さんだけですよ!」
「えっ? やだ、ちょっと嬉しい♡」
「もう、実香も九衛さんも!」
大門の抗議のつもりである発言に、実香は浮かれる。
塚井は主人と日出美の初心シスターズが気がかりである。
逆に、二人をまったく気にしていない実香と大門には呆れざるを得ない。
塚井はちらりと、初心シスターズを見やる。
案の上、二人は嫉妬と恥ずかしさで赤面していた。
すぐに爆発しないだけ、成長していると言うべきか。
さておき。
「おほん! ……して、九衛さん? そのドッペルゲンガーというのは本当なんですか? その黒島ってお嬢さんに、生き別れの双子がいらっしゃるということは?」
「ああ、それは僕も最初に突っ込んだんですけど。」
塚井は敢えて、話を戻す。
大門も、実香との話は止め塚井に答える。
「彼女が持って来た封筒には、さっき言った写真の他戸籍謄本のコピーもありました。それによれば、彼女は一人っ子のようですし。生まれた病院の記録や母子手帳も、後になって調べたんですけど……彼女のお母さんの妊娠中の記録にも、双子の記録はありませんでした。」
「うーん。そうですか……」
塚井は考え込む。
戸籍はともかく、妊娠中の記録を全て偽装するのは至難の技だろう。
であれば。
「だとしたら、整形……?」
「それは、まだあり得る話ですね。……まあいずれにせよ、僕は『誰かが彼女になりすまして罪を着せようとしている』という仮説の元捜査を始めました。」
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「うーん……人を二人に分裂させるトリック……か。例えば鏡でも……」
一時調査を終え、事務所に戻った大門は。
椅子に腰掛けながら、思索にふけっていた。
時は、三年前に戻る。
「はああ……手がかりなしとはなあ。せっかくの初仕事なのに」
「本日、精神科診療所にて。男性の遺体が発見されました。」
「!?」
大門は、思わずテレビに釘付けとなる。
精神科診療所? もしや。
「死亡していたのは、この診療所に勤める看護師・稲田芳樹さん(50)。稲田さんは外傷があり、他殺と見られています。尚、目撃証言などから警察は、20代の患者の女性が何らかの事情を知っていると見て捜査を」
「!? 」
ニュース映像には、麻上精神クリニックの看板が見えたことから大門は確信する。
ついに、あの診療所で殺人事件が発生し美咲にその容疑がかけられている。
大門は無我夢中で、気がつけばスマートフォンから電話していた。
「黒島さん、黒島さん!」
コール音が鳴り響く中だが、大門は待っていられず美咲への言葉を叫び続ける。
「もしもし、探偵さん?」
「黒島さん!」
「待って。耳元で叫ばないで。」
「あ、すみません……」
何回目かのコール後、美咲は応対する。
声を聞く限りは、いつもの平板な感じだ。
「黒島さん! ……一つ聞きます。今日か昨日、あの診療所に行ったことは!?」
「えっ……いや、ないけど」
「……そうですか。」
やはりな。
大門は電話で話しつつ、上着を着て今にも事務所を出ようとしていた。
「どうしたの、探偵さ」
「黒島さん! 今から、そちらへ向かいます。どこにいますか?」
「えっ、今自宅だけど……あれ、誰か来たみたい。」
「!? だ、誰が!」
「えっと……警察。」
「……分かりました。とにかく、そちらへ向かいます!」
大門は言いつつ、一方的に電話を切った。
その時には、既に階段を下り事務所のビルの外へ出ていた。
「急がなくては!」
大門は駆け出す。
普通に考えれば、先ほど警察が彼女の自宅に来ていたならば任意同行を求められるだろう。
おそらくは最寄りの、警察署に行けば。
大門は気ばかり焦りながらも、何とか冷静さを保っていた。
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「本当に、これでいいよね?」
電話口の人物は、問う。
「ああ、大丈夫。……全ては、あの女に擦りつけてしまえばね。」
電話の向こうの人物は、突如コイントス一一に似た動きで、物体を投げ上げる。
たちまち投げられた物体は、宙で回り。
そのままその人の人差し指に、はまる。
そう、これはコインではない。
指輪だった。
「頼りにしてます……ソロモンさん。」
「ふふふ……」
ソロモンと呼ばれた人物は、低く笑う。
「さあて……君を落とすための指輪は何かな?」




