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第三章 幸福の陰り

森でイマームという美しい不思議な青年に出会ったエレミアは一目で彼と恋に落ちます。しかし、その幸福にも陰りが現れ始め…。

 エレミアの父・イザヤの心配が、ある日とうとう的中することになった。娘に人前で占いの力を披露することを禁じていたにも関わらず、国一番の勢力を誇る西の大神殿から《青の聖女》への正式要請があったのだ。一介の町民にこの要請を断る権限は無いに等しかった。数年前の治安の良かったハバタルカならともかく、現在では権力者の独裁政権になりつつあった。本来ならば人々の精神の拠り所となるはずの神殿が国民を堕落させ苦しめていた。公にされていないだけで権力者たちに消された聖者や学者も多かったという。自己の強い信念を他人に示すこと、それはもはや命の危険すら招きかねない行為なのだ。それが更にハバタルカの人々の思考力を麻痺させていた。隣の家で何が起こっていようが自分の家さえ無事なら関係が無い、そんな思想が国中に広がりつつあった。大自然への信仰を失った人々の心は脆く虚ろだった。―だか、エレミアの父はこの誘いをはっきりと跳ね除けた。娘の幸せを心から願う真の強さが彼をつき動かしたのだ。例え死んでも悪魔に魂は売らない。イザヤは他国を何度も旅し、危険な目に遭いながらも異国の人々と接し色々な商品を入手してきた。そんな中で他国の思想に触れ、彼の精神もまた鍛え上げられたものだった。今、ハバタルカがたどろうとしている道がいかに邪悪なものであるかも彼は気付き始めていた。そんな醜い争いの渦中に一人娘を放り出す気にはとてもなれない。ましてや相手は国中で評判の好色な男だ。平民出身の娘を本気で《青の聖女》として崇めるとは思えない。巫女としての役目を降ろされたところでソドムの慰みものにされることは目に見えている。イザヤの決心は固かった。生活の保障は無いが娘を国外に逃亡させた方がまだマシだ。・・・本当に愛する者と巡り逢えるのなら幸せになるチャンスもある。エレミアの父はそう思っていた。ところが彼のこの信念が命取りな事件を巻き起こすことになった。


 エレミアの父イザヤは神殿の使いを追い返したその日の晩、見せしめとして盗賊を装ったソドムの刺客に襲われた。複数の男達から長剣で一斉に心臓を貫かれると、強靭だった彼の肉体はまるで骨の無い人形のように脆く崩れ落ちた。刺客がうつ伏せになったイザヤを起こした時、彼は既に絶命していた。―が、その瞳は大きく見開かれ

「俺は真実を見た。」

と言わんばかりに黒衣の男達を見据えている。当初の目的は物取りの犯行に見せかけて殺すつもりだったが、ソドムの放った刺客らは何故か突如として気力を失った。仕方なく彼らはイザヤが胸の内ポケットに忍ばせていたプレゼントらしき小さな包みだけを抜き取った。白地の箱に赤いリボンがかけられ、中には異国の珍しい細工が施された高価な耳飾りが入っていた。年若い娘が好みそうな可愛らしいデザインだ。おそらく今日、父から愛娘へ誕生日プレゼントとして手渡されるはずの物だったのだろう。もちろんそんなことをソドムや刺客たちが知るはずもない。リボンを解かれた空き箱は道へ投げ捨てられ、異国の耳飾りは彼らに持ち去られてしまった。父の死を十六歳になったばかりのエレミアと彼女の母が知ったのは、それから翌日の朝のことだった。


 一家の大黒柱を失い、商家として裕福だったエレミアの家はあっと言う間に他人の手に渡った。父の恩恵に預かっていた者までもが掌を返したように彼女らの財産を貪り、母マリアーナがそれに気付いた時二人は既に無一文になっていた。商人仲間には二人を気の毒に思い気遣う者もあったが、ソドムの報復を恐れハバタルカから離れて行った。頼るあても無く母娘はとうとう路頭へ迷うこととなった。わずか一ヶ月あまりの間に、欲望に目の眩んだ人々の姿をまざまざと見せつけられたエレミアはそれをとてもおぞましく思った。例えその日食べていくだけがやっとの貧しい生活でも正気だけは失いたくない、心の中でそう願った。富に浸かった街の人々は、誰一人とエレミアたち親子に手を差し伸べようとはしなかった。誰だって下手に時の権力者に逆らって豊かな生活を失いたくは無かった。それならば笑ってこの親子を見殺しにすることだってできる。自分の生活を守るために・・・。


 そんな彼女たちを救ったのは、街から数キロ離れた小さな村の神父だった。神父の名はキートン。年は三十五・六くらいで神父としてはかなり若手であった。背が高く、痩せてはいたがとても穏やかな気性の男だった。早くに親を失った子供や、身体が不自由で貧しい生活を余儀なくされている人々を救済するために誰にでも教会を開放していた。エレミアとマリアーナも神父の厚意によって教会の部屋を分け与えられ、そこで生活することになった。華やかなものは何も無いけれど、人の温かさがそこにはあった。

(人は富と引き換えに友愛を失うものなのかしら。)

エレミアは教会に暮らす子供達を見つめながらぼんやりとそう思った。

(どちらが人にとって本当に幸せなんだろう。)

答えはまだ見つからなかった。急激な環境の変化に戸惑いながらも、エレミアの母マリアーナは娘を食べさせていくために毎日必死で働いた。いつも綺麗に整えられていた柔らかな長い髪は、今ではすっかり乱れ油や埃で汚れていた。かつては白魚のようだった手は擦り傷だらけで赤く腫れあがっている。母の美しかった顔も苦労のためか皺が目立つようになった。それでも娘には少しでも綺麗にさせてやりたいとエレミアの髪を毎日整え、イザヤの贈った髪飾りで止めてやった。お陰でエレミアの美貌は貧しい生活の中でも衰えること無くここでも次第に評判になった。村の若者にも彼女に想いを寄せる者は多く交際を申し込んだ青年もいたが、イマームに想いを寄せている以上エレミアが首を縦に振ることは決して無かった。今でも人目を忍んでは、エレミアとイマームとの逢引は続いていた。少年は決して人前に姿を現そうとしなかったので、エレミアとしては隠すつもりでなくてもこっそり会いに行くしかなかったのだが・・・。毎日汗だくになって帰ってくる母を見ていると、エレミアはイマームと会っていることを言い出せなくて辛かった。少しでも母の手伝いが出来たら・・・。しかしマリアーナはエレミアが街に出て働くことに大反対だった。エレミアがいくら説得してもそれは変わらなかった。それほど街の雇用状況が悪いのだろう。母親がどこでどんな仕事をしているのかさえ少女は知らなかった。迎えに行くこともきつく止められていた。そして帰って来る度にマリアーナの表情は険しくなっていった。

(これ以上そんな母の姿を見てはいられない。)

エレミアはついに立ち上がることを決心した。生まれ持つ不思議な力を生かして積極的に教会の仕事を手伝うようになった。主な仕事は枯れた井戸の変わりになる水源を見つけ出したり種蒔きに適した日を占ったりすることだった。その正確さは前に述べた通りで今更説明するまでもない。『神秘の少女』はここに健在しているのだ。父と交わした約束がある以上人前で公に水占いはしなかったが、彼女の占いの力は次第に小さな村から街の外れまで評判になった。キートン牧師はそんな彼女の力に驚き、

「もっと街の神殿で本格的に修行すれば、才能を認められて君達親子の生活が楽になるかもしれない。」

と助言した。しかしエレミアはそれを拒絶した。あの街へはもう戻りたくない。母をここまで苦しめているのも街の人々なのだ。生活の為にお金が必要なのは事実だが、そのために魂を売るのは嫌だった。少女は誇り高いイザヤの血を色濃く受け継いでいるのだ。

「君がここにいたいと言うのなら好きにするといい。僕に強制する権利は無いからね。今では街の神殿は世襲制で本当の意味での力は失っていると聞いているし・・・。」

気のいいキートン牧師は笑ってこの話を流した。

「キートン牧師・・・。」

エレミアはほっとしたように笑いを浮かべた。少女の真剣な面差しを見れば思うところがあることはすぐにわかる。

(この子には富や名声より大切なものがあるのだろう。)

神父はそう思った。

(ならば気の済むまでその思いを貫かせてやろうではないか。このような世の中で気高い若者に出会えたことは何より私の歓びなのだ。)

キートン牧師も穏やかさの中に強い信念を持つ人間だった。エレミアやマリアーナのことを気にかけるのも共鳴するものを感じたからなのかもしれない。

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