吸血鬼討伐戦の惨劇
目の前で起こっている光景を、俺はただ見ている。
それは蹂躙。圧倒的な力による蹂躙。
「アハッ! アハハハハハ!」
力あるものが襲い掛かる全ての命を刈り取り、
「グ……ァガ……」
「おい! しっかりしろ!」
「ひるむな! 奴を仕留めろ! 死にゆくものを無駄にするな!」
力なきものは命を捧げるためとでも言うように襲い掛かる。
俺はただ、見ていた。体は恐怖で動かすことが出来なかったから。
肉の破裂する音と引き裂かれる音、裂けた肉の断面と噴き出す鮮血。
兵士の怒号、悲痛な叫び。
奴の笑い声、靡く銀髪。
俺はただ、見ていることしか出来なかった……
やがて、俺以外の人間の全てがやつに殺された。殺されに行った、という表現の方がきっと正しい。
いや、そんなことなんてどうでもいい。ここにいる人の形をした生き物は俺一人、そして奴一体、、あるいは一人だ。
恐らく、俺は奴に殺される。
奴の見た目は人間そのものだ。だが奴は……奴らは人間ではない。
人間の血を糧として生きる存在……吸血鬼。
そんな奴が、食糧となりうる俺を果たして逃すのだろうか。いや、もし満腹という概念が吸血鬼にもあるのなら万が一にも俺は見逃されるのかもしれない。
「……はぁ、なんだか、喉が渇いちゃったなぁ」
奴は、あるいは彼女はそう言葉を発した。そしてそれは、俺を諦めさせるのには十分の死刑宣告そのものだった。
ふと、彼女の赤い瞳と目が合った。
そうして再び、俺は諦めた。俺の命はもうない。彼女に、奴に殺されるのだ。
奴はいつの間にやら俺のすぐ目の前へと移動していた。それに気付いても、俺は恐怖と諦めで確定されたであろう運命に抗うことは出来なかった。
「ねぇ、血を飲ませて頂戴?」
奴は返事を待つことは無く、俺の首筋へと牙を突き立てた。
「ぐ…ぁ……」
俺は痛みと、えもいわれぬ快感のようなものを感じながら、重い瞼を閉じた。
恐らく、二度と開くことはないであろう瞼を…………
「………………えっ……この感じ……」
意識が遠のく中、何かが遠くから聞こえた。
「……そっか。ネル、なんだね…………」
体が痛い。
始めに感じたのはそれだった。痛み……痛みを感じるということは俺は生きている、ということなんだろうか。
俺は確か……そうだ。兵士の1人として吸血鬼討伐作戦に参加したんだったっけか。そして、俺以外の兵士は恐らく全滅した。もしかすると逃げ出した兵士がいるかもしれないがそれでも全滅は全滅だろう。恐らく300人はいたであろう兵士が、たった1人の吸血鬼に殺されたのだ。
無謀な作戦、だったのだろうか。
だがしかし、この規模の討伐作戦はあまり失敗したということは聞かない。失敗にしても犠牲はせいぜい20から50人程度で吸血鬼に逃げられた、というものくらいしか聞いたことがない。
奴、彼女が他の吸血鬼とは一線を超えた力を持っていた、という事なのだろうか。
……そうだ。彼女といえば、俺は血を吸われたはずだ。だが、俺は生きている。
吸血鬼は人の血を吸う時、必ずと言っていいほど相手が命を落とすまで血を吸い尽くすと言われている。だというのに、俺は生きているのか?
まさか奴が俺を殺さないように加減したわけでも無いだろう。ならば、やはりなぜ俺は生きているのだろうか。
……まあ、考えていてもどうせ始まらないのだろう。
俺は意を決して、二度と開くことは無いと思っていた自らの瞼を開いた。
「いや〜、目が覚めてよかったよ〜」
ほんわかとした声でベッドの上の俺にそう話しかけるのは俺の住むデントラス王国の兵士ならば一度は世話になるであろう専属医、ヘリスだ。
俺と歳があまり変わらないような見た目ではあるが実際は15ほど歳が離れているはずだ。今は確か3い……
「ネルアくん〜? なにか失礼な事考えてないかな〜?」
「……いや、別に」
……この人は俺の心でも読んでいるのだろうか。いつもと変わらない笑顔のまま指摘されるのはなにか、こう、威圧されているような気がしなくもない。
俺は討伐作戦の後、応援に来た兵士達によって王国の首都へと運ばれ、この病院に連れてこられたらしい。
「でもネルアくんだけでも助かってよかったよ〜」
「……だけ、か。じゃあ……」
「うん〜。ネルアくん以外の兵士の人たちは全滅だよ〜。本当に、強い吸血鬼だったみたいだね〜」
「ええ。どれだけ大勢でかかっても、まるで群がる虫をいとも簡単に払うように………」
直後、俺は吐き気に襲われた。
肉の裂ける音、骨の断たれる音、吹き出す血、飛び散る肉片………
「ネルアくん〜?」
「……すみ、ません。袋かなにか、くれますか?」
口を手で抑えながら俺は彼女に頼む。彼女はすぐに察してくれたのか、自らの白衣のポケットから紙袋を取り出して渡してくれた。
「ありがとうござい…ます………ぅおお゛ぇ゛」
俺は思い切り、吐いた。
痛みと気持ち悪さを丸ごと紙袋の中にぶちまけるように。
「俺は、吸血鬼と対峙した時………怖くて動けませんでした」
紙袋を処分してくれたヘリスが背中をさすってくれている中、俺は口を開いた。
「ただ、ほかの兵士達が死んでいくのを黙って、見てたんです」
「……………………」
「……俺は、自分が情けないです」
俺は、言いながら自分が涙を流していることに気がついた。それはきっと、後悔から、情けなさから、無力さから。
ヘリスは、俺の言葉を聞き終えて。
「……怖かったのは、仕方ないよ。きっと、吸血鬼と戦うってなったら誰だって怖いもの。吸血鬼は、強かったのでしょう? だからきっとあなたは本能的に恐怖してしまったんだと思う。もう一度言うけど、それは仕方のないことよ? あなたが生きたいと思ったから、あなたは恐れたの」
「…………」
「そして、あなたは生きてる。あなたが怖がったのは、無駄じゃないよ?」
ヘリスは俺にそう言った。彼女は多分慰めてくれようとしてるのだろう。そしてそれは、はっきりいって効果覿面だった。
「……あ、ありがとう、ございっ、ます」
俺は、ボロボロと涙をこぼしながら彼女にそう言った。
「うん〜、どういたしまして〜」
彼女はそう言いながら俺の嘆きを受け止めるかのように、優しく抱きしめてくれた。
鼻の先にかかる彼女の緑色の髪が、少しくすぐったかった。
数日後、俺は退院出来ることになった。入院している間も特に具合が悪かったということでもなかったが、吸血鬼に血を吸われたことは間違いがないということで、身体に異常がないか検査をされていた。
「どうする〜? もうしばらくはここにいても平気ではあるけど〜」
「……いや、退院します。きちんと自分の口で自分の見たことを上に報告したいですし、なによりヘリスにこれ以上迷惑をかけるのはなんか、申し訳ないので」
それを聞いたヘリスはキョトンとした。
「何を今更〜。今までだって迷惑かけてるんだから今更気にしなくてもいいのよ〜」
微笑みながら彼女はそう言った。
「俺としてはあまり迷惑はかけたくないんですけどね」
「そんなこと気にしなくていいのよ〜。あなたはただ、訓練でも実戦でも、自分の出来ることを全力でやってるだけなんだから〜。そういう怪我だったら私はいくらでも治してあげるわ〜」
「……ありがとうございます」
微笑みながらそういう彼女に、俺は本当に感謝しかできない。
「だからいいってば〜。でも……そうね〜、もし本当に感謝してるなら、そろそろ敬語をやめてくれてもいいかもね〜」
「えっ、いやぁそれは」
「私のこと呼び捨てで呼んでくれてるんだから敬語をやめてくれてもいいじゃないの〜」
「いやだって、呼び捨てなのはヘリスがそうしないと治療しないとか言ってきたからしたわけで……」
「だって、ねぇ。私が一番顔を合わせてるのネルアくんだし、それなのに敬語とかだとちょっと息苦しいじゃない〜?」
ヘリスは若干頬を膨らませながらそう言った。その姿を見てるとやはり彼女の事を10歳以上歳上だとはとてもおも……
「ネ〜ル〜ア〜く〜ん?」
「は、はい。なんでもないです」
そういう俺を見て微笑むヘリスを見て、やはり彼女には心が読まれているのではないかと思わされた。
「外に出たの、久しぶりな気がするな」
デントラス王国兵の詰所へと向かう中、俺はぼそっと呟いた。
久しぶりとは言うが入院していたのはたった数日の間だった。そして、吸血鬼との戦いも数日前の事だ。
あの戦いで、人が死んだ。たくさんの人が、たった数分で。
「吸血鬼、か……」
彼らは、彼女らは人間より圧倒的な力を持つ。わかっていたつもりだったけれど。
「つもりだっただけ、だったんだな」
実際にその力を見せつけられて、俺は自分の考えが甘かった事を思い知った。
「俺の知ってる吸血鬼は、そんな力を持ってるやつじゃなかったんだけどな……。いや、隠してただけ、なのかもな」
過去の記憶、まだ幼い頃に出会ったあのか弱い雰囲気を持った吸血鬼の少女。話もしたし、遊びもした。そんな彼女には人間と違うところなんて、彼女が笑った時に見せる白く鋭い八重歯くらいしかなかった。
『ねぇネル。私たち、ずっとずぅーっと、友達だよ……ね?』
『ん? 何当たり前の事言ってんだよ。何かあったのか?』
『……うふ……ううん何でもない!』
そう言って彼女が笑ったのは、彼女家が焼き払われる数時間前のことだった。
俺の住んでいた村の住人が村のすぐ近くに吸血鬼が住んでいることを村中に広めた。吸血鬼を恐れる村人達は、吸血鬼の家に火をつけた。それは討伐をしようとかいうものではなかった。恐らく、恐怖によって反撃が来る可能性も考慮しないまま、ただただ抵抗したかったのだろう。
自分たちに危害を加える可能性のある、人ならざるものを。
少女と、少女の家族は抵抗しなかった。ただ、人を襲うこともなくひっそりと住んでいた家から、逃げた。
俺が兵士になった理由は、その吸血鬼の少女に再び会いたいからだ。吸血鬼は基本的に、《生と死の狭間》と呼ばれる、トリスデイルに点在する領域の中に住んでいる。そして、その中に入れるのは吸血鬼討伐作戦に参加する兵士のみだ。それ以外の一般人には中に入れないように境界線近くに兵士が見張っている。
俺にはあの吸血鬼の少女が逃げた先はわからない。
「ついでに名前と容姿も忘れてるんだけどな……」
だから、少しの可能性でいい。再び会える可能性があるのなら、俺はその方法をとる。
「まあ、向こうが忘れてる可能性もあるんだけど、な」
ただ、なんであの少女に会いたいのか、俺にはわからない。
それでも、
「友達だし、まあ、会いたいって思っても不思議ではないだろうなぁ」
と。
そんなことを思いながら、言いながら俺は詰所に向かう。




