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第三話

 

 まずは鉄について語ろう。

 刀鍛冶を語るならば、鉄は切っても切れぬモノ。鉄なくして刀鍛冶は成り立たない。鉄を知らずして、刀工も日本刀も知る事は出来ない。


 原子番号二十六、元素記号はFe。地球上で最も使用される金属、鉄。

 鍛冶に使う鉄、というよりも日常的に使用される鉄とは全て合金である。鉄元素単体で成り立つ、いわゆる純鉄というものは現代において未だ存在していない。99.9999%まで製錬された工業的な純鉄は存在すれど百%の鉄はない。ならば、普段目にする鉄という代物は一体何かと問われれば、炭素との合金だ。鉄は炭素の配合率を変える事によって硬軟を変化させることが出来る。まぁ、正確にはチタンやニッケルといった金属も極少量含有しており、近年ではステンレス鋼など、炭素をさして含有しない鋼も存在していて、理化学的に言えば鉄は化合物というよりも混合物なのだ。

 また鉄は塑性が高い。塑性というのは端的に言うと加工のしやすさだ。熱すれば容易に変形し、細く針金のようにすれば熱さずとも曲げる事が出来る。鉄というのは金属の中でも比較的融点が低く、加工がしやすい。融点の低さを競うならば、銅が上げられるが、銅というのは合金にしても鉄に比べて柔らかく、錆びやすい。それに比べ鍛造した鉄は硬く錆びにくい。千年以上前の鉄製品である刀や、黒錆釘などは現代でも使用可能なのを見れば火を見るより明らかであろう。故に歴史において青銅の武器が鉄の武器に敗れた。

 鉄は加工の自由度の高さ。安定的な供給。埋蔵量の多さによる価格の安さ。この三つによって今日においても地球経済の基幹を成している。


 鉄についての基礎知識はここまでにしておこう。では、刀鍛冶にて使う鉄について語ろう。まずは鉄鉱石から製錬されたばかりのずく。これは、炭素含有量が約四%も含まれており実に硬く、割れやすく脆い。その銑を刀工は仕入れて火床と鍛錬によって炭素含有量を削り、場合によっては増やす。銑とはいわば、刀鍛冶における原材料と言えるだろう。

 ずくを割り、小破片と炭を交互にいれ熱する事によって望む炭素量の鋼を生み出す。これを卸し金という。卸し金で生み出した鋼を組み合わせて溶かし一つの鋼とする積沸かし。それが終わると鍛錬である。鍛錬で幾度も鉄を叩く事によって頑強性が生まれる。この時に、大別して二種類の鉄をつくる。それは、皮金と心金である。皮金は炭素含有量0.3~2.0%の炭素を含んでいる。だが、ただの炭素合金として作り出された皮金は硬いが脆い。銑ほどではないにしても、簡単に割れる。モース硬度を基準に考えれば理解がしやすいだろう。モース硬度10の地球上最硬と名高いダイヤモンド。釘などで傷つけようとも傷つきにくいが、ハンマーで叩くと簡単に割れる。それと同じだ。硬い物質は、衝撃に弱いのが定め。


 刃金だけでもし、刀を作れば一度切れば折れるような代物が出来上がるだろう。そうさせないための、心金である。心金とは炭素含有量0.2%以下の非常に柔らかい鉄である。作り方としては炉の高温で回し、炭素を鉄から吐き出させる。そして、幾度も鉄を打ち、不純物を取り除く。金属とは元来、純物質に近づくほど柔らかくなる。心金を文字通り刀の芯として使う事によって刀は柔軟性を得て、折れにくくなると言われている。


 日本刀は炭素と鉄と、若干の不純金属によって出来ている。だが、そこに未知の物質が混じれば? 物理学や化学とは全く異なる法則を持ったモノが作用していれば?




「くそっ、問題が…………ねぇ!」


 鉄の試作をし続けてはや、三十八日。だが、結論は問題がないという、一番の問題のある結論に至った。

 原材料に魔石の類が混じれば何かしか、宗近の知らない超反応を起こしていると判断してナイフを幾本も制作した。だが、よくよく考えれば宗近がこの都市エディルネに来て、鍛冶屋の親方に世話になっている時にもナイフは打っていた。製錬方法や鍛錬の回数や折り返しの数などの違いはあれど、している事は究極的に言えば同じである。

 もし、鉄に混じっている魔石や魔法関連の物質が鍛造の最中に超反応を起こしているのならば、すでにそんなナイフや剣を宗近は幾つか仕上げていてもおかしくはない。だが、当時にそんなファンタジーな代物が出来上がった事はなかった。ここはファンタジーの世界だが、そんなファンタジーは起きなかったのだ。



 ナイフでは問題がない。だが、少し前に新しく打った脇差は、問題ありありだった。 親方に無理を言って魔火炉を使わせてもらったにもかかわらず、問題があった。

 試作した脇差は振りぬく途中で重量が変化し、破壊力が激増するモノが仕上がった。振る直前までは羽毛の様に軽く、当たる瞬間はバルディッシュよりも重いという実に珍妙な脇差が…………

 へし折りたい気持ちを必死にこらえて、検査の為に残した。が、いくら調べても分からない。他人に見せると厄介毎が起こりそうな気がして誰にも見せられずじまい。今は金庫に入れて厳重に封印している。

 刀を作ると途端に問題が起こる。ナイフや剣を作成した時は全く問題がないというのに。


「くっそ、分からねぇ。だが、試すしかない。また、鉄の配合を変えてやるしかないか」


 鬼気迫る形相を浮かべて宗近は炭とずくを保管している納屋へと足を向けて、唖然とした。そこにはほぼ、何もなかった。

一般的な刀は平均して一kg前後であるが、それに対して必要な銑鉄は十kgとなり、炭は最低でも百kgを要する。状況によっては更に炭を使用する。刀剣を作るというのは実に金かかるものだ。そして、刀鍛冶に大切なその材料がない。正確に言えば、一回の使用に足る量がないのだ。


「………………熱中しすぎて仕入すら忘れてやがる。あ~、そういや、前に依頼とかギルドで金を稼いだのは何時だ? ………………金がない」


 キャッシュカードの残高をみるとゼロに限りなく近い数字を描いていた。明日、明後日の食事をすれば零になりかねない程。しかも、間が悪い事に来週はローンの月返済日だ。後、非情に悲しい事にギルドの更新日も近い。ついでにいうと酒場のマスターのツケの代金も払っていない。早急に金策に走る必要があった。


「金、稼がないと…………」


 古来より、支援者のいない刀工は金策に苦心したモノである。パトロンのいない宗近はかつての刀工と同じく、金策に走った。


「くそぉ、せめてまともな刀が造りてぇ」


 彼の切実な泣き言は町に響く事はなかった。






 冒険者ギルド。

 人跡未踏の地を開拓し、時に超古代文明の遺産を持ち帰り、時に人を襲う恐ろしい魔獣を退治し、時に貴重な霊草を獲り、時に人類の危機を救う冒険者を束ねた組織。それが冒険者ギルドだと思いがちだ。が、実態はそうではない。英雄的な活躍をする冒険者など、それこそ一握りどころか爪の垢並に少なく、まともな冒険をする人間は全体の三割ほど。本職を持ちつつも小遣い稼ぎ目的の者が四割。後の残りはまともに働きく気もなく日銭を稼いでその日暮らしをしている浮浪者寸前の者達。

 冒険者ギルドに夢を求めてはいけない。英雄のような活躍をする冒険者になるのは日本でトップミュージシャンになる以上に難しい。

 冒険者そのものについても世間一般からの評判はすこぶる悪い。だが、それでも冒険者ギルドが潰れる事はなく、冒険者を志す若者は絶えない。


 冒険者ギルドは都市における雑事及び、兵士がこなせない周囲の定期的な魔獣の狩りという重要な仕事を請け負っているからだ。また、燦然と輝く英雄譚にあこがれる者や、田舎暮らしに耐えきれずに一旗揚げようとする若者も絶えない。故に、冒険者ギルドは悪評が幾ら立とうとも、潰れる事はない。

 現代でいうのならば、グローバル化に成功した玉石混合の社員を擁する派遣会社と思えばいい。



 日中は常に開け放たれた冒険者ギルドの扉をくぐると猥雑としていた。さもあらん。先程述べたように冒険者というのはほとんどがチンピラだ。公然と悪事を働くような輩はいないが、薬に手を出している者達や、新人をいびり倒すような者も当然のように。

 その中を宗近は受付へ向けて平然と歩く。もうこのギルドに通ってほぼ五年。さすがにこの空気には慣れ、顔見知りも随分と増えた。無駄にちょっかいをかけてくる者達もいない。宗近が筋骨隆々の強面だからという理由もあるが。


 歩くだけで様々な噂話が耳に入ってくる。どこそこの料理店のウェイトレスが可愛いとかどこそこで安売りをしていたとか、この前、首都の方からエロイ聖職者がやってきたとか、近隣でカナツディナソーが出たとか。だが、その雑然とした情報は今はいらない。いるのは金だ。


 一際、人の少ない受付。そこには輝くような赤銅色の髪と小麦色に焼けた肌が美しいぱっと見活発そうな少女がいた。パッと見では…………よく見ると、否、見なくても顔の表情筋が驚くほどに動いていない事に気付く。ほぼ無表情。何を考えているのか表情から読み取る事は不可能ではないのかという程に動かない。宗近が眼前に立っても表情は一ミリも動かない。

 瞳はエメラルドの様に深く碧い。顔立ちは端麗。無表情と相まって人形のようにすら見える。だが、彼女は置物ではない。その僅かな、ほんの少ししかない、微乳がある胸が僅かに上下している。今後の成長に期待は、悲しい事に出来ない。


 愛想の欠片もない少女の胸元にはディメア・カプランというネームプレートがしっかりと輝いていた。


「お久しぶりです、ムネチカさん。百十八日ぶりですね」

「おぅ、久しぶりだな、ディメア。ん、そんなに会ってなかったか?」

「はい。工房の改装が終了してから嬉々として工房に引き篭もって以来だと記憶しています」

「…………引きこもりって言い方が悪いぞ」

「百十八日前から一つでも売れましたか?」

「…………それどころか、満足いくモノは一つとして仕上がってねぇな」

「そうですか。生産性の欠片もなく、篭もっていたのなら引きこもりと変わりはないかと」

「………………相変わらず、辛辣だなぁ」

「私は事実を述べただけです」


 毒舌を毒舌とも思ってもいないのだろう。人形じみた容姿に反して、口はよく回っているが表情はやはり1ミリも動いていない。一部の業界において人気を博しそうなぐらいの無表情ぶりである。

 ディメアの暴論めいた正論にぐうの根も出ずに宗近は黙らされた。冒険者ギルドの受付嬢として、それ以外の付き合いでも3年も交流があるが、一度として宗近は口でディメアに勝てた事はない。宗近の半分ぐらいしか生きていない少女ではあるが、勝てない物は勝てないのである。


「それで、当冒険者ギルドに如何様でしょうか?」

「あ~、ちと金が尽きてよ…………」

「なるほど、お小遣いの無心に来たのですね。分かりました、十万テュルクでいいですか?」

「仕事の紹介だよ! 誰が金の無心をしに来たってんだ! おい、お前ら、少女に金を貰うなんて、ヒデェヒモだな、みたいな目で見てんじゃねぇ!」


 周囲にも聞こえていたのか、激しく白い目で見られた宗近が怒髪天を衝くかのように怒りを顕わにし睨みつけると、白い目をしていた者達は一斉に目を背けた。尚、一テュルクは日本円で、ちょうど一円である。


「俺が一度だって金の無心をした事がお前にあるかよ。だいたいお前、まだ十七だろうが」

「はい、そうですが、貯金額が五千万テュルクあります」

「…………お前、何してそんなに稼いだ。特殊技能持ちとはいえ十七のガキが持てる金額じゃないぞ」


 己の半分しか生きていない少女が結構な額を貯金している事実に宗近は戦慄いた。明らかに真っ当な方法では稼げない。

 余談ではあるが、宗近がいる国、テュルキエの都市部ではスラム民でもない限り六歳から十五歳まで義務教育が課される。その事を考えれば尚の事。先物取引か株で大儲けでもしない限りは、幾ら比較的高給取りであるギルド受付嬢といえども貯められる金額ではない。


「内緒です」

「………………いや、まぁ。だよな。つか、あれだ。ガキの貯金の仕方を聞いても情けねぇだけだ。それより、ディメア。仕事だ、仕事。俺が出来る仕事をくれ」

「分かりました」


 宗近本人に自覚はないが、軽く侮辱しているにも関わらずディメアの表情はやはり変わらない。いつもの無表情のままごそごそと引き出しを漁って一枚の紙を取り出した。


「では、これを」

「あぁ、あんがと――――って、これ前に断ったヤツじゃねぇか! 一週間以内に二十本研ぎをこなせだと!? 俺は研ぎ屋じゃねぇって言ってるだろうが!」


 先程と同じ様に憤懣やるせないいった顔つきで依頼書を受け付け台に叩きつける。

 文面には宗近が叫んだ通りに書かれている。しかも悪辣な事に、期間内に仕上がらない場合、罰則として以後月に三十本研ぎをこなさなければならないというありえない条件が記されている。ギルドという半ば公職が詐欺まがいを働いていいかはこの際考えなくていい。契約が結ばれればそれは、見落とした側が悪いのである。

 一週間以内に研ぎ二十本と言われるとさして問題もないような数に思えるが、不可能だ。この世界は科学の代わりに魔法が発達した。だが、科学と魔法が合体した魔科学と呼ばれる物はあまり発展してない。魔法を動力として機械もあるにはあるが、あまり流行ってはおらず必要となる金銭も随分と嵩み、一般的な鍛冶工房でも手が届かない。故に研ぎをする場合は魔法でぱっと雑に磨くか、手作業をするほかない。そして、当然の如く、宗近は魔法が一切使えない。

 これがちょっとした切れ味の鈍っただけの代物なら可能だろうが、この世界は剣に切れ味を求めていない。故に渡されるのは大抵、刃こぼれが酷い代物ばかり。一日一本仕上げられれば良いといった具合になる未来が容易く想像できる。


「ムネチカさんの研ぎの腕は確かですから。後、作られる品では剥ぎ取り用のナイフは評判が高いです」

「俺は鍛冶屋で刀工だ。研ぎ屋じゃねぇし、ナイフ専門じゃねぇっていってるだろうが」


 無表情ながらも惜しみない賞賛の言葉を向けられ、宗近も嬉しくはない訳ではない。嬉しい事は嬉しいのだ。だが、研ぎは本職ではなく、ナイフ職人ではない。あくまでも彼は至高の刀を求める職人。求道者だ。研ぎも重要な仕事とはいえ、研ぎだけを評価されて、それを生業とするわけにはいかない。そんな事は宗近の魂が許しはしないのだ。

 だが、宗近の心情は別として、彼の研ぎの腕と彼の製作した剥ぎ取り用のナイフの需要は非常に高い。それは、この国が剣を使用している事に起因している。剣とは押して切る物であるが故に、剥ぎ取りなどの斬る行為には実に向いていない。よく斬れてしかも頑丈という宗近作のナイフは実に評判高く、店頭に並ぶと同時に即座に完売する始末となっている。

 また、研ぎについてもそうだ。剣には斬る上での鋭さを必要としないせいか、専門の研ぎ師が存在しない。武器の研ぎは、販売した鍛冶屋に頼むのが常識である。その鍛冶屋の研ぎにしても欠けと歪みを直すのがせいぜいで、切れ味を向上させるような研ぎ方を知らない。周囲の腕があまりにも低いせいで宗近の研ぎの腕は神の如く崇められている。

 反面、良くわからない剣を作ろうとしている変人としても評価が高いが。


「では、こちらはどうでしょう。年間二百本研いで、百本の剥ぎ取り用のナイフを納入して貰えれば以後ローンはギルドで請け負います。きちんと仕事分の賃金も支払いますよ?」


 お得でしょう? とばかりの言葉だが、やはり表情は動いていない。笑顔が浮かべていない為に余計に胡散臭い。


「却下だ、却下。つか、なんで俺にそんなに研ぎをさせたいんだ」

「上からの命令です。個人的にはこういう仕事の押し付けはよくないとは思うのですが」


 はぁと不満を滲ませて物憂げな溜息をつくディメア。この日初めて表情が変化し、ここ数か月ぶりに表情筋を動かした事による動揺はギルド内に走り抜けた。この人形姫が表情を動かした事を初めて見る者さえいただろう。それ程まで貴重なシーンである。だが、そんな事には興味がないのか宗近は驚きの表情すら浮かべていない。世事に疎く、半ば世捨て人じみた生活をしているせいか、女人の変化に感動を生まないようになってしまっている。


「お前もお役所仕事に染まったなぁ」

「意味は違いますが、朱に交われば赤くなるモノです。それで、今更ですが如何ほど金銭は必要なのですか?」

「あぁ、ローン分とギルド更新料と各種税金、後は来月分の生活費だな」

「貯蓄ゼロ?」

「イエス」

「………………」


 三十二歳、一人やもめの崖っぷちぶりに無表情が売りのディメアもさすがに目頭を押さえた。そろそろ社会的に安定しそうな年齢だが、この男の崖っぷちぶりはヤバすぎる。


「それなりの額を貯蓄していた記憶があるのですが…………慎ましく生活すれば三年は何もしなくていい額だったはずです。それをたった数ヶ月で溶かしたと。しかも次の月の食費にすら困窮するまで溶かしつくすと。結婚でもして財政管理をしてもらうのが一番の近道ではないですか?」

「…………つったってももうすでにこの年齢だしな。寄ってくる女なんぞ、もう詐欺師ぐらいだろ」


 はぁ、と地味に切ない言葉を発して溜息をつき、同時に周囲からも同意するような溜息が漏れる。

 この世界、平均寿命と結婚年齢が日本に比べて低い。医学は日本同様に非常に水準が高い。いや、下手をすれば一部分に関しては日本よりも高い。死んでさえいなければ治す事ができ、部位欠損すら治療できる。無論、極一部の治癒術師に限られるが。

 だが、そんな世界であろうと魔獣という人間を超越した存在によって医術の発達具合など台無しになる。死ななければというが、高位の魔獣に遭遇すれば民間人どころか、下手な冒険者でさえ即死。人はこの世界で多数を占めているが、決して食物連鎖の最上位に立っている訳ではないのだ。

 そんなお蔭で平均寿命は六十歳を切る。日本に比べて短く、それに付随して結婚年齢も低い。男であればどんなに遅くとも三十路までに、女の場合は二十五歳までに結婚する。


 宗近も日本においてはまだ、ギリギリ、恐らく、大丈夫な年齢だが、この世界ではもはや結婚適齢期を過ぎた独身貴族扱いだ。


「種さえ無事なら結婚は可能だと思いますが?」

「子孫を残すだけならな。養ってく土台がなきゃ、申し出なんかいないに決まってるだろ」


 現代日本にも通じる世知辛い事情は世界が違っても変わる事はない。宗近の漏らした言葉に涙ながらに同意している者が結構な人数いたのが、実に物悲しい。

 だが、溜息を吐いてはいるが宗近自身は大して気にしていない。この男にとって生きる意味は子孫を残す事でもなく、人並みの幸せを求める事でもない。至高の刀を作る事だ。生きる意味がある男は実に強い。


「…………そうですか。それはともかく、一心不乱に剣を打ち続けたせいで金銭感覚及び日数感覚が狂いに狂い、現状という訳ですね。馬鹿ですね」

「剣じゃねぇ。刀だ」


 あからさまに不機嫌な表情で訂正を入れる。周囲から、反応するのはそこなんだという驚きの視線が集う。だが、この男にとって馬鹿扱いよりも刀をを剣と言われる事の方がよっぽど耐えられない。まさしく刀馬鹿である。


「剣――――」


 ついつい剣と言ってしまうと実に恐ろしい目でディメアは宗近に睨まれた。この世界最強種エイダーもかくやとばかりの視線。刀を剣と間違える事は彼の前では決して許されない。それは、魂の愚弄と同義。殺意に染まった視線にギルド内の温度が少し下がったようにも感じられる。遠巻きに見ていた男共はこぞって後ろに下がり、正対しているディメアはいつもと変わらない無表情を貫いていた。


「刀の試行錯誤の最中に小剣やナイフなども打たれたのですか?」

「あぁ、二十本ばかし打ったな」


 危機は脱した。冷や汗を流す者が多数いる中で、ディメアはやはり変わらずいつものように会話を続けている。凄まじい胆力だ。

 宗近が試行錯誤の結果に試し打ちで作り出したナイフ。それらは当然、試行錯誤の品とはいえ売りに出せる代物だ。しかも、宗近が打った剥ぎ取り用に使える代物ともなれば、買い手が殺到する。その嫌な事実を思い出しつつも、これで何とかなると宗近はそっと安堵の溜息を吐いた。


「では、その二十本はギルドで買い取ります。ローン代と更新料はこれで賄えますね」

「ボリすぎじゃないか?」

「即金が必要なのでしょう。更新料で保険を削れば、後は何とかなりますが。どうします?」

「いや、健康保険も休業保険も全部加味されてるからな。外すと何かあった時ヤバイ。後の分は依頼で稼ぐ」


 ギルドが行っている保険はそれなりに優秀である。怪我をした際の治療費の割引、治癒術師の紹介、リハビリ中には些少ではあるが生活費の補填などなど、まともに冒険者をする様な人間には大好評の保険のラインナップである。だが、高い。年間十万テュルクでしかも一括払い限定である。死亡率の高い冒険者家業である。基本的に支払いは一括以外認められていない。全体的に死亡率が高い世界なので基本的に買い物は分割支払いという概念が薄い。よっぽど大きな買い物でも担保がある場合のみに限る。


「……ムネチカさんに相応しいとなるとヤバンナドルンド肉の調達がよろしいかと」

「また、あれかよ。いや、確かに手頃なんだが…………シシ狩りかぁ」


 冒険者を初めてからほとんどがヤバンナドルンド狩りを行ってきた宗近だ。さすがに飽きからか、ため息も漏れてくる。後、地味に危険度が高い。


 ヤバンナドルンド。四足歩行型の魔獣で、牙は天に向かって鋭く伸び、草を食べるのを好み人里に現れては作物を荒らしていく。草を好むが肉も食べる事もあり、時に大きくなりすぎたヤバンナドルンドは人すら食べる。また、警戒心が強く、罠の類には滅多にかからない。そして、恐るべきはその突進力だ。身に纏う魔力が作用し、砲弾と化して突撃してくる。直撃すれば樹齢五百年を超えるような大木であろうともへし折れ、防御手段を持たない者が直撃すれば人間ミンチが出来上がる。厄介ではあるが、積極的に人を襲う事が無い為に低危険度の魔獣と認定されている。まぁ、ようはイノシシだ。

 農家さん以外にとってはさして気にかける事はない魔獣ではあるのだが、昨今、ヤバンナドルンドの幼体が可愛らしい事から餌付けする人間が増え人に慣れてしまったヤバンナドルンドが街中を荒らすという現代日本と同じ害に遭遇している――なんて事はなく、純粋に食用や薬用にと利用価値が高いが故に狩の依頼がある。


 この世界、どの生物も心臓や肝臓には魔力を多く含み、それらを煎じる事によって魔力回復薬や肉体用の回復剤が作成される。ヤバンナドルンドの心臓と肝臓で作られた魔力回復薬は脅威度が低い割には品質が高い事からも人気だ。また、肉は非常に美味で、特に生後三か月以内の子ヤバンナドルンドは肉も柔らかく臭みが一切ない為、高級レストランでも使用される程。成魔獣のヤバンナドルンドであっても、格は落ちるが十分に美味であり、少し贅沢な夕餉を作るのに重宝され、需要が尽きる事はない。

 だが、前述のように捕獲が非常に難しく、むやみに傷をつけたり、魔法で攻撃すると肉質が落ちるので狩り方が難儀を極める。その為、非常に高額な依頼ではあるが依頼主を満足させる品を卸す事が少なく、減額されることが多発している。


「それで行くしかないかぁ。短期間で効率よく稼ぐとなったらこれしかないもんなぁ」

「エイダーでも狩れば、一攫千金。死ぬまで働かなくて済みますよ?」

「馬鹿いえ。この世界最強相手に、ただの鍛冶屋である俺が敵う訳ないだろうが」


 ヒラヒラと手を振りながら諦めに似た嘆息を吐く。宗近もエイダーに敵うとは思わない。というよりも、高危険度の魔獣どころか中危険度の魔獣にすら勝てないという事は理解している。だが、生涯、金銭に苦労せずに至高の刀を求め続けるというのは胸が躍る。ディメアももちろん、宗近がエイダーを狩ろうとするはずもないという事は分かっている。この男には英雄願望はない。彼は冒険者という仕事をしながらも、職人だ。危険を冒そうとしない事は彼女も重々承知。まぁ、だからこその、彼女の冗談なのだが。



 エイダー。龍種の中でも特に力を持ち古から生きる天災と同義の化け物中の化け物――――人型の種族で敵う者などいない。それこそお伽噺に出てくる英雄や勇者か、その反対の性質を持つ魔王ぐらいのモノだろう。その域までいくと、それはもはや人類とは呼べない。人型の別種だ。

 エイダーの特徴は高名な剣匠の仕上げた武器であろうとも弾く鱗、あらゆる魔法を無効化出来る程の圧倒的魔力。巨体から繰り出される打撃に、鋭い牙に爪。止めにブレス。そして、人類よりも遥かに蓄えこんだ知識と知性。エイダーは純粋に強い。特殊な能力などそれこそブレスぐらいなモノだが、スペックの桁が違う。次元が違うと感じるレベルだ。

 故に、そんなモノに勝てる人間を人はいつも英雄や勇者とたたえる。


 だが、だが、そんな圧倒的な化物すら切り裂ける刀があれば…………


「どうかされましたか? 随分と、その、イイ笑顔を浮かべてましたが」

「ん? なんか変な顔してたか?」

「えぇ、とても楽しそうな顔をしていましたよ。まるで、シャブ断ち三日目でついつい手を出してしまって悦に浸っている中毒者のような顔でした」

「例えがいやに具体的な上に、酷いな」


 だが、ある意味でそれと同じか、それ以上に荒唐無稽な話だと、僅かに苦笑を浮かべる。

 エイダーを切り裂ける刀を打つことが出来れば…………と胸を熱くときめかせる。無論、そんな刀を打ち上げたとしても宗近ではエイダーに勝利出来ない。確実に。生半な腕を持つものではエイダーとは対峙する事すらできない。地力が違い過ぎるのだ。だが、これより生まれ出ずる英雄に華を添える事が出来れば。それが、折れず、曲がらず、よく斬れるという刀工にとっての理想すら超越した幻想を実現できれば…………と。

 彼は骨の髄まで刀工である。冒険者として日銭を稼ごうとも。


「妄想に浸るのは終わりましたね? それで、サポートはどうされますか?」


 刀工にとっての夢をばっさりと妄想と切り捨てられちょっぴり傷つく宗近を気にかける事無く、ディメアはあくまでも事務的に無感動に受付嬢の仕事をこなす。理解者が欲しい、と心から宗近は思った。


「金欠なんだが…………」

「死にますし、それ以前に依頼なんか達成できませんよ」

「それなんだよなぁ」


 はぁっと今日幾度目になるか分からない溜息を宗近吐く。

 冒険者ギルドのサポートシステム。金銭さえ払えば、仲介者となり必要な人員の紹介及び貸与などをしてくれる非常に優れたシステムだ。金銭さえ払えば。


 宗近という男は、能力値全てを刀鍛冶関連に全振りした、大馬鹿である。それ以外の事など全くできない。料理は作れない、掃除も出来ない。金銭管理も出来ずに、スケジュール管理もずぼら。剣術が多少扱える程度で、狩りの技能など全くない。ここまで聞くと本当に鍛冶以外はダメな人間だと思うだろうが、その通りだ。宗近から刀鍛冶を奪ったら本当に何も残らない。それ位に、一点特化した男である。


「…………命には代えられんからな、いつも通り頼むわ」


 ガシガシと年頃の少女からすれば些か強めに宗近はディメアを撫でた。幾ら心を抉るような事を平気で口にし、表情を一切変える事もなくちょっと人形じみてはいるが、少女だ。宗近にとっては四年も前からよく見知った少女だった。だから、いつものように宗近はディメアを撫でた。彼女の表情はやはり変わらない。


 一しきり撫でて、勝手に満足した宗近は背を向けてギルドホールを抜ける。故に、彼は気づくことはない。

 宗近の背を見送る、野菊の様に目を凝らさねば分からない程の小さく淡い笑みをディメアが浮かべている事を――――宗近は気づかない。




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