第七章 下された罰
哀れな母マリアーナの起こした罪の半分を受けると決めたエレミアは《青の聖女》として儀式に臨み、地上に残されていた最後の神の子イマームの呪いを受けて青い魚へと変わります。エレミアを助けようと真水を探すマリアーナは…。
やがて夜が明け、朝早くから神殿内には慌ただしく人々が駆け回っていた。新しい《青の聖女》に時代が変わったと世間にアピールするための大事な儀式だ。国一番の権力を誇るためにも盛大に執り行う必要がある。一方、神殿の外では昔国中で評判になった神秘の娘がとうとう《青の聖女》に選ばれたというので大勢の民衆が見物しに集まって来ていた。それまではすっかり彼女の存在を忘れていたというのに・・・。
別室ではエレミアが鮮やかな青色で染められた衣装に着替えさせられていた。髪や耳・腕に様々な装飾具が付けられ華やかさを増している。整った小さな唇には薄桃色の紅が引かれ、額と手の甲には巫女の印である紋様が描かれていた。平民の娘とは思えないくらい凛とした態度が周りの女官を驚かせた。その傍らで涙目にエレミアの母、マリアーナが嬉しそうに娘の晴れ姿を見守っていた。長い回廊を通って母に連れ添われながら、いよいよエレミアがお披露目の会場に出ることになった。バルコニーの前には大勢の民衆が押し寄せている。大きな冠を被った法王ソドムは巫女を迎えるべく壇上の上で待ち構えている。神殿には不似合いな楽団がファンファーレを鳴らし、すっかりお祭り騒ぎだ。彫刻を施された巨大な扉がゆっくりと開かれ、大聖堂に《青の聖女》エレミアが悠然と姿を現した。歓声が起こり、さすがのソドムも一瞬《青の聖女の》神々しさに萎縮した。これが本当にあの貧しい暮らしをしていた平民の娘なのか、疑いたくなるような心境だ。
「《青の聖女よ》。ここへ。」
ソドムが促して、エレミアは法王のいる壇上の下へ歩み寄った。目の前には真っ白な布が張られた長い階段が続いている。その頂上の座に大神官ソドムがいた。白い衣に身を包んだ見習巫女たちに誘われ、一段ずつエレミアは階段を上っていく。頂上に差し掛かると青衣の少女は階段下の母マリアーナを振り返った。
「どうした?《青の聖女よ》。儀式はもう始まっているのだぞ!」
背後でソドムが囁いたがエレミアは構わなかった。
「これがあなたに送る最後の言葉です。どうかこの意味に気付いて。いつか闇を晴らし光のある国へ昇って下さい。あなたに真実の幸せが訪れますように。」
大聖堂にエレミアの声が響き渡った。マリアーナは訝しげな顔をしながら娘の名を呼んだ。
「エレミア、何を・・・?」
「さようなら、お母さん。」
少女は目を閉じると天空に向かって両腕を伸ばした。
「貴方がたが命を奪ったのは最後の神の子。天上と地上の絆はもはや絶たれてしまいました。私たちは罰を受けなくてはなりません。」
エレミアの言葉が終わったと同時に頭上に現れたのは光を放つ美しい少年だった。マリアーナにとっては忘れもしない、命を奪ったあの青年だ。
「エレミア!おやめ!」
予感がしたのか、とっさに母親が叫び声を上げた。娘を追って階段を必死で駆け上がり始めた。
「私は水神の子イマーム。これまで貴方がたに水の祝福を授けてきましたが、我が命が奪われたことによりこの地に呪いがかかりました。これを克服するには、貴方がたが行いを改めなくてはなりません。もしこの大地が欲望に満たされた時地上から全ての水が失われるでしょう。」
イマームはそう予言するとエレミアの元に降り立った。マリアーナがやっと長い階段を上ってエレミアの元にたどりついた途端、少女の体は光に包まれ一匹の青い魚へ姿を変えた。
「ああっ・・・!」
驚いて母は声を上げたが、床で跳ねる魚を見て慌ててそれをすくい上げた。魚に姿を変えたとは言っても自分の娘には違いないのだ。このまま床に放っておいたら死んでしまう。後ろでソドムが何か叫んでいたがマリアーナの耳には届いていなかった。巫女たちの悲鳴が聞こえる。だがそんなことに構っている暇はなかった。一刻も早く娘を水に入れてやらなくては。しかしどういうわけか、あるのは酒や料理ばかりで一つも水が見当たらない。水瓶の中は全て空となり井戸には砂が溢れていた。
「ああ、誰か水を・・・!娘が、娘が死んでしまう!」
悲壮な声を上げるが誰もそれを気に留める者はいない。それより神殿の騒ぎに気をとられ、皆そちらへ向かって走り去って行った。
「お願い、水を。水を分けてちょうだい・・・!」
何度も転び、娘の体に傷が付かないよう庇いながら母は街を走り続けた。酒や油、香水は豊富にあるのにどうしても真水を見つけることは出来なかった。乾いた空気の中で、青い魚になった娘はやがて母の手の中で動かなくなった。
「エレミア!」
涙で娘の姿が見えなくなるほど母は大粒の涙を流した。涙が青い魚の上に幾度と無く落ちたが、娘の体は決して動くことはなかった。
「魔女だ!その女は神を殺した大罪人だ!」
神殿からやって来た衛兵とソドムが現れ、マリアーナに矢を放とうとした。その瞬間、突然激しい砂嵐が巻き起こり母と娘の姿を覆い隠した。しばらくすると嵐は止み、辺りは嘘のように静まり返っていた。女が恐る恐る顔を上げてみるとそこにはもう誰もいなかった。マリアーナは動かなくなった青い魚を両手に抱いたままその場から動こうとはしなかった。ただ娘の名を呼んではしきりに泣きじゃくった。
(せめてこの涙が泉に、湖になれば・・・!)
悔やみ切れない思いを胸に、いつまでもいつまでも何時間も何日も泣き続けた。その度に涙は砂の上に落ちてたちまち地中へと吸い込まれていった。吸い込まれた涙と同じようにマリアーナの頭の中を、娘の姿が浮かんでは消え浮かんでは闇へと消えた。
(そう・・・、そうだったのかい。いくら綺麗なドレスや宝石があっても、大きなお屋敷に住んでもお前には本当の幸せじゃなかった。エレミアにとってあの神殿での生活は水の無い魚と同じだったんだね・・・。)
朦朧とする意識の中マリアーナは心の中でそう呟いた。大切なものは無くしてからようやく気付く、そんなものなのかもしれない。
・・・・それからいったいどれくらいの時間が経ったのだろう。意識を失っていたマリアーナは、手に当たる冷たい感触に驚いて目を覚ました。水だ。抱いていたはずの青い魚・・・、エレミアの姿が何処にも見当たらない。
「これは・・・。」
母が流し続けた涙が泉になったのか、それとも娘が罪を許して泉を出現させたのか。・・・それは謎だった。しかし、泉を見てマリアーナの心が少しだけ癒されたのも事実だった。
―これ以後この泉は『謝罪の泉』と呼ばれるようになり、砂漠の中にあって枯れることなく多くの旅人の渇きを癒したと言う。そしていつしかこの土地を『約束の地』と呼ぶようになった。