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第五章 狂い出した運命の歯車

エレミアとイマームの結婚に反対する母マリアーナは、街の最高権力者ソドムのもとへ《青の聖女》としてエレミアを引き渡そうとしますが…。

 しばらくして母の帰りを待つ二人が見たものは、華やかに着飾った母親の姿だった。かつて裕福な商人の妻として暮らしていた頃のように、艶やかな衣装に身を染めている。頭上に結い上げられた髪には宝石の散りばめられた髪飾りをしていた。いくら教会への参拝者が増えたとは言え、寄付金でそんな贅沢ができるわけはない。

「お母さん、どうしたの。その格好はいったい・・・。」

母のあまりにも急な変貌にエレミアは愕然とした。

「エレミア!あたしたちはもうこんな薄汚れた部屋で暮らさなくてもいいんだよ!だってお前はこの街の最高権力者ソドム様に見初められたのだから!」

マリアーナの頬は赤く高揚していた。よほど何か嬉しいことがあったと見える。だが、ソドムに見初められたとはどういう意味なのだろう。エレミアは怪訝な顔で、

「何を言っているの?お母さん、私好きな人がいるの。イマームと結婚してこの国を出るつもりです。だからお母さんも一緒に行きましょう?」

と答えた。マリアーナの顔はみるみるうちに険しくなって思わず声を荒げた。

「バカなことを言ってるんじゃないよ!ソドム様のもとに行けば、あんたは女王様みたいな暮らしだって出来るんだよ!それをそんなどこの馬の骨とも分からない男に嫁いで、どんな危険があるかも分からない異国で苦労して暮らすって言うのかい!」

昨日の母とは違う、別人を目の前にしているような気分だった。貧しくとも歯を食いしばり、一緒に耐えてきた母がこうも脆く富という誘惑の前に崩れ去ってしまったというのか・・・。そうさせたのは誰なのだ?

「それでもいい。この人には真実の心があるもの。」

動揺を隠せなかったが、それでもエレミアは自分の正直な気持ちを母に訴えた。

「あたしは行かないよ。第一この年になって異国を旅したあげく、またあの地面を這うような惨めな生活をしろというのかい?今、ここにはこんなチャンスがあるっていうのに!」

母に娘の言葉はまるで届いていないようだった。立ち眩みを覚え、よろめいたエレミアをイマームが背後からそっと支えた。

「お母さんは西の大神殿の法王様が何て言われているか知ってるの?」

少女は青い顔で母に尋ねた。

「ねえ・・・、物事を悪く考える事はないんだよ。ソドム様はあんたを《青の聖女》にしたいとおっしゃってるだけなんだから。一般庶民のあたしたちには、この上ない名誉なお話じゃないか。」

《青の聖女》・・・、本当にそれが目的なのだろうか?昔まだ父が生きていた頃に西の神大殿の式典でソドムを見たことがあったが、とても聖職者のようには見えなかった。彼の周りに赤黒いモヤが見えて、ひどく嫌な感じがしたことだけは覚えている。そんな男の元へ行けというのだろうか。

「エレミアはあなたが心配なんです。」

言葉を失った少女の代わりにイマームが口を開いた。

「確かにあなたの言うように苦労するかもしれません。ですが僕は彼女を大切に思っています。―結婚を認めてはもらえないでしょうか。」

少年は至って冷静な姿勢を崩さなかった。エレミアも真剣な眼差しで母を見つめていた。二人の意思が固いことを悟ったのか、マリアーナはそれ以上話すのを辞めると今度は突然穏やかな声で少年に言った。

「そこまで決心が固いのなら仕方が無い。でも私自身気持ちの整理がまだすぐにはつかないから一日だけまってくれないかい?落ち着いたら明日ゆっくり二人の話を聞くよ。」

少年は素直に頷くと

「では、明日の朝出直して来ます。突然お邪魔して申し訳ありませんでした。」

と礼儀正しく答え軽く会釈をして部屋を出た。イマームは粗末な身なりをしていたが、街や村の人には無い礼儀と気品があった。マリアーナも正気の時なら彼の本質を見抜けたかもしれない。森を行く少年の背後を追う者があったことなど、彼もエレミアもまだ気付いてはいなかった。西の大神殿では、ソドムが大きな杯で高価な酒を湯水ように飲んでいた。その表情は何か企みに満ちた笑いを浮かべていた。


 翌朝嫌な夢を見て目を覚ましたエレミアは、ふと隣のベッドに母の姿が無いことを知った。シーツが冷たい。部屋を出て随分時間が経っているようだ。同じ部屋にいてマリアーナが娘に声もかけずに外へ出て行くことは珍しかった。昨日の今日だけに、言い知れぬ不安が彼女胸を過った。それに心なしか外が騒がしい。

「大変だ!井戸の中で人が死んでいるぞ!」

遠くでキートン牧師の叫び声がして、エレミアも慌てて外へ飛び出た。井戸は教会から少し離れた場所にあったため、誰が死んだのかはすぐには分からなかった。

「エレミア!来なさい!」

牧師が青ざめて少女の名を呼んだ。

「何があったんですか?キートン牧師。」

訳が分からず呼ばれるままエレミアは井戸へと走った。キートン牧師は初めて会うイマームを快く迎えてくれた唯一の人物だった。彼を慕う子供達も後から必死で駈け寄って来る。井戸から引き上げられたのは美しい少年だった。まるで眠っているように穏やかな表情だ。外傷はない。恐らく毒殺だろう。

「イマーム!」

エレミアは両手で顔を覆って叫んだ。悪夢の続きを見ているようだ。何故こんなことに・・・。

「やはり昨日君と教会を訪れた少年だったのか。わたしも水を汲みに来てまさかと思ったが・・・。」

キートン牧師はその場に泣き崩れる少女を見て、労わるように彼女の肩をさすってやった。

(イマームが殺された。・・・誰に?)

襲う目眩に耐えながらエレミアは必死で考えた。先の件でソドムがこの事件に絡んでいることは間違いなかったが、誰がイマームをこんな目に遭わせたのか。・・・姿のない母のベッド・・・。まさか・・・?薄らぐ意識の中でエレミアはイマームの手に握られている珍しい石に気がついた。

「これは宝石・・・?昨日お母さんが見につけていた髪飾りと同じ・・・。」


 商家の生まれのエレミアはこうした宝石類には少し詳しかった。本物の石の見分け方など、昔父イザヤに教え込まれたものだ。そんな彼女が宝石を見間違えるわけもない。少女の心を映すように井戸の水面が激しく揺れた。どんな苦労をしても、扱いを受けてもこれまで他人に強い敵意を抱いたことは無かった。―だが、今彼女の心に止めようの無い激しい怒りと憎しみが沸き起こりつつあった。

(お母さんがイマームを殺した。目の前の誘惑に負け悪魔に魂を売ったというの?お父さんは身の危険も顧みず私たちをいつも守ろうとしていたのに、あの人は・・・!)

少女の緑の大きな瞳は、まるで感情を持たない冷たい石のように少年の死に顔を見つめていた。ずっと咲き乱れていた森の花々は、突如色を失い次々と枯れていく。風は止まり鳥のさえずりが森から消えた。これから街に起こる事件の予兆のように・・・。

 母親が家に戻って来たのは昼近くのことだった。昨日とは違うシルクの衣装を身にまとい、様々な刺繍が施されたヴェールを被っている。この国の神殿に勤める女官の正装姿だ。そしてマリアーナの手には青く染められた衣装が大事そうに握られていた。

「遅くなってごめんよ、エレミア。何も言わずに出かけたから心配したかい?」

その表情も声も普段と何も変わらない様子だ。

「お母さん、・・・今朝イマームが死んだの。村外れの井戸の底で・・・。」

エレミアは母を振り返らず無機質な声で言った。少し間があったもののマリアーナは

「そうかい。それは可哀相に。話し合う約束だったからね、これでも急いで戻って来たんだよ。それがまさかこんなことになるなんてね・・・。」

と気の毒そうに声をかけた。嘘か誠か・・・、そして母はエレミアをそっと抱きしめた。

「だがお前にはまだ強運がついている。元気をお出しなさい。ほら、この服に着替えて・・・。お前の明るい髪にきっと映えるよ。」

本当に嬉しそうな笑顔だった。エレミアはそんな母の姿に寒気を覚えた。その背後にはソドムの神殿から派遣された警備兵と女官たちが控えていた。若き少女の抵抗も空しくエレミアは高価な青い衣装に着替えさせられると、艶やかな宝石や花で飾りたてられた。彼女の耳に輝くのはかつて父がエレミアの瞳の色に合わせて仕入れてきたエメラルドの宝石だった。世界に一つしかないデザインなのだと父が亡くなる前に自慢していたのを覚えている。

(何故、父さんが大切に持っていた耳飾りがここに・・・。)

どんなにねだっても父イザヤは

「この耳飾りが似合う年頃になったらな。」

と笑うばかりで幼い少女の願いに取り合ってはくれなかった。しかし耳飾りは売られることなく大切に保管されていた。仕入れた品々の手入れを手伝っていたエレミアは父が耳飾りを売る気がないことに何となく気付いていた。だからこそ疑問なのだ。何故この耳飾りが神殿にあるのか・・・。財産を騙し取った者たちが神殿の者たちに売り渡したのか・・・。髪を整えるために用意された水瓶がエレミアの前に置かれた。彼女は鏡を前に水瓶をじっと見つめた。水面に小波が立ち、亡き父の姿が薄っすらと浮かび上がった。頭ではこの耳飾りをイメージしゆっくりと目を閉じる。そして再び瞼を開くとそこに映ったのは父を襲った盗賊の姿と、彼から奪った耳飾りを受け取る法王ソドムの姿だった。エレミアは初めて真実を知った。今ここで起こっていることも数年前の父親の死に関係しているのだ。そして今度は母マリアーナがソドムの手に落ちようとしている。自分の愛する者を死に追いやった張本人の言葉を信じ、娘の恋人まで手にかけてしまったのだ。

(何て愚かなことを・・・。)

少女の心に絶望の波が押し寄せてきた。この大きな流れに逆らうにはあまりにも自分は非力で悲しいくらいだった。エレミアの顔色を一度も窺うことなく、マリアーナは従者たちと一緒に娘を輿に乗せるとソドムのいる神殿へと急いだ。その間にエレミアの心の中でどんな変化が起こっていたのかも知らずに・・・。

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