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前編

前後編+αで終わります。

 





 初めて彼に会ったのは、五歳の時だった。

 薄い茶色の柔らかそうな髮、宝石のように輝くエメラルドグリーンの大きな瞳、形の良い艶やかな唇。

 多分その時あたしは間抜けな顔して口開けて彼を見ていたと思う。思い切り彼に見惚れていたのだ。

 この間絵本で見た『夢の国の王子様』みたい……と。


「ほら、挨拶しなさい」


 親に小声で言われて我に返った。


「マデリーネ、です」


 慌てて頭を下げながら名前を名乗ったのだけれど。


「平凡、普通……バカ」


 キラキラ輝く『王子様』、エドヴァルト・リンドグレン様はつまらなさそうにそう言った。






 リンドグレン家はこの国で早くから自立して領地を治める、由緒ある伯爵家。

 あたしはその家に仕える使用人の娘だ。たまたま、奥様とお母さんが同じ時期に妊娠して出産したので、奥様は格違いにもかかわらず、あたしのことを何かと気にかけてくれている。

 でも、そんな優しい奥様をあたしはずっと悩ませ続けている。


『貴女、まだエドのことを?』


 幼い頃から奥様にそう問われてきていた。あたしが素直に


『はい! 好きです!』


 そう答えるたびに、奥様は困った顔をしていた。

 奥様が悩むのも当然。伯爵家の跡取りである彼と使用人の娘であるあたしでは立場が違う。しかも、あたしがヴァルト様のことをいくら好きでも、彼はあたしのことなど歯牙にもかけていなかったのだから。

 それでも出会ったあの日から、あたしはヴァルト様にことあるごとに言い続けてきているのだ。


『お嫁さんにしてください』


 それに対する彼の返事は


『バカな女を嫁にする気はない』


 常に素っ気ないこの言葉。

 ヴァルト様は顔だけではなく幼少から記憶力が良く頭も良かった。年を重ねていく毎に大きな瞳は綺麗な弧を描くアーモンド形になり、瞳の輝きはそのままに。幼さは消え去り精悍な面持ちに変化していった。眉目秀麗な彼は、今や全てにおいて完璧な人間だ。

 対するあたしは、今も昔も普通の人間で平民。

 ヴァルト様の側仕えとして一緒の学校に通わせてもらってはいる。彼ほどの成績は上げてないけど、そこそこ良い成績なのでまるっきりバカと言う訳でも…まあヴァルト様の言うバカはそういう意味ではないのだろうけど。

 バカの一つ覚えのように、あり得もしない未来を夢見て戯言を言っていることは自覚している。

 でも、ヴァルト様の事が好きなんだもの。





「ヴァルト様。お昼ですよっ」


 あたしは朝に作ったお弁当をヴァルト様に渡した。

 学校には食堂もあるけど、彼は味にうるさくてリンドグレン家の味付けじゃないと口にしない。

 だから、あたしが毎朝作っているのだ。


「ヴァルト様。あたしをお嫁さんにすれば、いつでもどこでも気にしないで安心して料理食べれますよ」

「お前が料理人でいれば毎日食えるだろ。バカを嫁にはできない」


 今日もあっさり断られた。

 周囲はあたしたちのこの会話を、いつものことだと見て笑っている。

 家柄を考えれば、あたしの言うことは失礼極まりないのだろうけれど、身分があまりにも違いすぎるのとあたしの威勢のよさと、『お嫁さんにして』と言い過ぎてて見慣れた光景となり、あたしの発言は単なる冗談としか受け止められていない。

 あたし、真剣なんだけどな。


「そういえば俺のバースデーパーティ、もちろんお前……」

「お料理ですよね、作りますよ! 腕によりをかけて、愛情込めて!」

「後ろのは要らない」


 ウーン、相変わらず素っ気なくて冷たい!

 でも、拒否っても愛情入れちゃうもんね! 目一杯入れ込んじゃうもんね!


「余計なことするなよ」


 あたしを見る冷たい視線も素敵!

 惚れ惚れしちゃうなぁ。

 もうすぐヴァルト様の十七歳のバースデーパーティ。彼が一つ歳をとると二日後があたしの誕生日。格式を重んじるリンドグレン家と違ってあたしはパーティはしないけどね。


「失礼ですね。余計なことなんて、今までしたことないですよ」


 ただ、ヴァルト様のことが好きだから嫁にしろと言ってるくらいだ。

 彼は訝しげにあたしを見ていた。その手は休むことなく料理と口を往復している。

 そういえば、今まで一度もヴァルト様に料理を誉めて貰ったことはない。一回くらい美味しいって言ってくれないかなぁ?


「あの、美味しいですか?」

「普通」


 お前と同じ、という声なき追加文まで聞こえてきたよ。

 そっか、普通かぁ。

 『王子様』に並ぶ『お姫様』になるには程遠いなぁ。





 今日はヴァルト様のバースデーパーティ。


「これで終りです!」


 厨房に響くあたしの声。あたしが調理する分はこれで終了だ。

 祝いのケーキはあたしが作った。どうしても祝いたかったから、入れるなって言われた愛情込めて作ったよ。

 甘いの嫌いな彼が食べるはずないから、愛情なんて全く届かないけどね。


「じゃああたしもう行くね、お母さん」

「マデリーネ。本当に良いの?」


 お母さんが判断しかねるという表情をしている。


「良いに決まってるじゃない。あたしも来年成人だよ。大丈夫だって!」


 いつまでも夢は見てられない。

 ずっと前から決めてたの。彼に『好き』『お嫁さんにして』って言うのは成人まで、もしくは彼に好きな人ができるまで、って。

 側仕えしてて、彼が特別な感情を抱く女性がいないことは何となく分かってたから、今日までそれを止めたりはしなかったんだけど。

 でも、決めてた期限が来たの。

 この国では十八歳をもって成人となる。だから、ヴァルト様は来年『成人』する。

 それに向けて、彼が今日婚約することを奥様から聞いている。身分も申し分ない、彼のことをとても好きなお嬢様なのだそうだ。それからとても可愛らしい方だって。奥様が褒めるのだから、間違いなく彼と並んでも恥ずかしくない『お姫様』なんだろうな。

 好きということではあたしも負ける気しないけど、身分はね。どんなに頑張っても無理だよね。

 なにより、彼はあたしのことを見向きもしないしね。

 あたしは無理だったけど、お嬢様の好きはヴァルト様に伝わるといいな。


「今日付けであたしのここでのお仕事と学校はおしまいだし、次の仕事場も決まってるし」


 『偶然でもヴァルト様とすれ違うことが絶対ない地での料理人の仕事』というあたしが出した条件で、奥様が見つけてくれた。


「向こうに着いたら手紙出すから。もう行かなきゃ。奥様が手配してくださった馬車の時間だもの」


 じゃあ、行ってきます。


 いつものように学校に行く軽い調子で、お父さんとお母さんに別れを告げる。

 宴はたけなわ、給仕する父親と料理人の母親の仕事は忙しい。あたしを玄関まで見送る時間なんてないのだ。

 一人、玄関に向かって奥様が準備してくれた馬車に乗った。馬車は行き先は告げずとも勝手に動き出す。

 今までお世話になった館が小さくなっていくのをじっと見る。

 彼の正装、凛々しくて格好よかったな。最後の最後に惚れ直しちゃったよ。


「お前、俺と結婚する気あるのか」


 着衣を手伝ってたらヴァルト様にそう聞かれて


「勿論です!」


 って返事したけど、彼はそのまま押し黙ってしまった。

 きっと今夜のパーティでの婚約発表について言いたかったんだろうけど。あたしがショックを受けないように、どう言ったら良いのか悩んでいたに違いない。

 ヴァルト様は、頭はいいけどそういうことに関しては疎い人だから。

 あー。一度くらい『美味かった』って言わせたかったなぁ。これでも頑張って一生懸命愛情込めて料理してたんだけどな。

 彼の口癖『バカ』『平凡』『普通』。

 この3つは耳に残っている。十年以上の付き合いで、でもずっと主従関係だった。それなのにヴァルト様はあたしの『お嫁さんにして攻撃(アタック)』に耐えてくれた。

 彼は何だかんだで優しい人なのだ。あたしはそれにずっと甘えてたの。

 そんなことをつらつらと考えてたら、とうとう館は見えなくなってしまった。

 気付かないうちに流れてた涙は、拭ってもどうせ止まらないからそのままにしておく。


『平凡、普通』


 出会った時に既にヴァルト様に言われていた。敏い彼は、あたしが『お姫様』になんかなるはずがないって一瞬で見抜いてた。

 あたしは彼の言うように『バカ』だったんだよね。


 でも、あたしは。


 本当に。

 本当にヴァルト様のこと、心から好きだったの。







 お庭で奥様にお茶をお出ししたら、一緒にと誘われた。了承の意を伝え、自分の分のケーキとティーカップをセットして奥様の向かいに着席する。


「貴女、ここに来て半年ね。この辺りは何もなくてつまらない所でしょう?」


 奥様の言うようにこの館周辺には娯楽、というものが少ない。

 あたしの新しい勤め先は田園風景が続く地域にあるお館。だから庭から見える風景はひたすら緑色。

 そんな館の主である奥様は白髪の上品な未亡人。肺を患って体調を崩してしまったので、静養のためにこの館に来ているとのことだった。奥様には息子さんたちがいるようだけれど、疎遠らしくてそのお姿をこの半年で一度も見たことはない。

 館にいるのは奥様、奥様の健康管理と身の回りのお世話をする家政婦、庭師、そして料理人のあたし。

 新しい職場で緊張していたけれど、幸いあたしの料理は奥様のお口に合ったようで、ああしろこうしろと言われることはなく好きなように料理をすることができた。それに家政婦さん庭師さん二人とも優しくしてくれているので、この仕事場は居心地がいい。


「こちらは新鮮で良い素材が手に入るので、料理の腕を磨くのに忙しいです。それに、庭園の一角をわたしに使わせてくださり、ありがとうございます」


 庭師さんから『ここ使って良いよ』と言われて、最初はどうしようかと思ったけれど、ハーブとちょっとした野菜を育てることにした。料理だけでなく土いじりもしているので、何かと日々忙しくしている。

 だからヴァルト様のことを思い出して泣く日もかなり減った。

 ただ、『バカ』『普通』『平凡』という空耳が時々聞こえる。きっとこの声だけは一生涯耳から離れることはないだろう。


「貴女も知っている通り、この地域は若い人が少ないでしょう? それでね……」


 奥様が視線を落として言葉を濁す。


「何か、お困りのことでも?」

「いいえ、言って困るのは貴女かしら。ネルソン家のレックスが貴女を気に入ったようで、ね」


 ネルソン家って、果樹園の主だったかしら。

 その息子さんと言えば、二十代半ばの大柄だけど優しそうなあの男性だろうか。

 いつも笑顔で館に果物を運んできてくれるあの人。


「お見合いはどうかしら、って。貴女ならあの家を仕切る力もありそうだし」


 上目遣いでチラチラとあたしを見る奥様。

 最近、ネルソン家の旦那様がよくこちらにいらっしゃるとは思っていたけど、そんな話があったとは思いもしなかった。


「でも奥様。私は普通で平凡で……結婚なんて」


 続くはずの『バカです』だけは俯いて口の中で飲み込む。

 そんなあたしがお見合い?


「まあ。貴女ほどの料理上手が一人でいる方が勿体ないわ」

「勿体ない、ですか?」

「そうよ。世の男性は料理で胃袋を掴まれるものよ。貴女の料理は男性にとってかなりの魅力なのに」


 でも、あたしの料理に魅力はなかった。胃袋も掴むことはできなかった。少なくても彼には。


「悪いお話ではないと思うのよ。ネルソン家はこの辺りでは評判の良い家柄だし」


 どうかしらと視線で問われる。

 あたしもあの人が悪い人とは思えない。笑顔も魅力的だと思う。

 ただ。

 彼はヴァルト様ではない、というだけ。


「そう、ですね。まずはお話をすることからなら……」


 消極的なあたしの返事に、奥様はそれでも構わないと頷いてくれた。




お読みいただき、ありがとうございました。

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