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十鬼

 目が覚めると、俺はまたしてもベッドに寝ていた……全裸で。魔理亜か葵が、気を使って濡れたボクサーパンツを脱がしてくれたのだろう。小さい状態を見られたなら、恥ずかしい上に情けない。

 

 深く考えるのはやめてベッドから起き上がろうとすると、枕元に、可愛く折られたピンク色の紙が置いてあるのに気付いた。紙を広げると、これまたピンク色の可愛らしい文字でこう書いてあった。


『ご主人さま、今日は本当にありがとうございました。また夜に来ます。  魔理亜』


 昨日の夜のことを思い出して、俺は思わずにやにやしてしまった。朝の生理現象とあいまって、下半身に血液が集まるのがわかる。とりあえず、俺はまっ裸のままでベッドから起き上がった。


「裸で寝る趣味があるのか、この変態が。朝っぱらから粗末なモノを見せるな」


「うお、と、透子さん!?」


 毒づかれて初めて、部屋に桃園 透子とうこがいることに気が付いた。ベージュのスラックスに白いシャツという涼しげな服装で、メンソールの煙草をふかしている。


 相変わらずの美人ではあるが、クールというよりも寧ろ、凍てつきそうなほど冷たい目をしている。透子さんは、苗字からもわかる通り姫刻神社の宮司の娘で、当然、紅にとっては義理の姉に当たる。二十歳の大学生だ。


「おっ立ててないて、さっさとその汚ならしいモノをしまえ」


 勝手に部屋に入っておいて不条理なことこの上ないが、大家であることもありこの人には逆らえない。俺はとりあえずタオルケットを腰に巻いた。


「で、朝から何の用なんですか?」


 不機嫌さを隠さずに、俺は尋ねた。透子さんは、俺にだけでなく紅にも冷たい。できればあまり会いたくない人物なのだ。だが、用もないのにこの人がここに来るとも思えない。何か重要な用があるのだろう。


「妹が大変な目に遭っていると言うのに、いつまでも呑気に寝ている馬鹿を起こしにきただけだ」


「こ、紅がどうかしたんですか!?」


「鬼にやられた。夜中、自分の部屋を抜け出してお前のところへ行こうとした際に、鬼に遭ってしまったようだ」


「鬼……」


 覚悟はしていたが、やはり、いるのか。


「ここ数日、何故か屍鬼や妖魔の類が活発に跋扈しているのでもしやと思ったが、とうとう十番目の鬼が出たらしい」


 目の前が真っ暗になるのを感じた。まさか、紅は……。


「紅は、紅は生きてるんですか!?」


「命に別条はないが、今は原因不明の精神不安定状態だ。鬼に遭ってしまった者は一種の霊障状態になることがあるらしいが、紅がそうなのかは、正直わからん」


 他人事のように淡々と透子さんが言う。


「なんで、なんで助けてやってくれなかったんですか!?」


 透子さんは、鬼哭流の正当な継承者だ。紅の師匠でもある。強さでいえば、紅や俺の比じゃないはずなのに。


「その場に私はいなかった。まあ、そもそもそれは私の仕事ではないが」


 突き放すように、透子さんが言う。


「ふざけるな!」


 俺は思わず、透子さんに殴りかかっていた。俺の拳が透子さんの頬を打つ。透子さんはそれをかわそうともしなかった。


「勘違いするな。私は別に、お前に謝りに来たわけでも、お前に責められにきたわけでもない。単に事実を伝えに来ただけだ。一度は大目に見るが、これ以上私に当たり散らすというのであれば何も言うことはない」


「くっ、すみません」


 俺はしぶしぶ謝った。いくら相手が透子さんとは言え、逆上して女性を殴ってしまうとは、自己嫌悪だ。


「それで、紅はどうなっているんですか?」


「精神がかなり不安定になっている。お前が会うのは止めた方がいいかも知れない」


「馬鹿を言うな!」


 あくまでも冷ややかな透子さんの態度に、俺はまた逆上しそうになった。


「別に、止めはしないさ。忠告を無視して会いたいなら、好きにすればいい」


 言って、透子さんは俺に背を向けた。


「ええ、好きにさせてもらいます」

 

 部屋を出ようとする透子さんを追いかけようとした俺に、振り向きもせずに透子さんが言った。


「悪いが、裸のまま来るのだけは止めてくれ」


***


 服を着た俺は、姫刻神社の敷地内にある神社の離れへ向かった。俺の住む家のすぐ近くだが、俺がここへ来るのは二度目だ。紅が桃園家の養子になったときに一度だけここに案内された、それきりだ。


『今日以降、君はここへは来ないで貰いたい』


 その時、桃園家の主で紅の養父となる桃園 透真とうまにそう言われたからだ。


 桃園のおじさんは、透子さん同様、はっきり言って厳格で冷たい印象の人だ。こんな人たちのところへ養子に行かなければならない紅が、当時から不憫でならなかった。


 それ以来、俺はこの離れは愚か、神社の敷地内にも入ってはいない。その分、紅は毎日のように俺に会いに来ていたが、それについては黙認されていたようだ。


「こっちだ」


 離れに着いた俺を、透子さんは和室に案内した。そこには、部屋の隅で刀を抱き締めるようにしてうずくまる紅の姿があった。遠目にも分かる。悲壮な顔をして、可哀想なほど震えている。


「紅、大丈夫か? 紅?」


 俺が声を掛けると、紅は、びくり、と大きく身を震わせてこちらを見た。


「おに、おに……」


「紅、もう大丈夫だ。俺がいるぞ」


「鬼ぃ!!!」


 紅が刀を抜き、俺に斬りかかってきた。俺の中の鬼の血とやらに反応したのだろうか?


「やめろ紅、俺だ! 分からないのか!?」


 必死で呼び掛けるも、紅に動きを止める気配はない。


「紅、紅!」


「馬鹿、死にたいのか!」


 身動きできない俺を後目に、透子さんは素早く紅の背後に回り込み、首筋に手刀を当てた。糸の切れた人形のように、紅が、崩れ落ちる。


「まったく、死にたいなら他所で死んでくれ」


 透子さんが毒づく。それを無視して、俺は倒れた紅を抱き抱えた。紅の体は信じられないほど軽かった。


『あたしにはもうお兄しかいないんだよ』


 紅はそう言った。しかし、このまま俺のことを鬼と認識するようでは、紅にはもう誰もいないではないか。


「どうすれば、紅は治るんですか」


 俺は腕の中の紅を抱きしめながら、透子さんに聞いた。


「さあな、実際のところは誰にも分からないだろう。父が戻れば、霊障の治療を試みてみるつもりだが、それもどこまで効果があるか……私に言えることは、恐怖の源となっている鬼を喰らえば、恐怖からは逃れられるだろうということだけだ。それが姫刻の巫女の役目でもあるしな」


 透子さんの言葉を、俺は信じられなかった。この期に及んでまだ紅のことを利用しようとしているだけではないのか。


「大体、何で紅がそんなことしなくちゃならないんですか!? そんなに強いんだから、透子さんがすればいいじゃないですか。まだ小さい紅に刺青なんて入れて、こんな危険な目に遭わせて、あんたら本当に人間かよ!?」


 俺の糾弾に、ほんの一瞬、透子さんの瞳が怒気を帯びた。透子さんが感情を露にするのを、俺は初めて見た。


「やれるものならとっくにやっている」


 透子さんは声を荒げるでもなく静かに言い放った。しかし、その声には圧し殺した怒りや苦悩が感じられる気がした。そんな透子さんらしからぬ人間味のある様子に、俺は少し冷静さを取り戻した。


「どうして、できないんですか?」


「それは、私が鬼の血を引いていないからだ」


「俺たちが九つ鬼という鬼の血を引いているという話は紅から聞きました」


 透子さんが頷いた。


「この地には昔から鬼が棲むと言われる。しかし、実際には常に棲んでいるというわけではない。数十年かに一度、鬼が顕れるんだ。この姫刻神社の起こりから今までの700年ほどの間に、九匹の鬼が顕れている。いつ顕れるかについては全くわからないが、最初のうちは百何十年かに一度の頻度だったのが、最近は十数年に一度になっているようだ」


「鬼ってなんなんですか? 本当に、角の生えたアレのことですか」


 透子さんは首を横に振った。


「そんなステレオタイプなものじゃない。鬼というのは、人の生む穢れが負の力となって具現化した存在だ。この地に顕れる鬼は人の形を取ると言われるが、私も見たことはない」


「でも、姿形が人であるなら、それほど恐れるようなものでもないのでは? 事実、鬼を斃すために鬼哭流も発達したんでしょ?」


「ああ。記録によれば、最初から四匹の鬼はそうして滅ぼされたそうだ」


「なら何故、刺青とか、鬼を喰らうとかいう話が出てきたんですか?」


「斃すだけでは、意味がないんだ。穢れが大地に戻れば、結局はまた鬼となる。より多くの穢れを蓄えた、より強大な鬼にな。鬼を生まないようにするには、穢れを人の身に戻すしかないんだ。四匹目の鬼の時にそのことに気付いた時の宮司が、今日にも伝わる封鬼の儀を編み出したそうだ。女性に特殊な呪を刻み、その身に鬼を封じる。鬼を封じた者は壊れてしまうことも多く、そうなった場合、鬼の力を持ったまま暴走する危険すらある。そのため、鬼を封じる役目は、男ではなく、女が追うべきとされた。女であれば、子を産むことで鬼気を薄めることができるからな。だから、鬼を喰らった女性は、できるだけ早く子を産むべきだとされている。そのようにして、鬼の血族たちが誕生するにいたったわけだ」


「桃園家は、鬼の血族ではないんですか?」


「ああ。最初の頃は桃園家の女性が封鬼の儀を行っていたようだが、普通の女性では鬼気に耐えられる者が少なく、何人もの乙女が命を落としたらしい。そのうち、鬼の血を引く女性であれば、鬼気に耐えられることが多いとわかり、現在のような形に落ち着いた。つまり、桃園家は宮司の一族として鬼の血を入れず、鬼の一族から養子を取って封鬼の業を伝える、という形だ。そして、鬼を封じた巫女たちは、封じた鬼の数に応じて、新たな姓を名乗るようになった。四つ鬼なら、夜月、五つ鬼なら、斎、といった具合にな。だから、鬼の一族に桃園の血が入っていることはあっても、桃園には鬼の血は入っていない」


「じゃあ、紅の他に鬼の血を引く女性はいないんですか?」


「世代を経れば経るほど、鬼の血を弱まり、力も弱まる。だから、封鬼の儀を行う姫刻の巫女は、もっとも新しい一族から選ばれる」


「それが、此処之月というわけですか?」


 透子さんは頷いた。


「君たちの母、此処之月 咲夜は、鬼の力を強く引いた女性だったが、結局、十鬼が顕れる前に壊れてしまった。鬼の血を引く女性は、富貴市内にまだ何人か残っているが、鬼が現れてしまった今となっては、新たに巫女を立てることも不可能に近い。もし、紅が鬼を封じられなければ、その時は、私が鬼を地に還すしかないだろう。そうなれば、より強大になる次の鬼を、封じられるのかどうかすらわからないがな」

 

 話を聞いても、俺は釈然としないものを感じていた。母も紅も、自分の身を危険に晒してまで巫女になっているのに、鬼の血を引いていないからという理由で透子さんは封鬼の儀とやらから逃げている、そんな風に思えるのだ。今の話からすれば、封じられる可能性が低いだけで、できないわけではなさそうなのに。


「透子さんが封鬼の儀を行うという選択肢はないんですか?」


「鬼の血を引かない女性による封鬼の儀は、十人目にしてようやく成功したそうだ。私には、封鬼の儀を後の世に伝えるという役目がある。九割方失敗すると分かっているのに、私にその役目を捨てて挑めというのか? 私が死ねば、次の鬼は誰が封じてくれるんだ?」


 俺は何も言えなかった。成功確率が一割では、確かにリスクが高すぎる。


「鬼を放置しておくことはできないんですか?」


「それこそ、愚問だな。最初の鬼が現れた時の記録によれば、鬼を退治するまでに、数百の犠牲者が出たそうだ」


「兄の立場から言わせてもらえば、紅を犠牲にせずに済むなら、数百の犠牲者が出ようが知ったことではないです。それに、当時と比べれば科学だって進歩している。警察なり自衛隊なりが出向けば、そこまでの被害が出ずに退治できるんじゃないですか」


「斃すだけなら、な。それでは、いつか手に負えなくなるまで穢れが蓄積することになる。そうならないようにするのが桃園の役目だが、確かに君には関係のない話だ。君が関わりたくないと言うのであれば、君の意思は尊重しよう」


「ま、待ってください。じゃあ紅はどうなるんですか!?」


「紅は既に桃園の人間だ。どんな状況であれ、鬼を封じるために、彼女なりにできることをするだろう。だがそれも、君には関係のない話だ」


 言って、透子さんは話はこれで終わりと言わんばかりに俺に背を向けた。

 

 はっきり言って、釈然としない。透子さんは、桃園のやり方を俺たち兄妹に押し付けているだけだ。俺に関わらなくてもいいと言いながら、紅を犠牲にすると言うのであれば、結局は俺は被害者の立場に置かれるのだ。


 しかし、どんなに不条理であっても、透子さんを説得することは不可能だろう。紅を救うには、俺が何とかするしかない。


「わかりました。貴女のやり口は好きになれませんが、紅を救うためなら協力します。どうすればいいんですか」


「協力する気があるなら、鬼を探してくれ。鬼の血は鬼を呼ぶ。私が探すよりも、君が探すほうが早いだろう。見つけたら連絡しろ。そうすれば、私がその場に紅を連れていく」


「鬼の場所に心当たりは?」


「わからない。月並みに言えば鬼門、つまり丑寅の方角から現れる可能性がある。富貴市の北東部だと、ここ貴谷山を含むエリアになる。時間も、丑の刻が怪しいところだ。紅が鬼に遭った場所・時間からしても符合する」


「わかりました。鬼を探して、連絡します。それまで、紅をお願いします」


 それだけ言って、俺は透子さんの元を辞した。何に代えても紅を助ける、そう心に誓いながら。


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