戦慄の2日目
「さあ、時間です! 皆さん起きて!」
翌日。迷路のような通路を、神谷はすいすいと通り抜けて各部屋の外付け閂を外していく。
新興宗教団体・邪術教の本部地下にて行われる合宿に参加して二日目。
懸念事項であった"洗脳"も無事に乗り切った大門は。
「あっ……もう起きる時間ですか。」
部屋の中で大門は、寝ぼけ眼にて上半身を起こす。
昨日の洗脳自体はともかく、それに対して時間を大いにかけられたのは痛かった。
非常に眠い。このまま大丈夫だろうか。
「おっはよ、大門君♡」
「あっ、実香さん。」
不意に聞こえて来た声に、大門は目が覚める。
実香が、トランシーバーにて挨拶して来たのだ。
「おはようございます。」
「もう……相変わらずハート付かないんだ。」
「え?」
「ううん、もういい。」
実香の残念そうな声に、大門は首を傾げる。
実香も、分かってはいたがこれでは自分がハートの付け損だと、少しがっかりする。
「ほらほら皆さん! 早くして頂けないと困りますよ!」
廊下から神谷の声がする。
慌てて大門は身支度を整える。
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「おはようございます! 神谷さん!」
「やあおはよう、近江君!」
大門は、人懐っこい笑顔を浮かべて神谷に挨拶する。
あたかも、洗脳が成功した信者のように。
「さあ、集会部屋に急ぎなさい。朝食の時間ですよ。」
「は、はい!」
大門は再び笑顔を返し、集会部屋に急ぐ。
「(ふう、営業スマイルって本当疲れるな……サラリーマンの皆さまいつもお疲れ様です。)」
笑顔の裏で、大門は早く素の表情を浮かべたい衝動に駆られていた。
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「遅いぞ、近江君、十市君、一木君!」
「はい、すいません!」
集会部屋に来るや、今名前を呼ばれた三人は假屋崎に怒られた。
まず近江一一もとい大門が入り、次に実香。
更にその後少し遅れて、一木来菜が入って来た。
「まったく、皆来ているんだぞ! ……まあいい、席に着きなさい。」
「はい!」
昨日洗脳に成功した(と、思われている)大門が含まれているためか、強く責め過ぎるような真似はされなかった。
慌てて大門らは、席に着く。
席と言っても、昨日は修行の邪魔になるであろうことを見越して端に寄せられていた長机のことだ。
椅子はなく、床にそのまま腰掛ける。
今日の朝食は、缶パンとフルーツ缶詰だ。
まあ、昨日の食事も缶詰だったが。
「(なるほど……これじゃあ元気が出なくなりそうだな。)」
大門は缶詰を見つつ、考える。
これも、抵抗する気力を奪うための工夫だろうかと。
深い意味はないかもしれないが、やはり洗脳の土壌作りをしているのではという考えは禁じ得ない。
さておき。
「神谷さん、沢島がいません。」
「何?」
假屋崎の言葉に、神谷が首を傾げる。
「まったく……教団幹部が寝坊では示しがつかないだろ!」
「す、すみません……」
「もういい、私が呼びに行って来る。」
責めても仕方ない相手を八つ当たり気味に責め、神谷はそのまま沢島の部屋へ様子を見に行く。
「……おほん! 君たち。神谷さんが沢島さんの様子を見に行っている間だ。騒ぐなよ。」
先ほど神谷に八つ当たりされた恥を雪ぐためか、はたまたそのことに対する八つ当たりか、假屋崎がわざとらしく威厳を示すように言う。
言われなくても、皆騒いでなどいないのだが。
そう大門が考えていると。
「だっ、誰か……誰か来てくれ!」
その声に皆、驚く。
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「どうしたんですか、神谷さん!」
真っ先に集会部屋を飛び出したのは大門と、日南だった。
「ま、待て! わ、私を置いていくな!」
二人に遅れをとりつつ、假屋崎は必死で追いかける。
「あ、お、近江君……!」
神谷はすっかり、文字通り腰を抜かした様子で沢島の部屋の前に座り込んでいた。
「あ、あれを……」
「あれ、ですか? ……!?」
大門らは息を呑む。
そこには、背中を刺された沢島が、事切れていた。
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「ど、どうしたの? ひろ……近江君!」
「見ない方がいい! 下がって。」
様子を見に他の信者と共にやって来た実香は、日南に制される。
「日南さんの言う通りです、皆さん下がって!」
「い、いや、近江君! 君たちだって。」
いそいそと死亡確認や現場保存に取り掛かる大門に、ようやく自分の教団幹部としての役割を思い出したのか神谷が言う。
まあ僕のような役割を担わないにせよ、せめて日南さんのように皆を制する役割は担わなきゃいけないだろ一一大門は沢島の遺体を検分しつつ、冷ややかに考えていた。
人間はピンチの時こそ、本質が見えると言うが。
普段威張っている教団幹部がこれではな。
大門は心の中でため息をつきつつ、腰を上げる。
「どうだ、近江君。」
「沢島さんは……残念ながら。」
日南の問いに対する大門の答えに、中田や牧村は恐怖のあまり叫ぶ。
川端も目に見えて、おろおろし出す。
来菜も、口を両手で塞ぐ。
教団幹部も顔を真っ青にし呆然とする中、大門や日南、実香だけは落ち着いていた。
その時だった。
一階と地下フロアを結ぶ階段から、爆発音が鳴り響いたのは。
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「くっ、これは!」
「一階への出入り口が瓦礫で塞がれてしまったみたいですね……」
「くそっ!」
未だ煙が舞う、一階への階段付近にて。
大門は、煙に目や喉をやられないようにしつつ、目を凝らして状況を把握する。
「非常口がまだ生きているかもしれない!」
「それなら、すでに十市さんたちに確認しに行ってもらってます。」
急いで自ら非常口を見に行こうとする神谷を、大門が止める。
すると、トランシーバーに連絡があった。
「実香さんですか?」
「大門君! 駄目、非常口はあらかじめ塞がれていたみたいで扉が開かない。」
「……そうですか。」
大門は神谷から見えない位置に移動し、小声で連絡をとる。
実香にも他の人にトランシーバーがバレないように言ってある。この期に及んでトランシーバーを隠してもどうしようもないと思うが、面倒な議論は避けた方がいい。
「神谷さん! ……どうやら、非常口はあらかじめ塞がれていたみたいです。」
「ううむ……」
神谷は絶句する。
そして、大門はおそらく彼が切り出しづらいであろうことを切り出す。
「沢島さんは他殺です。殺人事件となれば、警察に動いてもらわないと。」
「け、警察か……」
神谷は困惑を滲ませた返事をする。
やはり、警察は関わらせたくないようだ。
しかし、言っている場合ではない。
「さあ早く! ここに入る時に回収された通信機器類を返してください! 警察に連絡しないと。」
「わ、分かった……」
本当ならば、ここで洗脳が成功しているはずの大門が事態を客観視できていることを訝しむべきなのだが。
神谷の頭には既に、それに対する疑いを考えるだけの空き容量はないようだ。
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「ない! 沢島が管理していたのだが……」
神谷は多少腰が引けていながらも、沢島の遺体を放置するしかない彼の部屋に入り探していたが、本当にないらしい。
「せめて、幹部の人たちだけでも自分でスマートフォンなり持っていませんか?」
「私たちも預けてしまっていたから……」
大門の問いかけに、神谷は力なく答える。
大門と実香のトランシーバーはおもちゃ同然のもの。
当然、警察に連絡などできない。
大門はそんな状況の中、先ほどの神谷の威厳のカケラもない姿について考えていた。
他の信者たちも、假屋崎も、沢島の部屋の前にいる。
全員の前で、そんな情け無い声をだすのか。
大門は周りを見渡すと、皆も怯えた顔をしている。
「ああ、何で私たちが……」
「理沙子。」
「美樹、帰りたい……」
既に、教祖のビデオメッセージを見ていた時の表情は皆から消えている。
あるのは、現状に対する絶望感だ。
しかし、現状に打ちひしがれている場合ではない。
大門は意を決し、言いづらいあのことを言おうとする。
すると。
「でも、犯人は絞られますよねえ……」
「!?」
日南のつぶやきに、皆彼を見る。
「だってそうでしょう? 昨夜、沢島さんは他の教団幹部と自分を除く全ての信者の部屋に外から閂をかけたんだから。つまり、昨夜犯行可能だったのは……」
日南は、視線を移動させる。
皆もつられて、視線を移動させる。
無論、その先にいるのは。
「……ねえ? 神谷さん、假屋崎さん。」
「!? なっ、きっ、貴様!」
「止めろ、假屋崎!」
怒り、日南に掴みかかろうとする假屋崎を、神谷が取り押さえる。
「神谷さん、俺たちは疑われているんですよ!」
「假屋崎君、落ち着け! ……日南君の言う通りだ。」
「!? 神谷さん!」
その言葉に、假屋崎は動きを止める。
「……すいません。少し言い過ぎました。」
日南は、神谷と假屋崎に謝る。
「……思い出しました。朝、昨夜沢島さんがかけられた閂を外されたのは神谷さんでしたよね。閂がかかっていない部屋はありましたか?」
「ああ、それは」
「ちなみに。……嘘の証言は偽証罪になる可能性があるのでご注意を。」
「き、貴様!」
自らの問いに口を開きかけた神谷に、日南は釘を刺す。
その挑発的な言葉に、假屋崎はまた掴みかかろうとするが。
「やめなさい、假屋崎君! ……ああ、閂はきちんとかかっていた。」
「……証言ありがとうございます。」
日南は、神谷に笑いかける。
日南の変貌ぶりに大門も驚きつつ、考える。
神谷は、一応最有力容疑者の一人だ。
その証言だから、当てになるかと言われれば確かに保証はしかねる。
しかし、少なくとも神谷には、ここで閂が全てかかっていたという嘘の証言をするメリットがない。
むしろ、誰かの部屋に閂がかかっていなかったと偽証する方が、容疑を別の者に向けられるメリットがある。
大門は、少なくとも今の証言には些か信憑性があると考えた。
「……そういえば、沢島さんの部屋は神谷さんが遺体を第一に発見した時、どうなっていましたか?」
今度は大門が、神谷に尋ねる。
混乱の中で、聞きそびれていた。
「ああ、鍵が閉まっていて。ドアを叩いて声をかけても返事がないから、私がマスターキーで彼の部屋を開けたら……彼の遺体と、傍らにマスターキーと彼の部屋の鍵が転がっていた。」
「ありがとうこざいます。」
大門はまた考える。
この証言も、大門自身が現場検証をした際のことと照らし合わせ信憑性はある。
もっとも、大門らが駆けつけたのは神谷が部屋を開けた後だ。カードキーは、神谷が転がした可能性もあるが。
しかし、密室を作り出すだけなら部屋はオートロック式だから、扉を閉めるだけで事足りるはず……
そう考えていた時、日南が口を開く。
「いや、そういえばいるな……この犯行を行えた人物が。」
「!?」
その言葉には、大門も含めた全員が面食らう。
「え!? 」
「だ、誰なのそれ!?」
中田が、聞く。
「そうだなあ、例えば……邪術卿が実はこの本部に来ていて、邪術の間に潜んでいるとしたら……?」
「!?」
その言葉に再び全員が、耳を疑う。




