第九話
怒っていた。とてつもなく怒っていた。普段の人形然とした顔立ちは眉間の皺が寄り、眼は吊り上がり、無い胸の前で堂々と組まれた腕が怒りを表していた。
「何故、怒っているか、分かりますか?」
「見当もつきません」
正座状態で視線を合わせずにディメアへ返答すると轟っと音を立てて怒気が膨れ上がった。だって、本当に見当がつかないんだもん。
「一週間前、スニフさん達から、入金がありましたね?」
「あぁ」
「何故、それが、一週間もたたずに、ほとんど! 消えているんですか!?」
わざわざ丁寧に一言ずつ区切って口にするのは怒りの表れ。アイスクリームでは機嫌は取れないという事が容易く浮かぶ。そう言えば、以前もこんな風に怒られた気がする。あれは、いつだったか。
確かに一週間前まで宗近のギルドカードの預金には十年ほど遊んで暮らせる金があった。あったが、速攻でエアハンマーと回転式の砥石を購入したことで消し飛んだ。あまりの嬉しさに頬ずりする程に欲しかった代物だ。
一週間前には無かった二つの機械を親指で差す。
「あいつを買った」
「………………………………………………………………………………」
宗近が指差した方向を見て、眼を揉み、そして絶句していた。はぁ、と盛大に溜息をついてまなじりを釣り上げて、まるで子供をしかる母のような目でじっと見られる。
「――――買う価値があったのですか?」
「買ったお蔭で随分と効率は上がったな。研ぎの仕事も増やせそうだ」
「むぅ、ならば、仕方がないですね」
ディメアの眉間から皺が消え、怒りはある程度納まったのを見てほっと溜息を吐く。仕事に直結する道具だった事が幸いしたようだ。隕鉄を買ったとか言っていたらきっと怒りは収める事は出来なかっただろう。これで大丈夫だ、と思った所でまたふと疑問に思った。あれ、なんで怒られてんの?
「ディメア、一つ聞いていいか?」
「どうぞ?」
「なんで、お前は怒ったんだ? 家内でもないのに」
眉間に皺がまた寄った。普段は無表情で、感情も動いている様に見えないのに怒る時は本当に怖い。
「以前、なんでしたか? 珍しい剣を打っていた時――――」
「粗刀・剃刀の時か」
親方にまだ世話になっていた時の事だ。独立資金を稼ぐために冒険者として仕事をし始めた頃は廉価品の片手剣を使っていたのだが、あまりの使い勝手の違いに刀を欲した。刀はあるにはあったが、この世界に持ち込んだ刀は宗近の為の刀ではない。刀を傷つけたくが無い為に苦肉の策として生み出した、粗刀・剃刀。せめて刀として形を成せればと思い、四苦八苦した記憶がある。今にして思えば、粗刀・剃刀を作り出した時の苦労など四苦八苦とは呼べないモノだが。
結局、一週間ほど鍛冶場に引き篭もった記憶があって、その後。その後?
「完成してから、依頼を受けて森に行くまでの間の記憶が抜けてるな」
「栄養失調と脱水症状で病院に運ばれてましたよ」
「…………あぁ、そういえば。粗刀・剃刀で使った金と入院費とか稼ぐために森に急いでいったんだったか?」
「えぇ、そうです。少しでも早く親方に払って貰った入院費を返す為に食事を抜いて、倒れてまた入院したでしょう」
そう言えば、やってしまった記憶がある。その時、とてつもなく怒られて、鉄面皮みたいなディメアでも感情はあるんだなと実感した時だった。それも三年も前の事だ。よく覚えているなという驚きと長い付き合いだなぁ、という感傷が胸を占める。
「何をちょっと感傷に浸るような顔をしているのですか? まだ、お説教は終わっていませんよ?」
一時間ほど、訥々とお金の大切さを説かれた。だが、宗近は反省も後悔もしなかった!
今日も今日とて買い物。
四日もすれば買い出した食料もメニューによっては心許なくなる。日々、冷蔵庫の中と相談しつつ飽きが来ない食事を考案せねばならない主婦業というのは大変だ。そんな主婦の域に己の意思で片足を踏み込んでいるディメアに連れられ今日も市場に。
「あぁ? 今日はなんか町の雰囲気が違うな」
「? いつも通りの安息日ではないですか」
「…………あぁ、そうか。今日は安息日だったか。教会に行ってわざわざお祈りって事か。信心深ぇな」
街行く人々が教会めがけて足を進めるさまを見て、感慨深く呟く。
宗近も鍛冶師であるが為か現代日本人と比較すればかなり信心深いが、彼の信仰は日常の中に組み込まれている。朝起きて顔を洗ったらまず神棚を掃除し、水を備えて二拝二拍手一拝。それから朝食後に鍛冶場で鉄と向き合うと、そんな朝の習慣に近い感覚で神を崇めている。無論、彼の信心は深いが。
決まった曜日に礼拝して、わざわざ聖職者のありがたい説法を聞く、という感覚が彼には理解できない。
自然崇拝が元の神道と一神教では宗教の在り方が違うからこそ理解できないのだが。まぁ、それはさておき、そんな呟きにディメアは胡乱げな目で宗近を見ていた。
「何を言っているんですか、ムネチカさんも行くんでしょう?」
「いや、行かねぇよ。俺が崇めてる神様は俺の故郷の神様だ」
「…………待ってください。鍛冶場においてあるあの神棚はアセナ教のモノでしょう? 改宗したんじゃないんですか?」
「神棚の社ってどう作ればいいか分からなかったからな。似てるので代用してる」
信仰心を疑う行いにディメアも絶句した。彼女はアセナ教徒ではあっても熱心な信者ではないので正直、そこら辺についてはどうでもいいのだが、問題は宗近の交友範囲だ。枢機卿であるドワーフのカランとそれなりに親交のある宗近がそんな罰当たりな事をしてあの狂信者が許すだろうか?
「カラン枢機卿がよく許しましたね」
「なんであいつに断らないといけねぇんだ?」
「…………バレない事を祈ります」
宗教裁判にかけられないかとハラハラしながらディメアは神に祈った。別の宗教の事を己の神に祈るという矛盾に気付かぬまま。
宗教――というよりは神話と武器、もしくは英雄譚は切っても切れない関係がある。キリスト教においてはアスカロン、日本神話においては天之尾羽張、天叢雲剣(通称、草薙剣)、北欧神話においてはグングニルにレーヴァティン、ケルト神話においてはカラドボルグ、ゲイ・ボルグ、ギリシャ神話においてはトライデント、アダマスの剣などなど神話においては、超常的な力を持つ武器が数多く存在する。
それらほどの威力を宗近がことごとく切断した刀は持っていなかったが不思議さ加減では似ていないでもない。
ならば、アセナ教にも必ずそういった武器があるはずだ。それを知る事が出来れば何か、きっかけとなるかもしれない。藁にも縋るというのはこの事だろう。
そう考えるとアセナ教について調べる必要があった。
早速ディメアに教えを乞うと――
神代の昔、父神と母神が世界を作り、大地を作り生命の息吹を与え、十の子を産み世界を繁栄させた。だが、十の子を産むのに神力を使い果たした母神は最後の子を産むと程なくして死んだ。永劫に近い時を共にした母神の死に父神も生気を失い、墓守りをするといってさっさと隠居をしてしまう。残されたのは十の子と緑芽吹き、生命力あふれる大地のみ。十の子らは父神の後を継ぎ、誰が世界を管理するかで大戦争。血で血を洗う戦をし続けたという。
だが、十の子らに力の優劣はなく、早々に決着は付かなかった。一人、一人と、櫛の歯が抜け落ちる様に決着のつかない戦いに疲れて戦線を離れていき、最後に残ったアセナとアフラも深手の傷を負った事を起因に父神の後を継ぐ事を諦めた。残ったのは主神のいない荒れた大地と疲れた果てた十の子らのみ。十の子はこれ以上兄弟間で戦わずに済むように世界に散り散りになって生活する事とした。
「つまり、遺産相続で兄弟喧嘩をした挙句に離散した訳です」
「ざっくりしすぎてねぇか!?」
十の子の七子、戦神アセナはテュルキエ国のコニヤという、現在では宗教都市となっている場所に降り立ち、長きに渡る戦の疲労と傷を癒す事とした。アセナが降り立った事で慌てたのはテュルキエ王国の祖たるテュルク民族である。先住者である彼等ではあったが神は神である。幾ら争った果てに緑あふれる楽園であったはず大地を不毛の土地に変えてしまったとはいえ神である。神の勘気を恐れたテュルク民族はアセナに献身的な介護を重ねた。その献身的でありながらも崇敬の念を忘れないテュルク民族にアセナは好感を抱き、彼らの生活を豊かにすべく傷ついた体で不毛の大地に緑を咲かせた。テュルク民族は大いに喜び、民が喜ぶ姿を見てアセナも大いに喜んだという。だが、まだ癒えぬ身で神力を大きく使った事でアセナは眠りにつかざるをえなくなった。
不毛の大地に突如出現したオアシス。それを狙う他の民族が必ずいる。歳月を重ねれば必ず現れる。テュルク民族の行く末を案じたアセナは精霊を生み出し、困難があれば手助けしてやりなさいと言い残して眠りについた。
「とまぁ、これが神話のあらましです」
「あぁ、ありがとよ。だが、お前、アセナ教徒として大丈夫なのか?」
「信仰心は薄い自覚はありますね。助けて欲しい時に手を貸してもくれなかったのですから」
ディメアの過去を知る宗近には何も言えなかった。彼女の平凡とは決して呼べない人生において、神も精霊も彼女を助けはしなかった。
「今は、気にしていません。神様は眠りについていて、精霊様は個人を助ける為に動く事はないというのも知りましたから」
「そうか」
気にしていないとディメアはいつもと変わらぬ無表情で告げる。その無表情は、本当に何も篭もって居ない無表情で、宗近は耐えきれずにディメアの頭をガシガシと少し乱暴に頭を撫でた。
「俺はただの鍛冶屋で大した力も持ってないが、お前が困ってたら少しぐらい、手助けしてやれるからな」
「はい、知ってますよ、ムネチカさん」
彼女は無表情のまま、僅かに目を細めた。
ディメアの神話解説はあまりにもざっくりとしすぎていて概要しかつかめなかった。宗近が本来求めた情報である武器に関しては一切触れておらず、神話の詳細を調べる為に城塞都市エディルネ随一の聖堂へと足を運んだのだが、
「やべぇ、俺、字があんまり読めないんだった」
初っ端から挫折していた。
テュルキエ王国に来て、早五年。言葉遣いすら間違って覚えている宗近が独特の言い回しが多い宗教書など読めるはずもなかった。会話を覚えた後は只管に鍛冶をして、冒険者をしながら金を貯めて、時たま文字の勉強をしてという生活サイクルだった宗近。そんな彼が専門書にも等しい宗教書を読めるはずもない。未だに新聞も読めないのだから。
別に宗近は勉強が嫌いなわけではない。寧ろ好きな方だ、刀に関連する学問だけだが。
こんな事なら文字の勉強をしておけばよかったと後悔すれども時既に遅し。文字を今から習うにしても習得するのに何年かかるか…………この国の文字はミミズがのたくったような文字なので角ばった漢字を主体とする日本人にとって酷く識別が付きにくい。表音文字しかないのが救いといえば救いだが。
どうするか。まずは文字の勉強を必死こいてしてその間、鍛冶の手を止めるのも手だ。識字率九十%の国で字が読めないのはあまりにもハンデがありすぎる。これを期に覚えるのも将来を考えればいい判断だと言える。
問題は、宗近の魂が納得するかどうか。一日でも鉄に触らずにいられるか。無理だ。
一番手っ取り早いのは文字の習得を後回しにして知り合いの聖職者に質問する事。だが、宗近の知り合いはあの『狂信者』カランである。ついでに言えば枢機卿でもある。
その立場上、宗近側から接触をはかるのは難しい。個人的な連絡先を交換していないのが仇となった。いや、普段からあんなのとつるみたくないのは誰しもが共感してくれると思う。ならば、聖堂でアポイントを取るのが最善ではあるのだが、聖堂であのキチガイと友達だと認識されたら色々と終わる気がする。
カランと宗近の工房でタイマンで質問攻め出来る事が理想ではある。
宗教書を机の上において頭をガリガリと掻く。スニフに相談する他ないのか、という絶望感が宗近の胸を締め付けた。
ギィっと重い音を立てて図書館のドアが開かれる。音に惹かれてドアの方を見ると豪奢な衣装を身に纏ったカランがいた。聖職者然とした凛々しい顔立ちに正しく伸びた背筋、飾られた装飾品の数々、それだけ見れば立派な枢機卿だ。中身さえ知らなければ、さぞ徳の高い聖職者に見える。
噂をすれば影という事なのか、思いながらカランと視線を合わせない様に宗教書で顔を隠してやり過ごす。
カツ、カツ、カツという靴音を耳にしながら通り過ぎろと念じる。絶対に関わりたくない。
カツ、カツ、カツ、カツと音がして、止まった。宗近のすぐ近くで。
靴音は鳴り止んだままで図書館の空気が凍ったかのように動かない。逃げる事は出来ないと諦めて本から顔を上げると、そこには凛々しさからは程遠い厳めしい顔つきのカランがいた。
「何で気付いたんだ。じじぃ」
「お主の図体で本を盾に隠れられると思うのか?」
酷く納得できる答えを告げられ、宗近は大人しくカランに引き摺られて図書館を後にすることとなった。
「さて、異教徒であるお主が何故聖堂に来ておる。キリキリ吐け」
懺悔室に連れてこられて即尋問、である。これでは異端審問と何も変わらない。いや、宗近は異教徒なので異端審問であってはいるのだが。
「あぁ~、神話や英雄譚をちっとばかし調べようと思ってよ。スランプにハマっててな」
ガリガリと頭をかきながら心底困り、疲れ果てたとばかりの声を絞り出す。忸怩たる思いがにじみ出ていて哀れさすら漂う。何せ、彼にとっての初のスランプだ。
宗近は確かにこの世界に来た時にチートを得る事は無かった。だが、彼の鍛冶技術は現代鍛冶師から言わせれば、もうそれだけで十分チートじみている。三十路に入る前から一流の刀工と比較して確実に勝る刀を作ってきたのだ。歴史上で刀工が業物と認定される刀を鍛え上げる年齢というのは大抵晩年を迎えている。それを思えば、その類稀なる才能と運はチートと呼んで差支えないレベルだ。
才能と運に恵まれ努力を怠る事を知らなかった宗近にとって思い通りに刀が造れないというのは生まれて初めて。だからこそ彼は今の状況に内心で酷く焦っていた。
「ふむ、刀じゃったか」
「あぁ、どうしても、思い通りに仕上がらねぇ」
重いため息を吐く。
歴史上の武器を知れば確かにきっかけになるかもしれない。だが、歴史上に宗近が造った刀と同じ様な力を持った武器があったのだとしてもその製法が分からねば、解決には届かない。
「なるほどのぉ。異教徒とはいえ我等が神を知ろうとする心に邪心はない、か」
「んなもん、あってたまるか。俺は唯、刀を打ちたいだけだ」
「鍛冶馬鹿もここまで極まれば、清々しいわい! まぁ、よい。話してやろう。で、どこまで話を知っておる?」
「あぁ、遺産相続で兄弟喧嘩をした挙句に離散して、戦神アセナがこの国の祖先に介護してもらって精霊を生み出したって所までは」
「ムネチカ、異端審問じゃ」
いい笑顔で首を掻っ切る仕草をしたカランに土下座で許してもらった。
「精霊様の加護…………か」
カランから聞いた神話の中には残念ながら武器の話はなかったが、その後の歴史上のファンタジーな武器はあった。神の奇跡ではなく、神が生み出した精霊の奇跡、精霊具。
人を助ける為に生まれた精霊。だが、彼らは神の最後の言葉通りテュルク民族の困難を幾度も救った。幾度も、幾度も、精霊は人を助け続けた。故に、人は堕落した。その堕落は人が上、精霊が下という認識を生むまで進行し、我慢しきれなくなった精霊がキレて己が最も過ごしやすい場所で引き篭もった。以後、精霊はテュルク民族そのものが滅ぶような災害が起きない限りは手助けしない様になったのである。
だが、精霊は決してテュルク民族を嫌悪している訳ではない。一時は確かに嫌悪し、憎しと思った事はあれどそれを上回る時間、崇敬の念を送られた。良き感情で接せられればさすがに精霊も絆される。されど彼らは生命ではないが故にかつての出来事を忘れない。何せ、当時の精霊が存在しているのだから忘れるはずもない。故に彼らは人々の祈りや願いを込められてもそれらを叶える事はない。
精霊はよっぽどの事が無い限りテュルク民族というか人間を助けない。だが、それでも人は超えられない困難にぶち当たった時に神を、精霊を頼る。精神的拠り所とするのではなく、実際に助けを求めに行くのだ。精霊の居場所はマナが濃くその精霊の属性が最も高い場所にいる。火の精霊であれば火山、水の精霊であれば清らかな泉と、まぁファンタジー的に王道な場所にいるのである。無論、道中は危険極まるが。
その上で精霊に謁見し気に入られれば精霊から加護を得て、英雄や勇者となる。
人に加護が与えられる事もあれば、器物に加護が与えられる事もあった。しかしこちらは精霊が気まぐれで与えるモノである。時に名匠の作品に、無名の職人の作品に、不世出の天才の作品に、稀代の狂人の作品にと。
器物に加護が与えられるかどうかは精霊の気まぐれではあるが、一つだけ明確な基準があった。それは、それそのものが優れた機能を有する事。器物に加護が与えられるのは、確かな腕を持つ証拠でもあった。
「左様。職人にとっては精霊様に加護を与えられる事こそが最大の名誉であり、最高の賛辞であり、目標という訳じゃよ」
「…………そうか」
精霊の加護が与えられた器物には当然、精霊の力の片鱗を使う事が出来る。己の魔力も魔石も使わずに魔法を起こせる。時に、万の軍勢を焼き払い、山火事を消し去る程の水を湧かせ、地を割る一撃を与え、雷を操り、嵐を生み出す。そんなファンタジー満載な武器。
めちゃくちゃ身に覚えがあった。
「二つ、聞かせてくれ。俺でもその加護を賜れるのか? 俺はテュルク民族じゃないんだが」
「テュルクの地に住まい、テュルク民族と親交を深める種族であれば誰であろうともその加護は賜れる。異教徒のお主であろうとも」
欠片だけあった否定要素まで握りつぶされた。どうしよう。
「そうか。じゃぁ、もう一つ、その、もし、精霊具を壊しちまったら、ヤバイよな?」
「ふむ。神や精霊様を除く万物はいつか滅び、崩れる運命にある。死闘の果てに、無謀の果てに壊れる事もある。持ち主の傲慢によって力を失う事もあれば、作者の驕慢によって力を失う事もある。死蔵した精霊具がいつの間にか力を失っていたという事例も報告されておるでな。永年、形を保持したままの精霊具は王が持つ王剣アチャルバスしかない。仮にお主が精霊具を生み出すという名誉を与えられたとしても気にせず人に渡すがよい。道具は使われて、こそじゃ」
「そ、そうか――――――仮に、だ。仮にだが、もし俺が精霊の加護を賜った武器を作ったとして、その加護が気に入らないとかいう理由で壊した場合は?」
「うむ」
満面の笑みを浮かべて、大丈夫! とばかりに親指を立てたカランの姿に安心しようと息を吐きかけた所で、仁王像のような形相で首を掻っ切る仕草をされた。
「異端審問じゃよ。我等が崇める精霊様の好意を無下にする様な愚か者には当然のぉ」
「ダ、ダヨナー」
言えない。精霊具らしきモノを作って破壊したなど、とても。それもすでに五口も破壊したなど、口が裂けても言えない!
「まぁ、お主もまだまだ若輩。精進して精霊様から加護を賜る事を目指すがよい」
「おぅ、相談に乗ってくれて、ありがとうよ」
内心を悟られない様にビクビクとしながら席を立つ。ボロが出ては事だ。この場で留まって待っているのは異端審問。しかも、弁護士がいない圧倒的不利な異端審問である。
「あぁ、そうそう。ムネチカ。以前も注意したが、お主の奉じる神の布教活動なぞしておらんじゃろうな? この国に住むドワーフもアセナ教徒じゃが、何よりも大事にしておるのは鉄じゃからな。教えれば其方に傾きかねん。宗教裁判はうけたくないじゃろ?」
昏い笑みを浮かべるカランにコクコクと言葉も発せずに頷き返した。宗近の宗教裁判の日は、存外近いかもしれない。
カランの話を聞き、己が生み出した武器が精霊具である可能性が生まれた。というか十中八九そうだろう。
宗教裁判の日は近いが、同時に光明も見えた。職人が目指すべき場所である精霊具であれば当然、加護を得やすいようにする秘訣のようなモノは必ずあるだろう。噂でもいい。それを集めれば、そうしない為の方法に辿りつける。
「親方ー、いるか?」
「おぅ、ムネチカじゃねーか」
鍛冶場には常に鉄を叩く音が聞こえる。小気味よく一定のリズム。出て行った後でも変わらないこの音が、宗近の心に安らぎを与える。
出てきたのは一つ目巨人、サイクロプスと呼ばれる種族。
サイクロプスは現代でこそモンスターの一部とされているが、本来ギリシャ神話では鍛冶神ヘーパイストスに仕える下級神であった。無論、地球においての話だ。
この世界においてはドワーフよりも先に鍛冶を始めた由緒正しい一族として、この世界においても一定の尊敬の念を集めている。
「親方、おりいって相談したい事があるんだが、いいか?」
「水臭せぇな、ムネチカ。まぁ、長話になりそうだから、おーい、茶だ!」
宗近と非常によく似たしゃべり方、というかこのサイクロプスの親方こそが宗近の話し言葉の原因だ。この言葉を日常的に聞いていた為に、宗近のこの世界での言葉遣いは実に粗くなった。元々は、丁寧な話し言葉だったのに……
「で、なんだ」
ドンと構える姿は、威圧感が伴う。2.5mを超える上背では座っていても大きく見える。横柄な言葉に、見上げなければならない程の巨躯ではあるが、その中身は気さくで世話好きな気持ちのいい人柄だと宗近はこの五年でよく知っている。言葉も分からぬ見慣れぬ肌の人間を気前よく住み込みで雇うような大きな器を持つサイクロプスなのだから。
「腕前に関しちゃ、下手すりゃ俺よりも上のお前がわざわざ相談ってのは」
「親方、謙遜しちゃいけねぇ。この都市で一、二の腕を争う腕前だってのに」
「お前こそ何言ってやがる。みょうちくりんな剣を打つのを止めて、真っ当な大剣を造ればお前さんもそこで争えるぐらいだろうに。全く、頑固なヤツだ」
「俺は、刀鍛冶だ」
「わかっちゃいる。鍛冶は男の一生仕事だ。そこに妥協はねぇ。くくっ、相談しにきたっていうのに変わらねぇな」
一つ目を細めて柔らかい笑みを浮かべる親方。宗近が親方に恩義を感じているのと同じぐらい、親方は宗近を気に入っている。
流れて来た異国の鍛冶師。腕は良く、言葉が分からずとも雑用を己から行い、相槌も指示通りに力強く、それでいて繊細に打ち、鉄に対する造詣も深い。横柄な言葉遣いだが気配りは弟子の中でも一番と来ている。その癖、流行には流される事なく、赤貧に喘ごうとも故国の武器を打ち続ける。実に馬鹿だった。実に、愚直な馬鹿である。昔気質な親方すれば気に入らないはずもない弟子だ。
一つだけ気に入らない点があると言えば、この工房から巣立って行った事だろう。
「鍛冶師がそうコロコロ変わっちゃ、鉄もおしまいだ」
「ちげぇねぇ!」
二人揃ってガハガハと笑い、茶を飲み干す。
「親方、精霊具について教えてくれねぇか? どうすれば加護を賜りやすくなるのか、どんな材料を使えば…………俺は、異国の人間だ。精霊具についてはつい最近、少し耳にした程度だ。魔剣だってこっちに来てから初めて触ったぐらいだしよ」
ゴンと机に頭を叩きつけるかのように押し付ける。
鍛冶とは秘伝の塊。一番弟子以外には教えない秘伝など数多く、他門の人間にその秘伝を教える事は本来ありえない。だからこそ、そこを曲げてくれと必死になって頼み込む。
宗近の必死さとは反対に、親方からは気の抜けた声が出た。
「あん、お前、知らなかったのか?」
「あぁ」
「…………お前の産まれは、随分と辺鄙な所だったんだな。ここに着た時からすでに一人前つーか俺も満足して仕事を任せられるぐらいだったから、当然知ってると思ってたんだが」
「俺の生まれた国にはそういうのは無かったんだ」
「そうか。そいつは悪かったな。そういや、お前に教えた事なんざ、鍛冶に関しちゃ器具に関する事だけだったなぁ。後は帳簿の書き方と言葉ぐらいだったし」
「言葉を覚えるのが一番苦労したぜ」
「みょうちくりんな言葉を話してた癖に、挨拶よりも鍛冶場の道具の名前を先に覚えちまってよぉ。くくくっ」
鍛冶馬鹿ここに極まれり。
「お前はすでに知ってるモンと思ってあえて口にしてなかっただけだからな。まぁ、いいだろう。精霊様の加護を賜る為にゃ、その属性が強いモンを混ぜればいい。一番いい触媒は、属性龍の鱗あたりだな。つっても混ぜる量ってのは完全に秘伝だ。俺もそれに関しちゃまだまだ研究中だからよぉ」
ニカっと笑ってあっけらかんと秘伝を口にする様に、宗近はあんぐりと口を開けた。
軽々しく口にしているが、この情報は秘伝中の秘伝、鍛冶の秘奥と呼ぶにふさわしい情報だ。一番弟子にしか教えてはならないような情報をいとも容易く。
幾度も述べるべきではないが、鍛冶師にとって秘伝とは容易く他者に教えるモノではない。モノによっては一番弟子にすら教える事無く消えていく技術とてある。
刀工において最も重要な秘伝とされるのは焼き入れ時の水もしくは油の温度だ。それを知るべく湯船に腕を入れた弟子が焼き入れを終えたばかりの刀で腕を切断されたという。冗談ではなく、江戸時代においてはそれなりにあった話であり、例え弟子であろうとも秘匿技術を盗もうとする人間には容赦しないのが職人であった。
「親方、あっさり教えてもらってる身で言うのもなんだが、いいのか」
「将来有望なお前さんなら知っておくべきだ。俺ぁよ、お前ならいつか必ず精霊様の加護を賜れると確信してる。んで、そん時にはせいぜい宣伝させてもらうぜ? うちの弟子がやりやがった! てなぁ!」
ガハガハと笑う大人物に再度、頭を下げる。五年間で随分と世話になり、今日また、返す事が難しい恩が生まれてしまった。実にありがたい話であり、実に悩ましい話だ。すでにそれっぽいモノを作って折ってしまった身としては、縮こまるしかない。
「龍の鱗なんざ早々手に入らないモンだが、それでもし加護を得られなかったらどうするんだ?」
ふと浮かんだ疑問を口にする。高い触媒を使用して、加護を得られなければ大損だ。カナツディナソーよりも上位にいる属性龍の鱗など早々手に入るものでもなく、市場に流れたとしても随分と高値で取引される。それでもし、加護を得られないという失態を演じれば待っているのは破産。冒険者と違って鍛冶師は早々簡単に大金を得られるような職業ではない。無論、腕が良ければその例外に含まれるだろうが、大抵は死後に評価されるのが常。生きている内に属性龍の鱗を入手できる運に恵まれる鍛冶師などテュルク王国内で十人もいないだろう。
「あぁ、そん時は魔法陣を刻んで魔剣として売るんだ。触媒を入れた剣は、その属性に限り強い耐性を得るからな」
なるほど。失敗してもそれなりのベイバックは期待できる。悪くない手法である。
ふと思うのは、魔剣が精霊具に近づくために生まれたのか、それとも精霊具と成る為に生まれたのか。後者であれば卑屈な想いから生まれた悲しい武器であり、前者であれば職人魂溢れる武器であると思える。願わくば前者であってほしいと心から思う宗近であった。
「んじゃあよ。触媒無しに精霊具が出来るって事はあるのか?」
今までの話を総合すれば宗近の刀は精霊具でない事になる。折角、原因が精霊だと分かりかけてきたのに。
触媒無しで作って上げくになんかよく分からんファンタジーな武器になってしまっているのだ。原因が精霊でなかったらもはや神を呪うしかない。
「あぁ、出来るぜ。触媒っつーのは加護を得やすくする為のモンだ。本来なら無くても出来る。というか、目標としては無くても出来るっていうのが理想なんだよ」
「そう、なのか。そっちの方が本式って事か」
「だが、触媒無しで加護を得たのは俺が知ってる限りじゃフランベルジュが最後だな。そっからは武器に関して加護を貰っちゃいねぇ」
「そんなにか」
「あぁ、画期的でありながらも実用性の富んでたからな。ありゃあ、考えた奴は天才って言葉が似合うぜ」
羨望の視線を遥か彼方に向けながら、その内には己もいつかその位階にたどり着くと、一つ目の奥に闘志を宿している親方の瞳を見て、宗近は笑った。鍛冶師は研鑽を辞めればそこで終わりの職業だ。世話になりその器の大きさにほれ込んだ親方に大きな野望がある事が、酷く嬉しい。
「他にもこっちは武器じゃねぇが二百年ほど前だったか、発明のオーザルヘディエを持ってるって噂だったヤツが遠話装置や転移装置を作ったんだが、最初期の奴は魔石がいらなかったしい。壊れちまってもう伝説扱いだがな」
「なるほど」
確定した。宗近が造った武器は確実に精霊から加護を賜ったモノだ。今までに無い画期的な物を生み出す事が恐らく触媒無しに精霊の加護を賜りやすい条件なのだろう。そうでなければ宗近の刀が加護を得られるはずもない。だが、同時に加護を得たのならば己はズルをした事になる。偶々、異世界には無くとも完成された武器を作っただけなのだから。
「なぁ、親方。もし仮に精霊様の加護を賜った場合は見分けとかつくのか? 後、動力源とか、発動条件とか」
もし、区別がつかない場合は、場合によっては都市一つが滅ぶことになる。この前、ビームを放った刀はたまたま都市から少し離れた山で空に向かって試し切りをしたから無事で済んだが、もし工房の裏庭で水平に試し切りしていたら……
「あん? そんなもん――――あぁ、お前には無理だわ。テュルキエ王国に住む人間は幼い頃に洗礼された時に精霊様の力の片鱗を感じる。んで、そん時の感覚は魂に刻まれるレベルでよ、器物に宿ってたら一発で分かるのさ。だが、お前はこの国の出身でもなく、改宗して洗礼を受けた訳でもないからなぁ。後、動力源は周囲のマナだな。ほぼ、マナが枯渇しない限りはほぼ無制限に力を引き出せる。そんで発動条件とかはアレだ、自分の魔力のほんの少し流してやりゃいいんだが、魔力がないムネチカが試し切りしたら暴発するかもしれんなぁ! ガハハハハ」
「…………そうか」
その話を聞いて異世界出身であったことをこれ程呪った事はない。仮にこの国に来てからすぐに洗礼を受けていれば、原因など一口目を作った時に分かった物を。
いや、それよりも意固地になって自分一人で原因を探ろうとしたのが原因だろう。せめて二口目に親方に相談していれば――――炭も鉄も無駄にせず、持ち込んだ刀も曲げずに済んだモノを。今更ながらに己の厚顔さが憎い。
「助かったぜ、親方」
「おぅ、いつでも来いよ。お前は曲がりなりにも俺の弟子だからな」
「そいつを忘れた事は今まで、一度もねーぜ、親方」
親方の工房に背を向ける。得るべき情報は得た。ならば、後はディメアに一つ頼みごとをするだけだ。
その日、宗近は工房で研ぎあがる寸前の刀に、試し切りすらしていない刀と金庫に封印していた重量の変化する脇差に対して頭を下げて――――静かに、静かに、へし折った。