なぁ、神様。教えてくれよ。
神様ってなんなんだよ
『神様は居ると思うか?』
何人かの友人に訪ねたことがある。答えは人によって違っていた。
友人T曰く
「信じるも何も神様なんてものは何時だって人が作りだした幻想だ。都合がいいときに縋りつける幻想。だから居るんじゃないか?」
Tは中二病仲間であり親友で俺もこの意見には賛成した。半分だけだけど。普段はふざけているくせに何か質問をしたりすると妙に真剣になる。
だから頼りになるし、俺のちょっとしたあこがれでもある。
友人A曰く
「さぁ、どうだろう?」
と返事をはぐらかされた。そりゃそうだ。いきなり訳の分からない質問をされれば誰だって困惑する。
某国民的RPGのドラゴンでクエストな奴を愛するこいつからは面白い意見が聞けると思っていただけに少し残念だった。
ある人曰く
「いる。」
彼は断言した。理由は聞いたけど詳しいことは忘れた。
ある人曰く
「いない。」
超現実主義の彼らしい言葉だった。幼い頃より現実を見てきた彼は教師になるのが夢らしく、学年二位の秀才かつ努力家で何で俺なんかと仲がいいのかつくづく不思議だ。
ある奴曰く
「俺やん。」
冗談の回答だったが俺には十分だった。
え?俺?俺はTのに近い。神様が人が作りだしたものだってのは賛成だ。でも、信じてないわけじゃなく、俺は居ると思ってる。
俺は某弾幕STG東の方が好きなので、常に向こうへ行けないかと考えてる類の奴だ。だから、神様を否定すればそこの人(この場合神か?)を否定することになる。
いつか行って会ってみたいと思っている俺としては否定するのは避けたいのである。なるべくね。
現実は理不尽だ。不条理だ。不合理だ。不平等だ。不公平だ。ヒーローは居なくて、ヒーローにはなれなくて、自分自身さえ敵になる。
何時だったか生み出された、いつも助言をしてくれる相棒は正しいことを言う。正しいことしか言わない。
◇◆◇◆
俺は小6の時怪我をした。半月板が割れたとか。原因は自爆だったのでしょうがない。
手術は嫌だったけど、ある程度痛いのを経験しておけばこの先痛い目にあっても平気だと思い受けた。まあ拒否権なんてなかったけどね。これは全身麻酔。
手術用の太い点滴の針は何回もやり直しで5〜6回くらい刺された。
左手でやっと通ったと思ったらダメかもってんで右に3〜4回。血管に入らなくて結局左手で大丈夫だった。無駄に痛い目を見ただけだった。
リハビリはめんどくさかったけど共通の趣味を持つ人が担当で楽しかった。
リハビリも終わった中一の時、入学してすぐに怪我をした。しかもまた半月板。
自転車でこけての自爆。診断を受けたときはあぁ、またかって感じで嫌々手術を受けた。別の病院で。これは下半身麻酔。
一年?半年?くらいのリハビリだった。長かった。まぁ、二回だ誰でもある。
中二の時、終わりかけの体育のドッチボールで球を当てられてバランスを崩して自滅。膝が中で横にずれて戻るような感覚がした。
腫れてて、保健室行って冷やしてたら痛みも腫れも引いて、でも歩くとすげー痛くて。病院行った。剥離骨折だった。手術が必要なんだと。
泣いたね。また『あぁ、またか』って感覚。枕ぼすぼす叩いて、寝たけど何にも変わらなくて。手術は泣いて拒否。親父と大喧嘩した。
俺の幸せのためにってよ。昔から痛いのは嫌いなのにな。未来のためにだってさ。引きずってでも連れていくって泣きながら怒鳴られたから、仕方なしに受けた。全身麻酔。
二回目もそうだったけど管が膝の中に入ってて抜くときすげー痛いんだ。尿の管も入れられてたし。
また長いリハビリ。退屈で仕方なかった。
中三の今年、高校受験控えてるのにバスケの授業でやらかした。また自爆。
保健室行ったら養護教諭の奴が「どしたん?またやったん?」だと。
えぇ、そうですよ。またですよ。したらこいつ自分で「また」とか言っときながら「希望を持て。まだ手術が必要だと決まったわけじゃない」とかぬかしやがった。
俺の体のことは自分が一番よくわかってる。希望を持てだなんて言わないでくれ。そう言おうとしたけど、正論といやぁ正論なので黙った。
翌日病院行くと前十字靭帯が緩んでると。手術が必要だと。まただ。またあの感覚。忘れもしないあの感覚。
すぐに学校行って養護教諭に言ってっやったね。「だから言ったじゃないか」と。これに関しては八つ当たりかもしれない。
でもやらかした時にはああ、これはヤバいやつだって自覚があったんだ。なのに養護教諭の言葉を信じた。信じてしまった。見せかけの希望に縋ってしまった。
希望を持ってそれがへし折られるのがどんなに辛いのか自分で分かってるくせに。なのに縋った。だから、これは俺の自業自得だ。
けれど、俺に希望を持たせた奴に文句を言ってやりたかった。筋違いかもしれない。けど言ってやらないと気が済まなかった。
「最善を考えろ」ってさ。ふざけんな。最善は手術をしないこと。でもそれはできないしありえない。人の気も知らずによく言えるよな。
痛いのはもう嫌だ。時間をかけるのも嫌だ。手術なら三回した。全身麻酔も下半身麻酔もした。経験ならもう十分した。
なのに何でだよ。何で同じことを繰り返さなくちゃならない。それも無駄に時間をかけて。生死にかかわるわけでもないのに。
何で俺なんだよ?何で俺だけなんだよ?俺にゃ弟も妹もいるが俺みたいに手術なんてしてない。友人にも三回なんて数字聞いたことがない。
何で俺だけなんだ?可笑しいだろ。笑えねぇよ。三回だぞ?これで四回目だ。また次やるかもとか考えてたよ。でもそういうときってフラグで無効になるんじゃねぇのかよ。
何で俺だけが痛い目に合わなくちゃならない。
何で俺だけ手術しなくちゃならない。
何で俺だけ時間を無駄にしなくちゃならない。
何で何で何でだよ?もう嫌なんだ。痛い目を見るのも嫌だし、皆からいじられるのも嫌だ。出かける度に向けられる気がする視線に怯えるのも嫌だ。
皆に荷物持ってもらうとかで迷惑をかけるのも嫌だ。親が心配するのも嫌だ。俺のことなんかで要らぬ心労をかけたくない。
羨ましいと思うのが嫌だ。学校に行くたびに皆とは違うのを自覚して羨むのが嫌いだ。
恨めしいと思うのが嫌だ。普段ふわふわしているくせに全く怪我をしない弟や妹が恨めしい。恨めしいと思う自分が恨めしい。一瞬でも同じ目にあえばと思ってしまった自分が憎い。
何もかもが堪えられない。
四回目の手術は強制はしないと親父から言われた。
医者はしたほうがいいと、もししなければ直ちに何かがあるわけではないが、将来膝が使い物にならなくなる。と
そう言われた。
『今楽をして将来痛い目を見るか』 『今痛い目をして将来楽をするか』
いったいどちらを選べばいい。考えるのが苦痛だ。これまでは一年周期で治るたびに怪我をしてきた。靭帯の再建をするからといって来年怪我をしないとも限らない。
もし来年怪我をしたとき、三回目は耐えられた。四回目も。なら五回目は?きっと体は耐えられるだろう。でも、俺の『精神』は?心は?
死ぬほど悩んで痛い目を見たのにそれが無駄になったら?俺はそれに耐えられるのか?
あぁ、誰か教えてくれ。正しい答えを。正解を教えてくれよ。誰かに怪我をさせてきたわけじゃない。犯罪を犯したわけでもない。なのに何で俺なんだ。
誰か教えてくれ。もう嫌なんだ。親に苦労をかけるのが堪えられない。人を羨ましく思うのも耐えられない。恨めしく思うのも耐えられない。
キリスト教によれば『神は人に耐えられる試練しか与えない』とか。
なら救けてくれよ神様。死にそうなんだ。精神が病んでいくのがわかるんだ。今にも折れそうな心を蹴飛ばして、殴りつけて立て直してるんだ。もう限界なんだ。
俺は一体いつまでこの気持ち悪い右足を引き摺ればいい?いつまで崩れていく精神を拾いながら歩けばいい?
道が見えないんだ。光が見えないんだ。俺はいったい何時まで光の無い道を歩けばいい?崩れそうな足を引き摺るのももう限界なんだ。
なぁ神様。いるんなら教えてくれよ。何であんたは俺にこんなことをするんだ?俺があんたに何かしたのか?していないだろう?ならなんでだよ?
なぁ、神様。教えてくれよ。
自分だけが不幸だと思っているわけじゃない
でも、不幸に対する幸運が釣り合って無い
だから




