訪問者M
「お帰りなさいませ、妹子お嬢様!」
日本有数の名家・道尾家の屋敷にて。
「ああ、もう! 執事喫茶じゃないんだから!」
屋敷にてお出迎えされたこの道尾家令嬢・道尾妹子はいつもの癖で恥ずかしげに答える。
「いやお嬢様……」
「……ごめんなさい。」
随行執事の女性の突っ込みたげな視線を受け止め、妹子も恥ずかしげに答える。
執事喫茶では確かにないが、いい加減自分が本物の令嬢という自覚を持つべきだろ、と妹子の随行執事にあたる女性・塚井真尋は突っ込みたくもなるがこらえる。
大学を卒業し、就職先に選んだのがこの良家執事という職。
苦節三年、しかし中々このお嬢様は変わってくれないものだなと思う塚井であった。
さておき。
「おほ、おほん! ……ゲホッゲホッ! ……塚井。明日の予定は?」
先ほどの失態を取り繕おうと、咳払いのつもりが本当に咳になってしまった妹子は、それでも何とか取り繕い塚井に尋ねる。
「明日は……探偵事務所訪問でございます。」
「ああ、探偵事務所ね……何ですって?」
妹子は塚井に聞き返す。
「以前別荘で遭遇されましたあの事件について、詳しく調査をした方がよいと思いまして。それで、私の親友のつてを頼り依頼をいたしました。」
「ああ、なるほど……って! 何勝手に!」
妹子は口を尖らせる。
口に出せば馬鹿にされるであろう、あの事件の話だ。
「お嬢様。恐れながらここはこの家の長であり、お父様でもある主水様も言っておられること。何卒、おとなしく事件を解決なさいませ。」
「……ちぇっ。何よ、お父様なんて! そもそも名前が、はぐれやすいデカかっつうの!」
「いや、それは中の人が同じだけのまったくの別物でございます。」
「……し、知ってるわよ! でも、そっちの方が有名でしょ?」
一体何の話なのか分からなくなっているが。
何はともあれ、これで予定は確定した。
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どのくらい歩いただろうか。
まず、駅から大通りを歩き、右手に見えるスーパーの裏手の小路に入る。
そのまま小路を抜けて先ほどのスーパーの横に出て、再び大通りに出てそこから駅とは逆の方向にまっすぐ歩く。
次に、ラーメン屋が右手に見える所で引き返し。
今度は左手にスーパーが見える所でそこの裏手の小路に入り一一
「もう! なんて道案内の文章なの? 今にして思えば……この、『先ほどのスーパーの横に出て』って所でおかしいと思うべきだった〜!」
「お嬢様、お落ち着きくださいませ! とにかく指示通りに動く他、我らに道はありません!」
口を開けば文句しか出て来ない主人・妹子を相手に、執事塚井は、宥めの言葉を贈る。
彼女たちにはどうしても、辿り着かなければならない場所があるのだが。
「うう……ここ、本当に辿り着けるの?」
「辿り着ける……はずでございます!」
「はあ……もう嫌。」
妹子はついに、その場にへたり込んでしまう。
「お嬢様!」
「もう嫌……帰りたい。」
「では……帰られますか?」
弱音を吐く妹子に、塚井は尋ねるが。
妹子はブンブンと、頭を振り。
「うん……それも嫌。ここまで来たからには!」
すくっと、立ち上がる。
「さあ〜、行きましょう! 千里の道も一歩から!」
「あ、あれでは?」
「……へ?」
勇んで歩み出そうとした主人を、非情にも執事はズッコケさせる。
その目線の先には、行き先を示す文字が。
「ふうむ……あの明かりがついている窓ですよね? 九衛門探偵事務所というのは。」
「ああ、そうね……」
すっかり出鼻を挫かれた思いの、妹子である。
「お待ちしておりました、お客様。」
「おお? お、お嬢様!」
「はあ、何……え!?」
恭しく出迎えられた塚井と妹子は、びっくり仰天である。
外装の、如何にも年季の入ったビルの風情とは違い、まるで豪邸の客間のような内装だったからである。
床は毛足の長い赤いカーペットが敷かれ。
壁紙も手の込んだものが貼られ、立派な額縁が飾られ。
さらにはシャンデリアも備えられていた。
「えっと……九衛門探偵事務所ってここでいいのよね?」
「いいえ、違いますが?」
確認のつもりで聞いたというのに、この事務所の主は言下に否定する。
盛大にズッコケた妹子は。
「……ごめんなさい、間違えました!」
恥ずかしげに顔を真っ赤にし、立ち去ろうとするが。
「九衛大門探偵事務所でしたら、こちらですが?」
「え……? ……塚井! 紹介状を!」
「は、はいお嬢様……これを」
塚井は肩から掛けているカバンをごそごそと探り、中から紹介状を出す。
九衛大門探偵事務所。
確かに、そう書いてある。
「きゅ、きゅうえい……だいもん? いえ、ここのえ、ひろと!?」
妹子はまた顔を赤くし、両手で抑える。
「だ、大丈夫ですかお嬢」
「大丈夫なわけあるかーい! 人の名前間違えるなんて死んじゃいたい!」
「いやいや、お客様! そんな、探偵事務所で死ぬなんて言葉」
「だあ〜! 慰めなくて結構! 私は完璧主義者なの〜!」
妹子はしゃがみこみ、駄々っ子のように喚く。
「はあ、こうなっては……」
塚井が両手を上げ、肩をすくめる。
文字通りの、お手上げというべきか。
その目は大門に、救いを求めるかのごとく向けられる。
「やれやれ、仕方ないか……」
大門は先ほど受け取った妹子の名刺を、読み上げる。
「えっと……道尾、いもこさん?」
「!?」
「えっ?」
その声に喚いていた妹子は収まり、塚井はびっくり仰天して固まる。
たちまちその場は、凍りついてしまう。
「あ、あれ? 違いましたか……」
「……お、おほん! 私の主人の名は道尾妹子! 道尾妹子です! 道尾妹子をどうぞよろしくお願いします!」
塚井は必死に、横目に妹子を捉えながら言う。
何故か選挙演説の如くだが、さておき。
「あっちゃ〜、間違えてしまいました! お客様の名前を間違えちゃうなんて僕としたことが……でも、これでおあいこってことで、いいですか?」
「!?」
「え?」
「いや〜、僕もお客様の名前間違えちゃうなんて……でもすいません! おあいこということで! 何卒!」
大門の言葉に、塚井も、何より妹子も大いに驚く。
もしや、この男。
「え……私を慰めるためにわざと」
「いやいやいや! とんでもないですよ! 僕はただ、本当に間違えただけで〜!」
「……ぷっ。」
妹子は思わず、噴き出してしまった。
スーツでパリッと決めた大門の装いと、その手を振る子供のような仕草がかなりミスマッチに感じたからである。
「ハハハ! 面白いのね、あなたって!」
「な、何と……」
塚井は恐れおののく。
あの駄々っ子モードの妹子を、ここまで手懐けるとは。
この男は一体一一
「えっと……元気になってくれました?」
「えっ……あっ、ああ」
妹子はまた顔を真っ赤にし、今度は顔をそらす。
「そ、その……さっきは取り乱してごめんなさい! つ、次からはこんなこと、な、ないんだからね!」
「お嬢様……」
塚井は安堵しつつ、少し呆れる。
何故この場でそんなツンデレを一一
「いえいえ! ここに来られる方はどこかしら取り乱していらっしゃる方が多いですから。お客様はむしろ、かなり落ち着かれている方ですよ。」
「なっ……そ、そんなあ! 私が落ち着いていて可愛いだなんてえ♡」
「お、お嬢様……」
そこまでは言ってないよ、と言いたい気持ちを抑える塚井である。
「どうぞ、紅茶を。ハーブティーをベースにしたブレンドですから、飲むと落ち着きますよ。」
「あ、は、はい……!」
「ああ、お嬢様!」
出された紅茶を立ったまま飲もうとする主人を、塚井は窘めようとする。
「あ、ごめんなさい……私としたことが。」
「ははは……分かりにくい道でお疲れでしょう? どうぞ、お席へ。」
妹子ははっとすると、大門に勧められるがままに席に着く。
そのまま置かれているカップをソーサーごと持ち上げると、カップを口元に運び、啜る。
「うん、いい匂い……」
「それは何よりです。」
「ふう……」
妹子の息つきをきっかけに、大門も塚井も同時に息をつく。
塚井は心から大門に関心していた。
あの主人の癇癪を、こんなに容易く鎮めるとは。
「改めまして……ようこそ、九衛大門探偵事務所へ。」