二
ナギは眠れずにいた。疲れは感じている。しかし目がさえてどうしようもないのだ。仰向けに寝たまま目だけを動かして隣のベッドを見る。一時間ほど前まで泣き続けて、疲れて眠ってしまったカルミア。暗い室内ではよく見えないが、おそらく目は真っ赤に腫れているのだろう。
なんとか眠ろうと目を閉じていると、不意に、廊下から足音が聞こえた。駆け足で近付いてくる。そして、護衛の二人と教師の声が聞こえてくる。そしてまた複数の足音が聞こえたかと思うと医務室のドアが開かれ、廊下から人工的な光が差し込んできた。養護教諭が誰かの体調について質問している。答える声に聞き覚えはなかった。
ナギは上体を起こしてカルミアを見る。起きる様子はない。そのまま靴を履き松葉杖を持って仕切りの向こう側に顔を出す。質問に答えていた男はナギに気付くと身体を跳ね上げた後、椅子から降りて床に片膝を突いた。他の長椅子に座っていた者達も慌てて同様の動きをする。
「怪我人がそんな動きすんな」と養護教諭に頭を叩かれた男は困ったように「しかし……」と言葉を詰まらせる。
とりあえず男達に椅子に座るよう言ったナギは、質疑応答が終わったのを見計らって口を開く。
「怪我人って?」
「なんでもない。お前も怪我人なんだから寝てろ」
そう答えるということは何かしら自分達に関係することなのだとナギは察する。職員室へ行けば何かしら情報が得られるだろうかと、入り口へ向かったナギに養護教諭の「おい」という咎めるような声がとぶ。振り返ったナギは平然と「お手洗い」と答えた。卑怯な、とでも言いたげに、養護教諭は顔をしかめた。
医務室を出ると護衛二人が顔を向けてきた。言葉はない。この場合はその方が有り難いと職員室へ向かって歩き出す。
職員室からは、灯り、電話の着信音、話し声が洩れていた。ナギは早速ドアに横顔を寄せて聞き耳をたてる。
「学院長先生! どちらに――。えぇ。兵士さん達からも連絡が――、あと、つい先程、破壊されたと思っていた転移陣が光りだしてそこから数名の一般人のかたが。えぇ、人質になっていたと――」
その言葉にナギの目が僅かに鋭くなる。さっきの人達は人質。それが解放されたということは、何かしら要求をのんだということになる。そして兵士や学院長がどこか遠くから連絡してくるという状況。
ナギはそっとドアから離れて、護衛に顔を向けた。
「向こうの現状について、何か知ってる?」
「はい」
「教えて」
「今のナギ様にそれをお教えしても何もならないかと」
バンクシア家の人間は無駄なことをしない。そう。無駄だ。知ったところで、自分には何もできない。痺れの抜けない右足に目を落としてからナギは医務室へ戻る。後ろの二人からすれば、今の行動も無駄なのだろう。
医務室に戻ると養護教諭が男の腕にある切り傷を治癒魔法で治していた。
「大きな怪我をした人はいない?」とナギが訊くと、養護教諭は目を向けることなく「あぁ」と答えた。「顔色悪い奴はただ魔力切れ起こしてるだけだし、お前とミリオンベル以上の怪我人はいねぇよ」
「そう」短く答えてベッドに向かうナギの背中に養護教諭の声が掛かる。「バンクシアがそんなこと訊くなんて珍しいじゃねえか」
ナギは振り返り、思案するように斜め上を見てから小さく小首を傾げて「そう、かもしれない」と答えた。
ベッドに腰掛ける。あとは靴を脱いで横になるだけ。しかしどうにも身体が動かない。こうしているほうが正しいような気もしてきた。治療を終えて養護教諭と怪我人達が部屋を出ていってもナギはそのまま動かなかった。
不意に、カルミアが飛び起きた。
僅かに目を見開いたナギの前で、カルミアは「あた、あたたたた」と腰に手を当てる。しかしナギの姿を見るとその痛みも忘れたようにベッドに両手をついて前屈みになる。
「ナギさん! 今の声――!」
「声?」
ナギは入り口の方をちらりと見てからカルミアのベッドに移動して耳元で小さく「声って?」と訊いた。カルミアも同じようにして返事をする。
「ブーバの声が聞こえたんです」
「私には聞こえなかった。夢じゃなくて?」
「多分、違うと思うんですけど……」
自信なさげな尻すぼみの返答に、ナギは立ち上がって窓際へ行きカーテンを引いた。暗い校庭。月や星が浮かぶ冬の夜空。他には何もない。
僅かに窓を引いた瞬間だった。
空気を、窓を、校舎すら震わせる咆哮。ブーバのもの? いや、違う。これはもっと遥かに強大な――――。
「ナギ様!」
護衛の声。医務室のドアが開く音。それを遮ったのは、巨大な翼が空を叩く音。
明かりが点っていく町の景色。薄くなる星空。それを遮ったのは、窓の外に現れた巨大な竜。
窓から覗く巨大な瞳を見ただけで分かる。二十メートルなんてものではない。
「ブーバの声が聞こえる。出ておいでって」
隣へやってきたカルミアが言う。ナギは即決した。カルミアの身体を抱えて、左足一本で窓から飛び出る。巨大な竜がそれに合わせて頭を下げてくれたおかげでなんとか足を着いたが、すぐに頭を振り上げられて、二人は高く宙へと投げ出される。カルミアの悲鳴。急上昇が終わり、一瞬、宙に止まったとき、すぐ真下に竜の背中が現れた。そこに仰向けで寝ていたのはブーバであり、その柔らかい腹部で見事に彼女達を受け止めた。
何度かバウンドしてから、カルミアは潤んだ瞳のままブーバに抱き付いた。
「ブーバ! 来てくれたの?」
何か言葉を交わしているらしく相槌を打つカルミア。その肩に手を置きながらナギは忠告する。
「ひとまず会話はあとで。今、私の力で姿は隠してるけど、声が聞かれるのは不味い。大丈夫だとは思うけど、一応。ここから離れるように言ってもらえる?」
「あ、はい」カルミアはブーバに小声でそれを伝える。するとブーバはよく響く声をあげる。どうやら伝わったらしく、しかし自分達に気を遣ってくれているのか、竜はゆっくりと上昇していく。
「あれ?」とカルミアが小首を傾げた。そして先程のように耳元に口を寄せる。「バンクシア様の能力って、他の人にも使えるんでしたっけ」
ナギも同じようにして返事をする。
「内緒ね」
戦況はローレル達が有利であった。人数的には六分の一程度だが、勝利がほぼ確定した状況からのこの展開、フェイジョアによる奇襲、謎の少女――ネリネの存在など、エメロカリスの動揺は激しかった。更に、彼らは自覚していないであろうが、九大貴族の子息、息女達が当然のように連携を取っていることもエメロカリスにとっては衝撃であった。
ただでさえ高い戦闘力はデュランタの補助魔法によって強化され、頭より先に身体が動くデルフィニウムやディモルフォセカの隙はコモンセージが小威力の魔法を多用することで埋めており、ルドベキアやドウダンに至っては隙がまるで見当たらない。謎の少女は常人では三発撃てれば十分といった威力の魔法を連発している上、なんとか多少の痛手を与えてもエキナケアが一瞬で治癒してしまう。
それでもなんとか九大貴族の攻勢を凌いでいられるのは、数の問題の他に、ローレル達が人質を守りながら戦っていること、そしてエメロカリスもまた守りに徹していることも大きいだろう。
この状況で守りに徹するという選択をする違和感はローレル達も(二名を除いて)気付いていたが、しかし彼らとしても攻める以外の選択はない。全く隙を見せないローレル、平然と高威力の魔法を放っているネリネだが、彼らは万全の状態ではないのだ。いかに早く勝負を決められるかが鍵だった。
敵の数が半数まで減った頃、八人はエメロカリスと距離を置いて対峙したままひとところに集まった。剣士、魔法使い関係なく全身に汗をかいており、呼吸は僅かに荒くなってきている。
「あと半分ってところか」フェイジョアが熱い息を吐きながら言う。
「なに? 弱音?」とカンナが言うと、フェイジョアは「楽勝過ぎてつまんねぇって言ってんだよ」と鼻で笑った。フラネルが「カンナさんとフェイジョア君が言ってるとフラグにしか聞こえないんだよね」と苦笑を浮かべて二人に睨まれているその隣ではミナがローレルに治癒をかけていた。
「ローレルさん、体力や魔力は大丈夫ですか」
「あぁ。なんとかいけそうだ。ネリネは大丈夫か?」
「同じく、なんとか」
そんなやりとりを横目に、アイリスがジンを見る。しかし何も言わない彼女に、ジンが口を開く。
「大丈夫だな」
「当然。ジンは?」
「言うまでもない」
「でしょう?」
敵陣で魔力が膨らむ。四散した八人が再び敵とぶつかり合う寸前、遠くで上った光の柱に、その場にいた全員が動きを止める。初めは南西の方向一ヶ所だったが、数秒おきに別の場所でも光の柱が上がっていく。それは間違いなく転移の光だった。八人は退いて再びひとところに集まる。
「まさか――」とフラネルは思わず口にした。エメロカリスは総勢三百人の組織である。しかしそれは敵の一人から聞いた話でしかない。この島に攻めてきた敵の数と一致したことで、そこにはまったく疑いを抱かなかったが、もしもそれが彼らの計画の一部であったとすればどうだろうか。
三百人という数は、これ以上増援は来ないと敵――つまり自分達に思わせるブラフ。最初に攻めてきた三百人は、人質の取引を持ち掛けてきた時点で五十人にまで減っていた。その時、確かに自分達は予想よりも数が少ないと感じたのだ。ただそれを幸運だとしか思わなかった。
さらに、島中に散って戦うという行動。一網打尽を防ぐべく、ある程度距離を取って戦うべきなのは理解できるが、島のあちらこちらへ散り散りになってしまっては仲間同士の連係が取れず、せっかくの数の利が損なわれる。ローレル達が命じるまで兵士達は別の一族の者とともに戦う気は殆どなかったのだ。それならば、それをわざわざ分けるよりもまとめて相手にした方が都合のよい気さえする。では何故彼らは分かれて戦ったのか。敵を分断することが目的だったわけではない。企みが露見しないよう、自然に島中へ行くにはそれが最適だったのだ。
移動しながらの戦闘中――数までは分からないが――エメロカリスのメンバーは、気付かれないように、あるいは攻撃にやられた振りをして戦線を離脱した。そして、この転移陣を島中に作っていったのだ。その場を発見されないよう細心の注意を払ったのだろう。ローレルや生き残った兵達が戦っていた方角は明らかに光の柱が少なく、早々に人がいなくなった南東ではいくつもの光が重なっていた。
一瞬でそこまでの考えに至ったのはフラネルのみであり、他の七人はようやく驚きから我に返ったところであった。そこへ、リーダー格の男の声がとんでくる。
「お前達九大貴族に不満を持っている民が、三百人しかいないと思ったか?」
ローレル達は驚きに目を見開き、しかし口は開かなかった。返す言葉がなかったのだ。現状に不満を抱く民がいることは、当然、知っている。しかしこのような計画に加担するほどとなると、三百人でも多いと感じたほどであった。彼ら(エメロカリス)は差別主義者ではない。その対極にいる存在なのだ。
「我々はいまや千人規模の組織となった。いや、そこまで成長させたんだ。他でもない、お前達が」




