地獄の1日目
「では、これより……我らが教祖・邪術卿から詔を承っています! そちらをお聞きいただきたい。」
教団幹部・神谷は信者たちの前で話す。
十市実香からの依頼により、彼女と道尾家執事・塚井の親友である一木来菜の救出一一ひいては、新興宗教・邪術教の秘密を暴くことのため、潜入捜査している大門(と、無理を言ってついて来た実香)だが。
教団の新顔となる信者及び、評価の低い信者の合同合宿にて、これより教祖・邪術卿のメッセージが流されるという。
目の前にあるのは、テレビのモニターだ。
そこに神谷は何やらDVDを入れ、再生ボタンを押す。
映った物は。
「!?」
思わず大門と実香は、息を呑む。
そこには、魔女帽子のような形状に二つの切れ長の目のようなスリットの入った頭巾で顔を覆った人物だった。
「(この人が……邪術卿……)」
大門は驚きの感情の次に、少々呆れが湧いてくる。
いくら信者たちに対するプロパガンダの意味があったとしても、これはやりすぎではないか。
さておき。
「よくぞ来た、我が寵愛する信者たちよ……」
邪術卿はその口から、おそらくはボイスチェンジャーのようなもので改変された極度に低い声を発する。
これも演出か。
そうこうするうち、邪術卿の話は進む。
内容はバスの中で信者たちが復唱させられていたような教義の話であったり、また、その教義通りに生きることでどんな神の恩恵が受けられるかといったものだった。
大門は聞き入るが、やはり当然の疑問が湧いてくる。
「(邪術なんて使って、どう生きろと?)」
教義に突っ込みを入れるというのはある意味反則だろうが、それをせずにはいられない。
これは大門の探偵としての、何事にも穿った見方をする性分を抜きにしても、第三者が見れば同じように感じることだろう。
しかし、入り込んでしまった者にはそれは分からない。
周りを見れば、皆うんうんと聞き入る。
中には、涙を浮かべる者さえいる。
実香を除いて。
「(なるほど、実香さんも騙されまいと……よし、教えたことがしっかり生きてるみたいですね。)」
大門は実は、実香に教団に騙されない心構えを教えていた。
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「洗脳?」
「ええ、恐らくこの教団に入ればあの手この手を使って必ずやられるでしょう……しかし、ご安心を。ちゃんと策はありますから。」
「……うん。教えて、大門君。」
教団本部に来る数日前。
いよいよ敵地に乗り込むとなって、実香と大門は探偵事務所で打ち合わせをしていた。
「まず、教義の素晴らしさを説いたりする話はその一切を聞き流すこと。」
「うん。」
「そして……これは一番厄介な洗脳なんですが。」
大門は思わせぶりに、深刻そうに言う。
「……ごくり。」
唾を呑む擬音を口で発し、しかしふざけた面持ちではなく深刻そうな面持ちで実香は耳を傾ける。
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「これより、通過儀礼を行う者を一名、そして修行をする者をその他全員とする! 」
邪術卿のビデオメッセージが終わるや、神谷は次の指示を飛ばす。
信者全員が居住まいを正す。
大門も居住まいを正しつつ、神谷の言葉に少し引っかかるものを感じる。
通過儀礼。
これは、もしや。
「その通過儀礼は……近江君! 君に受けてもらう。君は私と假屋崎君と共に、この真向かいの新礼拝部屋βへ。他の者は沢島君の指導のもと、修行に励め! 以上!」
「はい!」
近江。大門の偽名である。
うっかり名前を呼ばれて無反応にならないよう、常に心の中で復唱しているので今回も無反応にはならなかった。
部屋を出る際、実香が心配そうな視線を送って来たが大門は心配ないと視線を返す。
そのまま大門は、今いる部屋の真向かい一一新礼拝部屋βへ。
昨日初めて邪術の間の扉を見せられた、あの新礼拝部屋αとはその邪術の間を挟んで真裏にある部屋だ。
そこには無論一一
「さあ、近江君! ……扉を閉めて。」
「はっ、はい!」
大門は言われるがまま、扉を閉める。
新礼拝部屋βの中で。
あの邪術の間には、新礼拝部屋β側の出入り口もあるらしく、α側と全く同じデザインの扉がある。
例の、ケルベロスのデザインが彫り込まれた扉だ。
「さて、近江君。……まずは、君の一番古い記憶を話してはくれないか。」
邪術の間の扉を挟み、右脇に神谷、左脇に假屋崎が座り。
大門はその扉の真正面に座らされ、神谷から指示を受ける。
この扉の前で教団への絶対的服従でも誓え、とでも言いたいのだろうか。
「はい。」
大門は、話し出す。
母に代わって自分を幼稚園に送り迎えしてくれた、兄に手を振っている光景が最古の記憶だと。
しかし、それを聞くと神谷も、假屋崎も表情を強張らせる。
「手を振っている? おいおい、お兄さんは……これから一刻も早く学校に行きたいと思っていただろうに。何でそんなことして面倒くさがらせた?」
「め、面倒くさがらせたなんて……そんな」
「いや、面倒だった……もっと言えば、迷惑だったかもしれないな。弟の送り迎えなんて、嬉しくなかっただろうからな。」
「そ、そんな!」
大門は叫ぶ。
神谷だけでなく、假屋崎も責めてくる。
割合、思い出を粉微塵に潰す勢いで。
「まったく、今大人になっていてもそんなことに気づかないとは……まあ、そんなことに幼稚園児の頃にも気づかなかったのなら、今気づく訳はないか。」
「……はい。」
假屋崎は吐き捨てるように言う。
大門は、小さくなる。
「まあいい。……さあ、次は? 君の、次に古い記憶だ。」
神谷が促すままに、大門は更に話す。
次は、小学校一年生の時の記憶だった。
消しゴムを忘れてしまい、隣の席の同級生に借りていたこと。
しかし、無論。
「消しゴムを忘れた……まったく、前日のうちに準備しておくことにも頭が回らないとは。」
やはり神谷の口からは、否定的な言葉しか出てこない。
その後も、次から次へと質問をされた。
無論、次に古い記憶、さらにその次に……と、順番に話させられその度に否定される。
運動会でこけたと言えば、運動ができないのに練習も真面目にやらなかったのかと言われ、受験で第1志望に落ちたと言えば、勉強も真面目にできないのかと言われ。
大門は、自分が自分でなくなっていく感覚を感じているようだった。
「さあ、もうないのか?」
「うう……もう、勘弁してください。」
「何?」
「勘弁してください! もう嫌なんです……何を話しても、否定されるだけなんて……」
大門は弱った様を見せる。
すると、神谷と假屋崎は。
「当たり前だ! 君のこれまでなど、一切合切否定させてもらう。……今、この教団の教祖の寵愛を受けるべき信者として再出発してもらうために。」
「!?」
その二人の言葉に、大門は頭を抑える。
「あ……ああ……」
「そうだ、君は選ばれたんだ……我が教祖に! 神に! だから、これまでの君はもはや捨て、根本的に人間として変わるのだ!」
「あ……あああ!!」
大門は涙を流す。
それはさながら、憑き物が落ちたかのような表情だった。
「では、これを。」
新礼拝部屋βを出る際、大門はカードのルームキーを渡された。
今回の修行では、この教団本部地下フロアにカンヅメになる。
個人の部屋も、この地下フロアにあった。
「はい、ありがとうございます!」
大門はカードを受け取り、礼を言う。
「うむ。……もう夜は遅い。部屋に戻ったらすぐ就寝しなさい。……明日から、修行に励むように。」
「は、はい!」
神谷のにこやかな顔に、大門も笑顔を返す。
大門はそのまま、自分の部屋に行く。
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迷路状のこの地下フロアは、とにかく入り組んでいてやはり迷いやすい。
これは建築基準法にきちんと則っているのかと、大門は醒めた感想を抱く。
渡されたルームキーの番号と、壁の案内表示を確認しながら進む。
地図も渡されていないので、壁の案内表示だけが手がかりだ。
ようやく部屋に戻ると、大門はあらかじめ引かれていた布団に寝転ぶ。
「はあ……何とか乗り切ったか……」
先ほどの明るさが嘘のように、大門は気だるげに話す。
無論、大門は先ほどの一件で洗脳されてなどいない。
あそこで語った内容は、全て嘘だった。
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「こ、根本的に否定?」
「ええ、それが……人を洗脳するのにベストなやり方なんです。」
事務所にて実香と大門は、打ち合わせを続けていた。
時は再び、出発の数日前に遡る。
大門は、恐らく教団がとるであろう洗脳手法について、実香に話していた。
そのやり方は、先述の通りだ。
「まあ、言ってしまえば……その人の一番古い記憶から始まって、どんどんその人の記憶を引き出して行って……いずれも、粉微塵に否定するんです。」
「うわあ……」
大門の話を聞き、実香は両手で口を塞ぐ。
「そ、そんなやり方なの? 大丈夫かな……」
「大丈夫。そんな時は……嘘のストーリーを用意し、それを否定させればいいんです。」
「え?」
実香は目を見開く。
「嘘の、ストーリーを?」
「そうです。所詮否定されるのは嘘の自分ですから少なくとも、根本的に否定されることはないでしょう。」
「うん……分かった、頑張ってみる。」
実香は、決意を固めた。
「ええ、僕も頑張りましょう。……来菜さん救出のために。」
大門は、胸を張る。
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懐の感触により我に帰る。
探ってみると、懐に忍ばせたトランシーバーだ。
実香との連絡用として、彼女にも渡したものだった。
「……お疲れ様、大門君。どうだった?」
出るなり、実香は聞いて来た。
「ええ、完全に想定通りでした。……でも安心してください。僕は大丈夫です。」
「……よかった。」
実香はほっと胸をなでおろす。
信用しているとはいえ、一抹の不安はあっただろう。
「……実香さん、そちらの修行は?」
「ああ、こっちは……もう最悪。」
「最悪?」
大門が問いかけると、実香は話す。
訳の分からないポーズを取らされ、そのままひたすら念じるように言われたことを。
「念じる、ですか……」
「そう。それで邪術使いに少しでも近づけたとみなされた者から、部屋に戻っていいって。」
少しでも近づけたとみなされた者一一
大門はそれを聞いて苦笑する。
それをみなす者は、沢島か。
ならば、沢島の独断ということか。
「それで一人ずつ、部屋に帰された……まあ、私は訳が分からなかったから、一番怒られて一番遅くまで残されたけどね。」
実香は深く、ため息をつく。
「ああ、明日は私が通過儀礼かな……あああ、大門君以上に強く言われそう。」
「大丈夫ですよ、実香さんなら。……打ち合わせを、思い出してください。」
「うん。ありがとう!」
大門の励ましに、実香は少しばかり元気を取り戻す。
と、その時。
「あ、ごめん。……見回りが来たみたい。沢島さんの声がする。……じゃ、お休み♡」
「あ、はい。……おやすみなさい。」
「ううん……そこはハートマークつけてほしかったな……」
「え? 」
実香はふくれを声に滲ませるが、大門には何のことかわからない。
「……実香さん?」
「ごめん。じゃ、また明日。」
通話は一方的に切れた。
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「いるか!? 十市君。」
「はい、います!」
「よし。」
沢島は実香の部屋のドアを叩き確認すると、外の閂をかける。
信者が勝手に出歩けないようにするためだ。
そうだ、信者はただ黙って教団に尽くせばいいんだ。
数年前のことだって、そうだった。
あれは、あの信者が悪かった。
だから、自分は悪くない。
そう考えるうち、ついに最後の信者の部屋一一近江の部屋の前だ。
「近江君、いるか?」
「はい、います!」
「……よし。」
沢島はまた、閂をかける。
先ほど廊下で神谷、假屋崎に会い聞いたが、彼もまた通過儀礼をクリアしたらしい。
これで、いい信者が増える。
沢島は、少し浮かれる。
既に全ての信者の部屋、更に他の部屋も全て確認してある。一一あの部屋、邪術の間を除いては。
まあ、あれは絶対に開けられない代物だから仕方ない。
後は、帰って寝るだけだ。
同じく地下フロアにある幹部の部屋は、無論閂をかけない。
そうして沢島は鼻歌混じりに自室に戻る。
カードキーを差し込み、鍵を開ける。
さあて、シャワー浴びて一一
その時だった。
急にドアが、開いた気配があった。
沢島は訝しむ。
馬鹿な、オートロックで閉じられたはずだ。
後ろを振り返る。
「!?」
沢島は信じられない光景に、腰を抜かした。




