七
瞼を閉じても感じるほど目映い光が止み、ナギは目を開いた。そこは学院の屋上であり、転移陣を囲むように五人の教師が立っていた。彼らは見知らぬ男の姿に警戒を見せたが、本当に気絶していることを確認すると緊張を緩めた。
ナギはカルミアとともに医務室へ運ばれ、そこでいくつか質問を受けた。そのほとんどがローレルと学院長が交わした問答と同様のものであったが、相手の教師がカルミアの能力を知らないことを察して、ブーバを送り返した方法は適当にでっち上げた。そしてブーバに関する追及を防ぐために、反対に問いを口にする。
「ブバルディアは今どこに?」
「北へ向かっているだろうという連絡があったわ。国軍の腕利きでもブバルディアの全速力には追い付けなくって、一般の人達の曖昧な目撃情報しかない現状なんだけど、あなた達の言うとおり巣に戻る途中という線が濃厚ね」
ナギは頷くに留めておく。そしてそこからまたいくつかの問答を交わした後、教師は「ゆっくり休んでね」と言って医務室を出ていった。
更に北上していったローレル達だったが、そう遠くない場所から聞こえてきた戦闘音に進路を北西へ変えた。そこで戦闘を繰り広げていたのはコモンセージ一族とデュランタ一族の計十名であった。敵の数は十数人と、アスター達の時ほど人数差はなく、一族同士で協力体制も築けているようであったが、やはり剣士と魔法使いの組み合わせは厄介らしく、彼らは劣勢へと追い込まれていた。今度はいち早く接近を察知されて急襲とはいかなかったが、それでも負ける相手ではない。手早く敵を戦闘不能へ追い込み、安堵の息を漏らしたコモンセージ、デュランタ軍に国民のことを尋ねた。
次の戦地へ移動しながら話を聞き、多くの収穫があった。彼らは途中まで国民軍とともに敵と交戦しながら北上していたと証言したのだ。分かれた位置は、ちょうど先程までローレル達がいた辺り。おそらくエメロカリスはわざと国軍と国民を引き離したのだろう。話によれば国民の数は十名。別れた際には全員がまだ無事だったという。
「やはり人質にされた可能性は高いな」とジン。
「目的は?」とアイリスが問う。
「俺達の身柄、あるいは命と交換といったところだろう。人質が一般国民であるという点も、人数的にもお誂え向きだ。まぁもっとも、数の利があるうちは人質など使う気はないだろうがな」
「仮にそのような状況になっても、あなた達はそれに応じてはいけませんよ」と学院長が厳しい表情で言う。全員は肯定を返したが、ふと、フラネルが口を開いた。
「でも、状況によっては応じてもいいかもね」
それに呆然としたのはフラネルを背中に乗せているコモンセージ軍の魔法使いだった。
「何を言うんですかフラネル様!」
「いや、もちろん『今すぐ死ね』なんて言われたら応じないけど、僕らを国と交渉するための人質として捕らえようとしているのなら一考の余地はあると思うんだ」フラネルは仲間達の顔を見ながら言葉を続ける。「多分、エメロカリスは僕らが何人この島に残っているのか、そもそも何人がブバルディアの幼竜との戦闘で生き残っているのかすら知らないよね。それを利用して、例えば僕以外の全員が死んでしまったことにすれば、人質になるのは僕一人で済む。もちろん、本番でそんなことを言ったら交渉決裂になりかねないから、少なくとも四、五人は必要だと思うけど」
「なるほどな」とフェイジョアが大きく頷く。「弱い奴等を人質にして油断させて、そこを俺達がドカンと叩き潰すってわけだ」
弱い奴、という言葉が気になったのか、コモンセージ軍の魔法使い達はフェイジョアに鋭い視線を向ける。しかし当の本人は気付いていないのか得意気に笑っている。
フラネルは苦笑しながら「うん。まぁそういうこと」と頷くが、でも、と心なしか強い口調で言う。「流石にそこまで露骨に戦力を分けたら怪しまれるよ。特に敵は、フェイジョア君、カンナさん、ホオズキ、ローレル、ジン、ナギさんのことは危険な相手として特に警戒している筈だからね。そのなかでも、敵からすればナギさんの能力はかなり怖いはず。彼女がいないっていう時点で、若干警戒されてしまうと思う」
フラネルの言葉に思案顔をしていたローレルだったが、ふと口を開こうと顔をあげ、しかし、すぐにつぐむと、代わりに片手を上げて止まるよう合図を出した。
並走していたネリネは魔力を感じなかったためその指示に内心首をかしげたが、すぐにその理由が分かった。遠く前方に激しい戦闘の跡。地面に横たわる人影も見える。
「魔力の気配は?」
ネリネはその言葉より先に探知範囲を伸ばしていたが、何も引っ掛かるものはなかった。「何も」と首を振った彼女に、ローレルは「そうか」と返した。その表情に安堵は見られない。少しも感じていないわけではないだろう。ただ、それ以上に悔やむ気持ちが強いだけだ。魔力を感じないということは、あの場所に倒れている者はみな息絶えているということなのだから。
その場に近付き、最初に口を開いたのはジンであった。
「俺のところの兵士だ」
遺体の傍らに片膝を突き、大きく見開かれていた瞼に手を当ててそっと閉じる。
「こっちはバンクシアの兵士ね」
ナギと同じような黒装束に身を包んだ男性の遺体を見て、カンナがそう言う。
「とんでもない戦力差があったようだな」
ローレルの言葉通り、遺体の周囲には夥しい数の靴跡が残されていた。そこらに横たわる遺体の数は二十ほど。九名がバンクシアとドウダンの兵士であり、残りがエメロカリスの者達であった。しかしそこに残された足跡からして、少なくとも五倍の数、多く見ると十倍もの敵がこの場にいたことが窺える。絶望的な状況だ。しかし彼らは投降することなく戦い抜いたのだろう。
「ここの戦闘が終わったのは随分前のことのようです。あなた達がどれほど急いでも、おそらく間に合うことはありませんでした」
学院長の言葉に八人は頷く。そしてローレルは顔をあげて「行こう」と言った。
再び走り出して十数分。北西の空に三本の雷が連なって落ちた。雷撃魔法。敵方の合図だろう。それと同時に戦闘音がぷつりと止んだ。不気味なほど静寂に包まれた島全体の雰囲気に、ローレル達は思わず足を止める。
「撤退か集合ってところかしら」雷が落ちた方向を見ながら言うアイリスにジンも「後者だろうな」と同意する。
「ラムズ、みんなで様子を見てきてくれない?」フラネルの頼みに、コモンセージ軍の魔法使い、ラムズは「はっ」と応え、部下を引き連れて飛んでいった。同じようにアイリスに指示されたデュランタ一族の兵もその後を追う。
「さてと」とローレルはその場に腰を下ろして八人を見回す。「さっきの話の続きをしよう。これからの敵の出方を予想して、作戦をたてる」
西の空が橙色に染まり始めた頃、ラムズ達がアスターやラン、他の一族の数名を引き連れて戻ってきた。
「フラネル様の仰った通りになりました。敵は加勢に来ていた国民十名を人質にとり、御子息方との身柄交換を要求しています。明日の零時に北西の砂浜へ集まるように、と」
片膝を突いて報告するラムズにフラネルは頷いたあと「一応聞いておきたいんだけど」と言った。「人質の顔は確認した? 敵がなりすましてるってことはないかな」
「確認しました。彼らは間違いなく、私たちとともに戦っていた者達です」
「その人達の状態は?」
「見たところ大きな傷は負っていません。剣士は頑丈な鎖で両手両足を縛られており、魔法使いは、乱魔の縄で拘束され魔法を封じられています」
「ホオズキ様」とランが語調強く声をあげる。「コモンセージ様の確認はどういった意図があってのものですか? まさか、敵の要求を呑むわけではありませんよね?」
「丸呑みはしない。でも、作戦がある。それが上手くいけば人質も救えるし、敵を一掃できる」
ランは口から突いて出そうになる反論をなんとか抑え込みながら震えた声で「その作戦というのは?」と訊いた。
ローレル達は待機中に考えた作戦を彼らに話した。それは先程フラネルが即興で考えた作戦を煮詰めたものであり、いくらか成功率は上がっているように思えたが、兵士達の表情は険しいままだった。
「いくらか私から」とアスターが片膝を突いたまま頭を下げる。「御子息方のうち数名が人質となり、油断したところを残られた御子息と我々が急襲するとのことですが、我々と学院長殿の存在を敵が放置しておくとは思えません。取引の前になんらかの方法で無力化させられる筈です。取引現場にあなた方だけではなく私達も集合することとなっていることからその可能性は極めて高いでしょう。その場合、急襲は御子息方数名のみで行うこととなります」
「私達だけじゃ力不足って言いたいの?」とカンナは凄むが、今度はアスターも怯まなかった。
「いえ、そのようなことは。確かに、隙さえ突けばお嬢様方なら必ず勝利出来ると確信しております。しかし、先程コモンセージの御子息様が仰っていた通り、御子息を数名しか引き渡さない場合、敵も警戒を続けるでしょう。更に、身柄交換後、すぐに転移でどこかへ移動させられるという可能性もあります。そして、仮に全てのことが上手く運び、隙をついたとしても、人質の側から敵が離れることはないでしょう。こちらの攻撃が届くのと、人質の喉に刃が突き刺さるのは、どちらが早いでしょうか」
カンナは顔をしかめる。このように作戦を説明すると決めた際、フラネルが突っ込まれそうなところをいくつか挙げたのだが、アスターはそれを見事に突いてきた。
「ならアスター、あなた何か代わりの案があるの?」
「はい。まず、敵の要求は一切呑みません。敵を焦らせ油断させ、そこを突きます」
「却下。人質が殺されたらどうするのよ」
「お嬢様、このような状況ゆえ、直接的な言葉になってしまいますが、もう少し自らの身を案じてください」アスターは膝を突いたままカンナを見上げる。「貴女の命は、十人の国民より遥かに重い」
その言葉で一瞬にして空気が凍る。それを溶かしたのはカンナの身体から放出された怒気であった。
「アスター、あんた――――!!」その怒声にもアスターは目を逸らすことなく続ける。
「貴女はディモルフォセカの血を引いているたった一人のお方です。貴女の命は、ディモルフォセカ一族、ディモルフォセカの剣の命なのです」
カンナは怒り冷めやらぬといった様子で肩を怒らせたままだったが、その口からそれ以上の怒声が出ることはなかった。
「ローレル様」と一人の若い兵が口を開く。彼の鎧にはルドベキアの紋章が彫られている。「私もその作戦には反対です。ルドベキアの現状でローレル様の身にまで何かあれば奥様は――」
兵達が口々に作戦変更を訴える中、ラムズとランは膝を突いたまま何か思案するように虚空を睨み続けていた。二人のうち、先に顔を上げたのはラムズであった。
「やはり納得がいきません。いえ、作戦内容もですが、フラネル様がこのような穴だらけの作戦を支持するとは私には考えられないのです。何か、私達に隠していることがおありでは?」
その言葉に思い当たる点があったランは顔をあげてネリネを見る。どういうわけか他の一族の子息は彼女が蒼い薔薇であることを黙っていてくれている。作戦にその能力を組み込み、そして兵達には知られないように話した結果が、先程の穴だらけの作戦なのではないだろうか。
「ローレル」とネリネが口を開く。「こうなったら仕方ない。私の力のことを――」
「ホオズキ様!」ランは思わず悲鳴のような声を上げた。他のヴィレアの兵達はその声に驚いている。今までヴィレア当主であるミムラス、ラン以外、ネリネが蒼い薔薇であることを知る者はいなかったのだ。それほどの機密。他の一族の子息に知られた以上、話が広まることは避けられないだろう。しかし、ネリネ本人の口から認めるのと、そういった噂が他者の口から広まるのではまるで話が違ってくる。
「ラン、遅かれ早かれ露見すること」
ネリネはそう言うと、ローブのフードを掴み、そっと降ろした。そこに現れた顔に兵達はざわめく。ネリネはひとつ咳払いをしてそれを静める。そして、彼女本来の声で、自らが蒼い薔薇であること、その能力について口にした。
その後、ローレルが作戦について改めて説明している間、ランはネリネの耳元にそっと口を寄せた。口を小さく動かし、他の者に聞こえない程度の声量で何かを提案したようだった。しかしそれはネリネが首を横に振ることで却下された。
真の作戦を聞いた兵達は、先程のように即座に反論することはなかったが、それでも賛成はできないといった様子であった。それは当然のことだ。彼らのなかで一致している考えは、自らが仕える一族の子息や息女の身の安全である。しかし、ローレル達が考えた作戦は、自らの命よりも人質のそれを第一に考えたものである。相対的に、彼らは危険を冒すこととなる。
だが、それと同時に、彼等が譲歩しないであろうことも察していた。十年以上も隠し続けていた機密を口にしたネリネの覚悟、そして彼等が一貫して口にしている人質の命。
その考えを変えられるとすれば彼等の作戦以上に高い確率で国民を救うすべを提案することなのだろうが、兵隊とて初めから人質を蔑ろにする作戦を考えたわけではない。アスターが提案した作戦は、子息・息女か、国民。そのどちらかしか選べないと判断した結果のものなのだ。
兵達が一様に頭を悩ませていると、おもむろにローレルが腰を上げた。九大貴族の面々もそれに続く。顔を上げた兵達はいつの間にか完全に日が落ちていたことに気づいた。
「万が一にも指定時刻に遅れたくありません。北西の砂浜へ向かいましょう」
ローレルの言葉。兵達に反論するすべはなかった。




