三
フェイジョアがしぶしぶと歩き出した頃、探索班の五人は短い話し合いの末、洞窟の中に入ることを決めた。拠点になりそうな洞窟を見つけたら、という決まりだったが、討伐班の五人を呼んだあと、もし何らかの問題が見つかって、この洞窟が拠点として使えないとなった場合、残された時間で他の洞窟を見つけることは難しくなる。というのが洞窟内探索の理由となったが、カルミア以外の四人の中に、他の九大貴族にはなるべく頼りたくないという思いが少しもなかったかといえば嘘になる。
光の魔法を使って洞窟内を照らしながら進んでいく。入り口の横幅は人二人分、縦幅は更に狭く、一番小柄なカルミアでさえ屈まなければ入れないほどだったが、少し奥に入ると広い通路に出た。洞窟内部はほとんど一本道で下へ下へと降りていく構造になっていた。たまに匍匐前進なら何とか入れるような小さな横穴があったが、その奥まで調べようとは思わなかった。そんな体勢の時に蛇型の魔獣でも出てきたら、なす術がない。
先頭を歩いていたのは外と変わらずカンナだった。足場が悪く、実際、後ろを歩くフラネルは何度か転んでいたが、流石にこの場所を背負って歩く気にはなれないし、彼も嫌がるであろう。彼と同じように何度も転んでいたカルミアは、今はホオズキに抱き上げられている。そしてそのホオズキは、洞窟に入った時からずっと低空を浮かんでいた。
ふと、カンナは足を止めた。足元を見る。
「どうかした?」
濃緑のローブを砂や泥だらけにしたフラネルが問う。
「地面がぬかるんでるわ。水が流れてるのかも。滑らないように気を付けてね。――フラネル」
「了解です」
再び歩き出す。
「海に繋がってるのかな」カルミアが言う。
「そうかもしれないな」ホオズキが答える。
「もしそうなら、二か所に結界張らないといけないね。大丈夫?」
「結界の強度によっては、今の魔力は空になるが、出来ないことはない。だが、今日は一枚だけ張って、明日にまた一枚張った方が良いだろう。魔法が使えない魔法使いなど、いざという時に足手まといでしかないからな」
「結界を維持する魔力は大丈夫?」
「それも問題ない。結界は作りさえすれば、あとは微量の魔力で維持できる。攻撃されれば別だがな。しかし、でなければ、ラルディア全土を覆う結界など維持できるはずもないだろう?」
「あ、そっか」
「もっとも、あれは一日の維持に平均的な魔法使い三人分の魔力が必要だがな」
「へぇ。それってお仕事なの? お給料よさそう」
「ヴィレア家に務めている魔法使いが当番制で行っている。ただ、一般業務と比べて疲労がひどいからな。多少の手当は出る」
そんな会話を後頭部で聞いているうちに、ぬかるみはひどくなり、とうとううっすらと水が張ってきたため、五人は足を止めた。
「地底湖にでも繋がってるのかしら」
「それか海かな……。海水だよね、これ」
「俺が奥を見てくる」と言ったのはホオズキ。「構わないか? リーダー」
一応確認はするようだが、既に腕からカルミアを降ろして行く気は満々のようだった。カンナも、ここまで来たのなら、この洞窟がどこに繋がっているかまで確かめておきたい。
リーダーが頷いたのを見て、ホオズキは僅かに浮かび上がった。「気を付けてね」というカルミアに頷いて返し、歩くよりずっと速いスピードで洞窟の奥へ向かう。
しばらく飛ぶと、波の音が聞こえた。そして、自然の光が見える。突き当たりの天井に大穴が開いていた。そこから顔を出すと、砂浜近くの林の中だった。突然現れたホオズキに、近くにいた狐が威嚇の声を上げた。海からはそれなりに離れているのだが、この下にこれだけの海水が溜まっているということは波が届くことがあるのかもしれない。しかし満潮に近い今の時間でも、波はまだ遠くにある。毎日波が流れ込んでくるというわけでもないようだった。あるいは、水中に海と繋がっている洞窟があるのかもしれない。結界か障壁を身体の周りに張れば水中に入ることも可能だが、そこまで調べる必要はないだろう。
ホオズキが踵を返した頃、待機している四人の内、フラネルとカルミアは世間話に興じていた。他愛もない会話。フラネルがカルミアに家族の話題を出したのも、その延長線上でしかなかった。
「ミリオンベルさんって兄弟はいるの?」
いると答えたら、羨ましがる。いないと答えたら僕もだと言う。フラネルは、質問しながら、なんとなく、そう考えていた。
「いえ、いません。というより、私、お婆ちゃん――祖母と二人暮らしなんです」
「あ、そうなんだ」と、この時点で、地雷を踏んでしまった予感はした。出来ることなら話題を変えたかったが、ここでそれはあまりに不自然だと思い、そのまま無邪気なふりをして聞いた。
「御両親は?」
「十年前に死んじゃったんです。それで、祖母のいるラルディアに引っ越してきて……」
「へぇ、ミリオンベルさんはこっちの生まれじゃないんだね」
「はい。ここに来る前は――――」
別の方向に話題が逸れたことを内心安堵するフラネル。そんな彼とカルミアの様子を横目に窺っているのはカンナだった。
カルミアは会話の流れで、ラルディアのディモルフォセカに引っ越した時のことを話していた。そしてその時に、不意にこちらを見たカルミアとカンナの視線が合ったのだった。カルミアに笑みを向けられて、カンナは思わず顔を逸らした。
嫌うのは勝手な都合だと分かっているが、それでも心の中のもやもやした想いは消えてくれない。むしろ、カルミアの口から祖母という単語が出る度にざわついた。
カルミアの祖母、カトレア=ミリオンベルは、ディモルフォセカでは名の知れた剣士であった。高齢ゆえにとうに第一線からは退いたものの、それからは特別講師としてディモルフォセカの兵士達を指導していた。カンナも生徒の一人であり、特に懐いて、カトレアが屋敷に来たときは常について歩くほどだった。カトレアは、その頃にはすでに老婆と呼ばれてもおかしくない年齢で、剣の腕も他の若い講師と比べるといくらか劣っていたが、それでも、他の者にはない人間らしい暖かみがあり、それがカンナを惹き付けていた。その記憶は四歳から九歳の頃までの五年間。幼い頃のものであったが、今もなお、鮮明に思い出せるほど、カンナにとって彼女の存在は特別だったのだ。そのため、彼女がヴィレアに移ると言った時も、必死で食い止めようとした。ただでさえ、その頃は彼女が屋敷に来る頻度が減り、寂しい思いをしていたのだ。いくら頼み込んでも考えは変えてくれなかったし、また理由を聞いても教えてくれなかった。別れの日には荷物をまとめて『私もついてく』と言うつもりだったが、荷造りを済ませた姿を見ただけで『却下』と言われてしまった。
カトレアのことを忘れられないまま成長し、学院に入学。入学生一覧の中にミリオンベルという名字を見つけて、それとなく父親にカトレアのことを聞いてみた。そして返ってきたのが、当時のミリオンベル家の事情であった。娘夫婦が事故で他界。一人残された孫をカトレアが引き取ったが、彼女は魔法使い――国民が呼ぶところのロメリアであり、その頃、ディモルフォセカではアルス・ロメリア間の衝突が日に日に激しくなっていた。自衛を目的としたそれぞれの市民軍が形成されたのも、おそらくこの頃だろう。孫の身を案じたカトレアは、ヴィレア一族が――つまりロメリアが治めるヴィレア地方に移ることを決めたのだった。カンナは最後に孫の名前を聞いた。ミリオンベルという名字はラルディアではさほど珍しいものではなかったからだ。しかし、思案顔でしばらく唸った後に父親が思いだし口にした名前は、入学生一覧で見たそれと同じものだった。
入学してから、同じクラスになったことはなかったが、それでも学院のどこかでカルミアの姿を見る度、心の中で嫉妬が渦巻いた。彼女が悪いわけではない。当然、カトレアだって悪くない。誰かひとり悪人を選べと言うのなら、そのことが分かっていながらもこんな感情を覚えてしまう自分なのだろうとも思ったことがある。しかし、それでも、その感情は消えてくれなかった。
まったくもって性質が悪い。
懊悩とした嫌な気分をどうにかしたくて溜め息を吐いた時、洞窟の奥から、水面の僅か上を滑るように飛んでくるホオズキの姿が見えた。四人は立ち上がり、それを迎える。
「どうだった?」とカンナが訊く。
「海の近くに繋がっていたが、向こうは洞窟の入り口と言うより一見ただの大穴だ。見える限りでは海にはつながっていない。あの深い穴に飛び込もうと思う動物もいないだろうし、いたとしても着水の音で気付ける」
「それなら向こうを結界で塞ぐ必要はないかしら」
ホオズキが頷き、カンナも同じように返した後、三人に向き直る。
「入り口に戻って、討伐班に知らせる。それでいいかしら」
各々が頷いたのを見て、カンナは歩き出した。他の四人もそれに続く。
カルミアは先程カンナに目を逸らされたことを気にしており、そしてそんな彼女の視線にカンナも気付いていたため、その二人の間には妙な空気が流れ、そのためか、来るときほど会話は弾まなかった。
討伐班は洞窟を探して森の中を歩いていた。体力と気力を持て余しているフェイジョアは、なんとかしてグーカンガルー(先程湖にいた魔法生物のカンガルーである)と戦えないかと数分前から頭を悩ませていた。彼らは雌を取り合って同種同士で戦うことがある。発達した拳から繰り出される殴打はもちろん、一見細い脚での蹴りもなかなかの威力を持ち、時にはその時に負った傷が原因で死んでしまうこともある。そういった生物なのだが、他の魔法生物同様、魔力を感じると一目散に逃げてしまう。流石のフェイジョアも、魔力なしでグーカンガルーに挑むほど愚かではない。『いや、でもエキナケア――ミナがいるしなんとなるか?』と考えてしまう程度には頭が弱いようだが。
後ろを歩くジンとアイリス、前を歩くローレルとミナがたまに会話を交わす中、彼は少し孤立気味であったが、そのことは全く気にならなかった。彼は基本的に異性が苦手であった。アイリスはまだいい。ミナのようないかにも非力で無口で内気そうな異性が苦手で、そしてそこに極度の緊張が加わったカルミアなど、その最たるものだった。女性全員がカンナのように男勝りな性格をしていればいいのだが、と思ってから、やっぱり嫌だなと考え直した。
そういうわけもあり、いくら剣の腕が優れているといわれても異性とは戦う気になれない彼であるが、当然、近くに同性の強敵がいるとなると気になるものだ。ジンのことも気になるにはなっていたが、彼の固有能力は『魔法』であるため、剣のみの戦いを求めるフェイジョアの中での優先度は低かった。ローレルという存在がいるため、余計である。
ジンが言っていた『眼』。それがローレルの固有能力であった。それはどこか魔法じみた能力なのだが、フェイジョアの中ではそちらのカテゴリには入らないようだ。
「なぁ、リーダー」
その呼び掛けに、僅かに含まれた緊張を感じ取ったのだろう。ローレルは足を止めて振り返った。それを見たフェイジョアは「立ち止まってまでする様な話じゃねぇよ」と言う。
五人が歩き出してから、フェイジョアは本題を切り出した。
「俺と一対一で戦ってみねぇか?」
その言葉に、ローレルのみでなく他の三人の空気が張り詰めたことが分かった。フェイジョアは気にすることなく話を続ける。
「今すぐってわけじゃねえし、今日中とも言わねえ。拠点のこととか食いもんのこととか解決して、生活に余裕が出来たらでいい」
ローレルはしばらく黙った後、確認するようにフェイジョアを見た。
「分かっていると思うが、試験の評価は下がるだろう。少なくとも、そんなことをした二人――つまり俺とフェイジョアは間違いなく」
「お前が構わないっつーなら俺も構わねえ」フェイジョアは即答する。「こんな機会、滅多にあるもんじゃねえからな。あの一般人には知られないようにした方が良いだろうが」
三年間、同じ学院に通っていた彼らだったが、クラスメイトになったことはもちろん、クラス合同の実技授業や年に一度ある武道・魔法大会でも戦ったことはなかった。前項は学院側が九大貴族のアルス・ロメリア同士が被らないようにしていたし、後項はそもそも出場を禁止されていた。将来の君主選挙に影響しないよう配慮したのだろう。
ローレルは、頭の中では受けるべきでないと結論が出ていた。しかしそれを口に出来ないのは、彼の中にもまたフェイジョアと同じ気持ちがあるためだった。
「分かった。機会があれば」結局、その気持ちが勝った。成り行きでリーダーとなったものの、彼もまた一剣士なのである。「ただし、軽い手合せ程度だ。怪我をすれば、他のメンバーにまで迷惑を掛けることになる」
「十分だ」とフェイジョアは笑った。無邪気な、しかし好戦的な性格が表れた笑みだった。
「そういうことなら俺も手合せ願いたいな」
そう言ったのはジンであった。
「どっちと?」と訊いたのはアイリス。ジンは、ローレル、フェイジョア両者を見ながら答えた。
「どちらともだ」
フェイジョアは笑う。
「俺は構わねぇぜ」
「あくまで軽い手合せだからな」念を押すローレルに、二人は頷いた。
そんな三人の様子を、ミナはどこか不安げに見ていた。アイリスは呆れた様子だったが、ふと思い出したように目を見開いた。
「能力が気になるといえば、一番はあの子よね。ヴィレアのホオズキ君」
フェイジョアが怪訝な表情を浮かべる。
「能力って、ヴィレア一族は結界だろ?」
「あら。聞いたことないの? あの子の噂、流れてるじゃない」
「覚えがねえな」
割と有名な噂なので、おそらくまた忘れているのだろうとアイリスは判断した。
「あの子、青い薔薇なんじゃないかって噂よ」
「青い薔薇? あのちっこいガキが?」
「青い薔薇に年齢は関係ないし、確かにちっさいけど私達より一つ年下なだけでしょ」
「お前だって『あの子』なんて子ども扱いしてるじゃねえか」
「あら。私は可愛い子なら性別年齢関係なくあの子って呼ぶわよ。あの子の写真見たことないの? やんちゃ気のある可愛い子じゃない」
「そうかよ。で、青い薔薇ねぇ。あんなのおとぎ話みてぇなもんだろ。お前らは知ってたのか?
この噂」フェイジョアは他の三人を見回しながら問う。三人は当然のように頷いた。「しかし、そうなると、あのガキ……ホオズキは一族の固有能力の他に特殊能力を持ってるってことになるのか。確かに、噂になりそうな、面白ぇ話だ」
「そうだな」ジンは頷いて同意する。しかし、その表情を見る限り、彼は噂をまるで信じていないようだった。「加えて、年下でありながらこのメンバーの中でも最も高い魔法力と、あの見るからに怪しい恰好だ。そういった、根も葉もない噂が立つこともおかしくない」
「実際、他の噂も聞くわよね」とアイリスが言って、そこからホオズキの噂話が始まるかという時、後方から小さな破裂音が聞こえた。
「合図かしら」アイリスが浮遊魔法を使い、フラフラと不安定ながらも木々より高い位置まで浮かび上がる。すると、遠方で小さく何かが打ちあがり、先程と同じ破裂音と共に弾けた。地面に降りて、合図であること、大まかな方向を四人に教えた。
定期的に打ち上げられる魔法を目印に森を駆け抜けて、二班は無事合流。全身泥まみれになったフラネルを見て、こっちに魔獣が出たのかと討伐班の面々は勘違いした。
その後、討伐班の面々に洞窟内を案内すると、ここを拠点にすることはあっさり決定した。ただ、最奥までは行かず、入り口から少し歩いた先にあるひらけた場所を拠点にすることに決めた。




