三
怪我人を連れて拠点に戻った十人だったが、そこに、遠征を終えた時のような和やかな雰囲気はなかった。ローレル、ナギ、ホオズキは、治癒は完全に終えたものの意識は戻らないまま。カルミアは拠点の外で竜の相手をしている。
先程、竜の背に乗り、泳いで島からの脱出を試みたが、どういうわけか結界は消えておらず、脱出は不可能なままだった。つまり転移魔法で送られてきたということとなり、考えられるのは学院ぐるみの計画か、あるいは教師の中に企てた人物がいるのか、もしくはただ単に転移陣を見落としただけか。カルミアが竜に話を聞いたところ、驚いたことに竜の転移陣は拠点の奥、大穴が開いている場所の水の中にあったらしい。そこからなんとか飛び上がって(飛行は十秒程度が限界らしい)外に出て、しばらく歩いたり飛んだりしながら湖を発見したという。
残りの六人は拠点内で顔を突き合わせているものの、何から話せばとでも言うような沈黙が流れていた。推測で話すより、ホオズキやカルミアの口から真実を聞いた方が早いという思いもあっただろう。
「つーか、ホオズキって偽名か? あれ、女の顔だったよな。女でホオズキはねぇだろ?」
「名前はどうでもいいでしょ」と律儀に反応するカンナだが、その言葉には普段ほどの力は感じられない。ここにいる人物全員が、立て続けに起こった信じられない出来事により、大なり小なり精神的に疲労を感じている。
「噂は本当だったってことね」とアイリス。「声や姿を変える魔法なんて存在しないし、それが青い薔薇の能力なんでしょうね。姿を隠していたことを考えると、同時に使うことは出来ないみたいだけど」
「そういえば、湖に入ってる時、一言も喋らなかったね」
「一人に掛けられる魔法は一つまでだからでしょうね」
「ホオズキに関しては、まぁいい。出来る限り能力を隠すのは当然のことだ」とジンが言う。
「だが、カルミアの能力を黙っていたことは九大貴族の一員として見過ごせん」
「なぁジン。さっき言ってた十人目の偉人ってなんだよ? 俺ぁ、そんな話聞いたことねぇぞ」
「子供の頃聞いて忘れてるんじゃないの」と言うカンナにフェイジョアは「まぁそうかもしれねぇけど」と否定しなかった。ジンは小さく溜め息を吐いてから話を始める。
「教科書や歴史書に記された建国時の記録。それに、多少手が加えられて改変されていることくらいは知っているだろう?」
「あぁ。魔石のこととかだよな」
「そうだ。記録では魔石は粉々に砕けたとされているが、実際は九個――いや十個の欠片に割れただけだ。そしてそれは俺達九大貴族が保管していて、今でもラルディア全土に魔力を供給し続けている。これを公表しない理由など言うまでもないな」
全員が頷く。
「それと同じように、人数を改変しているんだ。ラルディアの地で魔石を発見したのは九人ではなく十人。そして十人全員が、魔石から能力を授けられている」
「じゃあなんで九人になってんだよ? もしかして、俺の夢みたいに……」
「馬鹿を言え。昼間にカンナも言っていたが、そのようなことをする筈がないだろう。正しい記録では、十人の内一人――これがカルミアの先祖なのだろうが――だけ建国に反対して姿を消したとされている」
「で、そいつが持ってた能力ってのが……」
「そうだ。人間以外の生物と言葉を交わす力。譲渡の際、魔石は『繋ぐ力』と称したようだがな」
その時、背後で誰かが起き上がる気配がして、六人は振り返った。薄闇から出てきたのはホオズキで、外されたフードに全てを悟ったのか、気絶していた時の姿だった。
姿を変えていた時のやんちゃ気な雰囲気とは正反対の、無気力な冷めた目をしている少女であった。思考がまるで読めない無表情のまま六人を見渡して「カルミアは」と短く問う。カンナが外を指して「竜と一緒」と言うと、僅かに目を見開いてから小さく頷いて、六人から少し離れたところに腰を下ろした。
「話す気はあるということでいいな」
ジンの言葉に頷く。目と目を合わせられるようになったにもかかわらず、向かい合うと今まで以上の厚い壁を感じた。
「何から訊きたい?」冷たい声で問う。
「ホオズキ、まずは君のことだ」
少女は頷き、すっと話し始めた。
「まず、私の本当の名前はネリネ。ネリネ=ヴィレア。青い薔薇。自分の姿か声、どちらかを自由に変えられる『ナデシコ』っていう魔法を使える。このことを知っているのは私の家でもほんの一握りの人だけ。あとはカルミアと、カルミアのお祖母さんくらい」
「師匠が?」と思わず反応してしまったカンナだったが、ネリネの視線を受けて誤魔化すように顔を逸らした。何名か、その様子が気になったようだが、今はそこを聞くときじゃないとネリネに視線を戻す。
「男だと偽っていた理由は?」ジンが訊く。
「小さな頃からそうしてたから。理由は想像がつくでしょ?」
ジンはその問いには答えず「ではカルミアのことを聞かせてもらおう」と言った。ネリネの無表情が僅かに崩れる。
「どこまで察してる?」
「それはどうでもいいことだ。君は、君の知っていることを話せばいい」
「ちょっとジン、そんな言い方、まるで尋問みたいじゃない」見かねたアイリスが咎めるように口を挟む。「この子のことはともかく、カルミアは先祖が誰でも今はただの一般人。国民でしょう? それにあの子、自分が偉人の子孫だってことまでは知らなかったみたいじゃない」
「俺はカルミアを責めるつもりはない。ただ、カルミアの力を知っておきながら黙っていたヴィレア一族は、彼女をどうするつもりだったのか知りたいだけだ。俺たち十人でかかっても敵わないであろう竜を彼女がいとも容易く手懐けたところを、ここにいる全員が見ている。使い方しだいによっては、均衡が保たれている各地方の軍事力に大きな差が出来ることとなる。そうなれば国がどういう方向へ転ぶかなど想像するまでもない」
「カルミアの力は、私とカルミアのお祖母さん以外誰も知らない」
その言葉に、ジンだけでなく全員が驚愕を浮かべた。
「なんだと?」
九大貴族に生まれた者にとって何よりも優先すべきは一族だ。カルミアほど特殊な力を使える者を知っておきながら一族にさえ報告しないなど、彼らからすれば考えられなかった。
「その言葉を信じろと言うのか?」
しかし彼女は、冷たい目のまま頷く。
「これからも、誰にも言う気はない」
そしてあろうことか、
「あなたたちも黙っていてほしい」
そう言った。
沈黙が流れる。誰も何も答えなかった。答えに迷っているわけではない。彼らの中で一族への報告は息をするかのごとく当然のことで、それをしないでくれと頼まれたことへの困惑によるものだった。
「まさか自分のことも黙っていてほしいってことじゃないわよね?」と、なんとか口を開いたアイリスの問いにネリネは頷く。「そう……。うーん。報告も駄目なのかしら。報告したところで、一国民に何かしようと思う人はいないと思うんだけど、甘い考えかしら」
「そうかもしれない」とネリネは同意する。「でも、もしカルミアのことが噂になったりでもしたら、過激派のアルス市民軍に狙われるかもしれない。暴動や内戦が起こったら余計に――」
「九大貴族の一員が滅多なことを言うな、ネリネ=ヴィレア」
「滅多なことじゃない。ここ十年位で反アルス、反ロメリアの活動は異常なほど激化して――」
「まぁまぁ。ここで言い合ったってしょうがないでしょ」
仲裁に入ったアイリスによってジンは自分を落ち着かせるように小さく深呼吸をしたが、ネリネは納得いかないらしく「滅多なことじゃない」と再度呟いた。
「実際、カルミアがヴィレア地方に引っ越してきたのだって、元いたところで差別を受けたから」
口から零れた様な言葉に、その場の雰囲気は重苦しいものとなった。カルミアが元々いたところ、ディモルフォセカ地方を治める一族であるカンナは人一倍衝撃を受けていた。父親からの話では、カトレアは先のことを考えてと言っていたようだが、あの頃、既にカルミアは差別に苦しんでいたのだ。
そしてジンも、ネリネの言葉を制したものの、その現状はこの場の誰よりも理解していた。そうでなければ、あのような言葉は一笑に付すだけなのだから。
「あなたもカルミアもお互いの能力については知っているのね?」
アイリスの問いにネリネは頷いた。
「そう。ねぇ、ネリネとカルミアについては、このくらいでいいんじゃない?」
誰も答えなかったが、その沈黙を異論なしと受け取って話を進める。ネリネの頼みに誰一人答えていなかったが、そのことについて口にする者はいなかった。
「今はこれからのことを考えるべきだと思うわ」
「これからですか」とミナが静かに口を開く。「あの竜が通ってきた転移陣は壊しましたけど、他にも隠されているなんてことがありそうですね」
ふと思いついたように口にした言葉に、全員が顔を上げた。ミナも、言葉に出してからようやくその重要さに気が付いた。
「もしこれが誰かの計画なら、後から首謀者が様子を見に来てもおかしくない」
ジンが迂闊だったと顔をしかめながら言う。カルミアやネリネの衝撃が大き過ぎて、その程度のことも気付けなかった。しかしそれは他の六人も同様で、早口で現状を確認し合う。
「あの竜は試験とは無関係に送り込まれた。それは全員一致よね?」
アイリスの問いに一同が頷く。
「それが個人なのか組織なのかは分からないが、学院ぐるみという可能性はなさそうだな。そうでなければ、とうにあの幼竜の親によって結界を破壊され、俺達は殺されている。食い止めている誰かがいるということだ」
「でもあの一流揃いの教師が転移陣を見逃すかしら」アイリスが首を傾げながら言う。
「ないだろうな。俺が首謀者ならいくら大型とはいえ幼竜一体を送り込んで終わりにはしない。必ず詰めを用意する。そのためには他の転移陣と、わざとそれを見逃してくれる協力者が必要不可欠だ」
「教師の中にテロリストがいるってこと?」カンナが信じられないといった口調で言う。
「可能性としては低くないと思っているがな。そして、他の転移陣が隠されている可能性は極めて高い。いや、これは可能性の有無に関わらず捜索をするべきだろう」
「怪我人もいるし、拠点に残る班と転移陣捜索班に分かれるべきだよね」とフラネル。
「まず除外すべきはカルミアとネリネだな。カルミアがいなければあの竜がまた暴走しないとも限らん。ネリネは当然結界役だ」
ネリネは頷いた後「あ」と不意に口を開く。
「どうした」
「この洞窟の奥にある大穴、塞がないと」
「出来るか?」
「今日は無理」
「なら明日頼む。しかしそうか。あの穴を塞ぐまで、この拠点から出るのは危ないかもしれんな」
「そうだ」とカンナ。「あの竜に頼んであそこらへんにいてもらえば?」
「いや。まだ幼竜で、いつの間にか転移させられるような奴だ。正直、当てにならん。明日になれば――動けるかは別として、ローレルとナギも目を覚ますかもしれん。動き出すのは明日になってからがいいだろうな。そして当てにしているわけではないが、大穴には竜を配置。他に二人が順番に見張りにつく。ネリネは回復に専念してくれ」
全員が頷く。緊張感は増したものの、先程までの暗い雰囲気はいくらか薄れたようだった。
ジンはネリネを見て言う。
「今の話をカルミアに伝えて、竜を大穴へ連れて行ってくれ」
「それなら私もついて行くわ」カンナがさっさと腰をあげながら言う。「その方が良いでしょ」
「そうだな。頼む。俺達は夕飯の準備と見張りの順番を決めよう」
各自が動き出すのを見ながら、カンナはネリネに声を掛ける。
「早く行きましょ」
ネリネは頷いて立ち上がり、並んで入口へ向かう。
「さっきの話」とカンナは不意に口を開く。なんのこと、とでも言いたげなネリネの視線に、彼女は照れ隠しのようにそっぽを向く。「報告するなって話。とりあえず、私は了解。別にあんたとかカルミアのためじゃなくて、師匠――カルミアのお祖母さんのためだけどね」
そしてちらりと隣を見る。ネリネは目を丸くしていたが、その視線に気づくと微かに微笑み「ありがとう」と言った。