二話「占い師・セイディ」
「おはようございます、レディ・アメリア。本日付で村へ戻る予定だったのですが、少し時間が掛かりそうだ。ご家族には先に伝令で無事を知らせておきました。婚約の旨も、願ってもない事だと仰って頂きました。出来る限り早く村へ戻りましょう。」
「あ、おはようございます。お手間をかけさせてしまって、すみません。ありがとうございます。」
「……ああ、それから、貴方にこちらのドレスを。先ほど出掛けた折、貴方にとても似合いそうなものを見かけたものですから。宜しければ、どうぞ。」
優しい声音と、綺麗な包みを持って部屋を訪ねてくれるクリス様に、まるでお姫様になったかのような錯覚を感じさせてくれる。平伏……は止められてしまうから、ぎこちなくワンピースの裾をつまんでみる。
「これ、私に……?ありがとうございます。早速開けてみても下品ではありませんか?」
「品がないだなんて、とんでもない。プレゼントは直ぐに開封して頂いた方が嬉しいですよ。どうぞ。」
昨晩から、クリス様の微笑は時折少年のように屈託なく映る。……愛想笑いでなくなったと思ってしまうのは自意識過剰だろうか。考えすぎてしまうと顔を合わせるのも恥ずかしくなって、瞳を伏せて顔を合わせようとしないままに手を伸ばして包みを受け取り、リボンを解く。
途端、視界に飛び込む目の覚めるような群青色に目を見開き、逸る気持ちを抑えられず包みを少々乱雑に取り払ってしまい、ドレスを広げる。白く繊細なレースが襟と裾にあしらってあり、薔薇の形に彫られているボタンは貝殻だろうか。キラキラと輝いていて、美しい。深い海を思わせるかのような繊細な作りのドレスにどんどん気持ちが高揚していくのがわかる。
「とても、綺麗な色……です。ありがとうございます。大事に着ますね。」
流石に、クリス様の瞳の色と同じですね、とは思っていても言えなかったので心に閉まっておく。恐らく、この格好で出歩いていては体裁が悪いから身の丈に合わせて適当に選んで来てくれたのだろう。
「ええ。気に入って頂けて何よりです。……ところで、早速で申し訳ないのですが、本日は貴方に紹介したい者が居ます。異国の占い師なのですが、礼儀を重んじる様な者でもありません。私の執務中、彼の霊視を手伝って頂きたいのですが、構いませんか?」
「大丈夫です。……あの、このドレスに着替えてもいいですか?」
「もちろんですよ。部屋の外でお待ちしています。」
扉が閉まるのを確認してから早速滑らかな布に着替えて、くるりと一回転してみる。ふんわりと広がる群青色のスカートはとても美しく見えて、本当に令嬢になったみたいだった。思わず頬を緩ませつつ、弾んだ足で部屋を出て、言葉通り外で待ってくれていたクリス様の元へと向かう。
「お待たせしました。……ええと、どちらまで行くのでしょう?」
「屋敷の中ですよ。ご案内しましょう。こちらです。」
窓のない、お屋敷の隅だった。部屋は薄暗くて、肌寒い。……怖い人だったらどうしようか……。考えているうちに、クリス様が部屋の中へ踏み入れる。
「いつまで眠っているつもりだ、セイディ。仕事をしろ。」
……クリス様が部下に対して話しているところを初めて見た。先程まで話していた声色が嘘のように、威圧感を醸し出している。
もぞ、と奥の布が動いて、ゆらりと立ち上がる。占い師って細身で美しい女性のイメージがあったのだけど、その体躯は、クリス様と同じくらい……もしかしたらもっとかも知れないと思うほど、逞しい。褐色の肌が余計にそう見せるのかも知れない。抜けるように白い肌のクリス様とは対照的だった。濃い紫色の髪を乱雑にかきあげて不満そうに此方を睨み付けてくる瞳は金色の三白眼で、此方も威圧感がすごい。
「いつ占おうがオレの勝手だろうが。つーか仕事はどうしたよ、クリスお坊ちゃん。早く行けって。」
「……。……例のレディを連れて来た。くれぐれも怯えさせない様に。」
「あん?……へえ、そこの嬢ちゃんが狼憑きってヤツか。女をビビらせて喜ぶ趣味はねえよ。仕事に関わるなら尚更だ。っつー事で、今はここで雇われ占い師やってるセイディだ。適当によろしくな。」
片手を揺らすその動作にシャラシャラと大振りの装飾が揺れる。耳と、首と、腰にも……鈍く金色が光る。占い道具だろうか。睨み付けられた時は竦み上がる程だったけれど、破顔一笑する様は非常に人当たりが良さそうだ。
「アメリアです、セイディ様。足手まといにならないように頑張ります。」
「聞いただろ?ここじゃ嬢ちゃんの方が立場が上だ。セイディでいい。」
「ええと、……じゃあ、セイディさん。」
「何でも良いけどな。好きにしてくれ。」
セイディさんは欠伸を噛み殺しながら胡座の上にガサガサと赤茶けた紙を広げ始める。薄暗くて良く見えないけれど、……何か模様が書いているような……。
クリス様は、口元を手で覆ってしばらく考え込む様子を見せた後、照れ臭そうに笑う。
「つい、いつもの調子で話してしまいましたが……貴方も気を遣う必要はありませんよ、レディ・アメリア。彼がもし何か粗相をした場合は大声を出して下さい。近くに他の者を武装させておきましょう。」
「オレは狂犬か。何にもしねえって。良いから坊っちゃんは早く仕事に行けよ。気が散るだろ。」
「先程まで寝ていたくせに、よくそんな口が……んん。とにかく、あとのことは宜しくお願いします。」
話す途中で咳払いをするクリス様に思わず笑ってしまう。もしかして、あの子供っぽいところが素なのかな。……とても可愛いと思う。
「どうかお気を付けて。行ってらっしゃいませ。」
「ええ。……出来る限り早く戻ります。」
クリス様はバツが悪そうに視線を逸らして慌ただしく行ってしまった。……笑ってしまったの、もしかして気に障っただろうか。考えているうちに、金色の瞳に見上げられている事に気付く。……寝起きだからか、気怠そうだ。
見上げられ続けるのも申し訳なくて、そっとその場に腰を下ろす。
「取り敢えず飯でも……と言いてえところだが、クビにされちゃ、たまったもんじゃねえ。早速始めるかね。」
「はい!私は何をすれば良いでしょう?」
びっしりと私には読めない文字と模様が書いてある赤茶色の紙を下敷きに座り直したセイディさんは溜め息混じりではあったものの、瞳はいつの間にか真剣そのものだった。
……なんというか、占い師というより魔法使いみたいだった。自分のことなのだけれど、ワクワクする。今から何が始まるんだろう。背筋を伸ばして指示を待つ。
「お嬢ちゃんの憑物ーー狼だったか?ソイツの元を辿る。憑かれた時に一番疼いた場所ってのはわかるか?」
「そんな事が出来るんですか!?疼いた場所……ええと、目だと思います。」
「試してみる価値はあるだろう。クリス坊っちゃんはああ言ってるが、実際嬢ちゃんに憑いてんのが狼かどうかもわかんねえしな。ま、力を抜いててくれ。アンタに同調する。」
「お、お願いします。」
様々な色が混じった手袋を嵌めた掌に両目を押さえられる。……じんわり温かい掌から昨日飲んだハーブティーの匂いがするのだけれど、セイディさんもあのお茶が好きなのかしら……。
「ああ。ありゃオレが作ったヤツだな。占いだけじゃ生計が立てられねえんだよ。こんな事でもねえ限りはな。お嬢ちゃんが起きた時に落ち着くなんかねえか、って……クリス坊っちゃんが慌ててたから一つ分けてやったんだ。」
「えっ……!?」
「同調してる間は余計なことを考えない方がいいぜ。全部わかっちまう。」
二重の意味で驚いた。……セイディさん、ハーブティーも作れるんだ……いや、そうじゃなくて、集中……余計なことを考えないようにしないと……!
ーーどれぐらいそうしていたのだろう。数分かも知れないし、数時間かも知れない。脳を蕩けさせるような熱とぶつぶつと呟かれ続けるよくわからない言葉の詠唱が続いて、意識を手放しそうになった時。
「よし。今から大事なことを話す。よーく聞けよ。」
「は、はい、なんでしょう。」
何か重大な事がわかったのだろうか。息を飲んで、セイディさんの次の言葉を待つ。
「ーークリス坊っちゃんの義母殿がさっきからずっとこの部屋を覗いてやがる。オレも気付かなかったって事は覗かれたのは同調を始めてからだろうが……だとしてもこの状況はマズい。」
聞かれないようにと小さな声で伝えてくるセイディさんに、僅かに首を傾げる。
「まずい、とは……?」
「こりゃどう見てもマズいだろ……。婚約するってのに他の男と二人、窓もねえ密室で占いしてましたって言えるか?立会人も立てずに?」
「そ、そんな……。でも、クリス様は知っています。」
「あの坊っちゃんが上手いこと説明出来るかどうかだが……ま、取り敢えず振り返らずに部屋へ戻りな。憑物の事は後で話す。」
言われるままに静かに立ち上がって部屋に戻りながら、晴れない気持ちに肩を落とす。狼憑きの話もせずに、どうやってセイディさんの事を説明すればいいんだろう。
初恋すらまともに経験していない私には、想像もつきそうになかった。