第五話
地面に転がり込むように回避する。耳元でヤバンナドルンドが奏でる風音が轟々と聞こえる。冷や汗が再度、とめどなく流れる。
地形を把握して武器を振るうに相応しい場所を選定。駆けだす。
『右45回避! 三、二、一!』
胸元から焦りに満ちた警告が発せられる。考える事などせずカウントダウンに合わせて指定の角度へと頭から飛び込んで回避する。
回転しながらヤバンナドンルドと眼が合った。先程まで宗近が立っていた場所を抉り取るような勢いで駆け抜けていく。血走り猛りに猛った目をしていた。
体を引き起こし、ようやく得物を引き抜く。四本の内の一つ、宗近自身が刀とは認めたくはないソレを引き抜く。
刃長は二尺一寸(約70cm)、反りは一分、重ねは驚くべき事に一分(0.3cm)を切る薄さ。樋(溝)が入っており、見た目よりずっと軽いソレ。鮪包丁のようにも見える。だが、それにしても細身だ。まるで、柳刃包丁に反りを付けてそのまま大きくしたような印象を受ける。
本来、刀工は刀に銘を切る。己の名と制作年、在住場所などといった情報を刻む。誰が何時、何処で作ったかを明確にする為だ。だが、これは刀ではない。とある目的の為に作られた刀モドキだ。というかヤクザがよく使っていた長ドスと同類だ。だが、せめて名を付けて刀と区別せねばならない。後、長ドスではあまりにも可哀そうだ。故に苦心の末に宗近はコレに名を付けている。
名を粗刀・剃刀と。
粗刀との意味は折れる刀という意味だ。これは、実に評価が低い。鈍刀と呼ばれる切れ味の悪い刀と比べても評価が落ちる。それは、何故か? 武器全般において最も評価が高い性能とは、至極単純に壊れない事だ。使っている最中に寿命でもなんでもなくただの衝撃で折れるなど本末転倒。ましてや、鞘から引き抜くときに鞘に当たった程度で折れるなど論外にも程がある。
折れず曲がらずよく斬れる。
これが刀の理想ではあるが、同時にこの言葉は優先順位を表している。第一に折れない刀が良い。その次に曲がらない刀が良い。その上でよく斬れたならば至上だという意味だ。とどのつまり刀においても折れない事こそが最も重要な事なのだ。
刀は実戦で使い続ければ血や脂で切れ味が鈍る。だが、刀独特の形態によって摩擦で幾人か切り殺す事は可能だ。その上で摩擦ですら斬れない様になれば、木刀と同じ様に使い殴り殺せばいい。切先の鋭さは刺突には十分に力を発揮する。刀は折れなければそれだけ使い道がある。
だというのに、宗近は粗刀・剃刀を作った。武器として最重要要素である不壊性を捨ててまで求めたのだ。切れ味を。
ヤバンナドルンドを見据えつつ、右足を引き、体を僅かに右斜めに向ける。粗刀・剃刀を右脇にとり切っ先を後ろに下げて構えをとった。五行の構えでいう脇構えである。
現代剣道では八相の構え共々あまり見る事のない構えだ。見る事のない構えであれば普通、有用性は無いと思いかねないが、実戦においては意味が多大にある。
そもそも剣道というモノは極論すればスポーツである。言い方は悪いが剣道というよりも竹刀道と言い換えてもいい程に。
剣道における有効打突部位は面、胴、小手、突の四種のみである。だが、脇構えから最も速く繰り出せる技は切り上げとなり、幾ら相手よりも速く竹刀を振ろうとも一本とは取れない。八相の構えも袈裟懸けにつなげやすいが、同様に一本は得られない。その為、剣道の試合においては脇構え及び八相の構えの使い手は絶無と言っていい。
だが、得物が刀である場合はそもそも有効打突部位など無い等しい。体の一部を斬られれば即行動を制限される。体のどこを狙おうともそれは有用な攻撃になる。
実戦において脇構えは柄頭を敵手に向けている為、刀の長さを測りにくい。一足一刀の間合いが掴みにくいのだ。敵手からすれば上段や中段の構えよりも攻めにくくなる。
静かに息を吐き、敵を見据える。
「おい、ディメア。あれ、巨岩みたいだぞ」
『体長約二.二m、推定体重約二百五十キロ。巨岩とは言いませんが、巨石と称して、いいでしょうね。すみません』
脇構えを崩さずに見据えた敵は想像を超える巨体を誇っていた。ヤバンナドルンドの平均的な体長が一mの体重百二十kg。目の前に正対するヤバンナドンルドはその倍以上の体格を誇っている。もはや別種の生物と称していい程だ。
ディメアの素直な言葉に宗近は溜息を吐きたい気分だったが、すでに息は吐いた後。出る空気はすでに肺の中には無い。
幾らディメアの保有する千里眼がオザールヘディエといえども使い手が人間である以上、主観が混じる。それを失念していたといってもいい。今までディメアにおんぶにだっこの状態だったツケが今になって回ってきただけなのだ。
見つめれば見つめる程、その威容が感じられる。背の毛は苔むして生きた長さを、先端が折れた牙は歴戦の佇まいを、土をかく蹄の力強さは突進の威力を。低位魔獣といえども人如きが肩を並べるにはあまりにも無謀。
「やるしか、ないか」
五十mほど離れた所で正対するヤバンナドルンドは毛を逆立たせ、牙をカチカチと鳴らしている。完全なる臨戦態勢だ。
逃げる? 不可能だ。己よりも足が速く、地形を習熟している相手にどうやって逃げるというのだ。背中を見せて逃げる事は出来ない。そうすれば即突進され、宗近の肉でプレスハムが完成するか真っ二つにされた死体が貪られるかの二択しかない。
戦って敵であるヤバンナドルンドを殺すしか宗近が生き残る術はない。
敵を観る。見るのではなく観る。剣術において目付の仕方には特定部位を注視して動きを見る方法と、全体を観て動作の起こる前の前の動作を観る方法がある。見は相手の刀や目、拳や肩、足先などといった部位から動きを察する行動だ。観は相手全体を見て事の起こりを見る技法だ。
ぼんやりと敵手だけではなく世界を見る。
風が木々の間を吹き抜ける。小鳥の囀りが聞こえる。ヤバンナドルンドを見ていると相手の呼気が変わった。攻め気になっている。
ごくりと生唾を飲みたくなる。肌に晒される殺気に偽りはない。刀工である宗近には本来関係のない代物。それが、肌に突き刺さる。勝機を求めるより他ない。
戦闘においての勝機は四つある。先の先、先、先の後、後の先という。先の先とは敵が油断していたり、裏をかかれたりしているなどの隙を見せている瞬間。先とは敵が攻撃をしかけようと意識を集中した瞬間。先の後とは敵が攻撃を繰り出している最中。敵の攻撃を防ぐか避けた直後に生まれる無防備な瞬間。これらの勝機のいずれを己が欲するかを隠し、敵が欲しているかを見抜き、裏をかくのが勝利への道筋となる。無論、各流派により細かい違いはあれど大筋は似ている。
これらは魔獣相手にも十分に通じる理論である。だが、魔獣自身はこの理論を用いない事が多い。理解していないというよりも必要がないからだ。魔獣は成体になった時点で十分な強者という立ち位置にいる。武術とはそも、弱者が強者に勝つ為に生み出された理論。初めから強者である魔獣は用いる必要のない理論なのだ。
魔獣は引けない状況で劣勢に陥るか、長く生きて知能が発達した個体でもなければ受けに回る事はない。常に彼らは勝気で、攻め気でいる。当たる前に攻撃を当てる。相手の攻撃を待ってから攻撃などと悠長な事はしない。野生であるが故、シンプルな理論を用いる。
眼前に立つヤバンナドルンドも同様に、先の先、もしくは先を求めている。受ければ一撃必敗。薬丸自顕流(示現流の流れを組む別流派)の上位互換を相手にしているようなものだ。
薬丸自顕流とは幕末の頃に薩摩藩士が使用した無類の強さを誇った剛の剣。猿叫を上げて突進し、相手を居竦ませ蜻蛉という八相の構えに似た状態から刀を袈裟切というシンプルな戦法を用いた。
シンプルではあるが…………走りよる最中には奇声を発し襲い掛かってきて、死を恐れぬ薩摩隼人が繰り出す速度と体重の乗った一撃である。十分な脅威であった。ましてや薬丸自顕流の初撃は重い。一の太刀を疑わず、二の太刀要らず、髪の毛一本でも速く打ち下ろせと教えられる程に初撃を重視していた。それを示す逸話はいくつもある。幕末の抗争では受けようとして刀ごと斬られた遺体や、巻藁の如く胴体を切断された異様な遺体も多かったという。 また西南戦争の際、薬丸自顕流の打ち込みを小銃で受けた兵士が小銃ごと頭蓋骨を叩き割られたと云う記録も残っている――勘違いしてはいけないが、二の太刀以降の技もきちんとある。武術なのだから当然だ。
新撰組局長の近藤勇をして、薩摩志士の初撃は受けるなと言わしめるほどだった。
そう称えられた薬丸自顕流の上位互換。正対していて如何に恐ろしいかが分かるだろう。
直進してくるだけならば直前に刺突を放てばよいと思うかもしれない。実際、連度の低い薩摩隼人は刺突によって敗死したと言われている。だが、前提条件が違う事を思い出さねばならない。
眼前のヤバンナドルンドの体重は推定二百五十キロ。本気を出していない状態の速さで時速五十キロ超。それに対して薩摩隼人は蜻蛉の状態を維持しつつ全力で駆けても時速三十キロを上回る事はないだろう。どんなに体格の優れた剣士であろうとも体重は百二十を超える事はない。ヤバンナドルンドは薬丸自顕流剣士の倍の下地を持つ。
直撃すればどんな重装備をしていようともタダでは済まない。刺突で待ち構えれば突き殺す前に轢き殺される未来しか待っていない。ましてや装備しているのが粗刀・剃刀だ。打ち負けるのが目に見えている。
故に倒し方は一つ。ヤバンナドルンドの突進を回避しつつ斬撃を当てるしかない。だが、ヤバンナドルンドの方向転換は素早い。衝突直前で回避する位の気構えでないと、ただ避けるだけで攻撃を当てる事は出来ない。
一般的なヤバンナドルンドの攻略方法は突進をジャンプして交わして回転切りを当てるという戦法が多い。だが、これは魔法によって肉体強化をしている事が前提である。当然、宗近は魔法が使える訳がないので、スタンダードな狩りの仕方は出来ずに高リスクな方法をとらざるをえない。
ヤバンナドルンドが蹄で土を三度かき、体を収縮させる。引き絞られた弓の様に力が解放されるのを今か今かと待っている。その収縮が破裂した時に死の奔流が解き放たれる。
来る。
踏み出した一歩目からヤバンナドルンドは最高速に乗っているかと錯覚する程に速い。静止からの急発進によって一時的にヤバンナドルンドを見失いそうになる程。
回避まで三秒。余裕はすでにない。敵手が動いたと同時に宗近は重心を左足に移す。
二秒。重心を移した左足で地を蹴る。斜め二十度に体を滑らせて重心を右足に移行。だが、まだ半身が残っている。このままでは体半分が泣き別れになるか、切り裂かれた腹から臓物が零れ落ちる未来しかない。
一秒。浮いた左足を半月の様に後ろに引く。強引な移動によって体幹が崩れかける。崩れかけた姿勢を無理やり正すように、粗刀・剃刀を切り上げる。ふわりと死の香りが鼻をくすぐった。
零秒。目前をヤバンナドルンドが駆け抜ける。僅か十数センチ先を掠めて駆け抜けていく。未だその威容は健在。だが、脇腹には一筋の切創が刻まれている。粗刀・剃刀を振り上げた姿勢の宗近とヤバンナドルンドの目線が合う。ヤバンナドルンドの目は怒りに満ちていた。
失敗した。
粗刀・剃刀は確かにヤバンナドルンドの腹に食いついた。だが、肋骨のある脇腹部分に食い込んでしまった。骨とはカルシウムで出来ているが想像以上に硬い。毛を裂き、皮膚を裂き、脂肪に阻まれつつも、肉を裂いた。だが、骨の硬さで内臓を傷つける事は叶わなかった。
否、そもそもの宗近の狙いは尻だ。イノシシや牛、鹿などの偶蹄目は尻の筋肉を断たれると立つことが出来なくなる。ライオンなどがバッファローやシマウマを後ろから襲うのはこのためだ。当然、宗近もヤバンナドルンド最大の弱点である尻を狙った。だが、僅かコンマ五秒の焦りが、この交差の運命を決めた。
骨を噛んだが為に刃先が欠けた粗刀・剃刀を投げ捨てる。肉をするりと斬り抜く事が可能な粗刀・剃刀。だが、その鋭さ故に硬く欠けやすく、刃の欠けた刃物はもはや鈍器にしかならない。その鈍器としても使用に耐えない粗刀・剃刀はすでにゴミと同等だ。
もう一本の粗刀・剃刀を引き抜く。先程と同じく五十m程離れた所にヤバンナドルンドは陣構えていた。だが、違う。決定的に違う。
眼は血走る所か、充血で白目が失せて赤い。真っ赤に怒り狂っている。
人が低危険度魔獣と定めようと、魔獣は魔獣。元より強者。人など相手どる事が愚かとしか言いようのない強者。ヤバンナドルンドには強者ゆえの自負がある。強者ゆえの矜持がある。今、宗近はその自負と矜持を最大限に傷つけた。
ゾクリを肌が粟立つ。異世界人である宗近には一つだけこの世界の人間にはない力がある。正直、あっても無くても対して変わらない力だが――それは、マナの流動が感覚的に分かるという事。集中している時に限定されるが、魔法を使う前兆を掴める。だが、そんなモノは武を納めていけば予備動作で大抵分かる。不意打ち対策位にしか意味はない。
風が吹く。宗近の頬を暴風と呼ぶべき力を持った空気が叩く。ヤバンナドルンドに向かって周囲の空気が吸い込まれるように風が吹く。溜まった風はヤバンナドルンドを中心に渦巻、威力を高めていく。もはや小さな竜巻と形容してよい程の風の暴威。本気にさせてしまった。
死の気配で充満していく。死がそこまで近づいている。
今、宗近はヤバンナドルンドの完全なる敵と認識されてしまった。
構えを捨てて粗刀・剃刀を右手だけで握りだらりと下げる。新陰流兵法(俗称は柳生新陰流)の無形の位に似ている、がそれほどに洗練はされていない。全身の硬直が溶けて切ってはおらず、まだ硬い。
この世界において生半な武術は意味をなさない。地球における武術の立脚点を考えればそれもすぐに分かるだろう。地球の武術とは人と対峙し、相手を殺して己を生かす業だ。基本が対人用の戦術なのだという事を忘れてはならない。だが、この世界における最大の敵とは魔獣。千差万別の姿を持つ魔獣が敵なのだ。ましてや魔法などといった地球にはない攻撃手段、法則が世界を覆っている。地球の概念のみで戦っていては死が待つのみ。人相手には有効な誘いも魔獣相手には通じない事が多い。
武術をかじっているぐらいならば何も知らずにこの世界の流儀を学んだ方が生き残る率はあがる。
ただ、勘違いしないでほしいが武術は決して弱い訳ではない。極めるに至ればそれはもはや一般人と同じとは分類できなくなるだけだ。合気道の故塩田剛三先生や、八極拳の故李書文先生、古流剣術の振武舘黒田鉄山先生などといった達人、名人クラスになるともはや別だ。練り上げられた技が別次元過ぎて、この世界でも当たり前の様に無双できる。この世界の英雄や勇者と呼ばれるのは枠外の存在の様に、当たり前に。
そして、鍛冶屋である青江宗近はその領域にはいない。だから、例え無様であろうとも、泥に這おうとも、習得した流儀に反しても勝つ方法を模索せねばならない。勝つ事は相手を殺すと同時に、自分を可能な限り無傷で生かす事。
風が鳴き止む。ヤバンナドルンドを中心に収縮された風は五十mも離れた宗近にその暴威を伝える。直撃したら、今度こそハンバーグの種になるほかない。
三度、ヤバンナドルンドの猛進が飛来する。だが、今度は違う。魔力を纏ったヤバンナドルンドは時速百キロを超える。しかも、徐々に速度が上がるのではなく、初速から最高速度だ。体重二百五十キロ超の巨体が、だ。分かりやすく言うのならば、高速道路を走行中の中型バイクと衝突するのと同じだ。
来たと思った瞬間には逃げる様に体を投げ出す。先程までのような戦法はもうできない。彼我の距離は変わらず五十mだが、それを踏破する時間が半分以下では思考する事すらままならない。避けきったと思ったその半瞬後、耳をつんざく轟音が森を駆け巡った。視線を移すと、大木にヤバンナドルンドがめり込んでいた。直径五mはありそうな大木が、半分近くも消失している。文字通り消失。粉塵が微かに風に乗って舞うが、抉られた幹と同質量の木材が目に見える範囲には無い。直撃すれば、ミンチでは済まない事が分かってしまう。
規格外。
今までメディアの助力を得て実質単独でヤバンナドルンド狩りを幾度もこなしてきたが、ここまで規格外は宗近も初めてだ。冒険者仲間と狩をした時も群れと相対しただけで、強大な個体と相対したことはない。
喉が渇く。緊張から動悸が激しくなり酸素を求めようと呼吸が荒くなる頬に流れる汗をぬぐいたくなる。すでに鼻が濃厚すぎる死の香りに麻痺している。体はすでに、死が目前に迫っていると理解しきっていた。
風が吹く。肌がしびれる程に強烈な風。先程と同じ様に暴威を持ってヤバンナドルンドへと集まる。また、あの砲弾めいた直進が、否、進撃が始まる。
体が硬直しそうになる。足が竦みそうになる。眼は逃げ場所を探しそうになる。耳は縋るべき何かがないか探りそうになる。肌が強張る。鼻が麻痺する。心臓の鼓動は耳の裏から聞こえる。過剰に送り込まれた酸素で眩暈を起こしそうになる。されど、死ねない理由がある。されど、敗けてはならない理由がある。しからば、勝たねばなるまい。生きねばなるまい。
ギッと唇を噛む。肺の中にある空気を全て吐き出して体の硬直を、足の竦みを抑える。眼は相手を見据えて、耳は一切を漏らさぬ様に尖らせて、肌はゆるりと力を抜いて、鼻は獣臭をかぎ取るために、ただ、耳の裏から聞こえる心臓の鼓動だけは止まらなかった。
期を待つ。先程風を纏ったヤバンナドルンドは大木にぶち当たった事によってその威力を教えてくれた。だが、もう一つ有益な情報を教えてくれた。それはヤバンナドルンドが宗近の真後ろにあった大木を避ける事無く直撃したこと。ヤバンナドルンドは種族特性として急停止、方向転換がある。だが、それが風を纏った直進では出来ていなかった。時速百キロ超の移動の中ではいかなヤバンナドルンドといえども直進しか出来ない。長所は短所と表裏一体。
脇構えと同じように左足を前に、右足を後ろに、同じく前傾姿勢に。違うのは腕と粗刀・剃刀だけがだらりと下がっている事と、重心が相手からは見えない様に右足に移っている事。先程と同じ様に見える構えを見せる。それを見たヤバンナドルンドがにぃっと笑っている様に見えた。
『来ます!』
胸に収められたプレートから再度の侵攻を告げる言葉が。ヤバンナドルンドが視界から消えた。同時に宗近も飛び出した。『左』三十度の方向へと。
今まで、何度も何度も右にだけ回避していたのはこのため。右にしか避けられない、もしくは緊急時には右に避ける癖がついているとヤバンナドルンドに見せつけていた。これは、布石。たった一度しか使えない布石。知性の乏しい野生動物相手には十分すぎる布石!
すれ違いざまに今度こそ、尻を斬り裂いてやる。意気込みを込めて体を逃がしつつ、体幹を移動させつつ鉈のように粗刀・剃刀を振り下ろす。剣術の基本である九つの斬撃にすら当てはまらないその一撃。だが遠心力と体重移動による重さ、そして相対するヤバンナドルンド自身の速さが加味され、当たれば巨漢であろうとも両断できるだけの威力が込められていた。
バキンとあり得ざる音が耳に届く。体毛、脂肪、肉だろうとするりと斬り抜けるはずの粗刀・剃刀から金属同士をぶつけたようなあり得ざる音が響く。
眼前には猛りに猛ったヤバンナドルンドの顔。鼻に届くはむせ返る程の獣臭。視線の先には無残にも根本で折れた粗刀・剃刀。
ニィっとヤバンナドルンドが嗤った気がした。
ハメられた。野生動物だから虚実を操る筈がないという先入観が、此度の交差……否、全ての勝敗を決した。突進後、ヤバンナドルンドは二歩目から急停止をかけて、粗刀・剃刀に牙をぶち当てて停止をした。粗刀・剃刀はカルシウムがたっぷりと詰まった凶器とぶち当たりその短い役目を終えたのだ。
少し考えれば分かるはずだった。長く生きた魔獣は賢い。巨石と称して間違いないこのヤバンナドルンドは幾多の戦いを勝ち抜いてきたつわもの。その巨体が、先端の折れた牙が証明していたではないか。それ程に強敵であるとずっと前から情報はあったのに、低危険度魔獣というだけで、眼を晦ませていた。
一歩踏み出せば触れ合えるほどの距離。それはすでに宗近の敗北教えてくれる。根本まで折れた粗刀・剃刀は使うことが出来ない。これならまだ刃先がかけた投げ捨てたモノの方がまだ使えた。そして、最も威力を発揮するであろう刀はまだ鞘の中。抜刀術を操るよりも速くヤバンナドルンドの牙が宗近の体を引き裂くだろう。もはや、宗近の命はない。
至近距離からの突進。僅か一歩を詰める為とはいえヤバンナドルンドの巨体から繰り出された突進をかろうじて粗刀・剃刀の柄で受けるも息を詰まらせる。二百五十を超える体重では戯れの一撃だろうとも重い。額に体を乗せられ放り投げられた。平均的なヤバンナドルンドでさえ七十kgの石を鼻先で移動する事が出来る。眼前のヤバンナドルンドからすれば宗近など赤子のようなもの。
数mを飛ばされて樹の幹に叩きつけられる。飛びそうになる意識。挫けそうになる意思。立つ事もままならない足。構える事も出来ない腰。唇をもう一度、ギィっと噛み締める。宗近の魂は未だ、諦めてはいない。弱者であろうとも研ぎ澄まされた刃を持っていれば、時に圧倒的で傲慢な強者を屠る事が可能であるのを宗近は知っている。
腰に残された二つの内、刀の鯉口を切る。宗近にとっての切り札。正当なる使用者ではない宗近が使うべきではない切り札。
古流剣術の中には居合と呼ばれる技術がある。
居という字はそもそも座した状態を表す。座した状態で短刀や小太刀などの間合いの短い武器や素手で襟元を掴まれると言った場合の抜刀の如何に関わらず対処法を元々は居合と呼んでいた。そしてその中で最たる技が座した状態からの抜刀の一太刀、もしくは敵手の武器を受け流してからの二太刀。畳に座り込むという日本独特の文化により生み出された特異な技術と言える。
座した状態から抜刀及び斬撃は酷く扱いにくい。それが出来てこそ立合での技術の精妙さが生まれると言われる程に難解な技術である。
だが、忘れてはならない。座した状態というのは剣術でいう所に最も居ついた状態であり、死に体としか言えない体勢である。故に居合とは起死回生の技術でもある。
幹に持たれていた体を起こして膝を立てる。本来、居合とは正座の形から行うのが正しい作法であるが、未熟を補う為には多少の不作法は致し方ない。
風を纏った全力突進からの急停止という無茶をしたからか、ヤバンナドルンドは風を纏うことなく宗近に向かって突き進んでくる。だが、全力でなかろうともその恐ろしさは十分に理解している。息を整える暇もなく、刀を抜き放つ。
キンと澄み渡る音が響く。中空には回転するヤバンナドルンドの所々欠けて尚雄々しい牙。振り抜いた先の刀の刃は欠ける事も、曲がる事も、まくれる事もなく威風堂々とその真なる輝きを放っていた。
抜き放った刀は冴え冴えとした光を。錵も匂いもなく、刃紋もない駄刀と評すべき程に無骨で美術的評価の欠片もないそれは、この戦場において驚くほどに美しさを表していた。実直でいて華の無い無骨さが頼もしさに変わる。透き通る程の直刃が冴えわたる斬味を物語る。
刀とは武器である。機能を追求した果てに美を得ようとも、権力と財力の象徴として使われることがあろうとも、刀はモノを殺すための武器である。
故に、中空を舞う牙は唯の証明である。刀とは優れた武器である事を。刀とは折れず、曲がらず、鉄すら容易く断つという、刀本来の性能の凄まじさの証明である。
だが、些か浅かった。否、宗近の技量が拙かったというべきか。刀本来の性能を未だに発揮しきれてはいない。鼻を斜めに斬り裂き、左目を奪うだけに留まった。
突進の勢いは留まる事はなく、血が溢れだす鼻先に押されて再度宗近は樹に押し付けられた。のしかかる重圧によって今度こそ肺の中の空気が残らず吐き出した。牙を一つ失い、鼻は半分に割れ、片目を失って尚、ヤバンナドルンドの闘志は衰えていなかった。否、傷ついた事によって更に燃え上がっている。
油断なく、圧殺しようと全体重をかけて樹に押し付けられる。
「ガァ、あああああ」
メキメキと骨の随所から音が響く。肋骨と背骨が止めてくれと悲鳴を上げる。肺の中の空気はすでになく、かすれたような音しか口から漏れる事はない。絶体絶命の危機。この状態からでは窮鼠ですら猫を噛む事は出来まい。
明滅する意識。その端で、音が聞こえた。ヤバンナドルンドが生み出した音よりも更に激しい破砕音。
気を音源の方にとられたのか僅かにヤバンナドルンドの圧力が弱まる。三所物の一つ、鞘の外側に添えつけられた小柄を親指で抜く。持ちかえ、小柄を肋骨の隙間めがけて突き刺す。小柄は刀子や小刀と呼ばれる程に小さいが、刀と同じ鋼で作られている為に十分な斬味を誇る。するりと肉の隙間を通しているかのように手ごたえがないが、根元まで小柄は刺さっていた。
途端、ヤバンナドルンドは苦しげな声を上げた。小さな武器なれど深々と刺さった小柄の痛みが僅かにヤバンナドルンドの体を浮かせた。
勝機が見えた。
刀を持つ右手で地面に手を付き、体を起こしつつ滑らせる。生命の危機に瀕していたからか、体は驚くほど滑らかに動いた。膝をついたまま居合。右袈裟に刀を振り下ろす。
僅かに骨に当たった感触が手に伝わる。だが、それすらも一瞬でするりと刀はヤバンナドルンドの頭蓋を断ち切った。今までの苦労がなんだったのかと思う程にあっさりと、ヤバンナドルンドの頭頂部は地面へと落ちた。
重く大きな音を立ててヤバンナドルンドの巨体が崩れ落ちる。斬り落とした頭頂部からは脳漿と脳と血液が止まることなく溢れ、じわじわと土の色を変えて宗近の足元を汚していく。物言わず動かない骸。如何に強大であろうとも命令を下す脳が切り落とされれれば、もはやただの骸。
刀身を見ると鍔元から少し先、いわゆる弱腰と呼ばれる部分からわずかに曲がっていた。刃先はまくれていないが、これでは鞘に納める事も出来ない。はぁっと重いため息を吐くと体中の力が抜けて、気付けば仰向けに倒れていた。その先には、見ていて気分が悪くなるほどに抜けるような青い空が広がっていた。眼の痛みに耐えきれずに左腕で目を覆う。
「剣士がいてくれりゃあ。この刀に見合うだけの剣士が…………これじゃあ、こいつがあんまりにも、憐れだ」
目元からこらえきれずに一筋の涙が、零れ落ちた。己の未熟さを呪うでもなく、この世界の不条理を嘆くのでなく、唯、彼は己の生み出した刀の不憫さに泣いた。
ほぼ地文のみの戦闘シーンを最後まで読んでいただきありがとうございます。
この戦闘シーンは、およそ五分です。どんだけ時間使ってんだよというツッコミは不可の方向で。
なお、粗刀・剃刀が完成した時には不可思議現象は起きなかったので、安心して鍛冶場を開いて刀を打ったという経緯があります。