六
「先程、ここに残っていた者で話し合った結果、出来る限りカルミア本人の意思を尊重することとなった。まずは、ローレル、カンナ、ネリネ、それで構わないか」
「私は端から報告しないって決めてたし」カンナはそう言い、ローレルとネリネも頷いた。それを見て、ジンはカルミアと向き合う。
「カルミア、先程説明したように、君の能力は俺達九大貴族と同質のものだ。幼竜とはいえブバルディアを手懐ける人間など、通常はあり得ない。一般人が持つには強大すぎる力だ」
「手懐けるって……でも、私は動物を操れるわけじゃないし、彼らが嫌がることを無理矢理させることも出来ないよ?」
「それでもなお、だ。例えば、あの幼竜の前で、俺が君を殺そうとしたら? あの竜はまだ幼く、巣からも出たことがなかったのだろう? ここで唯一言葉が通じる君を助けるためなら、人間の一人や二人は殺す。君が『殺される』と言えば、それを助けようともするだろう」
「それを利用して、私がブーバにひどいことをさせるかもしれないってこと?」僅かな怒りが感じられる問いに、ジンは首を横に振った。
「実際するかどうかが問題じゃない。出来るか出来ないかなんだ。君にその気がなくても、あらゆる手を使って悪事に利用しようとする者が現れるかもしれない」
その言葉にカルミアの表情に不安が差す。
「そういった面から、俺は君のことを上に、父に報告するべきだと考えていた。しかしそうなれば、君も今まで通りの生活を送れるとは限らない。少なくとも、ヴィレア地方からは移動してもらうことになるだろう。そして、俺達としては保護をもとめるが、君の能力を知った父やその側近、他の九大貴族の当主達が、果たしてそれを承諾してくれるかは分からない。先程言ったような極端に悪い意味ではないが、君の能力を利用しようとする者も現れる可能性だってある」
九大貴族の子息達の中で、その言葉を否定する者はいなかった。その事実にカルミアの不安が大きくなる。
「俺達の立場的に、君のことを報告するのは当然のこと。義務と言ってもいいほどだ。だが同様に貴族としての誇りもある。秘密を打ち明けてまで窮地を救ってくれた命の恩人に恩を仇で返すような真似はその誇りが許さない。だから、君の意思を尊重し、俺達はそれに従う。報告した場合は今述べたような可能性がある。報告しなかった場合は、とりあえず今まで通りの生活を送れるが、万が一、何者かにその能力を知られた時、俺達の手の届かないところで危険な目に遭う可能性がある。もっとも、今回のように君自ら力について口にしなければ知られることもないだろう」
説明を終え、答えを促すようにカルミアに視線を向けるが、彼女は困ったような表情で俯いたままだった。少し待ってから、ジンが再び口を開く。
「まぁ確かに、すぐに答えが出せるような選択ではない。考える時間は必要だな。だが、この状況だ。敵が来るにしろ救援が来るにしろ、こうやって俺達が集まる機会は残り少ないだろう。出来る限り早めに答えを出してほしい」
頷いたカルミアを見て、ジンは他の面々を見回した。「他に何かあるか?」という問いに応える者はおらず、その場は解散となり、最初の見張り役であるカルミアとカンナが洞窟の奥へ向かった。
ブーバは仰向けになっていたもののまだ眠っていなかったらしく、足音に気付いて身体を起こした。カルミアを見つけると嬉しそうに鳴き、続いてカンナを見つけるとびくっと身体を震わせる。
「あーもう。カルミア、さっきは怒ってごめんって言っといてくれない? でも情けなく狼狽えてはっきり言わなかったあなたも悪いのよってね」
カルミアは苦笑しながら頷き、ブーバにそう伝えた。そして短い会話を交わした後、カンナに向き直る。
「カンナさんが怖くて仕方ないって」
「情けないことはっきり言ってどうすんのよ」
その後、ブーバはすぐに眠りにつき、カンナとカルミアは、主にカトレアの話をしながら過ごした。カルミアとカトレアの二人が住んでいるレーミングは、このご時勢には珍しくそこに住む多くの人が穏健派であるらしい。カルミアがこうして試験に臨んでいる間、体力的に元気ではあるものの痴呆の症状が表れ始めたカトレアのことは近所の人達が気にしてくれているようだった。
カルミアはディモルフォセカ地方に住んでいたとき差別を受けていた。ネリネの言葉が時折カンナの脳裏に蘇り、その度に本人に聞いてみようかと考えた。しかし、結局勇気が出ずに、気付けば一時間が過ぎたのだった。
次の見張りはフェイジョアとフラネルだった。フラネルはともかくフェイジョアは起こしてやらないといけないだろうと考えていたカンナだったが、意外なことにフェイジョアは交代時間の五分前にやってきた。
「この常夏の島に雪が降るわ」
カンナと軽口を交わした後、フェイジョアは彼女にフラネルを起こしてくるように言った。カンナは「あんたが起こして来れば早かったのに」と言いながら一人居住スペースへ戻っていった。
残されたカルミアは言葉を探してしばらく目を泳がせていたが、ふと視線をあげて「もしかしてずっと起きてたの?」と訊いた。しかし彼は答えず仏頂面のままじっと目を見つめ返す。気まずさにカルミアの笑顔が次第にぎこちなくなっていく中、ようやくフェイジョアの口が動いた。しかしそこから出た言葉は、先程の問いの返答ではなかった。
「動物って、どいつもこいつも喋れるのか?」
唐突な問いにカルミアは内心不思議に思いながらも頷いた。
「うん。この国の動物ならほとんど。ラルディア以外の動物は会話までは出来ないんだけど、気持ちのやりとりは出来てたよ」
「それって魔法の一種なのか? それともローレルみたいに魔力に反応する自動発動タイプか?」
「うぅん。小さい頃から普通に喋ってたから、常時発動しているタイプかな。フラネルさんの記憶力みたいな」
「そうか」フェイジョアは顔を逸らして斜め下に向ける。「じゃあ、この島に来てすぐ、俺が殺したウサギの声も聞こえてたんだな」
カルミアは一瞬顔を強張らせる。すぐに笑みを浮かべたが、どこかひきつって見えた。
「あれは仕方ないよ。生きるためだし、無意味な行動じゃあなかったし」
「あぁ、そりゃ分かってる。でも教えてくれ。殺される前、仲間が殺されたのを見て、あの兎は何て言ってた?」
「それは」と、そこで言葉を区切り、カルミアは一度息を大きく吐いた。「それは、知らないでいいことだと思うよ」
「なんとなく思い出しちまったんだ。ガキの頃、兵士が作ってた罠を見よう見まねで作って山に仕掛けたことがあった。次の日にいったらでっかいウサギがかかってたんだ。だけど殺せなかったし、家に連れて帰ったら殺されるってわかってたからそのまま逃がした」フェイジョアは自嘲的に笑う。「いつからだろうな。生きるためを理由に、平気で動物を殺せるようになったのは。そのうち、人を殺しても何にも思わなくなるのかもな」
「フェイジョアさんは大丈夫だよ」とカルミアは言った。「理屈で考えるような人じゃないから、きっと、本当に駄目なことは駄目って気付けると思う」
「そうか」とフェイジョアはぎこちないながらも照れ臭そうに笑ったが、ふと眉を潜めて「でも少し馬鹿にしてなかったか?」と言った。
ジン・アイリス組はちょこちょこと話をしながら見張りをしていたが、一時間が経とうとするころにはとうとう話題も尽き、アイリスはブーバの腹部の上で寝転んでいた。ためしにジンも触ってみたが、なるほど、適度に柔らかく弾力がある。これは寝心地がいいだろう。
「あら」とアイリスがブーバの腹の上で口に手を当ててジンを見た。「婚約者の前で他の男のお腹の上で寝てるなんて、これって浮気かしら」
「その言葉だけ見ると完全に浮気だ。だが流石に人間以外に、それもまだ幼い子供に嫉妬するほど狭量じゃない」
「あらそう。嬉しいような悲しいようなつまんないような」
退屈そうに再び寝転んだとき、次の見張り役のミナがやってきた。アイリスはブーバの腹部から脇腹へ滑って地面に降りる。
「やっと交代ね」アイリスは大きく欠伸をしながらミナの肩越しに居住スペースの方を見る。
「カンナは?」
「まだ寝てます。ギリギリまで寝かせておいてあげようと思って……」
「じゃあ私が寝る前に起こして――」
「いや、いい」とジンが言葉を遮る。「俺はまだ眠気を感じないし、あと一時間くらいは見張りを続けられる。二時間程度じゃあ疲れも取れんだろう。まだ寝かせておいてやれ」
「そう? でも、こんな夜中に婚約者が他の女と二人きりになるのを許せるほど私は懐が大きくないんだけど」くすくすと笑いながら言う。それが冗談なのか本気なのかミナには判別できなかったが、ジンは気にした様子もなくしっしっと手を振ってアイリスを追い払う仕草をした。
「じゃあおやすみ、ジン、ミナ」
「あぁ」
「おやすみなさい」
アイリスの足音が遠ざかり何も聞こえなくなると、その場にはブーバの規則正しい呼吸音だけが残った。ミナは一人と一頭から少し距離を置いた場所に腰を下ろす。
「君は大丈夫か」とジンが口を開いた。「アイリスもそうだが、特殊魔法は魔力の消耗が激しいだろう」
「大丈夫です。確かにあまり多用は出来ませんけど、今日くらいの消費魔力ならそれなりに休めば全快しますから」
「そうか」まぁきつくてしょうがないとは言わないだろうな、と思いながらジンは足元の地面に視線を落とす。
「昨晩はすまなかった。無神経なことを言ったと思ってる」
ミナの視線を感じたが、ジンは視線をあげようとはしなかった。
「いえ。ジンさんが仰ったことは間違ってませんから」
「正しければ無神経でないとは限らないだろう」
「それは――はい。確かに、そうですね」
「アイリスにもよく言われるんだ」
ジンが言うと、ミナは小さく笑った。
「じゃあ、私も少し無神経かもしれないことを訊いてもいいですか」
「あぁ」
「婚約者がいるってどんな感じですか。その、自分が選んだ相手というわけではないですし」
「そうだな……」とジンは顔を上げて斜め上を見る。「一言で表すなら、そのまま『婚約者がいる』という感じだな。恋人という表現よりはそちらの方が近いと思う。なんせ婚約が決まったのは俺とアイリスが三歳の頃だ。物心ついた頃にはそれが当然だったし、反抗期というのもなくはなかったが、九大貴族、そして現元首の孫としての立場が先行して、そこに文句をいうことはなかった」
「アイリスさんのこと好きですか?」
顔をしかめたジンを見て、ミナは「無神経でしたか?」と笑みを浮かべながら首を傾げる。
「いや、無神経とかではない。ただ、どうして女性はそうも簡単に好きだのなんだのと口にするのかと、少し辟易しただけだ」
「それは結構性格的なところがあると思いますけど……」
「君はローレルのことが気になっているのか?」
不意打ちのような質問に、ミナの表情が固まり、頬は若干赤みがかった。ジンはしてやったりというように口角を上げて「冗談だ」と言った。そして不意に真面目な表情に戻り、
「ローレルのことは――、いや、ローレルの父親のことは、俺達も多少は気にしている」
そう言ったジンに、ミナは顔を向ける。
「本人に訊かないのは、やっぱりそういうことですか?」
「あぁ。変に探りを入れていると思われるのは嫌だからな。ローレルも、たとえ父親がどんな容態でも『大丈夫』としか言わないだろう。先程の君のようにな」
その言葉にミナは顔を俯ける。
ローレルの父、ルドベキア現当主のベルガ・ルドベキアは数年前から病に臥している。祖父も十年以上前に逝去しており、現在はベルガの妻であるサリが当主代行を務めている。近い将来正式に当主の座に就くローレルも学院生活の傍ら彼女の補佐に就いているのだった。
「実際、この十人のメンバーの中で純粋な心でそのことを訊けるのはカルミアくらいだろうな」
「そうでしょうね」
「だが君は訊いてもいいと思うがな。心配しているのは伝わるだろうし、それにエキナケアは彼の父親の病をなんとか治そうと力を尽くしているのだろう?」
「はい。でも、訊いたところで何も出来ません。私が治せるのは怪我だけですから。病気は治せませんし、当然、死んだ人だって生き返らせることはできません」
「それは当然だろう」
「当然です。でも、そう思わない人もいるんです。特に、魔法を頼って外国から来た人は」
ミナの元にはそういった者がよく訪れた。手の施しようがないと病院から見捨てられた者、子供の死を受け入れられない親、そういった者達が最後に頼るのは、幻想国ラルディアの中でも群を抜いた治癒魔法の使い手であるエキナケア一族だった。門番がいるため彼らが屋敷の中にまで入ってくることはなかったが、窓を覗けば十中八九その姿が視界に入った。希望を絶たれた者が、屋敷の前で最期を迎えることもある。そうして諦めた人々が向かう先は決まって同じ方向で、大聖堂へと通じる道であった。歩き出した彼らが不意に屋敷を見上げて、目が合ってしまったことがあった。その時の彼らの目は未だに忘れることができない。
怖いんだ、とミナは思う。ローレルに父親のことを聞いて、あの時のような、どうせお前にはなにもできないんだろうというような目を向けられることが、どうしようもなく怖い。ローレルと接して、彼の性格を知ると、その気持ちはますます大きくなっていった。
ジンはそれ以上なにも言わなかった。何度かミナの方を窺う気配があったため、何か言うべきかという気持ちはあったのかもしれない。しかし、彼が口を開く前に足音が聞こえてきて、振り返ると眠たげに目を擦りながら歩いてくるカンナの姿があった。
――斥候は戻ってきたか?
――いや、まだだ。
――うまく竜から逃げているのか。
――あるいは死体が確認できないほど無惨に殺されたかだな。
――この後も計画通りに動け。
――了解。