14.賽は投げられた
サピエンス――森で暮らすエルフとは異なり、平原で生きることを選択した人類種。農耕という基盤に支えられて版図を広げた彼らであれば、数の力という点では邪教の使徒たちにも劣るまい。彼らを味方につけることができるなら、なるほど心強いことは確かだろう。
しかし反面、懸念も大きい。
オスカーですらそう感じるくらいだ。相談役の老エルフたちの反応など、実際に聞くまでもなく知れていた。
「サピエンスだと? 冗談ではない!」
「血迷ったかコーネリウス? サピエンスなど所詮は同族殺しを繰り返す野蛮な種族ではないか。そんな連中を味方に持ってみろ、いつ寝首をかかれるか分からんぞ」
「左様。そんな愚かさを抱えながら『賢き者』を名乗る不遜さも気に入らん。とても我々とは相容れんと思うがな」
――やはり、こうなるか。
矢継ぎ早に浴びせかけられる反論の悉くがもっともらしい説得力を有していた。サピエンスが紛争に明け暮れているのは歴史的な事実だ。およそ同族で相争う文化のないエルフとの関係は、険悪というほどではないにせよ、ある種の距離感が横たわっていることは否定しがたい。
オスカーは臍を噛んで事の成り行きを見守った。
果たして、コーネリウスは冷静に応じた。
「問題はありませんよ。少なくとも当面の間はね」
「……なぜそう言える?」
「地理的条件が整っているからです」
そしてコーネリウスは、あらかじめ準備していたのだろう、あたり一帯の地図が描かれた羊皮紙を卓上に広げる。
「これは……ずいぶんと詳細な図だのう?」
「サピエンスの中には都市間を渡り歩く商人や冒険者がいる、ということは皆さんもご存じでしょう。彼らが森に迷い込んだ際に私が案内役を買って出たことがありましてね。その際に譲り受けたのです」
「――ふむ」
「問題は紙の出所ではありません。地図をご覧ください」
コーネリウスの長い指が地図上の一点を指す。
北方、白亜の森よりもさらに北。黒く塗りつぶされた箇所がある。
パウラ教団の根城だ。
コーネリウスの指が南下してゆく。白亜の森の南には荒地が横たわっていて、そこを越えると草原地帯に出る。草原地帯をさらに渡った位置に、緑の染料を塗りたくって表現された土地が広がっている。
他でもない、ここ蒼鏡の森である。
コーネリウスの指がさらに南へと滑る。森を脱して平原に至れば、そこはもうサピエンスの領土だ。
「城塞都市シルトブルク。サピエンスの国家、ハイデンツ王国の最北の要衝です。もし我々の森が落ちた場合、次に脅かされるのはこの街ということになる」
長老の、そしてご意見番たちの顔つきが変わりはじめる。オスカーも同様だった。コーネリウスがどのような絵を描いているのか、ここにきて全員が理解した。
「教団の脅威があるうちは、サピエンスにとって我々は突風を防ぐ林のようなもの……というわけかの」
「そのとおり。我々と結ぶことはサピエンスにとって実利のある話なのです。共通の敵を排した後までは保証できませんが……しかしまあ、我々が立ち回りを誤らなければ衝突には至りますまい。平原の民である彼らが森を手中に収めに来るとは思えませんから」
「……なるほど」
ベルント長老はひとつ頷き、おもむろに立ち上がる。
数多の皺に刻まれた顔に、決然とした表情が浮かんでいた。
「コーネリウスの策に乗る」
議場が静まりかえった。
エルフの集落において長老の意思は絶対とされる。掟の制定しかり重役の任命しかり、集落全体にかかわる重要事は、最終的にはすべて長老の名において行われる。
外敵に戦いを仕掛けるか否かの決定は、その最たるものだ。
「まずは目下の危難を払わねばならんの。――コーネリウス、早急に戦の準備を進めよ。我々の森からオークどもを排除する!」
賽は投げられた。
あとは実際に戦い、勝利を得るのみ。戦闘生物の群れが相手であることを思えばそれこそ最も難しいことには違いないが、だとしても、まず生き延びなければエルフに未来は訪れないのだ。
オスカーは議席に背を向ける。動揺と不安を孕んだ複数の視線が突き刺さるが、彼らの感情が自分に伝播することはない。
――おれが守る。
――ヒルデガードとミヒェルを、そして二人の暮らすこの森を守る。
――もう二度と、おれのような者を生まないために!
「オスカー殿、あなたの配置についてですが……」
「おれは一人で構わん」
追いすがってくるコーネリウスに対し、オスカーはきっぱりと言明した。たちまち若者の美貌が曇る。無理もないとは思ったが、こちらとしても譲るわけにはいかず、オスカーはさらに言葉を継ぐ。
「剣も魔法も心得がある。簡単にはやられんさ」
「しかし……」
「おれはここに来て日が浅い。連携の取れない余所者が部隊にいては足を引っ張りかねんだろう? 別々に動くべきだ」
我ながら苦しい。少なくとも逆の立場なら、オスカーは絶対に単独行動を許可しないだろう。いかにエルフが森の加護を得られるといったところで、オークの群れと一人でまともにぶつかれば勝ち目などあろうはずもない。
だが、どうやら決意の固さは伝わったらしかった。
こちらと視線を交錯させたコーネリウスは、しばしの沈黙を経て諦めたように息をついた。
「承知しました。では、オスカー殿には単騎で遊撃にあたっていただきたく思います。くれぐれも無理はなされませんよう」
「感謝する」
オスカーは一礼し、足早に建物から立ち去った。