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 松葉杖をついて女子トイレから出てきたナギは医務室へと向かって歩き出した。その後ろを二人の黒装束が付いてくる。バンクシア当主、クヤクの命令でナギを迎えに来た彼らだが、当のご息女はそれを即座に拒否。しかし負傷しているナギを放置するわけにもいかず、こうして護衛をしているのであった。

 教員室の前を通りかかったとき、室内から聞こえてきた声に、ナギは足を止めた。

「カルミアさんの御家族には連絡ついた?」

「はい。先程、ようやく。ですが、電話に出られたのは御近所の方で、現在、カルミアさんのお祖母さんは迎えに行けるような状態ではないと」

「そう。こればかりは仕方ないわね。カルミアさんが目を覚ますまでになんとか良い状態まで戻ってくれればいいんだけど……」

 教員室の扉の陰からすっと離れたナギは何事もなかったかのように医務室へ向かう。後ろに並んで付いてきている二人にも話は聞こえていたはずだが、彼らは何も言わなかった。もっとも、それはいつものことだ。バンクシア一族、そして彼等に仕える者は、無駄な口を一切聞かない。他愛もない話などした記憶がないし、彼女自身する必要がないと考えていた。

 この数日間、思えば彼らは他愛もない話ばかりしていた。くだらないことで口喧嘩を始めるカンナとフェイジョア。カンナとアイリスにからかわれるフラネル。朗らかながらもどこか妙な空気であったローレルとミナ。ジンとアイリスの会話を思い出すと、将来、彼はきっと尻に敷かれるだろうなんて思った。

 そしてカルミア。ネリネと仲が良く、無口な相手に慣れていたのか、ろくに相槌も打てない自分にもよく話しかけてくれた。笑顔を浮かべて親しげに話し掛けてくる人物というのはナギのなかで最も警戒すべき相手であったが、カルミアが相手だと、その過剰な警戒心も働かなかった。そしていつしか他の九大貴族への警戒心すら薄れていき、極めつけはブバルディアの幼竜との戦いである。勝利することなど不可能な強敵を前にして頭に浮かんだ逃走の選択肢を彼女はほぼ無意識のうちに掻き消した。その結果がこの身体である。逃げるべきだった。バンクシアの能力さえ露見しなければ、あの島で残りの数日を隠れきることも可能だったはずだ。おそらく、家に戻れば真っ先に問われるのだろう。

『何故逃走を選ばなかったのか』

 なんと答えよう。正解はぼんやりと分かっているが、きっとそれはバンクシア一族としては不正解なのだ。

 足を止めたナギは喉を上がってきた溜め息を飲み込んでからドアに手をかけた。黒装束がドアの前で足を止めたのを見てから医務室に入る。ベッドがある仕切りの向こう側で布擦れ音が聞こえた。

「カルミア?」とベッドに向かいながら呼び掛ける。小さな声だったが、夜の静寂に包まれた室内にはよく響いた。

「ナギさん?」との返事が聞こえたとき、先程飲み込んだ溜め息が口から小さくこぼれた。

 ナギは肯定の返事をしてから、カルミアのベッドを囲んでいるカーテンを引いた。カルミアはサイドテーブルに置かれている灯りを点けて上半身を起こした状態だった。枕元には大きな手鏡が裏返しに置かれている。

「こんなんなっちゃった」

 ナギの視線に気付いたカルミアは毛髪のなくなった頭を撫でながらぎこちなく笑う。ナギは頷くことしかできなかった。何か言いたい筈なのにちょうどいい言葉が浮かばない。

「ナギさんのそんな格好、初めて見たかも」

 カルミアの言葉にナギは顔を真下に向けて自身を見る。医務室に置いてあった紺色のジャージ。当然、顔を隠す頭巾も着けていないし、髪も下ろしている。別に水泳の授業や何かしらの行事の時にまで無理に黒装束を着ていたわけではないのだが、やはりこちらの格好が一般的には有名であるようだ。

 ナギは「そう」と頷き、カルミアのベッドに腰掛けた。頭のなかではまだカルミアに掛けるべき言葉を探している。

「ここは学校、だよね。救援の人が来たの? 他のみんなは?」

「エメロカリスと戦うため島に残ってる。学院長先生がついてるし、兵もたくさんいるから問題ない」

「ブーバも?」

 ナギは首を横に振る。「巣に送り返した」

「そっか」とカルミアは呟くように口にして、それっきり黙ってしまった。

「大丈夫?」

 そんな言葉がナギの口から自然と出た。あまりに漠然とした問い。こんなことを訊いても、彼女は、笑みをつくって大丈夫としか言わないことくらい分かっているのに。

 予想通り、カルミアは無理矢理作ったような笑みを浮かべた。そして「大丈夫」と口にする。しかし、その言葉は、事前に予測していなければとてもではないが聞き取れないほど、震え、涙を滲ませたものであった。

 その予想外の反応に、ナギは困惑すると同時に安堵を覚えた。理由は分からない。自分が何もできない、してあげられないことに変わりはないのに、笑顔よりも泣き顔に安心するとは、なんて無責任なのだろうか。

「ごめんなさい」カルミアは溢れ出る涙を両腕で拭いながら言う。「みんなが戦ってる時に、私だけ、こんな風に泣いたりして、ごめんなさい」

 嗚咽混じりの言葉。必要のない謝罪。ナギは首を横に振ったが、カルミアの視界は滲んで何も見えていないであろうことに気付いて、「いい」と言う。すると、堰を切ったように口から言葉が飛び出した。

「いい。そんなこと謝らなくてもいい。無理に笑わなくてもいい。泣きたければ泣いてもいい」

 私達のせいだって怒ってもいい。その言葉だけ飲み込んだ理由は、言っても困らせるだけだと思ったためか、それとも、そうなることを恐れたためか。そう、謝らなければならないのはこちらなのだ。偉人の子孫とはいえ現在は一般人。カルミアは、九大貴族を狙ったテロに巻き込まれただけなのだから。

『謝罪をしてはならない』

 心の中で声が聞こえた。彼女に謝罪すべきは自分達でなくエメロカリスだ。テロに対して、自分達は出来る限りの対処はしたし、そこに不備はなかった。後にそこを突かれた際、カルミアに謝罪をしたことを槍玉に挙げられて不利な状況になる可能性がある。

『第一、その時にお前は負傷していた』

 そう。それは大きい。九大貴族の子息、息女が揃った場で唯一の一般人が瀕死の重傷を負った。そのことは遅かれ早かれ世間に知れ渡るだろう。エメロカリスのようなテロリストに限ったことではないが、現行政府をよしとしない者達にとっては格好の批判材料となり得る。その時に、ブーバとの戦いで負傷していた三人、中でも動くことすらままならなかったナギはある程度批判を避けることが出来るだろう。

 それが正解だ。このまま、余計なことは言わず、黙っておけば。

 正解? 涙を流す国民を、友達を前にして、何もせずにいることが?

 カルミアへと手を伸ばす。無意識の行動であった。しかし途中でその動きは止まり、ナギの右手は不安定に宙で揺らぐ。今、自分は何をしようと思ったのだろう。

 不意に、カルミアが上体を倒してナギの胸に額を埋めた。彼女の両手は嗚咽とともに震えながら、ジャージを力強く握り締めている。宙に浮いたままだった右手はカルミアの背中へとおさまった。




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