一
大陸から百キロほど離れた海上にぽつんと浮かぶ島がある。上空から見たとき真っ先に目に入るのは木々の緑色。次点で、その中央にぽっかりと空いた湖、島を囲む白い砂浜といったところだろう。その自然に人の手が加えられた様子はなく、実際、そこは無人島だった。
白い砂浜に淡い光の陣が浮かび上がる。その光は次第に強くなり、海辺にいた鳥や、その鳥を狙っていた小動物たちは一斉に逃げ出した。
光が止むと、そこには十人の少年少女の姿があった。服装に統一性はまるでないが、全員が同じ腕章をつけていることから同組織に所属していることが分かる。
十人は顔を、あるいは目線だけを、またある者は身体ごと動かし、周囲の様子を探った。
「ここか」
最初に口を開いたのは一番大柄の少年、フェイジョアだった。その身体に合う巨大な剣を背負っており、彼の容姿から感じられる凶暴性をさらに高めていた。
「そうみたいね」
ぶっきらぼうに、しかし負けん気を感じさせる口調で返したのは、女性陣の中では最も長身の少女、カンナだった。少し吊り気味の瞳や、そこはかとない自信に溢れた言葉や仕草は、人によっては威圧的とも感じるものである。
「で、どうする? 俺ぁ十人別々に過ごすってのも構わねぇけど」
他の九人を振り返りながら言ったフェイジョアに、カンナも同意する。
「こいつと同じ考えなのは気に食わないけど、私も賛成。どうしても十人で一週間を過ごせっていうなら我慢するつもりだったけど、そうじゃなくてもいいみたいだし」
その言葉に他の八人はしばらく黙っていたが、そのうち、一人の少年、ジンが軽く手を挙げた。金髪に、冷静さを感じさせる瞳。フェイジョアと比べると小柄に見えるが、同年代の者と比べると背は高い方で、何より彼から溢れ出る威厳は、この十人の中でも明らかに別格のものだった。
「俺もそれは構わない、と、前置きしたうえで言わせてもらう。確かに学院長はそのように言っていたが、この試験で高い評価を得たいのならその行動は止めておいた方が良いだろう」
その言葉に、フェイジョアとカンナは「え」と表情を固める。それに気付いているのかいないのか、ジンは言葉を続ける。
「もっとも、ここにいる十人の内、九人は九大貴族の跡継ぎだ。まさか、この試験結果次第で卒業が危うくなるような者はいないだろう」
他の面々が当然のように頷く中、フェイジョアとカンナの頬に冷や汗が垂れる。
「俺としては、この中で唯一の一般生徒である彼女のことが気になる。カルミア、だったか。君はどうだ」
急に話を振られた少女は大袈裟に肩を跳ね上げた。十人の中で最も小柄な少女、カルミアは大きな瞳を緊張でさらに大きく見開きながら何度も頷いた。
「わ、私も大丈夫です。問題ありません」
その答えに頷いたジンは提案者の二人に向き直った。
「というわけだ。お前たちの意見に反対する者もいない。一週間は各々で過ごすということで――」
「いやいや、ドウダン。ジン=ドウダン。ちょっと待てよ」
慌てた様子で言葉を遮ったフェイジョアの顔色は見るからに悪い。その隣でカンナも同意するように頷いている。彼の意見に賛同することに、もはや抵抗は感じないようだった。
「なんだ? フェイジョア=デルフィニウム」
「あれだ。あれ。なんつーか……あれだろ。だからやっぱ十人でやるべきじゃねぇか」
「さっぱり分からん」
もごもごと口ごもっているフェイジョアを横から突き飛ばして、カンナがジンの前に立つ。
「ラルディア国民の模範となるべき私達が、成績的に問題ないから、なんて理由で卒業試験をおざなりにするなんてよくないんじゃないかしら」
起き上がったフェイジョアはカンナの隣で頷いている。
「確かにそうだな」ジンも同意する。
「でしょう?」
「だからこそ、俺達は仕方なくとはいえ最初から十人で過ごす気でいたのだが」
嫌味の籠った言葉に二人は「ぐぬう」と顔をしかめて唸った。
そんな様子を見て、一般人であるカルミアは、フェイジョアのデルフィニウム一族とカンナのディモルフォセカ一族は実は仲がいいのだろうかと首を傾げていた。
ジンは他の七人に振り返る。
「ではやはり十人で一週間を過ごすということで問題ないか?」
全員が即座に頷くのを見て、フェイジョアとカンナは、もし自分達が抜けていたとしても、彼らはおそらく八人で一週間を過ごしたのだろうと悟った。
その時、背後で茂みが揺れる微かな音がした。顔を向けた十人の視線の先にいたのは、薄茶色の兎だった。一匹ではない。茂みの向こうには、まだ数匹の気配があった。鼻をひくひくと動かしながら十人の方に少しずつ近付いてくる。
「魔獣、ってわけじゃないわね。下見に来た先生が餌でもあげたのかしら」
人間を恐れない様子にカンナが言う。
「さあな」
応えながらフェイジョアは腰に差していた短剣を抜いて一歩前に出た。
「まさか、可哀想だから殺すな、なんていう奴はいないよな?」
振り向き、嘲笑交じりに問う。誰も答えない様子を見て、彼は兎に向き直って砂浜を蹴った。
その光景に思わず目を俯けたのはカルミア一人で、そして、その隣に立っていた、少年とも少女とも分からない、全身をローブで覆い隠した者が、そんな彼女を見ていた。
ここフクジア島は、ディモルフォセカ地方にありながらセンテッドベリア学院が管理している常夏の無人島である。
少し早い時間だが昼食がてら話し合いをすることにした十人は、強い日差しから身を守るため浜辺の傍の木陰に入った。地面に落ちていた薪や枯葉を拾い集め、火をつける。下ごしらえを終えた兎を刺した木の枝を近くに数本立てて、十人はそれを囲むように、薄く草の生えた地面に腰を下ろしたり、木の根を椅子代わりにしたり、または幹に背中を預けるだけだったり、それぞれ好きな体勢をとった。
「まずは頭を決めるべきだろう」
そう言ったのはジンだった。ここまでの作業の中で、見るからに高価な服は薄く汚れてしまっていたが、それを気にする様子はない。
「ジンでいいんじゃない?」
そう言ったのは、彼の隣に腰掛けている少女、アイリスだった。ウェーブのかかった髪に、うっすらと笑みを浮かべている口元。しかしその目は、どこか挑発するような、あるいは誘惑するようなものだった。大半の者が距離を置いて座っている中、彼女はジンの隣にピッタリ座っている。
「俺もそれでいいと思うぜ」と同意したのはフェイジョア。カンナも、フェイジョアを睨みながらも同意した。ジンも頷くが、
「俺は構わないが、さっきも言ったように、試験だということを考えるなら別の者を選ぶべきだろう」
「誰だよ?」
「ローレル=ルドベキア。フラネル=コモンセージ。ホオズキ=ヴィレア。俺は、この三人の中から選ぶべきだと考えている」
「能力的な面で?」
アイリスの問いにジンは頷く。そして、自分が挙げた三人を順に見て行った。
一番近くにいたホオズキ=ヴィレア。全身をローブで覆い隠しており、顔は垂れ幕のような薄い布地で隠れている。かなり薄い素材であるにも拘らず全く顔が見えないことは、そのローブが魔道具の一種であることを表していた。身長はかなり低い。隣に座っているカルミアより少し背の高い程度だが、しかしこれには理由もあった。
ホオズキは布に隠れた顔をジンに向ける。
「すまないが、俺は断る。歳のことは置いておいても、顔も見せられない奴にはなかなか素直には従えないだろう」
「なら顔見せてくれよ」横槍を入れたフェイジョアをホオズキは無視した。
「では、コモンセージ。君はどうだ」
ジンに指名された少年、フラネルは困ったように笑った。
「えぇと、僕も、ちょっと勘弁してほしいかな。他に誰もいないっていうならするけど……。あぁ、でも戦闘があった時、僕が役に立てるとは思えないし、それならリーダーくらい引き受けるべきなのかな……」
うじうじと悩んでいるフラネルに、フェイジョアは露骨に顔をしかめる。
「はっきりしろよ。ったく。これだからがり勉は」
「誰もかれもあんたみたいに単細胞じゃないのよ」
呆れたようなカンナの言葉にフェイジョアは意外そうに片眉を吊り上げる。
「なんだ、お前もああいう奴が嫌いかと思ってたけど違うのか。意外とああいう奴がタイプなのかよ」
「そうね。あんたよりはずっと魅力的だわ」
「へっ。なら婚約でもなんでもしちまえ。そこのドウダンとデュランタみたいに、アルスとロメリアの架け橋にでもなればいい」
「デルフィニウム」
咎めるように口を挟んだのはジンだった。フェイジョアに鋭い視線を向ける。
「九大貴族の一員が、国民をそのように分けて呼ぶことは許さない。その呼び名は国民が作ったものであって、我々は認めてなどいないのだから」
フェイジョアは何か言い返そうとしたが、その時、視界の隅にカルミアの姿が映り、すんでのところで言葉を止めた。
バツの悪そうに口を閉ざしたフェイジョアを見てから、ジンは、最後の一人、ローレルに顔を向けた。
「どうだ、ルドベキア。俺としては君を推したい。君の良い噂は学院でよく耳にしていたし、能力も申し分ないと思っている。特に、その『眼』だ」
その場に沈黙が生まれる。先程までも、確かに静かであった。しかし、それとはまったく別の、張り詰めた沈黙。
その空気を破るように、ローレルは大きく息を吐いた。彼は黒髪の少年である。身長はジンと同じほどで、腰に剣を差している。ジンが口にした彼の双眸は髪と同色で、一見、何の変哲もないように思えた。
「このまま話が進まないのも困る。分かった。とりあえず、俺が引き受けよう。だが、俺の指示や方針に文句があったらすぐに言ってほしい。誰かと代われというなら従う」
数名が頷き、異論を唱える者はいなかった。
とりあえずさっさと食事を済ませてから、十人は話し合いを再開した。今度はジンではなくローレルが中心となる。
「とりあえず、すべきことを確認しよう。第一は拠点、食料の確保」
「水は?」とフェイジョア。
「魔法使いが何人もいるでしょうが」
溜め息交じりのカンナの言葉にローレルも頷く。続いてジンが軽く挙手をした。
「食料だが、流石に一週間、肉食というわけにもいくまい。魚はともかく、ここらの植物はパッと見ただけでも少々独特だ。可食か否かの判断は誰がする?」
「あ、それなら……」と小さく声を上げたのはフラネルだった。
「分かるのか?」とローレルが問うと、フラネルは頷いた。
「僕、植物とかが好きで、よく図鑑とか見てるから、分かると思う。多分だけど……。あ、でも、良い調理法とかは分かっても、料理はしたことない」
「料理の経験がある人は?」
ローレルは手を挙げながら問う。彼の他に挙手したのは、アイリス、カルミア、それから、ここにきてまだ一言も喋っていない少女二人だった。一人は、白いローブを纏った少女、ミナ。もう一人は、黒装束をまとい、腰に短刀を二本差している少女、ナギだった。すっぽりと頭巾をかぶり、顔は鼻まで隠れている。頭巾の後頭部付近に穴が開いているのか、そこから一つにまとめた髪が出ていた。
「これだけいれば十分だ。可食の判断はフラネルに、調理は、この五人の中から二人ずつ、順番に担当にしていこう」
「リーダーさんは他のことをやった方が良いんじゃない? 四人の方が順番も回しやすいし」
アイリスの言葉に、カルミア、ミナ、ナギも頷く。ローレルはその言葉に甘えて、手が空いていたら手伝うということにした。
「じゃあ次は拠点だけど、正直、これについては迷ってる」
「一週間ならわざわざ家を作る必要もねぇだろ。洞窟でも探せばいいんじゃねぇか?」
「この島にどんな魔獣がいるのか分からない段階で洞窟に住むというのは危険だと思う」
「そんなやべぇ魔獣はいないだろ。卒業試験だぜ?」
「でも」とカンナが口を開く。
「私達が苦戦するかもしれない程度の魔獣ならいる可能性がある。卒業試験だからね。そんなやつを相手に、袋小路で戦うっていうのは、確かにちょっと危ないわね」
「じゃあこんなひらけた場所で寝るってのか? 下手すりゃ、いつの間にかそんな魔獣に囲まれてるってこともありうるぜ」
そこで手を挙げたのはホオズキだった。全員が顔を向ける。
「洞窟の入り口くらいなら、それなりに強力な結界で塞ぐことが出来る。よほどの魔獣じゃない限り突破されることはない」
「そうか。ヴィレアの結界術があったな」とローレル。
「じゃあホオズキ、洞窟が見つかった時は頼んでいいか?」
ホオズキは無言で頷いた。
「よし。そうと決まれば、出来れば今日中に洞窟を見つけたいな」
そう言いながら腰を上げたローレルに続いて、それぞれ立ち上がる。
「日没まで六時間ってとこか。リーダーさんよ。手分けした方がいいんじゃねえか? 魔獣がいるっつっても、流石に十人でかからねぇと勝てないような奴はいねぇだろ」
その言葉にローレルも「そうだな……」と頷いたが、ふと、何か思案するような表情をした後、首を横に振った。
「いや、その決定をする前に……」
ローレルは五人の姿を見た。その五人とは、ホオズキ、フラネル、アイリス、ミナ、カルミアであった。
「浮遊魔法を使える人は?」
挙手したのはホオズキ、アイリス、ミナの三人。
「高くまで飛んで、上空から島の様子を見てもらいたい」
「そこまでは使えないわね」
アイリスが手を下げた。ミナも同様らしい。
「ホオズキ、結界に続いてすまないが、頼めるか?」
「構わない」
「無理はしなくてもいいからな」
ホオズキは頷くと、少し歩いて木陰から出た。空を見上げると足が地面から浮き上がり、緩やかなスピードで上空へ上がっていく。全員が木陰から出て、その様子を見ていた。ローブはやはり魔道具らしく、下から覗いても不自然なまでに真っ黒だった。それになかなか気付けなかったカルミアはしばらく慌てた様子であわあわと言っていたが、九大貴族の子息たちは一貫して見て見ぬふりをした。
浮遊魔法は、高度が上がれば上がるほど維持が難しくなり、魔力の消費も格段に大きくなる。低空ならまだしも、この高さでは浮かび上がることは出来ても、鳥のように飛ぶことは出来ない。若干のふらつきを感じながらも島全体が見渡せるほどにまで上昇したホオズキの目にまず映ったのは白い砂浜だった。洞窟を探すのなら岸壁があればいいと思ったのだが、それはないようだった。森の中心に湖を見つけた。もし魔獣がいるとすれば、そこを狩場としている可能性は大いにある。
結局、一面が木々に覆われていて洞窟がありそうな場所を発見することは出来なかったが、湖の存在を知らせると、そこに向かおうと提案する者が現れた。
まずそれを口にしたのはフェイジョアだった。最初に魔獣を叩いてしまえば怖いものはなくなる、という彼の案に、意外にもジンが賛同した。個人差はあれど無人島生活で身体は疲弊していく。それならば全員が万全の状態である今のうちに、という理由だった。十人は話し合いの末、洞窟探索班と魔獣討伐班に分かれることとなった。
探索班は、カンナ、ナギ、フラネル、ホオズキ、カルミア。
討伐班は、ローレル、ジン、フェイジョア、ミナ、アイリス。
「私も討伐に行きたいんだけど……」
カンナは不満げに口を尖らせていたが、この班分けになった理由も理解出来ていたため、大きく文句を言うことはなかった。しかしそれでも小言が口から出るのは、不満を覚える理由が、ひとつだけではなかったからだろう。
上空から見た景色をホオズキが自分の手帳に簡単な地図として記入した。十人全員がそれを自分の手帳に書き写して、何かあれば随時記入していくことにした。
探索班は湖とは別の方向へ進み、討伐班は魔獣がいなかった場合、そのまま湖方面で洞窟を探索する。拠点に出来そうな洞窟が見つかった場合、または緊急事態、あるいは日没を迎えてしまった場合、空へ魔法を放って互いの位置を確認し合流する。そう決めて、二つの班は別れた。