一
零時は間近に迫っていた。
ローレル達が北西の砂浜の近くで待機していると、一人の兵が足音もなく現れ、現在の状況を報告した。エメロカリスの戦闘員の数は五十ほど。大きな動きはなく、人質も無事とのことだった。
対する国軍は魔力切れや負傷した者を除いた上でローレル達も数に加えてようやく敵の半数といったところだった。予想していたよりも敵の数は少ないが、しかしそれでも奇襲抜きに人質を救うことは叶わないだろう。
「行こう」とローレルが立ち上がる。続いて九大貴族の面々が、最後に兵達が重たげな腰を上げた。結局、ローレル達が考えたもの以上に良い作戦は思い付かなかった。こうなった以上、兵達に出来るのは、敵が自分達の存在を無視してくれるよう祈ることだけだ。
零時。
エメロカリス達の前に姿を現したのは、ローレル、ジン、ミナ、アイリス、フラネル、フェイジョア、カンナの七名であった。当然、エメロカリスの者達は疑わしげな視線を向けてくる。兵達が現れてもそれは変わらない。
距離を置いて向かい合っているうちの一人、おそらく彼がリーダー格なのだろう。大柄な男が数名に指示を飛ばす。その手振りから人質を連れてくるように言ったことが分かった。そして彼は再びローレル達と向かい合い、大きく口を開けて声を張り上げた。
「残りの二人、ホオズキ=ヴィレアとナギ=バンクシアはどこだ」
ローレルが同じように声を上げる。
「ナギは竜との戦いで、ホオズキはお前達が送り込んでいた斥候との戦いで、二人とも命を落とした! これがお前達の望んだことか!」
男は顔色ひとつ変えずに応える。
「我らの望みはただひとつ、この国の癌であるお前ら九大貴族を滅亡させ、アルスとロメリアの差別を撤廃する他ありはしない!」
「俺達九大貴族が消えれば差別はなくなるというのか!」
「そうだ! 我らが作り上げる政府は、口先ばかりで何も策を講じない、むしろ国民同士の争いさえ利用するお前らとは違う!」
「一度生まれてしまった差別などそう簡単になくなるものではない! 無理に押さえ付けようとすれば悪化することは歴史が証明している!」
「だからお前らは傍観しているとでもいうのか!? アルス、ロメリアの過激派により、無実の国民が危害を加えられている現状を! 両者の平和を望む者ほど割りをくっている現状を! 所詮お前らは現実を何も分かってはいない! 理不尽に子供を奪われた者の悲痛な声も! アルスかロメリアであるという違いのみで引き裂かれた家族や兄弟の嘆きも! お前らはただ知っているだけだ! そんなものは歴史書を読むことと何も変わらない! ここにいる俺達、そしてお前達が殺した俺達の仲間が生きてきた場所こそ、お前達が言う現実なのだ!」
呼応するようにエメロカリスの者達が声をあげた。空気が痺れる。それはローレル達の肌にまでびりびりと伝わるほどであった。
そのなかを人質が連れてこられた。数は七名。猿轡をかまされ、両手を拘束されたまま男の前に並ばされる。
「お前達一人につき人質一人だ。安心しろ。後の二人の死亡が確認できれば他の人質も解放してやる」
「分かった」と即答し、足を前に出そうとしたローレルに、男は掌を向けて制止した。
「その前に、周りの兵士だ」
男はそう言ってから振り返り、数名の仲間に指示を飛ばした。五名の魔法使いが前へ出てきて、兵達は思わず身構える。しかし魔法使い達は彼らの反応を一切気にすることもなく、地面に膝を下ろし両手をついた。
砂浜が淡い光に包まれる。そこに現れたのは巨大な転移陣であった。
「兵士達は全員そこに入れ。従わない者の数だけ人質を殺す」
「行き先はどこだ」ローレルが訊くと、男は無表情のまま応える。
「答える義務はない、が、ここで余計なやり取りをするのは時間の無駄だ。安全な場所、とだけ言っておく」
「その言葉に偽りはないな」
「当然だ。我らはお前達と違う」
ローレルは振り返って頷いた。それでも兵達の表情が優れないのは、彼らを置いていくことが本当に正しい選択なのか決めかねているからだろう。
しかしローレル達の促すような視線に、一人、また一人と、それぞれ自らが仕える一族の子息、息女に言葉を残してから転移陣へと入っていった。
兵士全員がいなくなると、エメロカリスの者達は七人の手をアルスとロメリアに分けて鎖と縄で後ろ手に縛った。
その作業中、代表の男が離れた場所から「おい、ドウダンにはどちらもしておけよ」と指示を飛ばす。ジンの手に鎖をつけていた剣士は「了解」と返事をしてから縄を取り出す。
乱魔の縄は、その言葉通り、魔力を乱す魔道具である。身に付けた者の周囲の魔力を乱し、ろくに魔法も使えない状態となる。 内に魔力を溜めて身体強化をする剣士ならばさほど問題ないのだが、周囲の魔力を操って魔法を発動させる魔法使いには効果絶大で、アイリス、ミナ、フラネル、ジンの四人は拘束されると同時に身体から力が抜けていく感覚に襲われた。
拘束が完了するとエメロカリスは七人を地面に跪かせる。男が前に立って口を開く。
「すぐには殺さない。お前達には交渉の材料になってもらう。だがその前にいくつか質問をさせてもらう」
「ちょっと待て。他の人質はどこにいる。無事を確認したい」
男は近くにいた同士に「連れてこい」と指示をしてからローレルに向き直る。
「ヴィレアとバンクシアが死んだと言ったな。死体はどこにある」
「一般人とともに学院へ転移した」
「一般人というのはカルミア=ミリオンベルのことか」
「そうだ」
「そいつは生きているのか?」
ローレルは一瞬言葉を詰まらせてから首を横に振った。
「爆弾に最も近い位置にいたのが彼女だった。ホオズキが助けようとしたが、間に合わなかった」
「他の奴等は自分の身を守るだけで精一杯だったということか」と男は吐き捨てるように言う。「親によく似た、立派な貴族様だ」
「でも」と側にいた女剣士が口を開く。「ヴィレアだけが死んでるのは予想外ね。こうなった以上、あの子には生きていて欲しかったんだけど」
この島に再度結界を張らせるつもりだったのだろう、とローレル達は悟る。九大貴族に喧嘩を売った以上、国内のどこかにあるであろう彼らのアジトへ転移するよりこの島に留まった方が安全だ。
「まぁいいだろう」と答えた男にカンナが口を開く。
「たった五十人程度でこの島を守れると思ってるの? 全方位から攻められたらどうしようもないじゃない」
「その時はお前達を殺してから転移するだけだ。それだけで血が絶える一族もいるだろう」
その言葉にローレルは眉間に皺を寄せた時、残りの人質三名が連れられてきた。両手を縛られ、猿轡まで噛まされていたが、七人を見ると泣きそうな表情に変わったのが分かった。そして跪くと七人に深く頭を下げた。エメロカリスの者達が止めさせようと近付くが、男が手を横に出してそれを止めた。
「やらせておけ。それより、まだ体力がある者は十人組を作って島の探索へ向かえ。敵が隠れている可能性がある」
男はローレル達の表情を窺いながら言った。七人は表情には出さなかったが、作戦開始が秒読みとなったことに気を引き締める。エメロカリスが探索へ向かおうとして、現在の陣形が崩れた瞬間だ。
人質の三人を励ましながら、七人はひたすら神経を尖らせてその時を待つ。エメロカリスの者達が集まり、十人組を作っていく。続いて探索場所の相談。だが、その雰囲気を無意識に察しているのか、代表の男は一切の油断を感じさせない鋭い視線を七人に向けてくる。
「あの」と口を開いたのはフラネルだった。「あなたの顔に見覚えがある。十年前の僕の誕生祭だ」
「流石はコモンセージ一族の坊っちゃんだ。確かに十年前、俺はお前の誕生祭に出ていた。この国に来て、各地方を回っている最中だった」
「あなた、ラルディアの出身じゃないの?」アイリスが驚いたように言う。
「俺はシャスタという小さな国の出だ」
「大陸の北にある小さな国だね」とフラネル。
「ああ。小さな国だ。十五年前に起こった内戦で国民の三分の一が死んでも大したニュースにならないほどな」
内線、という言葉にカンナ以外の五人はようやく思い出す。世界史の授業で確かに見た覚えのある名前だった。だがそれを今でも覚えていたのは『あなた達が生まれた年に起こったことです』という世界史教師の言葉が大きく、そうでなければ忘れていたかもしれない程度の記憶であった。
「民族同士の対立だった。予兆はあった。だが政府は何もしなかった。いや違う。それどころか、政府は対立を煽った。その方が奴等にとって好都合だったからだ。今でも覚えている。国全体に広まった、まるで監視しあうような異常な雰囲気を。敵同士じゃない。同じ国で生まれ、少し前までは普通に挨拶を交わし、週末は家族同士でパーティーを開いていたような隣人すらそうなった。内戦が終わっても、俺はもうあの国で暮らす気にはなれなかった。そして理想郷と呼ばれるこの国に来たんだ。お前達が定めたいくつもの厳しい審査を受けて、数ヵ月掛けてこの国に入った」
男は嘲笑を浮かべる。
「驚いた。魔法の力で過去に戻ったのかと思った。理想郷と呼ばれたこの国の雰囲気は、内戦が巻き起こる前のシャスタそのものだった。民が疑心暗鬼に陥り、差別が蔓延し、政府はそれを傍観している」
その時、同士が男を呼び、準備が完了したことを告げた。その言葉に男は我に返ったように表情を引き締めると、立ち上がり、ローレル達に背を向けた。
「よし、では探索を開始しろ! 注意すべきはヴィレアとバンクシアだが魔力探知を怠らなければ奇襲を受けることはない!」
同士達は呼応により空気を震わせると、今しがた決めた方向に別れて歩き出した。同時に魔力探知を始めた魔法使いの動きが止まる。それほどに強大な魔力。それは彼らの背後から感じられるものであった。魔法使い達に一瞬遅れるかたちでエメロカリス全員が人質へ振り返る。
その瞬間、彼らの目を目映い光が襲った。
短い悲鳴。更に、南の方向からは数名の、種類の違う悲鳴が聞こえた。
風の切れる音。代表の男は咄嗟に身を屈めた。髪を撫でる風。それだけで分かる。恐ろしく鋭い剣筋。
その場から大きく後退し、波打ち際に足をつけたとき、光が止んだ。
人質はその場を動いていなかった。だが変わったことが二つ。鎖と縄が外されて、彼らはすでに人質としての体を成していなかった。二つ目は、その場にいつの間にか見知らぬ少女が混ざっていた。しかし彼女が身に付けているローブはヴィレアの――――。
そこへ更に一人が合流。それはフェイジョアであった。男はフェイジョアが来た方向、南へ視線を動かす。離れた場所で、南へ向かった十人の仲間のうち半数が地面に倒れていた。一瞬であの場に移動して、油断しているとはいえ五人を倒すことなど出来るはずがない。だがフェイジョアは間違いなく先程まで自分の目の前にいた。自分に向けて剣を振ったのはカンナだろう。剣を振り切った状態でこちらをまっすぐに見据えている。
そして光が放たれる前に感じた魔法。近くに隠れていたあの少女が放ったものであるとは考えづらい。それほど間近に感じたものであった。しかし九大貴族の魔法使いは乱魔の縄で動きを封じており魔法を使えるはずが――――。
いや、と男は考える。答えが出たわけではない。今考えるべきはそれではないと思考を切り替えただけだ。
目の前には九大貴族の子息、息女。戦闘力なら彼らのなかでも随一のデルフィニウムとディモルフォセカが揃っている。バンクシアの姿は見えないが、それが余計に男の警戒心を刺激する。あの少女はミリオンベルか。だが、いくら名門であるセンテッドベリア学院の生徒とはいえ、先程の魔力は九大貴族をも凌ぐほどのものに感じた。動揺が大きかったため余計にそう感じた部分はあるかもしれないが、警戒はすべきだろう。
男は周囲の仲間へ目を向ける。既に視界は回復しており、全員が九大貴族を見据えていた。むやみに突っ込む輩がいないのはやはり彼らの実力を感じ取っているためであろう。それかあるいは、指示をするまでもなく、時間稼ぎに徹してくれているのか。後者であれば有り難い。男はそう思った。




