第七話
『救援、到着です』
長い、長い二分間が過ぎた。圧倒的上位の存在に対して二分間も逃げ延びた。だが、代償は大きい。左半身のほとんどが火傷に覆われ、腕など真皮層まで焼けて皮膚はすでに白い。泥と血にまみれ、火事からほうぼうの体で逃げ出したようなありさまだ。されど、眼だけは生きている。眼だけは絶望に彩られる事なく、爛々と生きる意思を秘めている。
ゾワリと肌が粟立つ。それも覚えのある肌の粟立ち方。急いで、体を地面に倒す。
直後、風が体の上を掠めた。暴風のようなモノとは違い、鋭いまるで鎌鼬のような斬り裂く風が吹き抜けていった。
眼前には今まで変わらない威容を湛えたカナツディナソー。だが、傷が増えていた。足首にあった傷だけでなく、空を自在に駆け回るのに必要な翼膜が鋭利な刃物で斬り裂かれたように切れ込みの様な小さな傷が。
「ヒィイイイイイヤァアアアアアアアアアア!!」
気狂いじみた絶叫が森の中に木霊する。近い感じの声を宗近も出していたが、あれは怒りによって言語化する事が出来なかっただけだ。こんな狂喜に彩られた薬物中毒者じみた声ではない。だが、残念な事にこの声に宗近は聞き覚えがあった。
次いで、またゾワリと肌が粟立った。さらに翼膜に傷が増えている。切れ込みのような小さな傷が増えていく。すでに五つ以上も裂傷が刻まれている。これで、カナツディナソーは空を飛ぶ事も出来ない火を吐く蜥蜴に成り下がった。
龍種の中で最下位とされるカナツディナソーは、他の龍種と比較すればの話しではあるが魔力量が少ない。少ない魔力を節約するために、浮上、急加速、上昇以外に魔力を使わず、通常飛行では揚力で飛んでいる。そのため、翼に傷がつけば空に舞い上がる事が出来ても維持し続ける事が出来なくなる。最下位の龍種を狩る為の手法というのはすでに知れ渡っているのだ。
「あぁあああ、神よ! 神よ!」
神に助けを求めるような声を上げながら、百五十センチぐらいの人物が猛スピードでカナツディナソーめがけて走ってくる。小さな体躯の割には筋肉が異様に発達していて、肌は浅黒い。顔は老けきっており、明らかに四十路を超えていた人生の酸いも甘いも味わったかのような年輪を感じる。見たままドワーフである。ドワーフの割には言葉遣いは丁寧で敬虔な信者のような声、ではない。森の中に木霊した声のように狂喜を孕ませた聖句だ。走りよる男は法衣にきちんと包まれているが、眼は血走り、頬は三日月の様に裂け、体は喜びに嘶いている。断言しよう、狂信者だ。
走りよる勢いのままカナツディナソーに殴り掛かった。さながら象と兎が戦っているかのようだ。だが、音が違う。ドドドドドッと掘削機のような音を連続させながら、拳を的確に当てていく。まるでサンドバックを殴っているかのように遠慮がない。仮に目の前の法衣を来たドワーフの拳を人間が受ければ、十秒でミンチが出来上がりそうな勢いだ。というか、実際にそうだ。
だが、分厚い皮膚と人間に比すれば膨大な魔力に守られたカナツディナソーは殴打に痛痒を感じているようには見えない。鬱陶しいと感じてはいるだろうが、ドワーフに脅威を覚えてはいない。
突如、カナツディナソーの尾が唸りをあげた。予備動作はあったにせよ、その巨体に似合わぬ初速。家屋ですら一撃で倒壊させる勢いの乗った尾が、連打に集中しているドワーフに迫る。回避には十分に間に合う。走り寄ってきた時の速度を考えれば十二分に避ける余地のある攻撃だ。そしてドワーフは――――あろう事か、尾を認識しながら防御を選択した。
人が猛スピードのトラックにぶち当たった音が響く。回避する事を選択しなかったドワーフは地面とは水平に跳ね飛ばされ、森の木々に背中からぶち当たる。防御をした腕の骨どころか、背骨も、悪くすれば頚椎も損傷している。肺も傷ついたのか、口からボタボタと血を零していた。
当然の摂理だ。この世界において、人は弱者だ。龍種相手に真正面から戦える人間などそうそうはいない。ましてや、最下位とはいえ龍種の一撃を防御しきれる人間種などいるはずもない。これは、当然の結果。
「神よ、神よ! おぉおおおお、神よ!」
ドワーフが吠える。敬虔な祈りではなく熱狂を宿し、鮮血に彩られながらも純粋な讃美歌。讃美の祈りを捧げるドワーフの体が白い魔力で包まれる。途端、見るのも戸惑う程に損傷しきった腕が、ベキベキと痛々しい音を立てながら健常者と同じ、真っ当な腕に戻った。時を巻き戻したかのように傷も、折れた後も見たらない真っ新な腕と評してもいい。それ以外の部位も健康になっていく。
異常な光景だった。高位治癒魔術を激痛の最中の使用。ありえない光景だ。魔術というのはイメージが肝要。簡単な魔術でさえも不慣れな者が行えば目を閉じて集中せねばならない。だというのに激痛の、それこそ死痛の最中で莫大な集中力を必要とする高位魔術を使用するなど、ありえない。
「あぁああああああああああっ! 神の愛を感じますぞぉおおおおおお」
鮮血の法衣を着たドワーフはやはり、間違いなく狂信者である。
不可思議な生き物を目の当たりにしたカナツディナソーは思考を一瞬停止させていたが、脅威ではないが非常に鬱陶しい生物と認識してドワーフへと視線を集中させ――――翼膜が大きく斬り裂かれた。
「キィイイイイイイイイイイイハハハッハハハハハッ!!」
再度、狂喜に染まった声が森の中で木霊する。宗近の視界の端にくすんだ黄色い髪が見えた。あぁ、やっぱり、という残念な気持ちを多大にのせた溜息を吐く。視認するのも難しい速度でくすんだ黄色がカナツディナソーを中心に残影が飛び交う。竜巻の様にカナツディナソーを翻弄する。
「神よ、背徳者への鉄槌を! わが手に鉄槌を!」
カナツディナソーの集中がくすんだ黄色に移りそうになると狂信者が大ぶりの一撃を与える。掘削音ではなく、解体現場の鉄球がぶち当たる音が響く。腹の底にずしんとくる重い音だ。
だが、カナツディナソーは健在だ。翻弄され、鉄球がぶち当たったかのような衝撃を受けて尚、カナツディナソーの翼膜以外に傷はついていない。これが、龍種。人間種が死に物狂いで攻撃を与えてもものともしない。これが、龍種なのだ。
人と龍種では根本的に違い過ぎる。幾ら攻撃を与えようともおもちゃのナイフが当たったかのように痛痒を感じないのでは、意味がない。
「この一撃に全てを懸ける!」
稲妻のように森中に響き渡る声。それは聖句であり誓句であり祈りあり、そして決意だった。
「キィイイイイイエェエエエエエエエエエエエエッ!」
猿叫が耳に突き刺さる。聞いている者全ての身を竦みあがらせるような甲高く奇怪な声。声と共に、大剣を蜻蛉に構えた宗近よりも大きな男が凄まじい速度で駆け寄ってくる。ヤバンナドルンドが風の魔法を使ったかのような爆発的な加速。本物の薬丸自顕流の剣士が異世界に降り立ったかのようだ。だが、構えている大剣が違い過ぎる。長さ2.8m、幅15cm、重さ10kgを超える大型中の大型。剣というには分厚く、重く、大きすぎる。剣と呼ぶのも憚られる大型の剣。
十kgとなると軽いという印象を受けるだろうが、とんでもない。剣のような棒状の物をしかも柄という中心ではなく先端に位置する所を持って振り回すには十kgというのはとんでもなく重たい。名古屋市の熱田神宮に奉納されている有名な太郎太刀(次郎太刀とも言われる)は刃長約七寸三寸(221.5cm)でありながら重さは4.5kgである。その長さを自在に振りまわすことが出来れば史書に名を刻まれる程に剛力無双と言われた。
それを超える大剣を構えながら走る。天に向けた剣の切っ先は走っているのに驚くほどぶれていない。それは人外の筋力を誇りながらも剣士としても十分な技量を持っている事を示していた。
猛烈な速度で迫るソレにカナツディナソーもようやく気づくが遅い。あまりにも遅い。狂信者とくすんだ黄色が注意をひきつけていた為にカナツディナソーは気付いた時には刃は長い首に迫っていた。
斧を打ちつけるような音が響く。同時に盛大な血を噴出させながら、カナツディナソーの首は両断された。傷口は慮外の力によって押しつぶされていた。
首から上を失った巨体は力を失い、ふらふらと数瞬たたらを踏んだ後に、力尽きて倒れた。二分間、死に物狂いで逃げ回ったのがバカに思えるようなあっけない。
はぁ、っと盛大に息を吐いてすとんと腰が抜け落ちた。生きた心地のしなかった二分間、見慣れてはいるがやはりこの異世界においても些か非常識な光景で疲れ切っていた宗近はぐったりと座り込んで回復薬を飲み干す。一週間履き続けた靴下の様な臭気がするが、我慢である。
視界の端で大剣を振るい、カナツディナソー討伐の立役者は地面にべちゃりと顔から衝突していた。
「よぉ、久しぶりだな、ムネチカ」
「相も変わらずだな、スニフ」
顔面から地面にキスをした男は顔を泥まみれにしながら、何事もなかったかのように気軽に話しかけ来る様にこらえきれずに笑った。
スニフ・ウチュース。くすんだ赤髪と二mを超える長身がトレードマークの男。顔立ちはその大きさに似合わずに甘い。もう少し身長が低ければ女に事欠かない生活を送ってヒモになっていただろう。それ程までに見目麗しく、ギルドの受付に現れれば周囲から嫉妬の視線が突き刺さるような男である。
通り名は『一撃男』。一撃に全身全霊をかける一点突破者。その一撃は山を砕き、海を割るとも言われる。噂ではエイダーに鱗に傷をつけたとかつけなかったとか。通り名の通り、一撃を宣言した際にはその一撃以外に何も出来ない。牽制や様子見も出来ず、一撃を外すと力が入らず着地すら出来ない。普通に剣を振り回す事も出来るのだが、それを見た者は極少ない故に、一撃以外に何も出来ないと思われている不憫でもある男だ。ヤッたら一発で妊娠させられるというブラックジョークも流れてもいる。
「おぉ、半年ぐらいで変わるもんかよ」
「その通りじゃな、ムネチカ。我ら変わらず神に祈りを捧げ、供物を捧げ、日々精進を重ねるだけよ」
己の血で法衣をと自慢の髭を汚したドワーフがずいっと皺に塗れた顔を突き出す。
カラン・カタラマーク。スニフとは正反対に低身長ながらも筋肉で膨らんだ肉体。年と苦労を重ねた分だけ皺が刻まれている。一撃男が墜落した際の傷に治癒魔術をかけたのもこの男だ。ついでに、現在、宗近の負傷も治してくれている。
そして、驚くべき事にこのドワーフ、枢機卿である。テュルキエ国国教であるアセナ教に七人しかいない教会の枢機卿である。しかも城塞都市エディルネ近隣の教区を全てを管理する役職にすらついている。冒険者をやっているよりも椅子に座って人に命令を下し、書類整理に一日を追われるようなとてつもなく偉い身分のドワーフである。だというのに冒険者をしている。しかも、この世界でも非常に稀な肉盾とてして。
龍種に匹敵する程の魔力に優れた治癒魔術によって枢機卿になり上がった。首から上さえ無事ならば数秒で健常な体に戻せると、バカげた治癒魔術の使い手だ。もちろん、世界一の使い手である。だというのに何故か肉盾をしている。その理由を本人は黙して語らない。通り名は『狂信者』もしくは『ルナティックヒーラー』。周囲にも程よく頭のイカレ具合が認識されている。尚、彼の前で宗教批判をすると掘削機の如き連撃を食らった後に治癒魔術、以下ループという拷問が繰り広げられるので宗教批判をしてはならない。
「………………」
無言でチョイチョイと裾を引っ張られる。何かと思うとそこにはくすんだ黄色が目の前にドンとあった。顔立ちは死んでいる。三日完徹を行い、その上で仕事に出ているプログラマーのような顔をしていて見た目が宗近とは別の意味で怖い。特徴的なのはその耳だろう。先端部分が尖っている。そう、エルフと同じ特徴だ。余談だがドワーフとヒューマンは見た目の特徴が身長と筋肉の付き具合以外に大きな違いはない。尚、大人の女ドワーフなど合法ロリ扱いで、一部の男からは神の如く崇められている。
エルフは森の賢者、守護者とも呼ばれ、都市部には姿をあまり見せず種族のみまとまっている事が多い。その見目は男女問わずに美しく奴隷狩りに合う程だ。が、目の前のエルフと目される小柄なエルフに美は感じられない。水揚げされて随分とたった魚の様な死んだ目と化粧をしようとも取れる事のなさそうな隈、ざんばらに切られ煤に汚れた髪に洗っているのか不思議に思うぐらいに汚れた衣装。更に、狂喜している時以外は一切声を出さない。パーティを組んでいるカランとスニフすら聞いた事が無い程徹底的に。その全てが美形補正を損なっている。耳の尖り具合に気付かなければ浮浪者とさして変わらないのが非常に残念だ。
イヴリス・ユアラーク。通り名に『エセエルフ』、『残念エルフ』、そして『哄笑の斬殺魔』というかなり不名誉な名を貰っているキワモノエルフだ。
そして、おそらく男だ。体格を隠すような服装のお蔭で性別が隠れているが、触った胸はディメアにすら劣る平坦だった。壁だった。後、斬る度に哄笑を上げるのが女性だというのはちょっと嫌すぎる。
振り向いた先には先程投げ捨てた荷物の全てがあった。ありがたく受け取るとバゼラードを両手に乗せて差し出してくる。よく見ると、刃先の方が僅かに欠けている。
「研げって事か?」
コクコクとイヴリスは頷き、物打付近に幾つか欠けのあるバゼラードを押し付けてくる。
森という未だ危険区域で自身の武器を他者に預けるのもどうかと思うが、彼らの実力はカナツディナソーを狩った事からも分かる用に非常に高い。城塞都市エディルネでも上位に位置する冒険者グループだ。攻撃力だけを見れば都市最強と言っても過言ではないのだが、全員の性格に難があるので上位としか評価されていない。そう、悲しい事に彼らはキチガイパーティとしか認識されていないのだ。
「俺は鍛冶師なんだがな」
ガリガリと頭をかきながらバゼラードを受け取る。命を救ってくれた知己からの頼みだ。幾ら刀に命を懸けている宗近とてそこら辺の事はわきまえている。仕方ないと溜息をついて鍛冶場に置いてあるこのバゼラードに合った砥石の場所を思い出し始めた。
「おいおい、イヴリスばっかりずりぃぞ、俺のも頼むわ、ムネチカ!」
俺も俺もと子供の様にバカデカい大剣の刃を見せつけてくるスニフ。イヴリスのバゼラードと違い刃のいたるところに欠けが目立つ。もし、これを研ぎ直すとなれば、丸一日使った所で研ぎ直す事は出来ない。下手をすれば一週間仕事だ。ヒクっと頬が引き攣る。以前、世話になっていた工房でもこの手合いが多かった。だが、今回は仕事として半分、恩義に報いるため半分。恩義と取られる時間が天秤に乗り、非常に悩む。
『ムネチカさん、受けるべきかと』
「あぁ? だが、これは。いや、俺も人としての道理は分かっちゃいるが」
『目の前のスニフさんは大金持ちです。ボればいいのです』
「…………いや、それは職人としてどうかと思うぞ」
沈黙を保っていたディメアが爆弾発言をかます。口を開けば危険な言葉しか出ない娘に一体誰が育てたのかと嘆く。その一助に宗近自身が関わっている事を彼は都合よく忘れているのだった。
金欠故に、こんな危険な事をする羽目になった側としては非常に悩ましい提案である。その提案に飛びつきたい。だが、職人としての通すべき筋を捨てたその瞬間、理想を追求する職人ではなくなる。ただの芸術家か商人になってしまう。
「ん? なんだ、ムネチカ。金に困ってたのかよ。んじゃ、五百万ぐらいでいいか?」
「ぽっと大金を出そうとしてんじゃねぇ!」
「俺としちゃその程度の金で、真っ先に仕上げてくれるんなら安いもんだが、不満みたいだから一千万払うわ」
金銭感覚のぶっ飛んだ発言に頭が痛い。城塞都市で上位の冒険者が持つ金銭というのは下手な商人の資産よりも上だからタチが悪い。即金で望外の大金を払ってくれる事に心がぐらつく。矜持だけでは刀は作れない。宗近の心はぽっきりと折れた。
「分かった。請け負うが、その金でついでに優先権を買ってくれ。どんなに忙しい時でも、他の仕事が入ってても必ずお前の研ぎを優先させるからよ。後、お前、もう少し相棒を丁寧に扱えよ。次、これと同じ刃こぼれ起こしたら刃付けするような大修理だ。」
「マジか! 一千万でそれが買えんのか! よっし、払う! 今すぐ払う! 後、そん時は直してくれ!」
鍛冶師としての忠告など聞き流して目を輝かせるスニフに、何を言ってもダメかと首を振る。この大剣、剣身の中央部分にびっしりと魔法陣と文字が彫られている。これを僅かでも削るとこの大剣に付与された機能の大半が消え失せるという大惨事に陥るのだ。しかも、スニフの大剣は魔剣としても破格の十個の魔法陣が刻んである。普通は値段と技術の関係上、刻む魔法陣の数は三個から四個である。
この剣一本で集合住宅の一室を買い取れるぐらいの値段をしているのだが、一千万をポンと支払う大金持ちにとっては相棒といえども消耗品換算なのだろう。鍛冶師として何か悲しい。後、この男は刃付けが高度な技術を要する事を知っているのだろうか。確実に知らないだろう。
「!!」
スニフへの発言によってイヴリスも同額を提示しながらカードを押し付けてくる。だが、こちらはスニフと違って武器を普段は丁寧に扱っている。そんな人間は鍛冶屋にとっては何かと可愛がりたい存在だ。性格に難があろうとも。
「待て、イヴリス! お前のはすぐに仕上がるから寧ろ通常料金でいいぐらいで」
「!!」
残った矜持に従って料金の引き下げるが、イヴリスは譲らろうとしない。そこまで研ぎの優先権が欲しいのか。
「分かった、分かったから。お前にも優先権をやる。ただ、お前の場合はバカスニフの大剣と違って小さいから二百万ほどでいい」
「! …………!」
いそいそとギルドカードの提示額を変更して押し付けてくる。斬殺魔と呼ばれるだけあって斬味にはこだわりがあるのか、狂喜乱舞している。眼が死んでいるのが実に痛い。
「ほっほっほ、この流れだとワシも何か依頼した方がいいのかな?」
「ジジィ、オメーは武器すら持ってないだろうが」
「いやいや、ムネチカが恩を覚えている内に要求した方が何かと都合がいいのでな」
「それでよく聖職者してるぜ」
「周りが勝手に祭り上げただけじゃよ。ムネチカの剥ぎ取り用のナイフは使い勝手が実に良い。そうさな、十本程依頼しようかのぉ。あぁ、ついでに譲渡の優先権も売っておくれ。ホレ」
といって、スニフよりも多い金額を提示した。きたないなさすが聖職者汚い。
目の前のドワーフの聖職者にハメられた気がしないでもないが金銭は金銭だ。そこに色は無い。潔く優先権を売るのが吉だろうとカランからも金を受け取る。
『良かったですね、ムネチカさん。当面、お金にも困りませんね』
「予想外の収入で俺の方が驚きだ」
『これを期に研ぎの仕事も少しでいいから受けてください。この百五十日程、ムネチカはどこにいったと騒がれて大変だったんです』
「悪かったな、これからはもう少し気を付ける」
『はい、頼みます。これで、一安心です。後、キチントオセワシテアゲマスカラ』
最後に発せられた感情が真の意味で感じられない声で寒気を覚えた。俺は、何か悪い事をしたのだろうか? と宗近は思春期の少女の心を微塵に砕いたという事実に気付かずに悩むばかり。
安堵の溜息を吐くディメアに僅かばかり違和感を覚えた。普段であらば目に見えない魔獣でさえも見逃さないディメアが疲れていただろうとはいえカナツディナソー程の大物を見逃すのだろうか? ましてや、ギルドの受付をしているディメアが、近隣でカナツディナソーの出現情報が昨日の時点で入手しているのに気を払わないだろうか?
おかしな点はもう一つある。カナツディナソーとの遭遇からわずか二分で到着する応援。幾らそれが、この都市最強クラスのスニフ達であろうとも些か早すぎる気がする…………
「ディメア、お前、まさか…………」
呟きを遠話装置が受信しなかったのか、それとも聞こえていて無視をしたのか、ディメアからの返答はなかった。本当の意味で宗近をハメたのは一体――――
酒精がやっと抜けきった体で巻き藁と対峙する。
森から帰った後は男四人でマスターの居酒屋でどんちゃん騒ぎ。それほど酒に強くもないのにしこたま飲まされた。ツケを払った上に金払いのいいカモ達まで連れてきたからか、マスターも上機嫌でいい酒を頼んでもいないのにひっぱり出してきて――――酷いお祭り騒ぎだった。
二日酔いを薬と水でなんとか追い払い、研ぎ上げた刀を構える。
怖い。
すでに四口も奇怪な刀を作り上げてしまった。そのせいか鍛錬の最中の失敗も多く、五本も切断するハメになった。その五本は研ぎあがりに傷が出たり、折り返し鍛錬の途中で空気を含んでしまい想定よりも短くせざるを得ず、結局脇差に変えたりなど些細なミスを幾度もしてしまった。炭も鉄も決してタダではない。
すぅっと息を吐き、雑念を消す。刀を打つ時同様に、刀で斬る時に雑念は不要。力み過ぎて己の足を斬ってしまっては実に無様だ。
振り下ろす。
サパリという音を立てることもなく水を含んだ巻き藁は斬れた。切れ口も満足に値する。刀身に欠けはない。曲がりもない。まくれもない。原型を見事に保っている。だが、まだだ。まだ、安心は出来ない。
巻き藁を注視する。五秒、十秒、二十秒、そして一分。何も起きない。斬った巻き藁は燃える事もなく、凍る事もなく、放電する事もない。刀が妙に軽くなる事も重くなる事もない。
巻き藁に、何も変化はない。
「完成、したのか?」
疑問形なのは仕方がないだろう。これまで幾度も珍妙な刀を生んでしまったのだから。だが、巻き藁に変化がないと分かるとふつふつと喜びが湧きあがる。四口も奇怪な刀が出来上がって、五本も切断して。その末に漸く、漸く。
心が沸き立つが、もう一度刀を八相に構える。ここは異世界、油断は出来ない。次で不可思議な事が起こるかもしれない。念には念を。二度ある事は三度あるというが、すでに四度起こった身。もう一度深く、息を吐く。
音を立てずに刀が巻き藁を斬る。斬れた。巻き藁に変化ない。
だが、宗近は不思議そうに首を捻った。先程までは巻き藁にばかり注意がいって気付かなかったのだが、斬味が軽い。刀が軽くなったという訳ではなく、予想よりも斬れ過ぎるのだ。刃が触れる先から巻き藁が自ずと解けていくような――まるで豆腐を斬るような軽い斬味。宗近の操刀技術が極端に上がった訳でもない。武術の技量というのはそうそう簡単に上がる者ではない。日々の積み重ねこそが物を言う。
ならば、一体なぜ斬味が軽いのか――――
もう一度試す必要があると。
息を吐き、振り折ろうとした時、二度も斬って散った藁が足を盗った。僅かな違い、だが藁を踏んだ足は予想以上に滑った。体は崩れ、物打どころか切先すら巻き藁にかすりそうもない。否、それ以前に足が危険だ。力を込めて無理やり刀を止める。
危なかったと、溜息を吐いたところで、巻き藁がずれた。巻き藁の上部は重力に逆らうことなくポトリと地面に…………
「は?」
刀のどこも巻き藁には当たっていない。かすってすらいない。だというのに、巻き藁は斬れている。斬れてしまっている。
「おい、まさか」
心の中に生まれた疑念は消える事がなく、腹に黒いモノが押し寄せてくる。グツグツと、グツグツと。十mは離れた一太刀目で斬った巻き藁を見据えて無造作に刀を振るった。巻き藁は、斬れた。斬れてしまった。
「はっ、ははははははははははははははははは、あはははははははははははははははははははははは」
イヴリスのように狂った笑いが漏れた。狂いに狂った笑いが、宗近の口から、顔から漏れていた。
「おのれ、おのれぇえええええ、異世界ぃいいいいいいいいいいいいい!」
狂いに狂った怒りは留まる事を知らず、宗近は刀身が粉微塵になるまで槌で潰しきった。
異世界に常識は通じない。
飛び飯綱、鎌鼬、空破斬などなど様々な呼び名はありますが、斬撃を飛ばす、これは剣士にとっての浪漫です。
浪漫ではあるが、刀自体でそれが出来ては意味がない。魔法ではなく、あくまでも技術であるからこその浪漫である。熟達どころか超越した剣の技量と斬味が鋭い名刀が揃って初めて出来る飛ぶ斬撃。それが浪漫なのです!
という訳で、その浪漫を打ち壊す刀を宗近は決して許せなかった。絶対に許せなかったのです。
まぁ、他にもきちんとした理由はあるにはあるのですが。