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ソロモンの小鍵

 目が覚めると、既に昼に近かった。昨夜あの後暫くして葵は目を覚ました。葵と魔理亜は、午前五時頃の始発を待って一旦寮に戻ったため、今は俺一人だ。


 できれば今夜、悪魔との決着をつけてしまいたいところだ。人を殺すなどというおぞましい義務を負わされてしまった紅を早く解放してやりたい。


 魔理亜にしても、悪魔を元通り封じなければ、妖怪どもに身体を狙われ続けることになる。時間的な余裕はあまりないのだ。


 本当なら、さっさと図書館に行ってバアルのことを調べたいところなのだが、残念ながら無理だった。今日はバイトの日なのだ。しがない苦学生の俺としては、こんな非常時とは言え、バイトをさぼることはできなかった。


 魔理亜とはバイトの終わる夕方に図書館で待ち合わせをしている。俺は軽く身体を動かしてシャワーを浴び、適当に食事をしてからバイトへと出掛けた。


 俺がバイトをしているのは、富貴駅前にある大手チェーンのエスプレッソ・カフェだ。時給は大したことないが、コーヒー好きの俺としては、バイトでもバリスタとしての研修を数十時間受けられるこの店のシステムは魅力だったのだ。


 おかげで、美しいクレマの立つエスプレッソや、きれいな絵や模様を描いたデザインカプチーノを淹れることができるようになった。


 完全な立ち仕事だが、コーヒー豆の香りを楽しみながらの仕事はそれほど苦でもない。12時、15時といった時間帯に人手が足りなくなるため、休みの日はもっぱら12時から16時の4時間、ローテーションを組まれることが多い。今日ももちろんそのパターンだ。


 15時前後のピークを乗り切り、一息ついたところで、にわかに店内がざわついた。何事かと思って店内を見回す。どうやら店に入ってきた一人の少女が注目を集めているようだった。


 少し裾の長い、白いふわふわのサマーセーターの下は何も着ていないように見えるが、セーターの裾がミニスカートの裾を隠しているのだろう。セーターから伸びる脚線美といい、セーターで強調される大きな胸といい、「美味しそう」という一言に尽きる格好だ。そして、その顔は……。


「えへへ、来ちゃいました」


 魔理亜だった。初めて見る私服姿の魔理亜は、ファッション雑誌の表紙を飾れそうなほど垢抜けていた。


「おい、此処之月、この美少女と知り合いかよ!? 紹介してくれよ!!」


 バイトの先輩たちが口々に詰め寄る。


「彼女なんで、無理っす」


 相手にするのが面倒なので、俺はしれっと嘘を付いた。魔理亜は真っ赤になって驚いたリアクションを取ったものの、俺たちの関係を上手く説明するのが難しいという事実を認識しているからだろう、特に否定しなかった。


「魔理亜、何を注文するんだ?」


 先輩たちの殺気を軽く受け流しながら、俺は魔理亜に話しかけた。


「えっと、こういうお店もはじめてなんでよくわからないです」


 確かに、中学生が入るような店ではないのだから、無理もない。


「コーヒー、飲めるのか?」


「お砂糖とミルクが入っていたら、なんとか飲めます」


 俺は、スチームドミルクの分量をやや多めにしたカプチーノを淹れ、そこにクマさんの絵を描いてやった。


「わぁ、可愛いです」


 目を輝かせて喜ぶ。


「どう考えても、お前の方が可愛いだろ」


 魔理亜のあまりの可愛さに、思わず歯の浮くようなことを言ってしまった。


「そ、そ、そんなことないですっ」


 魔理亜が真っ赤になって首を振る。そんなラブラブな雰囲気に、先輩たちだけでなく、周りの男性客たちからも殺気を感じた。


「そろそろバイト終わるから、飲み終わったら図書館で待っててくれ」


 魔理亜にそう耳打ちして、俺は仕事に戻った。


***


 図書館に入ると、魔理亜の姿はすぐに見つかった。若い男の多くいたバイト先ほどではないものの、やはり魔理亜の姿は目立つ。図書館で本を読む姿も非常に絵になる。俺は思わず見惚れてしまった。


 魔理亜のすぐ後ろに立つと、それまで遠巻きに魔理亜を見ていたらしい男たちの視線が俺に集まって、少し優越感だ。

 

 魔理亜は既に何冊かの悪魔関係の資料を机に積み上げていた。


「お待たせ。いい資料は見付かったか?」


 なるべく声を落として言う。


「あ、ご主人さま。弱点らしきものは見付けられていないですが、これを見て下さい」


 言って、魔理亜が一冊の本を開いた。タイトルは、その名も「地獄の辞典」だ。開かれたページには、おどろおどろしい挿し絵があった。


「ひょっとして、これが……」


「はい。バアルです」

 

 そこに描かれていたのは、王冠をかぶった老人の顔だった。その顔の左右には猫とカエルの顔が描かれており、どうやら体は蜘蛛のようだった。


 隣のページには確かにバアルと書かれており、魔理亜が以前教えてくれた通り、剣術の達人で戦いに強い、との説明があった。


「しかし、この蜘蛛の身体と脚で、どうやって剣を持つんだ?」


 挿し絵に人間らしき手は描かれていない。剣術の達人という設定に無理があるようにしか見えなかった。


「この絵を描いた人が、実際にバアルを見たことがあるわけではないのかも知れないですね」


「それを言い出せば、実際に悪魔を見たことがある奴なんてどれだけいるか疑問だけどな。数日前の俺なら、こんなのただの妄想だと、笑って済ませたんだが」

 

 この本の内容は、一人の人間が考えたものではなく、さまざまな時代や地域に無数に散らばる、世界中の悪魔に纏わる伝承を集めてまとめたものだろう。この中に、どれだけ事実が含まれているのかわからないが、バアルの挿し絵と設定を見るに、ほとんどが荒唐無稽な妄想の寄せ集めなのではないか。そうだとしてもこの本の分厚さ、ただの妄想も、集まればこれだけ立派な情報……何百匹もの悪魔の、もっともらしい設定や姿形……になるというのが、驚きだった。


「他の本はどうだったんだ?」


 机の上には地獄の辞典の他にも何冊かの本がある。


「弱点らしい内容は特に、何も。断片的にバアルの名が出てくる程度でした」


「そうか……。まあ、その挿し絵を見る限り、そんなに心配しなくていいんじゃないかな」


 挿し絵を見て、俺は少し安心していた。仮にこの老人の顔が人間の顔の大きさだとしたら、バアルの全長はせいぜい1メートルといったところだ。サイズは明記していないから、もっと大きいかもしれないが、こんな蜘蛛の足で剣を持たれたところで怖くともなんともない。剣術勝負で負ける気がしなかった。


「……そうですか?」


 魔理亜はかなり心配そうだ。まあ確かに、いきなりこの挿し絵通りのものに遭遇してしまったら、恐怖のあまりパニックになるかも知れない。それでも、予め覚悟さえしておけば何とかなる気がした。


「とりあえず、出よう」


 小声ではあっても、図書館で話をしているだけで回りの非難の目が痛い。それに、これ以上の情報を見つけるのは困難だろう。


 俺と魔理亜は図書館を出た。今の時刻は17時過ぎだ。浄水場近辺にはまだ人もいるだろうし、今から墓地に直行するのは早すぎるだろう。


 昼は簡単に済ませてしまったから、腹も空いてきている。体力気力を補充して、万全の状態で挑むべきだ。


「飯、どうしようか」


 ちょっとしたものならご馳走できる程度の手持ちはある。


「ご主人さまのお家、台所ありましたよね? 簡単なものでよかったら作りますよ」


 魔理亜がにっこりと微笑む。


「ほ、ほんとか!?」


 思わず声が上ずってしまった。悲しいことに、俺は手料理というものに飢えているのだ。母の手料理を食べた記憶すらない、愛情に乏しい少年時代が原因だろう。


 特に、最近はバイトしていることもあって、俺の食生活は自然とレトルトや外食が多くなっている。


 紅と一緒に暮らしていた頃には、二人で食事の用意をしていたから、自分で料理ができないわけではないのだが、紅がいなくなった今、自分ひとりのために料理をする気にもなれないのだ。


「はい。でも、時間もそんなにないですし、本当に簡単なものですよ? あまり期待しないでくださいね」


「手料理を食えるだけでもありがたいよ。じゃあ、食材を買っていくか」


 俺は魔理亜を連れて駅前のショッピングセンターに入った。カートを転がしながら二人で店内を回る。まるで新婚夫婦だ。たかが買い物なのに、とても楽しい。


「ご主人さま、お家に調味料はありますか?」


「普通の調味料なら大体あるぞ。あと、ガラムマサラはある」


「な、なぜガラムマサラが……」


「自分で作る時はほとんどカレーだからな」


 おかげで、カレー作りの腕だけはちょっと自信があるのだ


「じゃあ、カレーはやめておきますね。嫌いな食材はありますか?」


「いや、何でも食えるぞ」


「にんにくも克服しているなんて、素晴らしいです。流石はヴァンパイア・ロードです!」


 そういえばそうだった。そんな話、俺はすっかり忘れていたが、魔理亜はまだ信じていたらしい。俺は笑ってごまかした。


「じゃあ、簡単に中華系でまとめますね」


 言って、魔理亜は鶏もも肉をメインに、レタスや卵をかごに入れて行った。食材はそれほども高くない。外食で覚悟していたよりは、かなり安くで済みそうだ。


「デザートにアイス、買いませんか?」


 魔理亜が目を輝かせて言う。


「ああ、いいぞ」

 魔理亜が手に取ったのは、紅も好きなメーカーのカップアイスだった。杏仁豆腐味をチョイスする辺りが、献立へのこだわりだろう。


 それにしても、このアイスという奴は、かなり高い。スーパーで買うと、コンビニで買うよりは安いのだが、それでも二人分買うとメインの鳥もも肉より高い。いつもコンビニで紅のために買っている時は何も感じなかったのだが、何かとても不条理に感じた。


 代金を自分で払おうとする魔理亜を無視して、俺は会計を済ませた。それなら、と魔理亜が買い物袋を持とうとする。買い物袋は一つで、それほど重いわけでもないが、当然俺が持つべきだろう。俺は魔理亜から買い物袋を取り上げた。


 別に、殊更に女性にいい格好をしようとしているわけではない。寧ろ、このくらいはして当然で、しないと逆に恥ずかしい、というレベルの話だ。


 しかしそれでも、会計にせよ荷物持ちにせよ、男がやって当然という態度を取られるよりは、こうして自分でしようとしてくれる女の子の方が可愛く見えるのも事実だと思う。


「すみません、ご主人さま、何から何まで……」


 魔理亜が申し訳なさそうに言う。


「いや、さすがにこの程度、全然気にする必要はない。もっとすごいことをしてやった時に存分に恩義を感じてくれ。それより、魔理亜の荷物の方が重そうだな。持ってやろうか?」


 魔理亜は大きなバッグを持っていた。

「だ、大丈夫です。修道服が入っているだけなので重くはないです」


「ああ、そういえば、今日は私服だもんな」


「流石に明るいうちにあの修道服で街を歩くのは、恥ずかしいので……」


 確かに、胸の谷間と太ももの見える修道服では恥ずかしいだろう。しかし……


「胸と太ももを強調しているのは、今の格好でも同じじゃないか?」


 女性のセーター姿は、胸の形がしっかりと出るからかなりセクシーに見える。勿論、魔理亜の形のいい巨乳も、しっかりと強調されている。


 しかも、魔理亜は膝上20cmくらいのスカートを履いており、そこからは太すぎず、細すぎずの美しい太ももが惜しげもなく晒されているのだ。セーターの裾とミニスカートの裾が同じくらいの長さのため、セーターの下には何も履いていないように見えるのも、またエロい。


「あぅ、ご主人さま、目がいやらしいです。あんまり見ないでください……。似合いませんか?」


「いや、すごく似合ってる」


「よかった、葵ちゃんの見立てなんです」


 葵の奴、自分が楽しむために魔理亜の服を選んだに違いない。しかし、いい趣味だとは認めざるを得ない。俺にしたところで、眼福にあずかっているのだから、文句をいう気もないのだが。


 家に着くまでの間は、自然と今から対決する悪魔、バアルの話になった。


「そういえば、図書館で見た本のバアルの解説に、ソロモンの何とかって書いてたよな?」


「はい。バアルはソロモンの72柱の第1柱です」


「ソロモンって?」


「古代イスラエル王国のソロモン王のことです。72の悪魔を従えていたと言われています」


「そのソロモン王の悪魔を、何で魔理亜の祖父さんは使役できたんだ?」


「えと、お祖父さまは、自分がソロモン王の末裔だからだ、と言っていました」


「そ、そうなのか!?」


 何とも突飛な話だ。


「わたしには真偽はわかりませんけど、お祖父さまはそう言っていました」


「古代イスラエルなんて、紀元前の話だろ? ちょっと信じ難い話だが、ソロモン王と同じ悪魔を使役していたなら、説得力はあるよな。って、じいさんが末裔なら、その孫のマリアも末裔ってことか!?」


 魔理亜は否定も肯定もせず、曖昧に微笑んだ。


「わたしとしては、そこにはあまり興味はありません。ただ、自分の出自がどうであれ、わたしの逃がしてしまったものが誰かを傷付けてしまうのが怖いんです」


 魔理亜の顔は真剣だ。退魔師とは名ばかりで、戦う力もほとんど持たない魔理亜が、自分の身を危険に晒してまでバアルを探しているのは、そういうわけだったのか。


 ヴァンパイア・ロードなどという俺の与太話を信じているのも、むしろ藁にもにすがる気持ちだったのかも知れない。


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